次回から終盤に入ります。
投稿は明日以降になります。
突っ込みどころ満載ですが、なにぶん、10年前に書いた作品なんで、色々目を瞑ってくださるとうれしいです。
ラブたちは、果たしてラビリンスと地球を救えるのでしょうか?
14
キュアベリーは廃棄物処理空間と呼ばれる所にいた。
生活廃棄物から巨大なコンピュータまで、様々な廃棄物が堆く積み上げられた中、眼前に立ち塞がるのは、アルビノのような銀髪を持った長身痩躯の青年。
そのにやけた唇と全てを見下したような視線。整いすぎるその顔と相まって、嫌味は倍増する。美希の最も嫌いなタイプだった。
だが、その嫌味な表情から時おり見え隠れする悲しき少年のような顔。母とはぐれ、どこに行けばいいのかわからない迷子のような表情。
美希は、何度も自分達を陥れ、苦しめてきた眼前の青年を憎む事が出来なかった。だが、青年は容赦なく美希に攻撃を仕掛けてくる。美希はプライドと己の信条にかけて、応戦する。
そして、サウラーとの激しい戦いの末、彼が父とも神とも仰ぐ男は、無情にも彼ごと美希を殺そうとした。時空の断層にゴミを廃棄するデリートホール。その顎門を開いたのだった。
その行為に動揺を隠せないサウラー。全ての価値観が足元から崩壊し、彼は立っている事すらままならないようだった。
己のアイデンティティの全てともいえる存在に裏切られ、シニカルという名のペルソナは跡形もなく消し飛び、さらけ出された青年の素顔はひどく哀れで、惨めで、手を差し伸べないとすぐにでも粉々に吹き飛んでしまいそうだった。
――戦うより、みんなで笑いあうほうが良いじゃない。みんなの中にあなたも入ってるんだよ。
手を差し伸べる美希。
だが、差し伸べた手は払いのけられる。
―一緒に笑いあう時間がないのが、残念だ。
吹きすさぶ暴風の中、彼は美希をかばってその目の前で深淵の底へと落ちていった。
あの時、デリートホールへと落ちていく寸前に彼が浮かべていた微笑。覚悟や諦めとはまた違う。その微笑が美希には忘れられなかった。もし、また、あの青年に会うことがあれば、聞いてみたい。
――あの時、あなたが浮かべた微笑って、何だったの?
大きなコンピュータらしき装置の前で、黒とうぐいす色のツートンカラーに身を固めた青年が慌しく動き回っていた。ラビリンスの名前でサウラーという名の青年。
サウラーは完全に途絶えた光子ラインを再び接続しようと試みる。だが、サウラーの奮闘も空しく、装置は無反応でそれに応える。
サソリ型戦闘機械からハッキングした情報から様々な分析を試すサウラー。
「くそっ! 一体何が起こってるんだ? 地球側は無事なのか?」
思わず吐き捨てる。キーボードの上を走るその手は慌しく動き回り、点滅するいくつものモニターを追うその目は激しく眼球運動をくりかえす。
その背後から、弱々しい声が聞こえた。
「サウラー?」
目を覚ました美希の声。
「キュアベリーかい? まだ動いてはいけない、ベッドに横になっているんだ。すまないけど、今、僕は手が離せない。こんな状態のままで応答する無礼を許してほしい」
サウラーは、モニターから目を離さず、苛立ちを隠さない声で背後の美希にこたえる。
ただならぬサウラーの様子に美希は自分が倒れたときの状況をぼんやりと思い出す。巨大なサソリ。傷ついたウェスター。そうか、あたしはサソリにやられて……。
「せつなは? みんなはどうなったの!」
喚くようにベッドから詰問する美希の声に精一杯穏やかに反応しようとするサウラー。
「すまない。今、僕は質問に答えられる状況じゃない。もう少し待ってくれ」
こたえている間もキーボードを叩く指は加速し、モニターを追う目は回らん勢いで動き回る。
「あたしも手伝うわ」
ベッドから飛び起きる美希。その身体には胸元の大きく開いたガウンのようなワンピースの病衣が着せられていた。そして、病衣の下は下着だけという自分の出で立ちに気づく。
きゃっ!
