スチームパンクなラノベ的クトゥルフ神話モノ   作:四十九院暁美

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chapter 3

 目覚めてからさらに一週間が経った頃。退院の日。 

 身体の痛みもすっかり引いて歩けるまでに回復した伊織は、その足で凛ノ介の寝かされている病室に来ていた。

 死人もかくやと蒼白な顔をした彼は、一見だけならば本当に死んでいるようだった。

 美しい手は腹の上で組まれ、長いまつ毛の瞼は閉ざされたまま。微かに上下する胸を確認して、手を当てて心臓が鼓動を刻んでいるのを確認して、それでやっと生きているのだとわかる。

 そっと頬に触れると、冷え切った体温が伝わって来る。生きているとも死んでいるともつかない、石膏像めいた彼の状態を端的に表しているようだ。

 医者は彼の容態について、多くを語らなかった。

 原因不明の昏睡状態という事実のみを伊織に伝えただけで、それ以上は何ひとつとしてわからないから話せない。と、首を振るばかり。病院の医者たち総出で、方々に手を尽くして治療に当たってくれているそうだが、残念ながら結果は芳しくない。

 眠り姫のようだと誰かが云った。お姫様の接吻で目覚めるかもしれないなんて、冗談めかして誰かが囁いていた。

 夢見るままに待ちいたり。

 医者たちの間で交わされたその言葉は、奇跡でも起きない限りは目覚めないだろうと、暗にそう示していた。

 

(凛……君も、僕を遺していくのか……?)

 

 我知らず、歯噛みする。

 握りしめた拳から、血が一滴、床に零れ落ちた。

 

「あら、貴方は?」

 

 静かに開いた扉から、聞きなれない声が響く。振り向くとそこには、見目も痛々しく全身のほとんどと顔の右半分を包帯で覆い隠した、機関車椅子に乗っている女性がひとりいた。

 ただの病人や怪我人という雰囲気ではない。柔らかな声には確かな気品があり、顔は半分隠れていてもわかるほど淑女然として麗しく、よく手入れされた緑髪も匂やかで、儚げな形の瞳は深窓の令嬢を思わせる。

 

「もしかして、南条伊織さんですか?」

 

「はい、そうです。あの、貴女は?」

 

「申し遅れました。この子の許婚の、四十九院菊月です」

 

 手元の”てこ”を倒して、からからと車椅子を動かした彼女は、伊織の隣まで来ると小首を傾げて微笑んだ。

 彼女こそは、凛ノ介と許婚の関係にある女性。貿易で多大な利益を上げている四十九院(つるしいん)財閥の長女こと、四十九院菊月その人である。凛ノ介にとっての”家の事情”とは、すなわち彼女なのだ。

 

「凛ノ介がいつもお世話になっています。何か迷惑をかけたりはしていませんか? この子、見栄っ張りさんですから、たいへんでしょう?」 

 

「い、いえいえそんな! 僕のほうこそ、彼にはお世話になりっぱなしだし、迷惑かけてっばかりだしで。この前なんて、カフェーに連れて行ってもらったんですよ」

 

「まあまあカフェーに? もうこの子ったら、いつの間にそんな”はいから”さんになって……退院したら、私も連れていってもらえるかしら」

 

「きっと連れてってくれますよ」

 

「親友の貴方が云うのなら、きっとそうなのでしょうね。ふふっ、素敵な逢瀬を期待してますよ、凛ノ介」

 

 ころころと彼女が笑う。顔の右半分を包み隠している包帯が僅かに緩んで、隙間から目を背けたくなるような火傷痕が見えた。

 四十九院菊月は、十年前の震災で右半身に負った重度の火傷を治すため、自身の健康な皮膚を患部に移植する手術を受けている。

 伊織も話には聞いていた。だが、実際にこうして目の当たりにすると、やはり哀憐とも同族嫌悪ともわからない奇妙な感情に囚われてしまう。

 菊月が火傷によって多くのものを失ったように、伊織もまたあの震災で多くを失った。

 今でこそ絢爛モダンな都として日ノ本中の憧れを集める帝都だが、大正十二年に起こった巨大な地震によって、一時帝都は焼野原もかくやの姿になった。

 地震が起こったのはちょうど昼時で多くの家が火を扱っていたゆえに、各地から火の手が上がり、さらにここへ火災旋風の発生と、機関燃料への引火によって、東京は一日と経たずに瓦礫と炎に包まれたのである。

