やっぱりレディとしては落ち着きが少し欲しいものだよね。私にはないような気もするけど、気のせいだ、多分。
「どれ見せてみろ」
「うん……これ」
リゼに手を差し出され、ココアがしょんぼりとした顔でカゴらしき物を手渡す。金属製だろうか。綺麗なシルバーの、これまたシンプルな物である。壁に掛けるようになっているらしく、長いアームが付いているのだが――それが歪に折れ曲がっていた。なるほど。転けて力をかけたならこうなるのも納得だ。ただ何もないであろう店内で転ぶことが、些か心配になる点ではあるのだが。
ペンチとかがあれば直せるかもしれない。それほど重大な損傷ではないし、男性なら素手で直せる程度の問題であった。けれど店内にはどう見ても女性しかいないし、みな可憐な容姿をしている。とても修理ができそうな人物はいなかった。
が、リゼはふとしたことのようにその曲げ部分を握り――
「ああ、これくらいなら……ほっと」
小気味よい掛け声とともにそれをあっさり直してしまった。
驚いた。さながらスプーン曲げを見ている観客の気持ちだ。あんなか細い身体のどこに力が――いや、もしかしたらあのカゴが見た目以上に柔いのかもしれない。もしくは、リゼが見た目以上に逞しいか。
「どうだ。これでも問題ないだろ」
「わー、ありがとうリゼちゃん! 助かったよ」
「ふふん」
ココアにお礼を言われ、誇らしげに胸を張るリゼ。そんな彼女の様子を見ていると、やはり彼女ではなくカゴが柔いのではと思える。だってねぇ? みんなそんなに驚いてないし。きっとあれくらい普通なのだろう。
「硬くて困ってたんだー。戻してこよっと」
「今度から気をつけてくださいね。リゼさんがいないと困っちゃいますから」
――なんかリゼが強い方の可能性が高まってきたんだけど、あんまり気にしないでおこう。
「頼りにされてるんだね。リゼちゃん……でいいのかな?」
「ん? あぁ、構わまい。そっちはサヤ、だったな」
照れくさそうに頬を指先でかき、彼女はちらりと私を見る。社交辞令が如く言葉に照れてくれるとは。可愛らしい子だ。
返答がうやむやになったけれど、タメ口はいいらしい。こうして話すと、彼女のこの口調も自然に感じられた。女性らしくもあり、きりりとした雰囲気も持ちあわせている彼女だからこそできる芸当であろう。
じっくりリゼの照れ顔を鑑賞する私。彼女は徐々に落ち着きを取り戻し、私の顔をジッと見返した。
「サヤは……チノの同級生か?」
やはり気になるのは年齢や、二人との関係らしい。
リゼの言葉に、チノが赤面して反応を示した。どうやら自分がしてしまったミスを思い出して恥ずかしがっているらしい。ふふふ。同級生と思って私に話しかけてきたからね。思わずからかいたくなるけど、我慢我慢。
「違うよ。ほら、私は大人。23歳!」
チノをからかう代わりに、私はポケットから免許証の入ったパスケースを印籠のようにリゼへ見せる。ふふ、純粋で照れ屋っぽい彼女は果たしてこれでどんなリアクションを見せてくれるのか楽しみ――ってあれ? なんか、ジッと見られているような。
特に大きなリアクションはなし。これまでの展開からいって『ええぇぇ!?』みたいな、芸人ばりのそれを期待していたのだが、彼女はまじまじと免許証を見るのみ。そして暫しの沈黙の後、若干声を低くして問いかける。
「……本物か?」
ああ、なるほど。玩具だと思ったのかな。シャロも最初はこれを見てそう思ったみたいだし、納得だ。私は得意げな顔をし、首を縦に振る。
「そう。間違いなく本物だよ」
「そうか」
やっぱりリアクションが小さい。それどころか私の返事を聞いて深く考えこんでしまった。そんなに分からないことがあったかな。ううむ。私の年齢と身長の一致しなさっぷりとかは疑問に思うだろうけど……それは本人にも分からない謎だし。
自然と私も考えこんでしまう。するとぽつりとリゼがもらす。
「偽造か」
「なんで!?」
思いもよらない言葉につっこみをいれた。まさか偽造を疑われる――いや、疑問符もついてなかったね。確信を得て偽造だと思われるなんて思いもしなかった。
「いや、どう見ても本物だが、サヤはその……」