羞恥心に頬を染め、小さな悲鳴を漏らす。
「すまないが、変身解除の後、君の服は脱がさせてもらった。君の普段着はタイトすぎて、治療に邪魔だったんでね」
モニターから目を離さず説明的な口調のサウラー。
「ここは、どこなの?」サウラーに裸を見られたという事実も相まって、頬を真っ赤に染め、自分の身体にかけられていたシーツを、胸元を隠すように手繰り寄せる美希。
「ここは、ラビリンスの中央制御室。君が1年前踏み込んできたメビウスタワーの最上階。かつてメビウスがいたところさ。地球の治療設備じゃ、君の容態が把握できなかったんでね。ここに連れてきた」
「あなたが、助けてくれたの?」
「いや。僕はあのサソリ型ロボットの情報をハッキングして、機能停止させただけだ。強いて言うなら、君を助けたのは僕をあの世界まで運んでくれたシフォンさ。礼は彼女に言うといい」
カタカタとせわしなく鳴るタイプ音に混ざって聞こえるサウラーの声からは、その感情が掴みにくい。相変わらず、人に心理状態を読まれるのを嫌がる男だなと美希は思った。感情の起伏が表に出やすいウェスターとは正反対だ。
美希はムッとすると同時に、そんなサウラーの仮面の下の素顔をつい想像してしまう。一年前の記憶が美希の脳裏に蘇った。
――ねぇ…、と言いかけた美希の声を遮るサウラーの声。
「すまないが、質問その他は後にしてくれ。今、僕はとてつもなく忙しい」
慌しく作業に追われるサウラーの背中に、「ごめん」と美希。
…いや、いいんだ。サウラーがそうこたえた時だった。
グラッと部屋が揺れた。
サウラーの前のモニターのいくつかが爆発した。
「サウラー!」美希は叫びながらベッドから飛び起きる。腕のカテーテルを乱暴に抜き取ると、傍らにあったリンクルンを握り締め、サウラーに駆け寄る。
揺れる地盤に病み上がりの脚がとられて転びそうになるも、毎朝のジョギングで鍛えた筋力で何とか耐える。
飛んできたモニターの破片で目の上を切ったサウラーは傷口を押さえながら美希に叫んだ。
「ここから離れるんだ。この部屋の磁場が狂っている!」
だが、揺れはすぐに収束した。レッドアラートが点滅していたパネルは再びグリーンに戻り、部屋のモニターが全て白く光る。
「これは……やられたな」
傷口を押さえながら、何かに気づいて諦めたようなサウラーの声。
「何よ。いったい何のこと?」
状況をつかめず動揺する美希に、モニターの方へと目配せする。
「このモニター、接続が切れているとこんな風になるんだ。つまり、このモニター、いや、制御パネルも含めて、現在、こちら側の制御系と『HOPE』は連結していない。つまり、乗っ取られたってことさ」
額の血をポケットから出したハンカチで拭い取り、パネル前の椅子に座り込むサウラー。
「それって……すごくまずい状況なんじゃないの?」
周囲を見回し焦る美希。胸のふくらみを隠すように病衣の胸元を手繰り寄せ、サウラーへと近づく。
サウラーは近づく美希を一瞥し、深くため息をつくと、気持ちの整理をするかのように黙祷し、平静を装う。
「まぁ、焦っても仕方ない。今できることをやろう。向こうが心配だけど、プリキュアが3人に、ラビリンスの戦闘員が一人いるんだ。何とかするだろう。懸念されるのは、そのラビリンスの戦闘員がまたバカな事をしでかすかどうかというところだけど」
最後の方で若干皮肉がこもったその口調に、美希は短く笑う。
「こんなときにごめん」と美希。
いぶかしがるサウラーに、「ウェスターのことが、心配なのね」
そう言って微笑む。
一瞬、サウラーの瞳に張っていた薄い氷が溶けたように美希には見えた。だが、その氷はすぐにサウラーの瞳を再び凍りつかせると、サウラーはかぶりを振った。
「よしてくれないかな。彼はラビリンス復興に必要な人員ではあるけど、それ以上でもそれ以下でもないよ。1年前の地球侵略時には、僕は散々彼を利用したしね。あまり使えなかったけど」
そう言って、鼻で笑う。
「でも、この1年間はずっと共同作業してきたんでしょ? メビウスの時みたいに我先を争うわけではなく。その間に気持ちが変わったとか?」
からかうような口調で、美希は病衣の裾を短く裂き、ハンカチごとサウラーの額に結びつけた。一瞬、サウラーは抵抗の素振りを見せたが、視線でそれを制止する美希。諦めて、美希に従うサウラー。
結び終わると、美希はサウラーの瞳を覗き込む。
ねぇ、どうなの?
サウラーは思わず美希から瞳をそらした。横を向いたまま、そんな事はないさ。と美希の疑問を否定する。
それよりも。
半ば強引に話を変えんばかりにサウラーが言った。
「今の状況だ。向こうはおそらく敵と交戦中。こっちは『HOPE』を乗っ取られて手も足も出ない状態。幸い、ネットワークに繋いでいないマシンが何台かあるから、今の状況を整理する事くらいはできるけど、危機的状況なのは間違いない。だが、イースを触媒に二つの時空を一つにしようとしているのはわかっている」
と、ここまで言いかけたとき、美希が叫んだ。
「二つの時空って。地球とラビリンスをってこと? それよりも、せつなを触媒にするってなに?」
感情むき出しでサウラーに詰め寄る美希。キスでもせんとばかりに近づいた美希を手で制して、照れたように咳払いをするサウラー。
「少し落ち着いてくれ。今から説明するから」
「この状況で落ち着いていられるわけないでしょ。でも、説明はちゃんとしてよ」
横柄とも取れる美希の態度に苦笑を浮かべ、サウラーは続ける。
境界分岐軸の事、イースの肉体が不安定である事、地球とラビリンスの終末が同じである事、即ち、地球とラビリンスが元々同じ世界である事。そして、今現在、ラブ達が正体不明の敵と交戦中であること。
美希は黙って聞いていた。時折、感情を表に出す事はあったが、ほとんど何も語らず、ただ、ひたすらにサウラーの話を聞こうとしていた。
サウラーは『HOPE』と接続されていない、ノートPCのキーボードに指を走らせる。
「通信が途絶える前に検知したこのエネルギーの波形。これは、ソレワターセのものだ。そして、それにシンクロするようにナキサケーベの波形も見える」
さらに、指を走らせる。そのあと、一瞬黙り込み、ため息をつくように言った。
