それから特に問題は起こらず、私も慣れない接客をそれなりにこなせるようになった。料理はおばあちゃん任せだけども、ウェイトレス役は十分に果たせている筈だ。なにせこれまで触れなかったレジまでマスターしてしまう完璧具合だしね……ふふん、得意げな気分。
時々お客さんに年齢や職業を訊かれたりする以外、現在悩み事はない。順調と言えるだろう。
「いらっしゃいませ」
さて、夕方が近くなってきた頃。お客さんが来たのか、店のドアが開いた。笑顔を浮かべそちらへ視線を向けると、中に入ってきたのは見知らない少女。セーラー服、なのだろうか。青を基調とし白をアクセントにした制服らしきものと帽子をかぶっており、身長は私より少し高いくらい。私のように若々しすぎる人種でなければ中学生――だろう。
とても甘味処に一人で来るような客だとは思えなかった。ふわふわとした長い水色の髪を揺らし、彼女は店内を見回す。誰かを探しているみたいだ。こうしてじっと見てみると、幼い見た目に反し大人びたというか、落ち着いた印象を受ける。今もはっきりとした感情が窺えない。私もこれくらい大人しそうだったら大人びて見えたりするのかもしれない。大人しくなんてまず無理だろうけど。
「……あの」
それから少しして、店内を見ていた彼女の蒼い目が私を捉える。そしておずおずと声をかけてきた。その様子は大人びた、というよりも人見知りをする子供のようで可愛らしい。私の口調は自然と優しいものとなる。
「はい、なんですか?」
「店員さんですか?」
おおう、今までその質問はなかったなぁ。ちょっとだけ可笑しくなる私。こういう子に言われるなら笑って許せるから不思議だ。単に現金なのかな。
「はい、店員ですよ」
私は微笑んで答える。すると彼女は少しだけ嬉しそうな顔をした。
「そうなんですか。千夜さんのお知り合いで?」
「まぁ、親戚ですね。昨日お手伝いするために引っ越して来ました」
「なるほど。お、お互い、大変ですね」
どこか親近感を抱いたような安堵した表情を浮かべる少女は、私が青山さんに連絡先を訊いた時のように勇気を出した感じでぎこちなく言う。なにこの子。すごく抱きしめたい衝動に駆られるんだけど……ん? お互い?
可愛さのせいで気付かなかったけど、この子も私と同じような境遇なのだろうか。私の大変なことと言えば、
「ドナドナ……?」
「……? なんですか? それ」
違うみたいだ。無表情のまま首を傾げる少女。流石にこんな子が強制的に送られる筈もないか。働く必要ないんだし。
「なんでもないです。気にしないでください」
「そうですか?」
「はい」
まさか純粋な子供に、働かずだらだらした挙句出荷される大人のことを話すわけにはいくまい。悪影響極まりない。笑顔をキープしつつ私は断言する。少女は困惑した様子を見せるも、少しすると何か思い出したかのようにハッと口を三角形に開いた。
「あの、あんこを触ってもいいですか? おやつを持ってきたんです」
ここにはあんこに会いに来たということかな。会話の流れ的に千夜の知り合いみたいだし、多分大丈夫だろう。カラスに拐われたし、彼女に触られるくらい、今更な感じだ。
「どうぞ。好きに触ってください」
あれだけのことがあったにも係わらず、台座に未だ鎮座しているあんこを横目で見やり、許可を出す。もう本当に置物みたいな感じだ。店内で和菓子を出すと僅かに反応するんだけど、それ以外は全然動かない。見た目は可愛いのに愛嬌がないというか、現金というか。勿体ない。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げてあんこの近くへ向かう少女。心なしか明るくなった彼女はポケットから何かを出す。薄い茶色をした丸いそれは、クッキーだった。ペット用だろうか。甘いものが好きらしいし、あんこには嬉しいおやつだろう。
「……」
クッキーを差し出すと、普段からは考えられない機敏さであんこが食いつく。少女の手の平の上に口をつけ、一心不乱に食べる姿はちょっと可愛い。少女の顔も緩んでいるように見える。少女はあんこの頭を空いている手で撫で、ほうっと息を吐いた。癒やされているみたいだ。
