「やっぱりシャロちゃんとは幼なじみだったんだ」
「ええ。話した通りの子でしょ?」
寝間着姿の千夜が楽しげに笑う。
食事を終えてお風呂あがり。寝間着に着替えた私は、宇治松家の居間で雑談をしていた。ここもまた畳が敷かれており、家具の類いも殆ど和風である。テレビやポット、その他色々な物があって快適に過ごせそうな場所であった。
自分で淹れたお茶を口にし、私は今日出会った少女のことを思い返す。面白いのは同意するけど、泣き虫ではなかったよね。それに下手したら千夜よりしっかりした子かもしれない。
――っていうかよくよく考えれば、彼女達の年齢で泣き虫なんてあり得ないか。何かある度に泣いていてはきりがないし、周りからおかしく思われてしまうこと請け合いだろう。そういう人はテレビだけで十分だ。正直、シャロが泣く姿は可愛らしいのだろうなぁ、なんてことも思ってしまうのだけども、やはり駄目だろう。常識的に考えて。
「そうだね。いい子だったよ」
思考を終え、千夜が淹れたものとは月とすっぽんなお茶の味わいに渋い顔をしながら私は答える。やっぱりポットではこれが限界か。それともお茶を急須に入れてからすぐ湯のみに注いだのが悪かったのだろうか。はたまた茶葉が違うのか。いずれにせよ、初心者すぎる私にはあの味は出せそうにない。ここまで差が出るものとは思わなかった。プロというものは伊達ではない。
「そういや、シャロちゃんって近くに住んでるの?」
「……気になるの?」
家の場所を尋ねただけなのだが、千夜が警戒した様子を見せる。まるで不審者を見るような目だ。微妙に傷つく。
「幼馴染だから近くに住んでるのかなー、と思っただけなんだけど、駄目だった?」
「駄目ではないけど……そうね。多分近い内に知ることになるような。いや、絶対知るわ」
曖昧な返事をする千夜。駄目ではないと言っているし、どうやら何か事情があるようだ。絶対と言い切るところがすごく気になるけど、ひとまず安心する。女の子同士、それも親戚から幼馴染の家の場所を教えたくないとか言われたらもの凄くショックを受けそうだ。
「そっか。それならいいや」
「ごめんね? 別に侵入したり、出待ちしたりするとは思ってないから安心して」
「それ絶対思ってたよね」
つっこむと、冗談よと彼女は微笑む。心なしか嬉しそうだ。
「でもびっくりしたわ。いきなりシャロちゃんと仲良くなるなんて。年齢とか全然違うのに」
「気を遣わなくていい見た目と精神年齢だからだと思うよ」
「それもあるだろうけど、多分サヤちゃん本来の人柄のおかげじゃないかしら」
「ごめんなさい。せめて精神年齢は否定してください」
まさかの自虐が肯定されて私はがっくりと肩を落とす。分かっていたようで千夜はくすくすと笑った。こういうところは昔から変わらないのね。
「サヤちゃんと話すのは楽しいわね。シャロちゃんがちゃん付けで、それも笑顔でからかうのもなんだか納得だわ」
「……お姉ちゃんなら誰ともで楽しくなるんじゃないかな」
恨めしげに千夜を見る私。彼女ならばたとえ正常な大人が相手であっても楽しめそうだ。すごく自然な流れでからかわれるし。それが本気なのかふざけているのかイマイチ分からないのが厄介なところである。
「そんなことないわよ。私がこうやって話せるのはお友達だけ」
「ならいいけど……ん? いいのか?」
「いいのよ、多分」
それで得をするのは千夜だけだと思ったが、まぁ信用されているということだろう。それにこうして千夜と話していると、楽しかったあの時が帰ってきたようで懐かしい気分になる。それでだけで、からかられていることなんて割とどうでもよかった。千夜に冗談を言われても不快でもないし。ボケとツッコミの漫才みたいなものだ。
「……さて、そろそろ寝ようかしら」
壁に掛けられた時計を見て呟く千夜。時刻はまだまだ夜が始まったといった感じ。私ならばもっと遅くまで起きているのに、健康的な生活だ。だからこんなにスタイルがいいのか。
「おやすみ。私はもっと起きてるよ」
「うん、おやすみ。あんまり夜更かししたらダメよ?」
立ち上がり、居間から出て行く間際に振り向き、お茶目にウインクなどする彼女。私はそれに手を振って見送り、テレビのリモコンを手にする。時間を潰す手段は今のところ携帯ゲーム機とテレビくらい。テレビは深夜と早朝は観れないし、この時間に観ておくとしよう。