「で、今の状況を分析すると、現在のこの状況は、君たちがラビリンスへと攻めて来た一年前のあの日、あれ以前から進行している状況だということだと思われる」
サウラーの言葉に呆然とする美希。サウラーはそんな美希の態度を無視するかのように続ける。
「ナキサケーベのカードは、実は大昔の型遅れ品でね。イースは妄信的に使っていたけど、効果は大したことないんだ。望める出力アップが低いのに、使用者のリスクだけは倍増する。君もイースのあの苦しみ様を見ただろう。開発されてすぐに破棄されたよ。イースが使っていたのは、廃棄処分されたカードの残りさ。しかし……」
少し言葉に詰まるサウラー。美希がその目を覗き込む。
「あれは、本来ソレワターセやナケワメーケの出力を上げる為に開発されていたものではないんだ」
大きな吊り目を更に吊り上らせて、サウラーの言葉に耳を傾ける美希。冷や汗がじっとりと病衣をぬらしていた。
「ナケワメーケやソレワターセは、擬似生命体。でも、司令塔たる使用者がいなければ自らの意志で動く事は出来ない。だから、僕達がカードからリンクしてその意思を伝えてコントロールする必要があった。だが、それだと複数の擬似生命体を同時に動かすのは不可能。一人一体がコントロールの限界だからね。脳波をリンクさせないといけないし、案外あれは複雑なシステムなのさ。でも、ナケワメーケやソレワターセが僕たちという司令塔なしでただひたすら命令を遂行し、自動増殖機能を持って増え続けたらどうなると思う?いとも簡単に全パラレルワールドを支配下におさめることが出来る」
「それが出来なかったから、インフィニティが必要だったと……」
美希は、胸元を隠すのも忘れて独り言のように呟いた。美希のはだけた胸元を一瞥し、咳払いを一つして、サウラーは続けた。
「それだけじゃないんだろうが、それもある。そして、これからが本題さ。その自立型システム、開発着手はナケワメーケやソレワターセよりずっと前。ナケワメーケやソレワターセは自立型システムの開発途中で生まれた産物。つまり、ナキサケーベというのは、擬似生命体のオリジンなのさ。そして、ここから先の言葉をよく聞いて欲しい。その自立型システム、発案者はメビウスじゃない」
その言葉に愕然とする美希。「じゃあ、クラインかノーザって事?」
そんな美希の疑問をあっさりと、違う。の一言で返すサウラー。
「クラインでもノーザでもない。幹部とは言っても所詮下部構成員の僕達でも当然ない」
それって、どういう……言葉に詰まる美希の瞳をまっすぐに見つめるサウラー。
「つまり、幹部はもう一人いるって事さ。誰も見たことはないけどね」
目を見開いたまま硬直する美希から視線をずらすサウラー。
「ここから先はあくまで僕の推測だ。なにしろ、その発案ってのは100年も前の話だからね。メビウスが暴走を始めた頃にさかのぼる。でも、この頃の記録は全て破棄されていて裏を取るにも不可能。知っているのはメビウスだけさ。だが、そのメビウスも今はもういない。メビウスが蓄積していた情報のほとんどは消えてなくなった。でも、発案者が別にいることは間違いないし、恐らくだけど、今回の一連の騒動、この発案者が絡んでいると思われる。そして、」
そいつが……もしくはその関係者が、今回の件の黒幕だと僕は思う。
「生きていれば、の話だけどね。僕がその発案者のことを知ったのも、君達がメビウスを撃破した後、その壊れたメモリーから拾ったというだけの話だ。メビウス開発メンバー一人一人なんて合計すれば膨大な数になるからね。しかも、その全員はとっくに死んでいる。いちいち疑う事なんてないさ。いくらラビリンスの技術力でも死体を蘇らせるのは不可能だからね。それに、そいつは1年前、メビウスがピンチのときも姿を現さなかった。だが、今回確認できたナキサケーベの波長、イースをさらった手口、痕跡も残さずメビウスタワーに忍び込み、時空転移装置を破壊できて、なおかつ『HOPE』を乗っ取ることが出来る者となると、」
サウラーは美希の方を振り返り、その瞳を見つめた。
「ラビリンス内部に精通している者、そして、そのシステムを把握している者の仕業だ。もしくは、この件自体が、予定通りに起こった必然的なものだったか」
美希はもう黙ってサウラーの話を聞くことしか出来なかった。眼前の青年は、その瞳に悲しみや遺憾の色を浮かべながらも、どこか楽しそうにも見えた。
「その敵の本当の目的は僕にもわからない。何故、地球とラビリンスという時空軸の異なる世界を一つにしようとしているのかもね。仮に、イースを触媒にするといっても、そんな事をすれば大規模な時空パラドックスが起きる。全て滅茶苦茶になるのさ。それこそ、僕らの宇宙がひっくり返る。意味がないんだ」
額の傷口に薄く張った瘡蓋が汗に溶け、血が滲み、ハンカチを赤く染めている事にもサウラーは気づかないようだった。
美希は眼前で己の理論を展開する青年の顔にちらりほらりと見え隠れする、満足げな表情にほんの少し恐怖と怒りをおぼえる。
「ねぇ、なんだか楽しそうだけど……」
サウラーは思わず美希の口から出た言葉に、すまないと咳払いし、話を続けようとした時だった。
白く光っていたモニターが、パチリという音と共に復帰し、全ての画面に黒いシルエットを映し出す。
席を立ち、美希をかばうように立つサウラー。咄嗟に美希はリンクルンを構える。
画面を見入るサウラーと美希。黒いシルエットは無言のまま、時おり、ノイズを挟みながら画面を支配している。やがて、業を煮やしたようにサウラーが言った。
「おまえは誰なんだ?」
その問いに呼応するように、シルエットが歪んだ。
やがて、そのシルエットは幾何学的な模様へと変化していく。突然、宇宙空間のように光に満ち溢れた画像へと変わったり、点滅を繰り返す。
それを見ていたサウラーの目の色が変わった。
「うわああああっ!」
「サウラー!」慌ててサウラーを抱える美希。サウラーは白目をむき、口の端から泡を吹き出す。理解できない異常事態に美希はどうしたら良いのかわからず、ディスプレイを睨みつけ、思わず叫ぶ。
「あなたは誰? 何をしようとしているの? サウラーに何をしたの!」
――美希さん、画面を見てはいけない!
