ボクシングは辞めたけど、このたび超絶可愛い幼馴染と付き合うことになりまして   作:マクハリ

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「……そっか。じゃあやっぱり、本当にもう辞めちゃうんだね、ボクシング」

 

 そう言って彼女──俺の幼馴染で同級生の『須ノ原(すのはら) 天音(あまね)』は暗く沈んだ表情を浮かべた。

 後ろで一つ結びにした、絹糸のように滑らかな長い黒髪と涼やかな目元。

 美少女、そう呼んでも全く問題ないほどに整った彼女の顔は、しかし。今や完全に曇ってしまっていた。

 

 今しがた入学式を終えたばかりの『九桜高校』、一年A組の教室。

 皆それぞれ割り振られた席に座って近くの席の人間と話をしたり、携帯をいじったり、或いは無言でぼーっとしたりと、思い思いに時間を潰しながら担任教師の到着を待っていた時のこと。

 教師が不在のためか、教室内はいまいち緊張感に欠け、とても騒がしく、賑やかだった。中には席を立って中学時代の友人の元まで足を運び夢中でおしゃべりに花を咲かせている者もいる。

 そんな中、俺は後ろの席に座る幼馴染の女の子と二人、他愛ない会話を繰り広げていた。

 

「うん、まあ。目がこんな状態じゃ、もう格闘技はできないだろうって、病院の先生が……。だから高校は、こんな目でも問題なさそうな部活に入ろうかなって」

 

 話題は高校での部活動について。

 この九桜高校には、何か特別な理由でもない限り一年生は必ず何かしらの部活動に入部しなければならないというルールが存在していた。

 そのことについて、二人で話していたのだ。

 要はお互い何部に入ろうか、と。そういった話だ。

 

「やっぱ文化部かねぇ。運動部はどれも目に負担かかりそうだし」

「ふぅん、颯多(はやた)が文化部かぁ。なんか勿体ない気がするなぁ……。私の中ではやっぱり、颯多はボクシングのイメージが強いからさ。全国制覇までしちゃうくらいだし」

「そんなこと言ったって、仕方ないだろ。俺だってこんな目にさえになってなきゃ続けてるって」

 

 俺は七歳の頃からつい最近まで、ずっとボクシングをやっていた。

 俺の親父が元プロボクサーで、実家がボクシングジムを経営していた影響だろう。俺にとってボクシングは物心ついた頃からずっと身近な存在で、生活の一部だった。

 とりわけ、元ライト級世界王者の親父の遺伝子を強く受け継いだおかげか、俺は人より少しだけボクシングの才能に恵まれていたらしく、親父の指導の下ひたすら練習を重ねている内に、いつしか同年代の選手の中では頭一つ抜けた存在になっていた。

 

 その才能が開花したのは、たぶん十二歳の頃だったと思う。

 その年、俺は夏のジュニア選手権で初めて地区予選を突破して、全国大会進出を果たした。

 そこでベスト4という成績を収め、さらに翌年以降は同階級で二年連続の全国優勝。

 成績的に見れば、まさに順風満帆。中学に入ってからは絶好調で、ジュニアでは敵なしだった。

 

 ──しかし、その翌年。即ち去年。

 全国三連覇を懸けた、ジュニア最後の年。

 中学最後の夏、地区予選を一週間後に控えたある日のことだった。

 俺は練習中に、突然、何の前触れもなく右目に“網膜剥離”を発症した。

 

 網膜剥離というのは、眼球の内側にある網膜──カメラで言うフィルムの役割を果たしている部分──が剥がれ、視力が低下してしまう病気のことを言う。

 当然、すぐさま俺は緊急入院することが決まり、大きな病院で手術も受けた。

 結果だけを述べれば、手術は成功した。

 一時は失明しかけていた俺の右目も、なんとか日常生活が送れる程度には回復した。

 だが、大会にはもちろん出場できず、同時に、俺のボクシング生命もそこで絶たれることになってしまう。

 

 手術を受けた俺の右目は、たしかに回復した。  

 だが、視力に関しては左1.0に対して、右は0.1にまで落ち、完全に元通りという訳にはいかなかった。

 右目は直線が曲線に見えるレベルでずっと歪んでいるし、片目だけでは距離感もうまく掴めない。

 それはボクシングをやる上では致命的な欠陥だった。

 

 俺の目は以前と比べ、まるで使い物にならなくなり、医師からも、このまま元の調子でボクシングを続けていれば、いずれ再発する恐れがある、今度は完全に失明するかもしれないとまで言われ、長い葛藤の末に、俺はリングを降りる決断を下した。

 あれほど好きだったボクシングを、俺は辞めざるを得なくなってしまったのだ。

 

