エフイーターが龍門裏社会のファイトクラブに潜入捜査する話 作:オリスケ
結局、ディープ・ドープはエフイーターに対し、じつに実直な治療行為以外を行わなかった。敵対するロドスのメンバーだと把握してなお彼女を放置し、検診をして以来は顔も声も見せようとしない。
その後もエフイーターは、ごくごく一般的な病院のごくごく一般的な患者のように扱われた。彼女はどこか拍子抜けするような気持ちで差し出される食事を食べて、薬を飲んで、十分に休息を取った。
行動を再開したのは、十分に夜が更けてからだ。
「――よし、と」
病院服を脱ぎ捨てて競技用のインナー姿になり、髪ゴムで銀髪をいつものツインテールにしたエフイーターは、病室のベッドを抜けだして廊下に出る。
照明が落とされた廊下は、病室スタッフが数人巡回をしている。一般的な病院と違うのは、それが防護服を身に付けスタンロッドを携帯している事だろう。
暴徒鎮圧できるまでに訓練された巡回兵を相手取れば、無傷では済まない。エフイーターは警備の隙間を縫って廊下を抜け、非常階段口へ身を滑り込ませる。
ディープ・ドープが渡したカードキーには、ご丁寧にも目的地の階層までが記されていた。非常階段の薄明かりにそれを翳し、エフイーターは唸る。
「この状況で、わざわざ別の罠に嵌める理由はないだろうけど……アイツはアタシに何を見せるつもりなんだ?」
絞り出すように呟かれた「助けてくれ」の声が脳裏に蘇る。
二言三言会話をすれば、あの痩せぎすの男のプライドの高さは容易く推し量れる。奴は洒落や冗談で助けを求めたりしない。
感染者の利権のためならばあらゆる悪逆非道も厭わないレユニオンにああも言わせるとは――向かう先に待つのはいったいどんな光景なのか。
記された目的地はエフイーターの居る場所から更に下だ。眼下の、明かりの少ない古びた非常階段に言い知れない気配を感じ、ごくりと息を飲む。何者かにじっと見られている気配を錯覚しながら、足音を殺し一歩一歩下っていく。
目的の階まで降りると、一際巨大な鉄門扉がエフイーターを出迎えた。軍用車輌を入れる倉庫か、銀行の金庫にでも採用されそうな扉だ。場違いなほどの堅牢さが、元締めであるベゼスタグループの資金力と、この先に待つものの重大さを現しているように思える。
「さあ、大詰めだぞエフイーター。虎穴に入らずんば虎児を得ず。藪を突いて蛇が出るか竜が出るか……」
嘯きながらカードキーを翳すと、唸りを上げて鉄扉が開いていく。
鉄扉の向こうに広がっていたのは予想外に広い空間だった。照明が落とされており、全く先が見通せない。鉄扉の開ききったゴウンという音が、遙か奥まで反響して戻ってくる。
「地下何階か知らないけど、どんだけ広い空間を作ってるんだよ。金持ちの考える事は分かんないなぁ」
独り言を呟きながら、一歩踏み込む。
数メートル進めば、もう光が届かなくなった。エフイーターは壁に手を着き、手探りで進んでいく。
ここは広く長い通路で、奥の更に広い空間に繋がっているらしい。空気はどこか乾いて、なんとなく不穏な、不安を誘う雰囲気が漂っている。
「いくら何でも暗すぎでしょ。ライトくらい持ってくれば――」
ひとり言は最後まで続かない。
エフイーターの足音に重なる、ざりという足音。
次の瞬間、エフイーターの背中めがけて、猛烈な一撃が襲いかかった。
「っが!?」
気配だけで攻撃を見切ったエフイーターは、瞬時に身を捻り膝を曲げて身を小さくし、腕でガードする。それでも闇から放たれた一撃は凄まじい威力で、彼女の身体を吹き飛ばした。エフイーターは猛烈な勢いで地面を跳ね、廊下を抜け――五メートルほど落下して、大地に激突する。
「っぐ、あぁ……!?」
サルカズを相手取った時の傷が開く気配。骨まで響く衝撃に忘れかけていた痛みが思い出され、エフイーターは蹲って悶絶する。
バツッと破裂音に近い音がして、その空間の照明が一斉に灯った。一瞬目が眩み、エフイーターは自分の居る場所を目にする。
例えるならそこは、バスケットボールのスタジアムに近い空間だった。幅十五メートル程度の長方形をした砂が撒かれたステージ。それを囲むようにして二メートル近い壁があり、段を越えた先に観客席が広がっている。
その観客席の入口近くに、彼は立っていた。二メートルを超える巨漢をフォーマルなスーツに包み、快活な笑顔を彼女に向ける。
「やぁパンダくん! 夜分遅くに、探検家ごっこでもしているのかな?」
「べ、ベゼスタさん……?」
広々とした空間にも響き渡る豪快な声。まさか出会うとは思わなかった姿に、エフイーターが絶句する。
大柄なアスランの大富豪は、エフイーターの言葉を受けて、天を仰いで高笑いを放った。
「っはははは! 今更畏まってさん付けなど必要ないだろう! うん、もう言ってしまおう――スパイごっこはお開きにしようじゃないか、ロドスのエフイーターくん!」