どこからともなく聞こえてきた鈴の音。シフォンの声だった。
――妨害がすごくて……そちらに行けません。私の侵入を遮る何かがあります。とにかく、一刻も早くそこから離れてくだ……。
「どうすればいいのよ、シフォン」
シフォンの声が聞こえなくなった。
美希は周囲を見回す。ディスプレイは相変わらず点滅を繰り返し、幾何学模様を映し出したり、渦を巻いたり、ノイズの嵐を映し出したりしている。サウラーは美希の胸の中で白目を向いたまま失神し、痙攣を始めた。
美希はリンクルンを握り締めたまま、立ち尽くす。周囲を見回し自分に言い聞かせる。
落ち着くのよ、あたし。何か方法があるはず。シフォンはすぐ近くにきっといるんだわ。どうすれば……。
美希の脳裏にサウラーの声が響いた。
インフィニティが最も心を許し、エネルギーの波動を共有している君たちには、彼女を呼び出すことが可能だ。
美希は衝動的に、リンクルンごと自分の拳を目の前のディスプレイへと突き入れた。
美希の白い手が粉砕したディスプレイの破片で切れ、血が噴き出す。
絆が妨害されてるなら、その妨害を断ち切ればいいのよ!
チェンジ、プリキュア! ビートアップ!
プリキュアのエネルギーが美希の手を中心として、光子エネルギーの渦を作り出す。エネルギーの直撃をまともに受けたディスプレイが大きな音を立てて爆発した。
グアアアアアアッ! と叫び声がどこからか聞こえた。
その瞬間、目の前の空間に黒い渦が発生する。
美希さん、こっちです。早くしてください! 再び鈴の音。
キュアベリーはディスプレイの破片を浴びて身体を血に染め、サウラーを抱えたまま、その渦の中に飛び込んでいた。
15
2日前から垂れ込めていた暗雲は、完全に空を覆っていた。
やがて激しい雨が地上に降り注ぐ。雨は水路を伝い、そのまま浄水局のタンクへと流れていく。
気象衛星は雨天による降雨量の推測と落雷の可能性を数値に変換して、地上へと伝達する。
管理センターと呼ばれる無人のビルから細長い鉄塔のようなものが伸びてくる。落雷時の電気を拾い電力に変換する避雷針ならぬ拾雷針である。ラビリンスのエネルギー供給の礎の一つ。
やがて、地上3キロまで伸びた拾雷針は風にあおられ、大きく揺れる。
黒い雲の中央が眩く光り、雷は拾雷針を打った。
数十万アンペアの電撃は拾雷針を伝い、変換機へと流れ、舗装された路面下の蓄電層へと流れ込む。
何度も何度も拾雷針を打つ雷。やがて、都市中央部にそびえたつ巨大な建造物は不気味な音を立てて動き出した。
ビルへと続く四方の路面が割れ、地下から建造物がせり出す。中央の巨大建造物を囲むようにビル郡が路面ごと移動する。
あるものは、近隣の建造物から、
あるものは、路上から、
そして、降りしきる雨の中、食料起因の小規模な暴動の渦中にいたものたちも、争いを一瞬忘れ、その様を見ていた。
やがて、建造物郡は移動を停止した。その様は、まるで陰陽道の八卦路にも見える。
中央の巨大建造物を囲むように設置された8つのゲートが、ゆっくりと開いていく。
ゲートの隙間から何かがうごめいていた。
魂魄を抜かれたように硬直したまま建造物の前で雨に打たれていた一人が、ヒッ、と声を上げた。
ゲートの隙間から覗いたのは、闇の中で光る無数の瞳。
感情も何も映さない瞳から流れる一筋の涙がその貌に貼り付いていた。
ドスッ!
鈍い音とともにアスファルトの上に肩から落ちたキュアベリーは痛みに耐えながらも腕の中のサウラーの顔を覗き込む。
変わらず気を失ってはいたが、その顔は穏やかで、先ほどの何かが憑依したような異常な状態からは脱したように見えた。
様子を伺うようにサウラーの顔をしばらく見た後、ベリーは少し安心したように深くため息をついて肩を落とす。気が抜けると同時に鼻腔に流れこんできた硫黄のような匂いに気づいて周囲を見渡す。夕闇の中、自分たちを見る視線に気づいた。
人の形態に戻ったシフォンが悲しげな表情で立っていた。
「シフォン……」
シフォンは何も言わず、ただ、悲しげな瞳でベリーを見つめる。シフォンの背後にキュアピーチが立っていた。
「ベリー、サウラー。取り合えず、無事でよかった」そう洩らすも、その顔は虚ろで悲しみに歪んでいた。
ベリーはピーチの顔色から異変を感じ取ると、ピーチのさらに背後へと視線を移した。
アスファルトの数メートル先に白い煙を立てのぼらせる、かつて交易所と呼ばれたビルの残骸。その前でうずくまる二つの影。
キュアパッションとキュアパインの姿がそこにあった。パッションはアスファルトの上に座り込んだまま誰かを抱きかかえて背中を震わせている。パインもひざまずいたまま微動だにしない。
……まさか。
ベリーはサウラーをアスファルトの上に寝かせると立ち上がり、パッションとパインのほうを見つめる。
「ベリー……」
複雑な面持ちで見つめるピーチとシフォンの顔をベリーは改めて見た。二人はベリーと目が合うと苦しげに俯く。その様子から、何とはなしに事態をある程度認識したベリーは悲痛な面持ちでゆっくりとパッションとパインの方へと近づく。
パッションが小さく震えながら血まみれのウェスターを抱きかかえて泣いていた。パインは呆然とした表情のまま、どうすればいいのかわからないように見えた。