 今でもトレーニング自体は続けているものの、その日を境に試合には一度も出ていない。

 これからも、おそらく復帰することは無いだろう。

 俺としても悔いが残る決断ではあるが、こればかりは仕方ない。

 視力を失うとまで言われたら、誰だって恐怖を感じて当然だ。

 俺の心は、完全に折れてしまっていた。

 

「……ごめん」

 

 と、ふとそんなことを思い出していたものだから、きっとその時の感情が表情に出てしまっていたのだろう。

 天音が悲しそうに目を伏せながら、そんな風に謝ってくる。

 俺は慌てて取り繕った。

 

「いや、いいって! そんな謝んなくても、俺は全然気にしてないっていうか、もう終わったことだし。別にボクシングができなくたって死にはしないしさ」

 

 なんとなく気まずくなって、俺は強引に話を変えることにする。

 

「そういえば、天音はどこの部に入るか、もう決めてんの?」

 

 実際、天音がどんな部活に入るのか、純粋に興味があった。

 学業の成績も良く、運動神経も抜群な彼女はたぶん、どの部活に入っても人並み以上の活躍ができるに違いない。

 

「……いやー、それが、全然決まんなくってさ。やっぱり入るんなら、颯多と同じところが良いし。──あ、そういえば空音のほうは放送部に入るって言ってたよ」

「へー。放送部……」

 

 その言葉を聞いて、俺はちらりと、俺の席から見て左隣の列。その一番前の席へと目を向けた。

 そこには、俺のもう一人の幼馴染で、天音の双子の妹である、『須ノ原(すのはら) 空音(そらね)』の姿がある。

 天音と同じく、さらりとした艶のある長い黒髪。けれども空音のほうは天音と違い、長い髪をそのまま流したストレートヘアーだった。

 一卵性の双子で、顔や身体つきがあまりに似ている二人は、外見的な差異がほとんど全くと言っていいほど無く、ああして髪型を変えて周囲に違いを分かりやすくさせているのだと言う。

  

「…………」

 

 こちらからは空音の後ろ姿しか見えないが、周りに知り合いも居らず、誰と話すでもなく一人寂しく座っているその背中は、なんとなく寂しそうに見えた。

 名簿順だから仕方ないとはいえ、まさかこんなことになるとは。

 名字が『涼村(すずむら)』の俺は出席番号十一番で、廊下から二番目の列の、後ろから二番目の席。

 そして同じ『須ノ原』でも『天音』と名前が“あ行”から始まる天音は俺の一つ後、即ち一番後ろの席に座っていた。

 ということは必然的に、出席番号がその一つ後の空音は、廊下から三番目の列の最前列。可哀想なことに、教卓のすぐ目の前に席が割り振られてしまっている。

 

「あ、こっち見た」

 

 天音が呟く。

 見ると、空音が捨てられた子犬のように寂しげな眼差しで、俺たち二人のほうをじっと見つめていた。

 そんな空音に、天音がニコッと微笑んで手を振ると、空音もパアッと笑顔を浮かべて、嬉しそうに手を振り返してくる。

 そんな光景を見て、俺は表情を和ませた。

 彼女たち二人はいつもながら、本当に仲が良い。

 

 と、そこで──。

 

「──おらー、静かにしろお前らー、立ってるやつは席につけー」

 

 不意に一際よく通る声がクラス内に響いた。

 どうやらようやく、担任の先生が到着したらしい。

 先生がどこか間延びしたような、そんな声を発した瞬間、クラス全員が一斉に教卓の方に目を向ける。

 そこに立っていたのは、一人の若い女性だった。

 

「────」

 

 ゆるいウェーブのかかった長い髪と、気怠げで覇気のない表情。

 あれがこのクラスの担任か……。

 美人なことは確かだが、目に光が灯っていないからか、どこか無機質な印象を受ける。

 

「よーし、静かになったなー。……そんじゃ、面倒臭えが、まずは私の自己紹介から──」

 

 と、言いながら先生が黒板に自分の名前を書いて、軽く自己紹介を始める。

 どうやら先生は『汐井(しおい) 澪子(れいこ)』というらしい。年齢は二十八歳。

 今年で勤続四年目になるそうだ。

 

 そんな彼女の主導で、今度はクラス全員、出席番号順にそれぞれ自己紹介をする流れになり、それが終わると、学校や明日の授業についての説明を軽く受け、その日はそれで終礼となった。

 

 

 

 

 

 

 ★★★★★

 

 

 

 ──放課後。

 

「うえぇん、寂しかったよぅ、あーちゃぁん……!」

「はいはい、よしよし。良く頑張ったねぇ」

 

