「あの……大丈夫? 私、何か失礼なこと言ったかな?」
なんだか心配になり、声をかける私。すると男性はパッと顔を上げ、笑みを浮かべた。何事もなかったように見せたいのだろうか。はっはっはと笑って見せるものの、表情はひきつっていた。やはり私はなにか失礼なことをしたようだ。気をつけなくては。
「気にしないでくれ。私の勘違い――と思いたい」
気さくな笑顔を浮かべつつ弱気なことを口にする男性。彼はそうして無理したように少々笑うと、タカヒロへと顔を向けた。
「このお嬢さんに、何かお酒でも。私の奢りだ」
そして優雅にオーダー。指を鳴らす。キザな仕草だが、それがよく彼に似合っていた。容姿のせい、だけというわけでもない。彼の性格や口調が芝居がかったそれを自然なものへと昇華させていた。
例えるなら、舞台役者みたいな。彼が舞台に立っていると錯覚させるような威厳があった。
「……あまり馴れ馴れしくすると奥さんが怒るぞ」
タカヒロさん、これを了承……するのだけど、男性に助言を口にする。
奥さん? 男性は結婚済みか。なおさら私に話しかけてきた理由が分からなくなってきた。彼は私になんの目的で話しかけてきたのだろうか。
「ワイフは関係ないだろう。マスターらしく大人しく用意しろ」
親しそうに、シッシッと手を振り、タカヒロを追い払う仕草をする男性。なんて言うのだろうか……そう、彼ら二人のやり取りは中学生の友人のやり取りを思い出させる。互いに素直に物を言い、片方が煙たがり、ストレートに追い払う。両者とも素直で、乱暴といえば乱暴な言葉遣いなのだが見ていて微笑ましい。
タカヒロが苦笑し、酒瓶を数個、何かのシロップのような瓶を何個か手元に置く。どうやら私の注文通りカクテルを作ってくれるらしい。これは期待だ。更には奢りだというのだから――楽しみだ。
「えと、いいんですか? ご馳走になって」
楽しみではあるのだが、そこは大人。社交辞令ということもあるので、確認する。
「ああ。気にしないでくれ。娘が世話になっているお礼だ」
フッと笑って、男性は肯定。娘? ココアちゃんは居候。チノちゃんの家庭はタカヒロが父親。となれば、リゼちゃん? そう考えて改めて見てみると……どこか面影がある。美形ながら浮世離れしたところとか。仕草が優雅で、けれども飾りげがない自然なところとか。あとは、なんか軍人っぽいところろか。
「娘?」
とは思うものの、確証はない。私は真相を知るべく、首を傾げる。すると男性は胸ポケットからパスケースのような物を取り出した。名刺――と思ったのは一瞬のこと。パラッと開かれたそれはじゃばら状にテーブルの上に広がり、階段の上からドンドンと降りていくバネの玩具のごとく止まることなく果てなく展開してく。どうやら何かのファイルらしい。パタンパタンと止まることなく広がっていく透明のファイルに入っているのは、少女の写真。小さな赤ん坊の頃から、現在の姿まで。さながら少女――リゼの成長のスライドショーだ。彼女のこれまでの人生がそこはかとなく窺えた。
「ああ。私の可愛い愛娘――リゼだ」
それを惜しみなく披露し、得意げな顔をする男性を見やり、私は確信する。
こ、これは……親ばか。
どこの家庭に、こんな、子供の成長目録みたいな巻物のような品物を携帯している父親がいるものか。気持ちは分かる。リゼのような綺麗で可愛い娘がいらた、私だって過保護になるかもしれない。でも、これは度が過ぎている。リゼが知ったら、その豊かすぎる腕力で殴打する筈だ。それかドン引き。
よくもまぁ、本人からしたらホラー以外の何者でもない物を誇らしげに披露できるものだ。写真の焼きましを是非お願いしたい私がいるのだが、それは心の中にとどめておく。
「ということはあなたはリゼちゃんの父親?」
「うむ。名前は……いや、