 人の焼ける臭い、逃げ惑う人々の悲鳴、親を亡くした子の啼泣、子を亡くした親の慟哭。震災の直後は正しく地獄であった。阿鼻叫喚であった。過去にすることも、忘れることもできぬ悪夢であった。

 彼女の火傷痕は、その時の光景を僅か思い起こさせた。

 

「あ、ああ……申し訳ありません。お見苦しいものを」

 

 彼の動揺を感じ取ったのか、それとも、自分で見えてしまったことに気が付いたのか。彼女はきまりが悪そうに顔を伏せると、左手で顔を隠す。もはやかける言葉も見つからず、伊織も居心地悪く顔を逸らして黙り込んだ。

 怖ろしいほどに冷たい静寂が、しばし二人の間を流れていく。

 

「この子はね、私の王子様なんです」

 

 そうして、しばらくの沈黙が過ぎ去った頃だった。

 気まずい静けさを破るかのように、彼女はやおら口を開いた。

 

「この傷を負ってから、ずっと自分の顔を見るのが嫌でした。ううん、顔だけじゃない。私と云う存在そのものが許せなかった。誰もが痛ましい目で私を見ます。嫌悪と恐怖の目で私を見ます。ええ、ええ、当然でしょう。皮膚の半分以上が焼け爛れた身体に、火に舐められて白く濁った瞳……どうして死んでいないのか不思議だと、お医者様に云われたくらいです。私でも不思議に思いますよ。お天道様はどうして、あの時にすっかり殺してくれなかったのかと。術後を鏡で見る度に、お医者様の額の鏡を見る度に、私は私の醜さを思い知って、死にたくて、死にたくて、死にたくて……いっそ、殺してほしかった」

 

 口が解かれて話された独白には、真に悲痛なものが籠っていた。ともすれば本当に、このあと自死するのではないかとさえ思ってしまうくらいに、彼女の声は震えていた。

 

「そんな時です。凛ノ介が、私の許婚になったのは」

 

 そう云って顔を上げると、諦観と自嘲の混じった笑顔を見せた。

 

「かわいそうな話です。まだ小さいというのに、こんな醜女を将来の嫁だと云われて。……本当に、哀れな子。きっと今にも泣きだして、嫌々と駄々をこねるに違いない、そう思っていました」

 

 当時、許婚として病室にやって来た凛ノ介は、当時まだ十にも満たない子供だったという。

 まだまだ遊びたい盛りであるし、何より無邪気ゆえの残酷さも持ち合わせている年頃。泣き叫ばれることさえ、彼女は覚悟していた。

 

「けれどね。私の予想に反して、この子は嫌悪も恐怖もなく、私に接してくれた。この顔をまっすぐ見て、話してくれた」

 

 彼女は一端そこで言葉を切ると、横たわる凛ノ介を手を握って、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。それは、後悔と自己嫌悪とが複雑に入り混じり、見る者の胸をひどくかき乱すような泣き顔だった。

 

「でも、当時の私はそれが気に入らなくて、この子につらく当たったんです。心無い言葉をぶつけ、手当たり次第に物を投げつけ、口を開こうものなら怒鳴り散らして。私を嫌うように、恐がるように仕向けたんです」 

 

 年端も行かぬ子供を相手にこの醜い風貌を見せるのは、菊月にとってどれほどの苦痛と屈辱であったかは想像に難くない。 

 絶望に荒れ果て卑屈になっていた彼女が、耐えきれず浅はかな八つ当たりに走ってしまうのも、致し方ないことだった。

 

「すると予想通り、彼は心底私を恐れて、ワンワンと親に縋りついて泣き始めました。これでもう彼がここへ来ることはない、そのはずでした。なのにこの子は、次の日になるとケロッとした顔でまたやって来たんです。次の日も、その次の日も。私が何を云っても、何をしても、通い続けたんです。そんな日々が一年も続くと、さすがに私のほうが先に疲れて、根が折れてしまいました」

 

 おおよそ子供らしからぬ執念に怯んだのだと、菊月は云う。

 どれだけ罵詈雑言を放っても諦めず、足繁く通い詰めてくる子供を前にすれば、自ずと落ち着きも取り戻してしまった。敵窮心も消え失せて、あとには凛ノ介に対する興味だけ残っていたそうだ。

 

「この子はあれだけ酷いことをしたのに、どうして何も云ってくれないのか。無気味でしようがなくて、得体の知れないこの子のことが怖かった。……だって、だってそうでしょう? この傷を見て泣き叫ばない、怖がりもしない子供なんて。そんなの……」

