エフイーターが龍門裏社会のファイトクラブに潜入捜査する話   作:オリスケ

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第6話

 

「――か。だから段階を踏めと――これはお前の――」

 

 

 ……遠い所で、誰かの声がする。

 目覚めたエフイーターの意識が真っ先に捉えたのは、口論の声だった。

 聞いたことのない男の声。余裕のないどこかヒステリックな調子で何事かを騒ぎ立てている。何となく嫌な感じの声色だと感じたが、ぼやけて曖昧の意識では言葉の意味までは追いかけられない。

 次第に、他の音も聞こえるようになってきた。心電図の規則的な電子音。しゅうしゅうというガスの音。閉じた瞼越しに、蛍光灯の白い明かりの気配を感じる。

 同時に身体の感覚も戻ってくる。鉛のように重い身体。全身に感じる痛みが遠い。経験から鎮痛剤の影響だろうと分かる。

 その頃にはエフイーターは、自分に何が起きたかをハッキリと思い出していた。

 

 

(気絶しちゃったのか。ちぇ、だらしないなぁアタシ)

 

 

 目を開けて、明かりの眩しさに白んだ視界が次第に輪郭を取り戻す。

 そこはクラブ・サボンの医務室だった。ビル地下のため薄暗く見栄えは悪いが、時に命が関わる負傷が起こるために設備は充実している。エフイーターはその集中治療室のベッドに寝かされていた。

 既に大部分の処置は終わった後らしい。腕や抉られた脇腹には包帯が巻かれ、酷く痛むが命に関わるような危険は感じない。

 

 

「ほんっと、大変な目に遭ったな……いってて」

 

 

 ひとりごちながら、酸素供給用のマスクを外し、深く息を吸い込む。

 遠くの口論の声が止まった。ずんずんと大仰な足取りが近いてくる。

 天井を向いたエフイーターの視界に、獅子を彷彿とさせる強面が現れ、彼女の顔を覗き込んできた。

 

 

「おぉ、目覚めたかパンダくん。一時はどうなることかと思ったぞ!」

「ベゼスタさん。何でここに?」

「もちろん君を心配して駆け付けたに決まっているだろう!」

 

 

 ニカッと白い歯を見せて、快活さを前面に押し出した笑顔を作るベゼスタ。フォーマルスーツに包まれた巨漢はやはりアンバランスで、シュールなコメディを見せられているような気分になって妙に笑えてくる。

 しかし今回の事態には、さすがの彼も困惑しているらしかった。腕を組み、濃い眉を寄せて唸りを上げる。

 

 

「まさか拳闘士のアーツが暴走とはな。獣の昂揚は実に結構だが、ああも激しく暴れられては問題だ」

「結局、会場はどうなったんです?」

「大丈夫だ、暴走も未然に食い止められたよ。全て君の健闘のお陰だ、クラブ支配人として心から礼を言おう! サルカズの男は制圧できたし、"事故を起こした者は数名で済んだ"!」

(うっひゃあ、表現規制が徹底してるぅ……)

 

 

 緩く笑顔を作って応じながら、エフイーターは内心冷や汗を垂らす。

 ベゼスタが言うには、暴走が発生した時点でテレビ放映は中止したらしい。観客にも多数の重軽傷が出たが、彼等はベゼスタ財閥が直営の病院で治療を受けるとのことだ。違法クラブは観戦も罪に問われるため、今回の件が表沙汰になる事はないだろうと断言された――もっともクラブの存続自体はエフイーターにとってはどうでもいいことだったが。

 壁に掛けられた時計を見れば、サルカズの戦闘から四時間近く経っていた。

 ロドスに連絡をしなければいけない。どこまで把握しているかは不明だが、何か事件が起きた事は掴んでいるはずだ。

 アーミヤもドクターも気が気ではないだろう。兎にも角にも無事を知らせてあげなければ。

 

 

「ええっと……治療ありがとう。まだ後処理とかで大変だろうし、アタシは家に帰るとするよ」

 

 