「小さいだけだから! 幼く見えるだけ!」
物凄く言い難そうにするリゼへ私は必死になって語る。自分で何故自分のことを幼いと言わなければならないのか。言っている自分ですらそれは分からない。
「そ、そうか……にわかには信じがたいが」
まだ不可解なものを見るような目をしているものの、そこまで語ってようやく彼女は私のことを受け入れてくれた。
私が面白リアクションすることになるとは……常識人的な人かと思っていたけど、この人もまた個性が強そうだ。
「しかしすごいな……マヤぐらいの身長か?」
「私の将来を見ているようです……」
「かわいいよねー」
私のことを見ながら呟くリゼとチノの二人に続く声。見れば、いつの間にか戻ってきたココアがチノの隣に立っていた。彼女は驚く私達の注目の中、グッとガッツポーズを作る。
「大人でも可愛い。これはもう永遠の妹と言っても過言ではないよ。物凄く希少だよ」
「そのへんの家庭にいるだろ」
冷静な指摘がリゼから飛んだ。永遠の妹――妹というものは家族の関係。永遠に続くのが当然である。
「でも、ずっと小さくて可愛い子なんて中々いないでしょ?」
「……そうですね。そうだと信じたいです」
中学生、おそらく思春期真っ盛りであろうチノが肯定する。多分彼女は大きくなりたいんだろうなぁ……気持ちはよく分かる。私も自分の身長が小学時代から伸びない中学何年生くらいの時は、ひどくショックを受けたものだ。女性は大人っぽい容姿に憧れるものだ。身長はともかく、胸はやはり大きい方がいい。そう。千夜やリゼくらいは欲しいものだ。見栄えが全然違うからね。
「うーん。チノちゃんもサヤちゃんみたいに成長してくれると、私としては嬉しいんだけどなぁ……」
「嫌です。私は絶対大きくなりますので」
物凄く自信と確信に満ち溢れた様子で、チノは断言した。
ふむ。彼女からも少なからずシンパシーを感じる。私も小さい頃は理由なく大人っぽい容姿にあこがれていたし。なんて言ったら、チノは落ち込みそうだけど。
「えーっ! でもそれだともふもふが……っ」
「チノが大きくか……楽しみだな。綺麗になりそうだ」
慌てるココアに、目を細めるリゼ。方向性は違うものの、なんだか二人とも母親みたいだ。
「そ、そんなことは……サヤさん、ご注文は決まりました?」
顔を赤らめて、チノは落ち着かなそうに髪を直す。照れていることはバレバレだったのだが、彼女はそれを誤魔化すかのように私へと問いかけた。そういえばメニューを渡されたまま雑談してしまって、見てすらいなかった。いけないいけない。お店に来たんだから、何か頼まないと。
メニューを開く。落ち着いたお店の雰囲気通り、メニューもまたそのような感じだ。けれど、ただシンプルというではない。綺麗に間隔を空けて並んだ文字と、必要最低限の絵。簡素ながらしっかりとお客さんのことを考慮されて作られており、分かり易かった。
メニューに書かれているものの中心はコーヒー。それがウリなようで、種類もまた豊富だ。次いで、軽食。サンドイッチやトースト、パスタ、デザート類など選択の幅は広い。値段も良心的だ。
ただコーヒーの値段だけは高めに思えてしまう。いつも缶コーヒーやインスタントばかり飲んでいるからだろう。喫茶店で出るコーヒーというものの相場が分からなかった。ま、そこは喫茶店だ。カウンターにはコーヒーを入れる道具らしきものが見えるし、インスタントなど遠く及ばない質なのだろう。つまりは値段相応ということだ。うん、楽しみ。
「じゃあキリマンジャロと、フレンチトーストを」
コーヒーに甘いもの。これはもう定番だろう。そこにフレンチトーストなのだから、もう間違いない。無難な選択であると言える。
「かしこまりました。では、リゼさん」
「あぁ。行ってくる」
注文を受け、リゼがお店の奥へと歩いていく。多分彼女が調理してくれるのだろう。リゼの手料理……それだけでコーヒーの値段にも納得だ。むしろもっと払いたい気分になってくるから、私というやつは現金というか。
リゼが店の奥へと消え、チノもまた動き出す。そして小さいながら感心するような手際の良さで、道具をあれこれと駆使し、コーヒーを淹れはじめた。
