飛んでいく一匹と一羽を追跡し街の中を駆ける。お店の開店まであと一時間程度。早く追いついて掃除をしなければ、おばちゃんだけでなく、お客様にも迷惑がかかってしまう。慣れない服で若干ペースは遅くなるものの、うさぎが重いのかカラスの動きは鈍い。体力が続けば無理なく追える速度であった。もっとも、追っているだけで事態はちっともよくなっていないのだが。
こうして追ってはいるが、うさぎを助けるために何ができるのだろうか。走りつつ私は思考を巡らせる。何か投げてカラスからうさぎを開放させるのはどうだろうか。――いや、着地できるか微妙なところだし、それはやめておこう。あの子空中にいる今も座ってる体勢のままだし、きっと落とされてもあのままなのだろう。高いところから落下したらどうなるか……怖い。小動物はデリケートなのだ。
やはりこのまま追っていくしかないか。嘆息。窓なんて開けなければ、こんなことには。
……っていうか、何故カラスはあのうさぎを拐ったのだろうか。それも窓から侵入してピンポイントで彼を狙ってたし。何か恨みでも買ったのかもしれない。
「どんどん知らない道に入っていく……」
見捨てるわけにも行かず、見知らぬ道を進んでいくことになる。童話の世界のような景色の中、動物を追いかける。さながらアリスのようなシチュエーションだ。もっとも私は和服で、街は洋風というミスマッチな組み合わせなのだけど。
「ああもう……うさぎさんを放しなさーい!」
いつまでたってもうさぎを離す気配がないカラス。私は業を煮やし手を上に挙げ、叫ぶ。が、当然返事はなく、代わりに住民さん達から好奇の視線を向けられる。いい年して何をしているのだろう、私は。冷静になると物凄く馬鹿っぽい状況だ。けれどピンチであることもまた確かで、一生懸命にならざるを得ない。
そうこうしている内に、通りを抜け、路地に入り、公園らしき場所に辿り着いた。噴水のある綺麗な場所で、ベンチや整備された木など、一つ一つの見た目が美しい。こんな状況でなければ写真でも撮ってみたいと思うくらい素晴らしい風景だった。
車や通行人に注意しつつ公園へ入る。美しい景色から目を離し私は上、カラスの様子を窺った。悠々と飛ぶ彼は公園の上へと通りかかり――うさぎを落とした。
「な――っ!?」
予想通り、座ったままの体勢で落下していく黒うさぎ。それなりな高さだ。無事かどうかは危うい。私は落下地点に急ごうとペースを上げる。
と、うさぎが落ちるであろう位置を見て私は硬直した。うさぎの落下地点であろうベンチ。そこに座っているのがなんと青山さんだったのだ。眼鏡はかけていないものの、昨日と雰囲気のよく似た服を着た彼女。膝に乗せたお弁当のような物を前にニコニコと笑い、食事を始めようとしている。なんとなく……何が起こるか予想できてしまった。
が、止める術はない。どう走っても追いつけるような距離ではなかった。
「あ、あの、危な――」
私が言い切るよりも早く、それは起こってしまった。恐ろしいほど大人しく、垂直に落下したうさぎは青山さんの膝の上、お弁当に音を立てて落下。突然の出来事に青山さんの女神の如き笑顔が固まった。
彼女の前で立ち止まった私は、呆然とそれを見る。……やってしまった。クッションになってくれて助かったのだけれど、これは災難というか。私の責任だよね。どないしよ。
「お弁当にあんこさんがトッピング……これは食べられませんね。大丈夫ですか?」
ため息を小さく一つ。思ったよりも落胆していない様子で、のんびりと青山さんはうさぎを持ち上げる。それからバッグからハンカチを取り出し、うさぎの身体を拭きはじめた。
あんこ? うさぎの名前、なのかな。流石常連さん。うさぎの名前を知っているみたいだ。
「あの、すみません」
いつまでも黙って立っているわけにはいかず、一歩踏み出して声をかける。あんこを拭いていた青山さんはハッとし、私のお腹の上辺りを見た。
「サヤさんですね。ご苦労様です。はい、あんこさんです」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
あんこを差し出され、受け取る。今度はどこにも行かないようにしっかり抱きしめておいた。あんこの頭を撫でつつ、私は青山さんの膝の上にある弁当を見た。朝食用なのだろう。美味しそうなサンドイッチとパンケーキがプラスチック製の入れ物に入っていた。二つの食べ物をまたいで、円形のあんこの跡ができたりしているのだが、それを差し引いても美味しそうだ。