 愛想笑いを浮かべて、身体に貼り付いていた計測用のコードを外し、身を起こそうとする。

 その肩に、ベゼスタの拳が押し付けられた。大きく固く、エフイーターが身を起こそうとしてもびくともしない。

 古びた蛍光灯の下で、ベゼスタはにこやかな笑顔を浮かべてエフイーターを見下ろしている。

 

 

「そう気を遣う事はない。テレビに映す事はできなくとも

君は今日いちばんのヒーローだ! 自慢じゃないがここの医療設備はそこらの病院以上だぞ、しばらくここで休みたまえ」

「いやぁ、気持ちは嬉しいですけど、実は明日は別の用事があって……」

 

 

 曖昧にはぐらかそうとしたエフイーターだったが、ベゼスタが更に拳に力を籠めると、抉られた脇腹にずぐっと痛みが走った。

 

 

「いぐっ」

「ほら見たことか、傷が塞がるまでは安静にしていた方がいい……では先生、頼む」

 

 

 無理矢理に寝かしつけたベゼスタは笑顔でそう言うと、医務室の傍に控えていた男を呼んだ。カツカツという靴音が近づいてくる。

 鎮痛剤の効果で遠くに追いやっていた痛みを思い出させられたエフイーターは、しかし涙の滲む目を足音の方に向けた瞬間、全く別種の驚愕に息を飲んだ。

 ボロボロの白衣に身を包んだ痩せぎすの身体。何日も寝てないような隈の浮いた目。ロドスのオペレーター、ファイヤーウォッチと同じ鹿角は松の木のように不格好な不安を煽る捻れ方をしている。

 写真で何度となく見た顔。鉱石病患者にしてレユニオンに所属する薬剤師、ディープ・ドープ。彼は薄暗く淀んだ瞳を、じっとエフイーターに落としている。

 

 

「クラブ・サボンの医療チーフを務める男だ。人相は悪いが腕は確かだぞ、心配いらない」

「そ、それはどうも……あの、お手柔らかにお願いしますね」

 

 

 笑みを浮かべようとした唇の端がヒクつく。幸いにも不審に思われる事はなかったのか、ディープ・ドープは微かに一礼する。

 

 

「では、私は失礼するよ――重ねて礼を言うよパンダ君。クラブ・サボンは君のお陰で守られた! これからの君の活躍に期待しているぞ!」

 

 

 相変わらずの快活な張り上げ声でそう告げて、ベゼスタは病室を後にしていく。

 ドアが閉められれば、後にはエフイーターと、痩せぎすの白衣の男が残される。病んだ鬱屈とした気配をすぐ傍に感じて、エフイーターは思わずごくりと唾を飲む。

 寝転がった状態で視線を巡らせる。病室の外に出るドアには中をうかがうための窓があったが、ここからでは廊下の天井しか見えない。外に通じる窓はなく、この病院が地下に設営されているのか、あるいは収容した人間を外に出さないための措置だと思われた。

 しばらくその場に佇んでいたディープ・ドープは、前触れもなくゆらりと動き出すと、エフイーターの治療に取りかかった。脈を測り、胸に聴診器を当て、血を採る。

 その処置は手早く無駄がない。しかし存在感が希薄で、幽霊みたいに不気味だ。なのでディープ・ドープがエフイーターの点滴を取り替えようとした時、警戒心ではなく純粋な不安から、軽口が口を突いていた。

 

 

 

 

 

「毒とか流し込んじゃヤだからね?」

 

 

 ぴたり、と男の手が止まる。

 小さな黒目が、ぎょろっと動いてエフイーターを見る。

 

 

「……なんだと」

「や、アンタあんまり寝てなさそうだからさ。薬間違えたりしないかと不安になっちゃって」

「俺が間違いを起こすとでも言うのか。この、俺が」

「いや俺がとか言われても。アタシ別にアンタの事知らないし。なに、ひょっとして有名人?」

 

 

 殺気立つディープ・ドープに、ぶんぶんと手を振って答える。もちろん知らないというのは嘘だ。彼が鉱石病の肉体に対するメリットを過剰に誇張して記した論文を書き、その倫理観の欠片もない内容から業界を追い出された事も、レユニオンの幹部となって怪しい薬作りに没頭している事も知っている。