救急車と消防車のサイレンが遠くから聞こえている。その音を確認すると、ウェスターを抱きかかえて泣いているパッションの隣へひざまずいた。
「パッション」
声をかけるも、パッションは気づかない。ただ、ウェスターを抱きしめたまま、呟くようにその名前を連呼し、泣いている。
ベリーは脳裏で溢れかえりそうな感情をなだめるかのように深呼吸を一つし、抱きかかえたパッションの脇からだらりと垂れ下がるウェスターの手首をとり、親指で脈拍を測った。か細くはあったが、鼓動している事を確認すると、小さく安堵の溜息を漏らし、パインの方へと振り向いた。
「ブッキー、ウェスターはまだ生きているわ。ヒーリングプレアーで応急処置とかできる? もうすぐ救急車も来るから」
力強いその声に正気を取り戻すパイン。「美希ちゃん、無事だったのね…よかった」と弱々しくも落ち着いた声で応えると、軽く頷き、「とにかく、私に出来る限りの事はやってみる」と立ち上がる。
パインはそのままパッションの隣に腰を落とし、「いい?」とパッションの胸の中のウェスターの身体を引き取るように抱きかかえようとした。
それに抵抗するかのようにウェスターを抱きかかえる腕に力を込めるパッション。
「やだ……」
「大丈夫よ、せつな。ウェスターはまだ何とかなるわ」
泣きはらしたパッションの瞳に映ったのは頬や額に凝固した血をこびりつかせたキュアベリーの顔。
「美希……」
「せつな、落ち着いて聞いて。とりあえず彼の身体をそこに寝かせて。ブッキーは獣医さん志望だし、ヒーリングプレアーなら簡単な応急処置ならできる。後は彼女に任せて。救急車もこっちに向かってる。だから、安心して」
精一杯落ち着いた声でそう言うと、パインの方に目配せする。パインは力強く頷いた。
ベリーはパッションの両肩を優しく抱く。
パッションは背中に感じるベリーの心臓の音に少し落ち着きを取り戻すと、涙で声をしゃくりあげながら、うん、と呟き、ウェスターの身体を路上に寝かせた。
「じゃ、ブッキー。お願い」
パインは頷き、ウェスターの心臓の上に手をあてがった。
「プリキュア ヒーリングプレアー!」
ベリーは、ヒーリングプレアーの治癒のエネルギーがウェスターの身体を包み込むのを見届けた後、ウェスターの横に寄り添うように座り込むパッションをしばらくの間、悲しく見つめ、ピーチの方へと再び近づく。
「ミキたん」ベリーは力なく自分を見つめるピーチに軽く頷くと、目を伏せる。
「あの怪我……相当な重症よ。後は、もう、あたしにもわからないわ」そういった後、呟くように「ウェスター、何よ、あたしの言う事何も聞いていないじゃない」とやりきれない表情で一人ごちた。
潤んだ目に力を込めて、唇を噛むベリー。
俯いたまま、さらに顔に翳を落とすピーチとシフォン。しばらくの後、ピーチがベリーの方へと目をやる。
「美希たん、その格好。それにサウラーのあの状態。向こうでもやっぱり何かあったんだ」 凝固した血液をこびりつかせたベリーの姿を痛々しく見つめるラブ。
「ええ。今の状況で説明していいのかわからないけれど……」
ベリーは溜息をついた。
「ラビリンスの制御コンピュータが乗っ取られたわ。敵の正体はわからない。でも、サウラーが倒れる前に気になることを言っていた」
シフォンはベリーに近づくと「先ほどの妨害にも関係あるんですね」とベリーの瞳を見つめた。
「たぶん。恐らく今回の黒幕だと思う。そして、その黒幕は、メビウス体制前からラビリンスと関係している可能性が高いわ。サウラーの推論だけど」
「外の様子は確認したの? 暴動がどうとか、ラビリンスって、今そんな状態なんだよね?」
不安げなピーチに、わからないと頭を振るベリー。
「外を確認する前に襲撃にあったから。でも、活気のある雰囲気じゃなかった。あたしたちがいた建築物の中にも人の気配は感じなかったし、多分、サウラー1人であたしの手当てをしていたんだと思う」
「一体、今のラビリンスってどうなってるの? サウラーだけとか、ほかの人はどうなってるわけ?」
ピーチはわけがわからないとでも言いたげな表情で頭を振った。
「恐らく、ですけど」
シフォンが考え込むように口を開く。
「元々、ラビリンスはそれほど人口のいない世界だからではないでしょうか。インフラのほとんどが機械化、システム化されていますし、医療システムも、ほぼ完全にコンピュータ化されています。建造物の管理自体も、サウラーさんとその他数人で行っていたのでは?」
「まだちゃんとした治安維持機構もないって、以前、せつながくれた手紙に書いてあった。暴動が起こりっぱなしになっているのもそのせいなのかも」
「そうさ。まだ、ラビリンスには何もないんだ」
割って入る声。サウラーがアスファルトの上で仰向けになったまま、天を見上げていた。
「サウラー……」
3人がサウラーに目を向ける。そのことを気にするそぶりもなく、淡々とサウラーは続けた。
「治安維持機構どころか、まだ世界の維持自体、8割が『HOPE』まかせ。結局、僕らの意思が反映されているところなんてどこにもない。僕らには労働の喜びも何もない。ラビリンスにはまだちゃんとした通貨すらないんだ。人間だけで世界を維持できる最低限の人員がまずいないからね。動物園と一緒さ。メビウス体制は崩壊したけど、だからといって、僕らラビリンス人が向かう先なんて、今の僕らにはよくわからないんだ。僕らは自由になったのかもしれないけど、その自由って、本当にすばらしいものなのかな。自由の価値を確かめる前に、僕らはまだその自由すら何だかよくわかっていない。人は歯止めが利かなくなって毎日粗暴になっているような気がする。隣の人と笑いあっているより、みんな隣の人たちが持っているものを奪い取る事しか興味がないように見える。メビウス政権下の頃には、少なくともそんな事はなかった」