申し訳ない気分になり、私は頭を下げた。
「ごめんなさい! 私の管理不足のせいで!」
窓を開けただけでああなることを誰が想像できるのか分からないけど、悪いのは原因を作った私。謝罪を入れ再度頭を深々と下げる。
「気にしないでください。食べられなくなったのは残念ですけれど、私もあんこさんが無事で嬉しいです」
彼女は透明なプラスチックの蓋を被せ、目を閉じながら穏やかに首を横に振った。うう、お優しい方……。
「それにパンケーキとサンドイッチに餡こという閃きをいただきました」
それは……どうなのだろう。私が苦笑すると、彼女は続けた。
「サヤさんも初日で、色々大変でしょう。ただあんこさんには気をつけてあげてください。千夜さんがいても時々拐われますから」
あんこは本当に何かしたのだろうか。常連の青山さんから告げられた言葉に、私はあんこを見下ろす。彼は大人しく私の腕に抱かれており、とても何かに危害を加えるような存在には思えなかった。やはり色が理由なのか。時々とか付いてるってことは複数回拐われてるってことだし。
……っていうか、あれ? そういえば名前呼んでるし、仕事初日なのも知ってるし、青山さん私のこと千夜からでも聞いたのかな。
青山さんの台詞を反芻し、疑問を抱いた私は尋ねてみる。
「あの……なんで私の名前を?」
「千夜さんと会話しているのを聞いて、彼女から話をお聞きしました」
盗み聞きしてすみません、と付け足して彼女は頭を小さく下げる。
「大丈夫ですよ。その、私に興味持ってくれて嬉しいですし……はっ!?」
彼女がわざわざ千夜に私の話を聞いて、なんて嬉しい限りだ。謝る必要などない。私のテンションは急上昇する、のだが、ここであることに気付く。
「……どうしました?」
「い、いえっ! なんでもないです!」
目を閉じたまま首を傾げる青山さん。私は彼女にすぐさま返事をし、思考を巡らせた。
私と千夜の会話を聞いていた。すなわち、私が青山さんのことを気になると答えたことも知っているのでは!?
いやでも、聞かれていても大丈夫だよね。話の流れ的に私が気になった理由は、青山さんが原稿を睨んでいたからだし。うん、好意を持っているとは言っていない。大丈夫。
よし、ならばここは積極的に。
「青山さん、お詫びに今度何かお詫びにごちそうしますので――アドレスを交換してください」
「ごちそう……携帯電話ですね。分かりました」
言って、彼女はバッグを漁りはじめる。教えてくれるみたいだ。こう言ってはなんだけど、あんこが拐われたお陰だ。グッジョブである。
「えーと、携帯……」
うきうきとしながら携帯を取り出そうと考え――フリーズ。
そうだ。忘れていた。私の携帯は悪名高い母親によって解約されレプリカになって、真っ二つになったのだ。最後の真っ二つは私のせいなのだが。
「すみません、私携帯持ってませんでした……」
「そうなんですか? なら、番号を」
携帯電話を取り出した青山さんはきょとんとした様子で言うも、目を伏せつつ操作する。自分から交換を提案して携帯を持っていないという意味が分からない行動をとったにも係わらず、青山さんに戸惑う様子はない。彼女は携帯電話を膝の上に置くと、メモを取り出してそこにさらさらとペンを走らせた。
「どうぞ、サヤさん」
紙と画面を見比べ、番号の確認を終えると彼女は私にちぎった一枚のメモを差し出す。そこには綺麗な文字で書かれた青山の名と、電話番号が。
「ありがとうございます。近いうちに絶対連絡しますので」
小さくガッツポーズ。メモは着物の帯に挟んでおく。帰って仕事が終わったら財布の中身を確認しなくては。うまくいけば数日後には青山さんと食事が……ふふふ。
「はい、楽しみにしていますね」
笑顔を浮かべる青山さん。彼女は私のお腹の辺りを見て返事をする。
……会ってからずっと目を合わせていないような。気のせいかな。
不思議に思うも、公園の時計を見た私は彼女と別れ店に急いで戻る。開店まで時間はまだあるけれど、掃除する時間を考慮すると急ぐ必要があった。
「楽しみにしてるって……青山さんが」
危機的な状況なのにも係わらず、思わず笑みが浮かんでしまう。私はにやけつつ記憶を辿り、来た道を大急ぎで戻った。