 ディープ・ドープは鬱陶しそうに鼻を鳴らしただけで、返答をしなかった。視線を逸らし、取り替えた点滴薬にチューブを差し込む。

 再び沈黙。ただでさえ居心地が悪いというのに、相手は潜入任務の対象だ。薄ガラスの上を歩くような緊張感を覚える。

 しばらく無言で作業をしていたディープ・ドープが、また視線をエフイーターに向けた。

 

 

「……鼓動が早いぞ。どうした」

「ん……別に。さっきのオッサンの態度を思い出してさ。ちょっとイラッとしちゃって」

 

 

 ぴくり、とディープ・ドープの眉が持ち上がった。

 起きがけに聞いた口論は、やはりベゼスタとこの男の口論だったらしい。エフイーターはにやりと唇を緩めて笑う。

 

 

「分かる、分かるよ。アンタは絶対にベゼスタと気が合わない。あのオッサン明るくてうるさくて。その上自信家でしょ? 遠目に見てる分にはいい奴に見えるけれど、アイツの傍で働くってなったら、アタシでもノイローゼ起こしちゃうよ」

 

 

 掴んだ関心を逃さないよう、エフイーターは軽口を続ける。

 

 

「アタシの今日の対戦相手は知ってる? 暴走して台無しになっちゃったけど、そうじゃなくてもひっどいゲスだったよ。もし試合で負けてたら、アタシはたぶん死ぬまでめちゃめちゃにされたし、生きてても無事じゃいられなかっただろうね」

「……」

「自分で言うのもなんだけど、アタシは今のクラブの注目株でさ。わざわざベゼスタのオッサンが見に来る日に、アタシにあんなゲスがあてがわれたって事は、そういう差し金があったって事だろ? なのにアイツは、あっけらかんと『無事で良かった』なんて言うんだよ。どんだけ面の皮が厚いんだって話でしょ? アタシが無様に死ぬ所を見たいヘンタイの癖にさ」

 

 

 眉を持ち上げ、ディープ・ドープに同意を求める。情報を引き出すための会話だったが、総資産何兆という大富豪をからかうのはそれなりに胸のすく感じがした。

 ディープ・ドープはじっとこちらを見ている。そのまま無視されるかと思いきや、彼は緩く首を横に振って、エフイーターの意見を否定した。

 

 

「あの男は、そこまで猥雑な考えはしていない」

「そーなの? お兄さん、実はベゼスタと結構な仲だったり?」

 

 

 エフイーターの質問には答えず、白衣の男は、どこか苦虫を噛み潰すような表情で言った。

 

 

「……ベゼスタは獣だよ。奴は常に、どんな場所でも、本能から闘争を求めている。古代の恐竜がヒトの皮を被って現代に蘇ったような男だ」

「確かに、殴り合うためにクラブまで作っちゃうような男だしね」

「奴の闘争の意志は、炎と同じだ。より熱く、より大きく燃え盛る事を至上命題とするような、荒れ狂う炎。ひとたび判断を誤れば、熱はたちまち伝播し、辺り一帯を焼き尽くす。建物も、ヒトも、社会そのものも……」

 

 

 蕩々と語るディープ・ドープの声には、どこか悔恨が滲んでいるように聞こえた。エフイーターは僅かに眉を潜めながらも、最初に作ったからかいの雰囲気のままおどけて見せる。

 

 

「むっつり口下手かと思ったら、結構詩人じゃん。あの男と何かあったの? どういう関係、まさか元カレ?」

「……ずいぶん探り屋だな、なぜ俺について知りたがる」

「単なる世間話だよ。後は打算かな? ベゼスタのオッサンはムカつくけれど、大富豪のお近づきになれれば一生遊んで暮らせる量のオヒネリが貰えそうじゃないか」

 

 

 最初に作った口の軽い拳闘士というキャラクターの通り、いやらしい、けれど愛嬌たっぷりの顔を向けるエフイーター。

 しかし、ディープ・ドープが返したのは、氷のように冷ややかな侮蔑の失笑。

 

 