リモコンのスイッチをプッシュ。テレビの電源を点ける。それから適当なバラエティー番組にチャンネルを回し、それを観ることにした。それなりに面白く、三十分ほどの時間があっという間に過ぎる。そしてちょうどCMに差し掛かったタイミングに、居間の襖が開いた。
「千夜は寝たかい?」
誰だろうと思えば、夕食の後、早々に自室へと向かった千夜のおばあちゃんである。昔の記憶より若干老けた印象の彼女はゆっくりとした動作で部屋の中に入り、私の向かい側へと座る。そしてちゃぶ台の上に酒瓶を一つ、お猪口を二つ置いた。
「もう寝たかと思ったのに、どうしたの? 寝室はここじゃないよ」
「質問に答えんか」
「寝ましたごめんなさい」
睨まれて竦み上がりつつ答える。冗談を一蹴する返答。この人も相変わらずだ。のるときはのってくれるのに。でもこうやって怒られると懐かしく思えるから不思議だ。
「そうか。ほれ、サヤ。取れ」
「取れって……明日仕事大丈夫?」
一応言われた通りに取るも私は心配になり確認する。明日は思いっきり平日だから、千夜もいないはずだ。酒は避けるべきだと思う。ダジャレではなく真面目に。
「そこまで歳じゃないよ。それに、今日から労働力が増えるんだ。一杯くらい平気だろう?」
「そう言うならいいけど」
私への信頼ともとれる言葉に、つい嬉しくなってしまう。酒瓶を持った彼女へと私はお猪口を差し出した。彼女は微妙に嬉しそうに目を細めつつお酒を注いだ。こうしていると、自分が大人になったと実感する。昔はジュースを飲んで、酒を飲む大人たちを眺めていたというのに、時というものは早いものだ。感慨深く思い、私はお猪口の底を見つめた。とくとくとゆっくりと注がれていく透明の液体が、お猪口の中を満たす。縁に丸い形で辛うじて留まるお酒は、まるで人生の危うさを思わせ――
「――って、入れすぎ!」
すっかりロマンチックな思考に浸り止めるタイミングを見失っていた私は、ようやく今の状況に気づいた。震えそうになる手をなんとか抑えて、おばあちゃんにつっこみを入れる。
「なに言ってるんだい。一杯縛りなんだから、限界まで入れないと損ってものだろう?」
「あんたただ飲みたいだけだろっ」
「失礼な。しっかりぐーたらのお祝いをしたいと思っているよ」
くそう。これを狙ってたからさっきは嬉しそうな顔をしてたんだな……。ぐーたらとか言っとるし。
「さ、乾杯まで少し待っていておくれよ」
テーブルに置いたお猪口へゆっくりと酒を入れていくおばあちゃん。お猪口に半分以上くらい入れると、彼女はそれを持った。
絶対だ。これ絶対そうだ。私のことを面白がってるよこの人。
「おや、これだとゆっくりやらないといけないねぇ」
「あんたがやったんでしょ!」
「はいはい。分かってるよ」
フッと鼻で笑い、彼女は二つのお猪口を近づける。
「新しい家族に、乾杯」
「か、乾杯……」
二つのお猪口が静かにぶつかり、食器を重ねた時のような小さな音が鳴る。と同時に私は顔を自分のお猪口に近づけて、氾濫間近のそれを処理しようと試みる。つんと鼻にくるお酒の香り。独特の味のそれを口に入れ、呑んでいく。少量の筈なのに喉が熱くなり、お酒を、アルコールを呑んでいるのだと強く感じる。美味しいとはまだ不慣れな舌では言えないけど、割と高級品なのだと分かった。呑み易さが普通のものと違う。
「……美味しいっていうのかな、こういうのが」
「なんて言ってるうちはまだまだだよ」
そういうものなのだろうか。未だお酒というものはよく分からない。
ちょこちょこと呑みながら、私は目の前の人物を見つめる。新しい家族に、か。……嬉しいな。
「ふふっ」
「なに笑ってるんだい? まさかもう酔ったとかじゃないだろうね?」
「いや、思い出し笑い。それに私はもっといけるから大丈夫だよ」
微笑みながら言う。お酒は別段好きでもないけど、私は強い方なのだ。これくらいなんともない。
「……仕事、頑張るんだよ」
「うん。多分大丈夫だと思う」
ちょっとだけ優しくなった声に、私は頷いて答える。
今までのんびりしてきただけに自信はない。けどやろうとは思えた。強制的とはいえ、働かない私にみんな親切にしてくれて、今この場にいるのだから。
「頑張らないと……よしっ」
ぐーたらなどと言われないよう、精一杯やらないとね。青山さんとも仲良くなりたいし。私は意気込み、お酒をまた一口呑んだ。