親しげなのはいけないらしいからな、と彼はまだナンパの件を気にしているのか、大真面目な表情で言う。彼がリゼの父親。イメージとしてはそれほど違ってはいない。ただしそれは容姿だけの話で、性格がここまで親ばかだとは思ってもみなかった。中々ユニークな方である。
「天々座――」
彼の口にした、おそらくリゼの苗字であろう名前。おしゃれでかっこいい苗字だ。でも正直、言い難いのは否めない。ここは親しみやすいアダ名で――
「テテさんだね」
「おいっ」
思い切りつっこまれた。真顔でずばっとツッコミを入れてくる点は、物凄くリゼと似ている。
プッ、と酒の用意をしているタカヒロが小さく噴き出す。シェーカーらしきものを振りつつ、彼は砕けた口調で言った。
「いいじゃねぇか。テテ。可愛いな」
「やめろ。私はそんな柄じゃないだろう?」
「柄じゃないから面白――いいんじゃねぇか」
「今面白いと言いかけたな」
ジト目で指摘するテテ(確定)。天々座なんて言い難い名前を定着させるわけにはいかない。私はここで押すことに。グッと手を握りしめる。
「面白くないよ。可愛いって絶対!」
「可愛いも面白いも勘弁だ!」
「じゃあテンテンで」
「テテでお願いする!」
元気よくテテは叫んだ。なんて綺麗なツッコミ……これはボケ甲斐がある。
「テテ……かっこいいよね。リゼちゃんにも好かれるかも」
「そ、そうか? 悪くはないかもな……」
あ、この人間違いなくリゼの父親ですわ。ツッコミを期待した私は、思わぬ言葉に痛感する。照れ屋というか、人の好意を素直に受け入れすぎるところとか。ワイルドな人がこう、分かりやすく照れる姿はちょっと可愛いかもしれない。
「こやつ結構単純じゃの」
「そうだな。けど親父には負けるな、多分」
「なんじゃとっ」
そんな私達を前に、会話をする一人と二人。タカヒロは楽しげに笑って、グラスへと白い液体を注ぐ。綺麗な色だ。まるで雪のような、さらさらとした液体はよく見る逆三角形のグラスへと入っていく。最後にそこへシャーベット状の氷を一つ入れ、二杯のカクテルをタカヒロは私とテテの前に置いた。
「友人へ俺の奢りだ。ティッピーをモデルにしたカクテル……名前は『ホワイトラビット』」
ホワイトラビット。カクテルの上で溶けようとしている白いシャーベット……お店の照明にきらきらと輝くそれは、写真に撮りたいくらい美しい。実物のティッピーより美しさ指数は大分高かったりするのだが、そこはまぁ、『モデル』。多少の脚色がついたと思うことにしよう。
「私の奢りとなっていたんだがな……。相変わらず、美味しいところをとる男だ」
「フッ。美味しいところをとったのは、酒を飲むお前たちだ。サヤさんにご馳走したいなら、また後で注文するといい」
「そうさせてもらおう。……礼を言う」
お店の雰囲気に合った、シリアスなやり取りをする二人。かっこいい会話の後、テテはグラスを手に取り、カクテルを一口飲んだ。大人で、ワイルドで、かっこい彼にカクテルとバーテンダーはよく似合っていた。横から見ているのだが、さながら映画でも観ているような気分だ。
「うん。美味しいな。子供っぽい味だが――それもまたいい。優しい感じだ」
「ティッピーをイメージしたからな。親しみやすい味だろう」
テテは首肯。ティッピーの頬がほんのりと赤くなった。ティッピーも割と単純らしい。ふふ、可愛い。
パスタをまた一口食べていた私は、口の中のものがなくなったのを見計らい、口を開く。
「あ、ちなみにご馳走いつでも大歓迎だよ?」
「はは、それなら好きに頼むいい。今日は君にお願いをしに来たんだからな」
お願い? 聞こえてきた単語に、不穏な雰囲気を感じとり首を傾げる私。
……まぁタカヒロの知り合いだし、リゼの父親だし、変なことは頼んでこないとは思うけど――
「実は……リゼのことを一日ごとに報告してほしいんだ」
――思うけど、そんなことなかった。
大真面目な顔で言うテテさんに、私は若干引いた。