決して明かさなかったコードネームで呼ばれ、エフイーターの顔が引きつる。まるで対称的に、ベゼスタが白い歯を輝かせるようにして笑みを深める。
「くそ、あのヒョロガリめ、アタシを売りやがったな。心配してやって損したよ……!」
「ああ違う違う、ディープ・ドープは関係ない。クラブ・サボンでは、関係者の素性は追える限り徹底的に追うようにしているんだ。雇ったスタッフが問題を起こし、龍門市警に出てこられる事態になっては困るからね」
声にも、笑顔にも、自信が満ち満ちている。ここではぐらかす事にはなんの意味もないことだ。
「それなら、アンタはアタシがスパイだって分かった上でクラブ・サボンに入れたって事? なんで?」
「決まってるさ。それは私が、君の大ファンだからだよ!」
ビリビリと痺れるほどの大音量で、ベゼスタが吼えた。エフイーターが目を丸くする。
「ふ、ファン?」
「そうとも! 特にあれが好きなんだ、『九龍城からの脱出』! 十六階の摩天楼を飛び降りるスタントは痺れるほど格好よかった! あの映画のポスターは未だに額縁に飾って保管しているよ。君のサイン付きをね!」
「……、…………」
唖然とした。
ベゼスタが告げたその題名は、忘れもしない、エフイーターが始めて主演をした映画の名前だったからだ。同時にエフイーターが、カンフー女優という肩書きを確固たるものにした作品でもある。
「映画の冒頭から『本物の動き』だと分かったよ。長くひたむきに鍛え、己の血肉とした本物の功夫の動きだとね! だから今後に期待をしていたが――ああ何ということか、君はあの忌まわしき鉱石病に罹ってしまった。君の出演した作品は抹消され、君自身は排斥され、表舞台から姿を消してしまった」
「……」
足下の地面が沈み込むような錯覚。
音が遠くなり、視界が暗くなり、現実に割り込むように、かつての記憶がフラッシュバックしそうになる。額に当たる石の固く鈍い痛み。鼓膜を震わせる罵詈雑言。針のように鋭く心に突き刺さる視線の数々。呼吸が浅く、早くなり、肺の動かし方を忘れそうになる。
ベゼスタは言葉を区切ると、それが自信の苦しさであるかのように、握り込んだ拳を震わせて言う。
「想像だにできないよ。一度輝かしい名声を得た君が、居場所を奪われ、誇りを取り上げられ――ついには"本名を名乗れなくなるまで徹底的に侮辱されるなんて!" 一体どれほどの屈辱か、なあ■■■■くん!」
「やめろ」
自分でもびっくりするほど冷たく、鉛のように重たい声が飛びだしていた。
制御できない感情に、唇がわなわな震えている。喉が裂けるまで絶叫したい気持ちを必死に堪えて、エフイーターは遠く離れたベゼスタを指さし、言う。
「アタシはエフイーターだ。元映画女優の、ただそれだけの、エフイーターだ……だからアタシを、その名前で、呼ぶな」
もしベゼスタが再び名前を呼べば、エフイーターはあらゆる手を使って奴に飛びかかり、その喉笛をへし潰していただろう。しかしベゼスタは、エフイーターのそんな反応自体を見たかったらしい。満足げに頷き、言葉を続ける。
「私は名すら取り上げられた君を案じていたよ。君のような本物の戦士が、鉱石病なんて下らないものに虐げられ、スラムや郊外で一生を終えるなんて想像したくもなかった……そんな折に、君はクラブ・サボンの門戸を叩いてくれた! あの頃と変わらぬ美貌と、いっそう冴え渡る功夫の腕を引っさげてね!」
「つまるところ、お前は女優の尻を追っかける変態で、アタシとお近づきになりたい一心で、ロドスのスパイであることを見過ごしたって訳か? はっ、公私混同も甚だしいね」
「公私混同ではないさ。私の理想と野望の前には、君もロドスも、取るに足らないというだけの事だよ!」
そう言い、ベゼスタは飛んだ。
一回の跳躍で観客席を飛び越え、エフイーターと同じ土俵まで降り立つ。巨漢が落下する衝撃に、建物全体が軋むようだ。
「前にも言ったろう。私は強さこそ優れたヒトの証だと思っている! 力で打ち倒し、知恵で上回り、他者を蹴落とし頂点を目指し努力する。それこそが尊きヒトの営みだと……強者たらんとする私は、常に! 戦いに餓えている!」
顔を上げ、ギラリと光らせるベゼスタの双眸に宿るのは、比喩でもなく獣のような闘争心。迫力に、エフイーターの肌がぞわりと粟立つ。
「私は君のファンだ、そして一人の戦士だ! 君が存分に輝ける舞台を用意したい。あわよくば君と戦い、打ち倒してみたい! 私の行動には何の矛盾もない。そうだ私は、君の戦いが見たいのだよ!」
「ッ――」
「さあ、選択肢はないぞエフイーターくん! 君は私の神聖なクラブに入り込んだスパイだ。大人しく尋常に戦うがいい! どちらかが地に伏し、死に倒れるまでッ!」
広い空間に響き渡る、けたたましい獅子の咆哮。
身構えるエフイーター目がけ、二メートルを超える巨漢の戦士が、獣の如く襲いかかった。