 

 そこから先、しばらく言葉は続かなかった。嗚咽が彼女の喉を塞いで、言葉をせき止めたのだ。

 

「だから私、訊いたんです。どうして毎日ここに来るの、私が怖くないのって。そしたらこの子、なんて云ったと思います?」

 

 少しして落ち着くと、多くの感情が入り乱れた泣き笑いを浮かべながら、菊月は首を傾げて問いかけた。黒曜石の瞳から零れた雫のひとつが、凛ノ介の右手を濡らした。

 伊織は答えなかった。いや、応えられなかった。それを答えて良いのは自分ではなく彼女だけなのだと思えてならず、口を開くこともできないまま、続きを待つしかできなかった。

 一秒。二秒。三秒と過ぎて。押し殺した嗚咽の声が途切れると、彼女は溜め息のように云った。

 

「”お姉さんが悲しそうだから、元気付けてあげようと思った”って。真面目な顔で、そんなことを云ったんですよ。おかしいじゃないですか、ふふふ……」

 

 菊月はそこで、さも滑稽だと云わんばかりに笑い出した。

 

「私は、まだ十にもなってない子供に、気遣われていたんです。その事実に気付いた時は、ふふふ、もう本当に恥ずかしかった。きっと、穴があったら入りたいというのは、あの時を云うんでしょうね」

 

 誰も彼もが腫物を扱うように接してくる中で、ただひとり真正面から見つめてくれた凛ノ介の存在は、菊月にどれほどの救いをもたらしたか。人生を変える出会いだったと云っても、過言にはならないだろう。

 

「少しずつこの子とお話しをして打ち解けて行くうちに、私の気持ちも段々と変わっていきました。絶望して諦めるばかりだったところが、ほんのちょっとだけ気持ちが前に進めるようになったんです。そうすると、今度は段々と周りも変わっていきました。剣呑さが薄れたからでしょうね、前よりずっと真摯に接してくれるようになったんです」

 

 そこで言葉を切り、深呼吸で気持ちを整えた彼女は、今度はさも嬉しそうな顔で噛み締めるように云った。

 

「私はこの子に、凛ノ介に救われた。この子に出会えて、私の人生は幸せでした」

 

 話の締めくくりとして囁かれた、消え入りそうな、しかし確かな感情の籠った声が、病室にこだまする。彼女の言葉は耳鳴りめいた残響を遺し、伊織の心根の深い部分にまで突き刺さった。

 

「ごめんなさい、急にこんな話をして。迷惑でしたよね」

 

 ひどく疲れているような、それでいてどこか整理のついたような表情で、菊月は凛ノ介の手にそっと指を絡ませる。箸を握るのも難しいほど非力な彼女にとって、それは最大の愛情表現だった。

 

「いえ……」

 

 彼女がどうして過去を語ったのか、伊織には何となく察しがついていた。

 赤城凛ノ介という少年と、この少年を愛した四十九院菊月という女性の物語を、親友である南条伊織に憶えていて欲しかったのだろう。二度とは目覚めないかもしれない彼を、忘れて欲しくなかったのだろう。

 

(凛……君は、こんなに良い人まで遺して逝くのか……?)

 

 再び、手に力が籠る。

 許せなかった。彼女は……いや、彼女だけではない。伊織だって十年前に、もう十分なほど大切なものを失ってる。だというのに、これ以上も大切な何かを失うのは。どうあっても、それだけは許せなかった。

 

(失ってたまるもんか……諦めないんだ、絶対に!)

 

 奇跡を待つしかないのならば、奇跡を起こして見せよう。如何なる犠牲を払うとしても、その先に待ち受けるのが自身の破滅であったとしても、凛ノ介が目覚めるのならば喜んで奇跡の礎になってやろう。

 十死一生となろうとも、凛ノ介を救う。

 その並々ならぬ決意が、伊織の胸に強烈な灯火となって燃え上がった。

 

「四十九院さん」

 

「はい、どうしましたか?」

 

「必ず凛を助けます。……だから待っててください」 

 

 それだけを云い残して、伊織は病室をあとにした。

 たった一人で、親友を救うという、孤独な覚悟と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「水棲人の情報はナシ、か」

 

