(1)
「ここだよね……」
とある春の日。私はこの木組みと石畳みの街へとやって来た。とても綺麗で、いい意味で現代的ではない、幻想的ともいえる風景の中を進み、歩くことしばらく。ついに下宿先であるお店の前へと到着。私は地図を確認し、ふうと息を吐く。長い旅路だった……。
位置は間違いない。この『邂逅のための写し鏡』――地図には私のいる場所に印がつけられている。
……。改めて見てみると、なんだろうか、この名前。普通に見やすい地図なんだけども、タイトルだけが奇妙だ。写し鏡というのは……多分、街の姿をこの紙に写しているから、とかそんな由来だろう。かっこいいといえばかっこいい。
私は地図をしまい、前にあるお店を見た。
一見すると周囲のお店と同じく洋風な佇まいの建物なのだけど、一つ他とは違う特徴がある。それは『茶屋 甘兎庵』と書かれた看板である。大きな木の板に黒の達筆な文字で記されており、それだけやたら和風だ。看板だけ目立つその有り様は、タイトルだけ珍妙な地図を彷彿とさせる。
きっとお店の人の趣味が出てるんだろうね。
面白いことになりそうだ。
クスッと笑い、早速中へ入ろうとドアに手をかける。時刻は夕方頃だ。多分お店に誰かいるだろう。
「失礼しますー」
恥ずかしいけど、お客さんとは違うのだとアピールするため、ノブを捻り中に入りつつ声を出す。
洋風な外見通り、中も割とそんな感じだ。長方形のテーブルと、落ち着いたデザインながらお洒落さを感じさせる椅子。派手さはないが、綺麗で雰囲気のいいお店であった。
「おお、すごい……」
こういったお洒落喫茶店など初めて入ったかもしれない。普段はチェーン店ばかりだし。感嘆しつつ周囲を眺める私。すると店内の席に一人、お客さんがいることに気づいた。
ふんわりとした、少し明るい茶色の髪。可愛らしく、それでいて大人の女性の品を感じさせる顔立ち。フレームのない眼鏡越しに見える蒼い瞳は宝石のように美しい。大人らしい落ち着いた色のワンピースの上にカーディガンを羽織っており、そしてワンポイントに首元にストールを巻いている。スタイルは抜群で、胸なんて服の上からでも大きさが容易に窺えた。
神秘的で、すごく綺麗な人だった。
夕暮れ時の店内。窓際の席でペンを片手にじっと紙を見つめるその女性。なんだか絵画にでもなりそうな光景だった。
言葉も出ず、私は彼女に見惚れる。
長年生きてきたが、こんな経験初めてであった。完全に、一目惚れ……自覚できるほどに。
「あら? もしかして、サヤさんですか?」
横から不意に声をかけられ、ハッとする。記憶と若干の差はあるものの、聞き覚えのある声だった。落ち着こうと自分に言い聞かせながら私はそちらへと顔を向けた。
私を見る翡翠のような瞳。花の髪飾り。艶やかなロングの黒髪が目を引く、綺麗な少女が私のすぐ前にいた。緑色の着物の上に白の割烹着を身に付けており、彼女がここの店員であることが一目で分かった。とても和風である。
「……もしかして、千夜ちゃん?」
ここに彼女がいることは分かっていた。けれどもこんな綺麗な女の子に成長するなんて。胸なんて私以上あるような。
驚きから思わず質問で返す私。しかし目の前の少女はそんなこと気にせずに笑顔を見せた。
「はい。お久しぶりですね、サヤさん」
やっぱり千夜ちゃんだった。こんなに大きくなって……。あっという間だね。
って、いかん。なんだか親戚のおばさんみたいなこと思ってるぞ私。私はまだ20代前半。まだまだピチピチなのだ。言動はおろか、思考も気をつけておかねば。早く老けてしまう。
脳内のネガティブな考えを追い払うように、私は首を横に振り笑顔を浮かべた。
「久しぶり。……私のこと覚えてくれてたんだ」
正直、覚えられていないかと思っていた。昔正月に会ったくらいの仲なのに。私はすっかり分からなかったというのに、よく覚えていたものだ。
「勿論ですよ。サヤさん全然変わってないですし」
にこりと笑って千夜は言う。
それもそうか。私と彼女の変わり様はすごい差である。私はあの時からずっとチビで、ぺたんこで、ストレートの金髪ロングだったものね。ふふふ……微妙にショック。
「そ、そっか……」
「ええ。あ、荷物は上の方にありますから、確認してください」
「ありがとう。じゃあ早速……」
丁寧に言われ、私はすぐに千夜から示された方向に向かおうとする。が、その時ちらりと窓際の女性が見え、足を止めた。
「どうしました?」
「あ、いや……」
尋ねられ、返事に困る。千夜があのお客さんのことを知っているなんて可能性は極めて低そうだし、果たして口にしていいものなのだろうか。十中八九引かれそうな気がする。
言い淀む私に、小首を傾げる千夜。彼女は私が見ていた先へ視線を向け、納得のいったように手をポンと打った。
「あの人が気になります?」
「ええっ!?」
妙に鋭い。もっと千夜はのほほんとしていた記憶なのだが。
「え、えと……は、はい。気になりましゅ」
動揺のあまり噛んでしまった。予想が当たったからか、千夜ははしゃいだ様子で両手の手のひらを合わせる。
「やっぱり。お店で書き物してるし気になりますよね」
……あぁー、そういう意味だったのね。
自分の早とちりぶりに恥ずかしくなる。普通はそうだ。お店でああも真剣に原稿と向き合っている人など中々見れないものである。
「あの人は小説家なんですよ」
心なしか楽しげに千夜は言った。小説家。なるほど、彼女の雰囲気にはぴったりな職業かもしれない。
「名前は青山さん。うちにはよく来るから、今度お話してみたらどうですか?」
「そうだね。そうするよ」
微笑んで頷く。
青山さんか……。是非ともお近づきになりたい人だ。常連さんらしいし、そのチャンスはこれから何度かありそうだ。お店を手伝うためにここへ来たんだしね。
……本当、これから面白いことになりそうだ。
お母さん、お父さん。ぐーたらだった私の新生活は、とても刺激的な日々になりそうだよ。
私はスキップしかねないルンルン気分でお店の二階へと向かった。