「それじゃ、メビウスに支配されていた頃の方がよかったっていうの? おかしいよ、サウラー。あたし、あのときのラビリンスの人たちの笑顔、忘れてないよ」
一年前のメビウス体制陥落時のことを思い出してこぶしを握りしめるピーチを一瞥し、サウラーはまた空を見つめる。
「わかっているさ。多分、それも自由の側面だってね。でも、日が経つごとに悪化する治安、先行きの見えない現状。確かに、あれからまだ一年しか経ってない。仮に、今のラビリンスの現状が何者かに扇動された結果でも、一年前はあんなに希望に満ちていたのに、たったの一年で意識なんて変わってしまうのかな? どうして、笑顔よりも、劣情で醜く歪んだ顔ばかり増えていくんだろう。僕らはみんなが幸せになるためにラビリンスを復興させているはずなのに、不幸になっている人たちの方が多いような気がするのは何故だろう。もしかしたら、今の方が『FUKO』のエネルギーが溜まっているんじゃないかって思うときがあるさ。これもメビウスの企てなのかなって。国を建て直すということが甘くない事だと理屈ではわかっていても、毎日その現実と向き合っていると、そんな疑問符ばかりが大きくなっていくんだ」
「サウラー……」
ベリーは悲しくサウラーを見つめた。
「もしかしたら、僕は疲れているのかもしれないな。君たちの前でこんな事を言うなんて思わなかったよ。弱音を吐かず頑張っているウェスターとイースに顔向けできないな、これじゃ」
そう言った後、顔を背けたサウラーに、全員が沈黙する。苦く静まり返った夕闇の中、救急車のサイレンの音だけが大きくなっていき、やがて、その音はブレーキの音とともに交易所の前で停止した。
「ラブちゃん! けが人はどこだい?」
「あ、救急隊のお兄ちゃん……」
桃園家の近所に住む顔見知りの救急隊員がピーチの顔を見つけて話しかける。複雑な胸中のまま、それでもピーチはパッションたちのいるほうへと担架を持った救急隊員たちを案内する。
「サウラー、あなたも乗るのよ」膝をついて、視線で救急車へと促すベリー。
「そうだな、僕も行かないと」そう言うと、サウラーは腕をついて上半身を起こした。
「ちょ、ちょっと!」慌ててサウラーを抑えようとするベリー。その手をサウラーの手が遮った。
「あそこで全員を心配させている果報者のバカの身体のことは地球の医者ではちょっとわからないと思う。僕がついてないと駄目だ。それに、僕はもう大丈夫だ、心配しなくていい。それに地面の上は寝そべるには少し冷たいからね」
「でも」ベリーの心配げな顔にサウラーが微笑んだ。奇しくも、その微笑みは一年前、デリートホールで見たものと同じもののように見えた。
「……」
「本当に助かったよ。君のおかげだ。君が僕をここに連れてくるのがもう少し遅ければ、僕はあのまま意識を乗っ取られていたかもしれない。本当にありがとう」
血で汚れたベリーの格好を見ながらサウラーが頭を下げた。
「礼を言うのは早いわ。今、あたし達の状況は最悪よ」
照れなのか、ふてくされただけなのか、顔を背けたベリーにサウラーが言った。
「だからこそ、これから前に進むんだろう? プリキュアならそういうんじゃないのかな。なきごと言っておいてなんだけど、僕だってまだ諦めたわけじゃないさ。君たちがどん底から這い上がる力を教えてくれたからね」
そう言うと立ち上がり、足元でサウラーを見上げるベリーに再び微笑んだ。
「取り合えず、まずは目の前の仕事をきっちり果たしてくるよ。まぁ、任せてほしい。ほら、あれだよ。僕は完璧だから」
おどけた表情を浮かべる。
「人のセリフをとらないでよ……バカ」
赤くなって目をそらすベリーに、もう一度微笑むと、サウラーはウェスターの元へと歩いていく。未だ目を腫らして泣いているパッションに「大丈夫だ」と力強く頷く。
「イース、大丈夫だ。僕が何とかする」そうパッションに微笑んだ後、担架の上のウェスターを見つめて、諦めたようにため息をついた。
「まったく。どうしてヒキコモリの僕がこんなに動き回らなきゃならないんだい。君のせいだからな。この件が片付いたら、この世界の新しいヒキコモリ道具一式、アルバイトでも何でもしてもらって買ってもらうからね」
その言葉に反応したのか、担架の上のウェスターがわずかに動いたように見えた。
その姿を見たサウラーは薄く笑い、救急隊員たちと救急車に乗り込む。
見送るプリキュアたちに「後は頼むよ」と右手を挙げ、そのままサイレンの音とともに遠ざかっていく。
わずかに遅れて到着したパトカーと消防車を背に、廃墟と化した交易所を見上げ、軽く頭をかくピーチ。
「さてと……これ、どう説明しようかな。交易所の存在とか、まだ色々秘密じゃなかったっけ」
「私が何とかします。ラブさん、少し手伝ってください」シフォンはそう言うと、煙のあがる屋内へと入っていく。