「下手な勘ぐりはやめろ。お前こそ、どうしてこんな場所にいる。ここはお前の居場所じゃないだろう」

「? それってどういう……」

「自棄にもならず、暴力に溺れもせず、ヒトも殺さず……同じ感染者の癖にへらへらと、虫唾が走る。こんな場所まで偽善を振りかざしに来たのか?」

 

 

 空気が明らかに変わる。言葉に侮蔑と怒りが滲む。

 そうして男は、ベッドに横たわるエフイーターに、唇を歪めて言った。

 

 

「そろそろ演技をやめたらどうだ、ロドスのオペレーター」

「ッ――」

「動くな。ここは暴力クラブの医務室だぞ、治療を拒んだ拳闘士を処理するなど造作もない事だ」

 

 

 瞬時に無力化しようとしたエフイーターの動きが止まる。

 先ほどまで気絶していたエフイーターは、ここの正確な場所さえ把握できていないのだ。痩せぎすの男一人無力化するくらい楽勝だが、ここから脱出できなければ意味がない。

 結局エフイーターは、抵抗を諦めてベッドに横たわる。さながらまな板の上の魚の気分で、両手をひらひらと振って降参を示す。

 

 

「……いつからバレてたの?」

「最初からだ。レユニオンだって、ここ龍門に独自の情報網を築いている。俺達は、お前達の思う以上にはロドスの事を把握している」

「もしかして、今日の事件はアンタの仕業? 邪魔者を排除しようと、今日の試合でサルカズを暴れさせたって訳?」

 

 

 会話を続けながら、エフイーターは視線を巡らせる。

 自分はまだ拳闘士用のスポーツウェアのままだ。私物はなく、連絡用に持たされていた小型通信機もない。医務室にも外部へ連絡を取れるような物はなさそうだ。一か八か事務室まで突貫をしかけるのも手だが、正確な場所が分からない以上うまくいく保証はない。

 対してディープ・ドープは、エフイーターが外部のスパイであるとしかるべき人に伝えるだけでいい。クラブ・サボンとしては、組織運営のために人一人を闇に葬るなど造作もなくやってみせるだろう。第一ここまでの医療措置の中で、何も手を施していないとは考えにくい。

 いわゆる、絶体絶命にほど近い状態だった。

 

 

「そっちの正体も明かして来たって事は、いよいよアタシを生きて返すつもりはない感じかな」

「……」

「じゃあさ、冥土の土産としてアタシの答え合わせもしてくれよ、レユニオン。あんたらはこの暴力クラブで何を企んでいるんだ?」

 

 

 諦めた訳じゃない。もしここでコイツを倒して止まるなら、刺し違える覚悟で動いてみせる。どうせ死ぬのなら、少しでもできる事をやって藻掻いて見せよう。

 そうやって、命すら捨てる覚悟を決めたエフイーターに対し……白衣の男は、深い嘆息を一つ。

 ディープ・ドープは、ふっと緊張をほどくと、何事もなかったかのように治療行為に戻った。ケースから適量の薬を取り出すと、トレーに乗せてエフイーターの膝の上に置く。

 

 

「……え?」

「鎮痛剤と抗生物質、消炎剤に鉱石病の抗原薬だ。一日三回、食後に一錠ずつ飲め」

「へ? へ? いやいや待ってよ、アタシら今明らかにそれどころじゃない話をして……」

 

 

 エフイーターのツッコミは、視線をトレーに向けた瞬間に止まる。

 錠剤を入れたケースを乗せたプラスチックトレー。

 その下に、電子カードが一枚挟まっている。

 

 

「これ……」

「企てを知りたいなら、自分の目で確かめてみろ」

 

 

 短くそう呟くと、彼はエフイーターを見向きもせず、手首に巻き付けていた脈拍計を外す。

 お大事にと格式ばった心ない挨拶を言って、踵を返す、その去り際。

 振り絞るように、男の唇が歪んだ。

 

 

「――助けてくれ」

 

 

 シーツの衣擦れで搔き消えるほどの、か細い声。

 エフイーターが目を丸くする間に、痩せぎすのレユニオンは身を翻し、皺だらけの白衣を揺らして病室の外へと出て行った。

 

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