なにをしているかはよく分からないけど、豆を擦っている時点でいい香りがしてきた。これから、あの錬金術のような道具を使ってコーヒーを作ってくれるのか……。なんだかかっこいい。わくわくしてきた。
可愛いと思っていたチノも、こうして仕事をしている姿を見るとかっこよく見える。真剣な顔でコーヒーを作る姿は職人と称しても遜色ない。
――で、
「ココアちゃんの仕事ってなに?」
私の前でずっとにこにこしているココアは、果たしてなんの仕事をしているのだろうか。
「私? 私は接客とかお掃除がお仕事で……今はお客さんの話相手?」
「あぁなるほど……」
リゼが私の接客をしたから仕事が終了してしまったということか。見たところお客さんも今は私しかいないし、こうして棒立ちしているのも仕方ないことだ。
「料理もコーヒー淹れるのもできないのかと思った」
「……あはは」
私が言うと、ココアは目をふいっと逸らした。……わ、分かり易い。この喫茶店よりも。
「まぁ、今年から来たなら仕方ないよ。コーヒーも料理も一朝一夕でできるものじゃないだろうし」
「りょ、料理はできるんだよ? コーヒーはさっぱりだけど」
「……料理もパンだけならですけどね」
「うぐぅっ」
あ、撃沈した。
コーヒーを作っているチノから補足され、カウンターに突っ伏してしまうココア。……彼女も色々大変なんだなぁ。
ちなみに私は料理もコーヒーもパン作りもさっぱりだ。料理なんて下手したら病院行きの被害者が出るかもしれないレベルである。無論パン作りなどできるはずもなく。それと比べたら、ココアは十分才能にあふれている。
「大丈夫だよ。私なんて料理もパン作りもできないし、羨ましいくらい」
「うう……サヤちゃん優しいね」
顔を上げるココア。本気でショックは受けていないようで、あからさまに分かる嘘泣きの演技を入れた。
「そんなことないよ。事実だから。パン作りできるなんて、かっこいいし」
「そ、そうかなっ? サヤちゃんに言ってもらえると嬉しいよ」
単純なくらいココアが喜ぶ。こうも喜んでくれると、私も褒め甲斐があるというものだ。再び笑顔を取り戻すココア。すると彼女は何か疑問がわいたのか、笑顔のまま首を傾げた。
「サヤちゃんって、大人なんだよね。なんで千夜ちゃんのお家に来たの?」
「ええと……まぁ、恥ずかしい話なんだけど」
今後付き合いがあるであろう友人だ。ここは正直に語り、親睦を深めるとしよう。引かれるかもしれないけど。
私は覚悟を決めると、ココアへと自分がここに来た経緯を語る。千夜との出会いは、彼女がまた恥ずかしがるかもしれないので省略。あくまで私のみに話を絞り、簡潔に。
「はぁー……大変だねぇ」
「思ったより、なんだか……あれですね」
あまりにもだらしない理由だからか、二人の反応は微妙だった。私もいい大人のそんな話をされたら、間違いなくこんなリアクションをするので別にいいのだけど。
「と、そんな感じで、甘兎庵のお世話になることになったんだ。……だらしないでしょ?」
「ちょっとそう思うかな」
「ココアさんっ!?」
真顔できっぱりと答えるココアに驚愕するチノ。が、ココアは笑顔を浮かべて続けた。
「だけど、千夜ちゃん喜んでたよ。サヤちゃんに会えて、一緒に暮らせるって。私も会えて嬉しいし。だからだらだらに少し感謝、なんて。それにこれからだよこれから! 甘兎で頑張ろう! サヤちゃん!」
最初は天使の如く優しい言葉を掛けていた彼女だけど、最後の方は熱血っぽくなっていた。
キラキラと輝く目を見て改めて思う。本当に元気な子だと。多分ココアは心から思っていることをそのまま口にしているのだろう。これから頑張ろう、なんてよくある励ましの言葉が、彼女の口から出ると不思議と心に届く。
「うん。勿論頑張るつもりだよ。流石にいつまでも人に迷惑かけてるわけにもいかないし」
「頑張ってください。私も応援しています」
「ラビットハウスはサヤちゃんを応援してるよ!」
頷いて、私は微笑む。
二人に応援されている。きっと千夜も言葉にしないけど、私がきっちり働くことを期待している。彼女らの気持ちを裏切るわけにはいかない。親の気持ちをずっと無駄にしてきたからこそ、今度こそ頑張らねば。