 終礼が終わるや否や、一番前の席にいた空音が、即座に俺たちのほうへ駆け寄り、天音の胸へと思いきり飛び込んだ。

 双子姉妹、感動の再会である。

 

 大袈裟に泣き真似なんかをして天音にくっつく空音と、そんな空音の頭を軽く撫でながら、妹の茶番に付き合う天音。

 外見だけなら瓜二つな双子、そのうえ二人とも、超が付くほどの美少女なので、そんな二人が抱き合ってくんずほぐれつしているときの周囲へ与える破壊力は凄まじい。

 

 実際、美少女双子姉妹二人の掛け合いは、周囲のクラスメイトたちから大変な注目を浴びているようだった。

 そんな中。

 

「──あのさ、ちょっといい?」

 

 須ノ原姉妹が人目を憚らずイチャイチャしているところへ、一人の男子生徒が声をかける。

 名前はたしか、『木嶋(きじま) (みつる)』だったか。

 地毛なのか、はたまた染めているのかは分からないが、明るい茶髪がとても似合っていて印象的だ。

 先程の自己紹介によれば、中学ではサッカー部の主将をやっていたらしく、見た目も清潔感に溢れていて、とても爽やか。

 まさにイケメンの代名詞のような男子である。

 

「ん、なに?」

 

 そんなイケメン、木嶋君に話しかけられ、天音が首を傾げながら聞き返した。

 

「実はさ、今ちょっとみんなと色々話してて、これから集まれる人はみんなで集まって、簡単な親睦会でもどうかなって」

「親睦会?」

「そ。ちなみに場所はカラオケね」

「ふーん……」

 

 天音が淡々とした調子で相槌を打つ。

 しかしこの木嶋君……、なんか、どうもさっきから須ノ原姉妹のほうにしか目がいっていないようだが、果たして俺の存在には気付いてくれているのだろうか。

 そしてその親睦会とやらには俺も誘われているのだろうか?

 もし誘われていなかったとしたらかなりヘコむ。

 

「……颯多は行くの?」

「……あ、いや、俺はジムに行かないと。姉ちゃんに呼び出し食らってて」

 

 まあ、もし誘われたとしてもどうせ参加できないんですけどね。

 弟にとって姉の命令は絶対である。

 

「そっか。じゃあ私もパスで。空音は?」

「うーむ。残念だけど私もパスかなぁー。『恋メリ』の新刊が私を呼んでいるのです」

「あー、そういえば今日発売日だっけ。たしか、原作者の先生のサイン会も一緒に開かれるんだよね?」

「そう! そうなの! だから絶対行かないと!」

 

 ちなみに『恋メリ』というのは空音が愛読している少女漫画、『恋するアルストロメリア』の略称である。

 

 空音は昔から少女漫画を含めた漫画全般と、それからアニメやゲームなどのサブカルチャーが大好きで、それを生き甲斐とする所謂(いわゆる)、オタクと呼ばれる人種だった。

 将来の夢も、アニメ関係の仕事に就くことらしく、第一希望は声優さんとのこと。

 以前、天音も誘って「二人で一緒にデビューしちゃおうよ!」とか言っていたが、残念ながら天音は空音ほどそっち方面の分野に関心がないらしく、丁重に断られていた。

 

「えーと……」

 

 と、いつの間にかポツンと一人置いてけぼりの木嶋君である。

 

「あ……、ごめんね。そういう訳だから、私達三人は不参加ってことで。また機会があったら誘ってよ」

「……そ、そっか、うん。用事があるなら仕方ないよね」

 

 若干引きつってはいたが、さすがは正統派イケメン。

 爽やかスマイルは決して崩さず、最後までキラキラオーラを発したまま友人たちの輪の中へと帰っていった。

 おそらくこのクラスの実質的なリーダー、クラス内ヒエラルキーの頂点は彼に決まりだろう。

 なんというか人間として、いや、生き物として存在自体が輝いているように感じる。

 

「良かったのか、天音?」

「? なにが?」

「だって、別に用事があった訳じゃないんだろ?」

「それはそうだけど、いいよ私は。颯多が行かないなら、行ったって仕方ないし」

「むふふ。相変わらずラブラブだねぇ、お二人さん?」

 

 俺たち二人のやり取りを眺めながら、空音がニヤニヤとした笑みを浮かべてそんなことを言ってくる。

 人を茶化すのはやめなさいっての。

 

 ……とはいえ、空音の今の言葉は別に、完全に的外れという訳でもない。

 なぜなら、彼女──。

 須ノ原天音は、俺の初恋の女の子であり、同時に。

 

 正真正銘、俺の大切な『恋人』でもあるのだから──。

 

 

 

 

 

 





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