「そういえば、あなたの名前はなんですか?」
一応お店側の人間とお客さんなので敬語を継続。千夜と知り合いならばこれから係わることもあるだろうし、個人的にも係わりたいし名前を尋ねておく。あんこに夢中になっていた彼女は手で撫でたまま、こちらへと顔を向けた。
「香風 智乃です。チノと呼んでください」
「チノね。私はサヤ。よろしくね」
「よろしくお願いします、サヤさん」
チノは微笑し、頭をぺこりと下げた。つられて礼を返す私。礼儀正しい子だ。
「サヤさんはうちの学校ではないみたいですね。どこに通っているんですか?」
「学校? あー……通ってないです」
彼女もまた私の年齢を勘違いしているようだ。私は首を横に振ると、驚いたように目を開くチノへ説明する。
「私は20代のお姉さんですから。フリーター? なのかな」
ただのお手伝いさんだし、正社員ではないだろう。給料はもらえるらしいけど。
「……本当ですか?」
チノの瞳が動揺から揺れる。それから徐々に彼女の顔が赤く染まっていった。何かまでは分からないものの、何かしらの理由で恥ずかしがっているようだ。彼女はか細い声で言う。
「ごめんなさい……同年代の子かと、すっかり」
「同年代――あぁ」
私は察した。お店の手伝いをしていると口にした時、彼女はお互い大変だと口にした。つまりは彼女もまた何かしらのお店を手伝っていて、同年代に見えた私に親近感を覚えていたのだろう。だから知り合いになろうと勇気を出して吃りつつも会話をしてくれた。なのにそこで私が大人だと分かり――後は大体察しがつく。私も実際やったら恥ずかしいかもしれない。
「いいんですよ、気にしないで」
「いえ、そういうわけには。私には普通に話してくれて問題ありません」
「は、はぁ」
きっぱりと断言された。やだこの子、真面目。
「じゃあ普通に話すね。チノちゃんもいんだよ? 普通に喋って」
「私はこれが普通です」
「そうなんだ……」
小学、中学生でこの口調。見た目の印象以上にしっかりしている。私とは大違いだ。
「チノちゃんって中学生?」
「はい。今は学校帰りです」
まだほんのりと赤い顔で頷くチノ。あんこがクッキーを食べ終わると、彼女は私へと身体を向ける。
「そっか。下校途中に来るなんてあんこが好きなんだね」
「そうですね。近づいても逃げたりしないので」
他の動物には逃げられるのかな……。意外だ。
「これからも遠慮しないでここに来てね。あんこも嬉しいだろうし」
チラッとあんこを見て私は言う。彼は微動だにしていない。しかし少なくともおやつをもらえるのは嬉しい筈だ。あの喰いつき方から分かる。
「それに友達だし。同年代ではないけど」
「やめてください……恥ずかしいです」
「ふふっ、私で良かったら暇なときはいつでも遊んだりできるから、是非とも、ね?」
再び赤面する彼女へ私はウインクしつつ言った。お互い仲良くなろうと思っているのだ。会わない理由はない。
「はい……。私はこの近くの喫茶店で働いてますので、良かったら来てください」
赤くなった頬に右手を添えて、彼女は少しだけ口の端を上げる。笑っているみたいだ。
「喫茶店かぁ……いいね、行ってみたいな。チノちゃん制服とか着るの?」
「制服ですか? はい、着ますよ」
頷くチノを下から上まで眺めて、私は想像する。このお店のように和風な喫茶店ならば、和服。洋風ならばメイド服みたいなウェイトレス服だろうか。いずれにしても見てみたい。そして私のことをお客様として接客してくれるチノを体験してみたい。
「うん! 絶対近いうちに行くよ!」
「……変なこと考えてません?」
サムズアップして快諾すると、不審者を見るような目で見られた。女の子の制服姿を想像することが変なことならば、世の中の大半は変なことになってしまう。私は断じて違うと首を横に振った。
「そんなことないよ。ただミニスカートのチノちゃ――」
「あ、チノちゃんだ!」
私の脳内の健全性を語ろうとしたタイミングで、喫茶店のドアが開く。元気な声と共に現れたのはピンク色の髪をした少女、そして千夜だった。