 溜め息混じりにそんなことを呟くと、乱暴に折り畳んだアラン・タイムズの新聞を放り投げて、すっかり冷めてしまった茶を飲み乾す。

 正午を告げる木製大砲の音が響く浅草は、水棲人に襲われた現場からほど近い場所にある茶屋藍碧(らんぺき)堂の奥まった席に、伊織の姿はあった。

 意を決して病院を飛び出した伊織は、すぐさま行動に出ようと準備をしていた。

 彼にはすでに見当があった。凛ノ介が眠り姫の如くに横たわる、その原因となっている何かについて、おおよ当たりに近いと思われる予想があったのだ。

 さよう、水棲人である。

 夢遊病患者のように夜を歩いていた時の凛ノ介は、水棲人が唱えていた呪文「いあ、いあ、くとぅるふ、ふたぐん」を何度も何度も呟いていたし、彼が目指した場所には奴らが何十匹と待ち受けていた。

 寝言で水棲人の呪文を何度も何度も呟くものか。

 夢遊病で水棲人の待ち受ける場所に向かうものか。

 つまり水棲人どもは、呪文を唱えることで人の精神に何らかの影響を及ぼす”術”を使えるに違いなく、凛ノ介が眠り続けているのも奴らが術を使って干渉している所為に他ならないのだ。

 いあ、いあ、くとぅるふ、ふたぐん。

 ならば悍ましきこの呪文の発生源たるかの水棲人どもを、完膚なきまでに叩いてしまえば、凛ノ介も目覚めようというもの。と、そう考えるのもさもありなん。

 しかし問題は、はたして水棲人がどこにいるのか、である。

 伊織の予想では、汐留の下水処理場か、その付近にある河口のどこかだ。

 水辺を根城にしているのはまず間違いない。一人や二人ならばまだしも、あのような”なり”をしておきながら数十と群れていれば、いっとう目立つ。憲兵や警察の目を酒うために、人目を憚りひっそりと隠れて過ごしていると考えるのが自然だ。

 またあの夜の襲撃では、奴らは下水から這い上がって来ていた。人が通れるくらいの大きさがある下水道ならば、奴ら難なくと入り込めるというわけだが、まさか夜な夜な道路の片隅で、あんなにも大勢が下水道に出入りしているはずもない。

 となれば、自然と場所も限られてくる。

 水棲人が屯していてもわからず、大勢で下水道に出入りしていても気付かれにくい水辺、なんてのは下水処理場付近を置いて他にない。

 目星をつけて探すならば、まずはそこに向かうべきだろう。

 

(本当に、そうなのか?)

 

 ところが。

 そこまで思い付いていながら、伊織は足をしばらく止めていた。頭の片隅にひっかかる妙な何かが、彼に安易な行動をさせまいとしていた。

 

(本当に、これであっているのか?)

 

 再び。小さな溜め息を吐いて、机を指先で叩く。

 目星は確かだと、伊織は自身に云い聞かせている。

 導き出された結論は理路整然としており、決して破綻などしていないと思っていた。結論に辿り着いた瞬間は、かの名探偵明智小五郎でさえこうはいくまいと云える速さで、限りになく正解に近い推理を叩きだせたとさえ感じていた。

 しかし、しかしだ。この結論に唾を吐きかけるみたいに、直感は無視できない違和を訴えている。冷静になれ。道を違えるな。そこに真実はない。逸る気持ちを窘めるように、そう囁くのだ。

 ゆえに、自身の倒れていた場所を確認に行ったり、こうして新聞で情報を集めているわけなのだが、残念ながら結果は芳しくなかった。もっとも、そう易々と水棲人の情報が得られるはずもないことは、伊織もわかってはいたが。

(わからないな。あんなにも魚めいた姿なんだから、水辺に棲んでるのは道理だろうし、下水道に出入りしてるなら自然とそこに行きつくはず。でも……なら僕はいったい何を見落としているっていうんだ。水棲人は水棲人だろうに、見た目でも……)

 そこまで考えて、伊織はハッとした。

 人は見たいように見る生き物であれば、誰しもが第一印象となる見た目に騙される。とりわけ見目にも衝撃が強い部分は記憶においては強調され、それ以外をことごとく塗り潰してしまう。

 四十九院菊月が良い例だ。伊織が彼女の姿を見た時、片側だけでもわかるほど整った顔立ちや、流れるように美しい黒髪よりも先に、身体と顔を覆う包帯たちに注目した。見た目の半分以上を占めるこれに、真っ先に目を奪われるのは、人間ならば必然である。

 当然、水棲人にも同じことが云えよう。

 いかにも魚と人間の相の子な姿をしていた奴らだが、それ以外にも多くの特徴があったはずなのだ。そもそも、奴らの操る術が隠蔽にも使えるのだとしたら、周囲の人間を欺くことも不可能ではない。見た目ばかりを当てにするのは、水棲人相手では悪手でしかなかった。