「ちょ、ちょっと……」焦るピーチ。背後を見ると、到着した警官隊を前に、後は何とかすると言いたげにベリーが目配せした。
ピーチが交易所内部に入るのを横目で確認した後、ベリーは警官隊に対してたどたどしく説明を始める。警官隊もなれたものか、プリキュアの姿を見ると同時に軽く敬礼して、事情徴収を始めた。
数分の後、交易所から出てくるピーチとシフォン。
軽い事情徴収が終わって疲れた表情を浮かべるベリーが「どうやったの?」と耳打ちして聞くのに、
「シフォンが時空の扉を開いて、以前、せつなたちがいた占い館のあったところに、転移装置の部品一切合切をあたしが持ち込んだ。これであのビルの中に時空転移装置と関係するものは何も残ってないよ」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべるピーチ。
「そう。引越し業者ができるわね。でも、何とかなってよかった」
ベリーが安堵のため息をつく。
ピーチは背後に視線をやる。アスファルトの上で座り込み、未だ泣き顔のパッションと、それを慰めているパインが目に入った。
「取り合えず、家に戻ろう。お母さんやお父さんも心配しているし。後はサウラーとウェスターが合流してから考えよう」
ラブはぐったりとうなだれ、疲労に大きなため息をついた。
「そうだ、サウラーに電話しなきゃ。あたしの家、知らないんだっけ」
ピーチはベリーと顔を見合わせて、パインとパッションの方へと向かう。
泣き顔のままラブを見上げるパッションに「さぁ、帰ろう」と右手を出した。
「ただいま」
目的は果たしたものの、覇気のない声とともにうなだれたラブたちが桃園家に戻ってきたのはそれからすぐだった。
変身解除で再び視覚にもわかる不安定な肉体に戻った上、悲しみに疲れ果た姿のせつなを見ても何も言わず、ただ涙を流して再会した彼女を抱きしめるあゆみ。純粋な愛情から自分を抱きしめているあゆみのそのぬくもりに安堵し、「お母さん……」と一言発して、せつなはそのまま意識を失うように眠ってしまう。あゆみはせつなが眠った後も、大切な宝物を守るように彼女を優しく抱きしめたまま、ソファに腰掛けていた。
その姿を優しく見つめる圭太郎。ラブは3人を見ながら、一年の時を経ても変わらない、せつなに対する二人の愛情を確かめたかのように、満足げに微笑んだ。
ラブは、ウェスターが運びこまれた四葉救急病院に連絡し、サウラー宛に、半ば無理やり桃園家の住所を言伝てる。
その後、4人が説明しようとするのを手で制して、全員を労うように、食事の準備をはじめるレミと尚子。
「疲れただろう。とりあえず、食事にしよう」と熊のようなあご鬚をひとなでする正の笑顔に何も言えなくなる4人。いつもと変わらぬ暖かな倦怠に満ちた空気に、先ほどまでの張り詰めた空気から一時的に開放されたラブたちは、全身を包み込むような疲労を感じると同時に、自分達が随分と空腹だった事に気づいた。
湯気を立てて食欲を刺激する芳香を放つ料理がレミと尚子の笑顔とともに運ばれてくる。パーティというにはささやかだが、夕食というには豪華すぎる食事の後、それまで沈黙を守っていたシフォンが口を開く。
「私の姿を見ても、何も驚かないんですね」
その声に気づいてシフォンに目を向ける正。
「そりゃ驚いているよ。しかし、ここまできたら今更それを顔に出しても仕方ないさ。プリキュア、へそのないしゃべるフェレット、私と桃園さんとで開発したカツラをかぶる怪物…私も随分と奇怪なものに慣れてしまったからね」
そう言うと、大きな声で豪快に笑い、「ねぇ、桃園さん?」と圭太郎に同意を求める。
「そうですね。だから、君があのぬいぐるみみたいなシフォンちゃんだということも、何となく納得してしまう自分がいるなぁ……でも、目の前にあることにいちいち驚いて動けなくなっていたら、プリキュアの親なんてやっていられないよ」
そう言うと、圭太郎は困ったような顔で苦笑いを浮かべた。
性急に移り変わる景色、価値観。そして、現実。その変化に適応し、それでも自分の大切なものを必死で守り続ける親達の覚悟の片鱗を見たラブは、2日前までの自分を思い返して、恥ずかしい気持ちになる。
俯くラブに「どうしたんだい?」と声をかける圭太郎。「なんでもないの」と小さく笑顔を浮かべ、隣のシフォンの方を見る。ラブの心中を理解したかのように優しい笑顔を浮かべるシフォン。
まるで、プリップーって言いそうな笑顔だね。ラブがそう言いかけたとき、玄関のほうから美希の声が聞こえた。
「サウラーが帰ってきたわ」
慌てて玄関へと向かうラブと祈里とシフォン。そこには脱いだ靴もそのままに、固い表情のサウラーが立っていた。
「サウラー……」
美希がサウラーの表情を伺うように見つめた。
「お帰りなさい。あの、ウェスターさんは?」
心配げな表情の祈里の顔を暗い顔で一瞥し、質問には答えず、呟くように「イースは?」と聞くサウラー。
「せつなは、奥で寝てるよ。どうしたの?」
深いため息のあと、サウラーは重苦しく唇を開いた。
「取り合えず、現地で執刀に立ち会ったよ。僕も手伝って、傷は無事に全て縫合した。命に別条はない。手術後、5分くらいでウェスターの自己治癒能力も働きだして、細かい傷は自然にふさがっている。だが」
全員がサウラーを見入った。その視線をかわすように俯く。