(魚みたいな姿ばかりに注目し過ぎてたのか、くそっ)

 その事実に思い至った時、あわやであったと伊織は頭を抱えた。

 一刻も早く凛ノ介を救わねばと、逸る気持ちがあまりにも先に行き過ぎて、結論を急いてしまった。このままでいたのならば、はたしてどうなっていたことか。まったく気もが冷える思いであった。

 しかしそうなると、ますますわからなくなる。この違和感の正体とは何か、見落としているのは何なのか。

 あの夜の委細を思い出そうにも、すぐに白と群青の女性が閃光で塗り潰してしまうから、どうにも掘り当てるのが難しい。衝撃的な場面ばかりが思い出されて、そればっかりに気を取られしまう。

 

(ダメだ。思考が凝り固まってるぞ、伊織。結論を急いては事を仕損じるんだ。頭を冷やしたほうが良いかもしれない)

 

 頭を振って、席を立つ。外を歩けば少しは整理もできよう、そう思った。

 逸り焦ったままの思考では、普段は決して見落とさないようなものでも、こうして簡単に見落としてしまうものである。小さな部品を落っことしてしまった時に、必死に足元を探してもなかなか見つからないのと一緒だ。こういう場合は、一度それなりの時間を置いたほうが良いのである。

 代金を支払って外へ出ると、人もまばらな通りを歩く。

 震災で燃え堕ちたる華の浅草は流行に乗り遅れ、かつて娯楽の中心と鳴らしていた面影もすでにない。今は昔と栄えていた頃を思えば、この寂れようには如何ともしがたい哀愁を覚えてならない。時代とは、ままならぬものである。

 そんな浅草は仲見世通りを歩きながら、伊織はさてもどうしようか悩んでいた。

 水棲人の足取りを追いかけるにも、下水道を移動しているとなれば追跡は難しい。ならばと聞き込みをしようにも、この辺りで水棲人を見てはいないか、なんて滅多な質問に答えてくれる人は少なかろう。 

 では当初の予定通り、汐留に情報収集へ行くのかと問われれば、否。

 よくよく考えてみれば、伊織は水棲人に対する対抗手段を持っていない。運良く水棲人がいたとしても、武器と対策がなければ返り討ちに遇うのが関の山だ。蛮勇は身を滅ぼすものなれば、安易な行動は避けるべきであると、彼は身を以って知っている。

 総じて。水棲人に関しては手詰まりであった。 

 では、どうするか。

 

(こうなったら、ひとまず水棲人のことは置いておくか) 

 

 わからない事柄にいつまでもかかずらって、無理やりに答えを出す必要もない。こういう場合は、別の方面から攻めてみると案外上手くいくものである。

 そして。当然その別の方面というにも、伊織には心当たりがある。

 

(あの人。あの女の人を探してみよう)

 

 突如として現れ出で、水棲人どもを完膚なきまでに惨殺した女性。記憶にまで強烈な残光を焼き付けて、ことごとくを塗り潰していった彼女は、はたして何者であったのか。

 

(あいつらの仲間……じゃ、ないよね)

 

 外見は完全に人の形をしていたし、あの場では伊織を気遣う様子さえも見せていた。加えて、奴らにああも殺意を剥き出しにしていたのもある。人類の味方であるというには早計だが、しかし、少なくとも人を害する輩ではないのは確かだろう。

 

(話が通じるなら、事情を聴いてもらえるかもしれない)

 

 疑う心も幾らかあったが、現状では唯一とも云える手掛かりである。試してみる他に選択肢はなかった。

 あとは彼女が、どこにいるのか、であるが。

 

「感電」

 

 この言葉が肝要なのだろうと、伊織は思った。

 感電。感じる電。電。

 聞いたこともない奇妙な言葉だが、言葉の成り立ちから察するに、電信通信に使われている技術か、専門用語のひとつなのかもしれない。

 

(感電。それに白と青の風貌。彼女についてはこれしか知らないけれど、十分に目立つ要素だ。聞き込みすれば、なにかわかるかもしれない)

 

 望み薄かもしれないが、それでも、これだけが頼りだ。地道に聞き込みをするなどして、情報を集めるほかにないだろう。

 不安な気持ちを押し殺しながら、伊織は前に女性を目撃した銀座を目指して、汽車に乗り込んだ。

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