ウェスターは。と、言いかけて、唇をかみ締めるサウラー。強張る唇を無理やり動かして、サウラーは言葉を搾り出す。
「ウェスターは、もう二度とまともに歩けないかもしれない。いくら彼が強化された人間でも、今回は無茶をやりすぎた。ダメージはウェスターの肉体をずたずたに破壊し、脊椎も損傷している。さすがに脊椎の半分を潰されたら、彼の肉体再生能力をもってしても、再生が追いつかない。半身不随は避けられないかもしれない」
「そんな……」目を見開く4人。その前でサウラーの表情はさらに翳を落とす。
「肉体再生といっても限界があるからね。人体の中でも最も複雑な脳や脊椎のダメージは修復するのが難しいんだ。それに、彼は肉体が限界の状態でずっと無茶をやっていた。ダメージが蓄積しすぎたんだよ。普通なら至死量の出血と内臓損壊の状態を長時間にわたって続けていた為、ウェスターの体内にある再生促進細胞の大半が死んでしまったんだ」
吐き出すように言った後、苦しげに唇をかみ締めた。
「まさか、こんな事になるなんて」
俯くサウラーの顔を見ながら、美希が震える唇を開いた。
「ねぇ、ラビリンスの技術力でも何とかならないの? ウェスターの再生能力って、ラビリンスの技術なのよね? だったら、半身不随なんて」
美希は、言葉を発するのと同時に感情の昂ぶりを抑えられなくなり、途中で黙ってしまう。
「それは、多分無理だ」苦しく言葉を紡ぐサウラー。
「どうして? 擬似生命体とか生み出す技術があるんでしょ。それくらいできるんじゃないの」
サウラーは必死の形相で喰らいつくように詰め寄る祈里に、頭を振る。
「人間は、限界が来る前に活動停止に陥るようになっている。君たちだって疲労がピークに達すれば、眠くなったり、動けなくなったりするだろう?それが自己防衛機能というものなのさ。その時点で適切な休息をとれば、身体にダメージが蓄積する事はほとんどない。しかし、ウェスターは、その自己防衛機能が働かない身体なんだ。限界が来ても動ける肉体。それがどれだけ危険なものかわかるかい?強いて言えば、ウェスターは壊れてもまわり続けるエンジンなんだ。壊れてるのにまわし続ければ、ダメージは拡散し、やがてエンジンは粉々に破壊する。今のウェスターは、そのどうにもならない限界近くまでダメージを蓄積してしまっている。極端な話、今の彼を元に戻すには、細胞を全部入れ替えるしかない。でも、そんな事は無理だ。細胞を全て入れ替えるということは、ウェスターじゃなくなるということだからね」
全員が俯き何も言えなくなる。
「一から作るより、今あるものを直す方が難しい事だってあるさ。僕はラビリンス復興でそれを嫌というほど思い知った。国も、人間も変化し続ける生物。人間は神じゃない。遍く変化の流れに人が後から手を入れたって、うまくいくのは症状が軽い場合だけさ」
やりきれない気持ちを吐き出して、視線を落とすサウラー。
「だから、多分、ウェスターは、もう」
言いかけて、サウラーは背後に視線を感じる。
振り向いた視線の先に呆然とした表情のせつなが立っていた。
「イース……」
せつなは呆然とした表情の中、目だけをこぼれんばかりに見開いて、サウラーを見つめる。
「ウェスターが……もう、何なの?」
「起きてたのか」
サウラーは、一瞬、苦虫をかみつぶした様な表情を浮かべてせつなから視線をそらす。
「話をごまかさないで。ウェスターはどうなったの」
せつなは責めるような視線でラブたちも見回す。その鬼気に当てられて全員がせつなから思わず目をそらしてしまう。
「ウェスター……」
せつなは焦点の合わない瞳で前方を見つめ、祈るように呟いて、何かに弾かれたように玄関口へと走った。
「せつなッ!」
その身体を掴もうとしたラブの手を振り払い、玄関のドアを乱暴に開けると、外へ飛び出していくせつな。
「あたしが追いかける。みんなはそこで待ってて!」
言い捨てると、そのまま、せつなを追いかけるラブ。
「私も追いかける。後でまた連絡するから、美希ちゃん達は後をお願い!」祈里はリンクルンの所有を確認すると、美希たちへと振り向く。
「わかった。そっちはお願い!」と美希。
祈里はその声を合図に、せつなとラブが走っていった方向へ走り去る。
物憂げな視線で祈里が出て行った玄関をしばらく見送る3人。と、その背後から聞こえる声。
「美希」
レミが心配げな表情で美希たちを見つめていた。
深刻な表情のレミを力づけるように「大丈夫よ、ママ」と気丈な声で返事する美希。
「ラブやブッキーもいるから、大丈夫。きっと、何とかなるわ」
自分に言い聞かせるようにも聞こえる美希の声に、言いかけた言葉を飲み込むレミ。そして、再び訪れた沈黙を破ったのは、リビングのドアから飛び出してきた正の声だった。
「レミさん! 大変だ。ちょっとこっちへ!」
困惑に凍りついた正の表情に、再び緊張が全員の間を駆け巡った。
ラブは飛び出したせつなを追っていた。
クローバータウンストリートをぼんやりと照らして続く街路灯の明かりの下に、せつなの姿は見当たらない。途方にくれるラブの背後から祈里の声が追いかけてきた。
「ラブちゃん!」
「あ、ブッキー」その声に思わず振り向くラブ。
「せつなちゃんは見つかった?」息を切らせながら尋ねる祈里に「見つからないの。どうしよう、せつな」
今にも泣き出しそうな顔で頭を振るラブ。
「取り合えず、手分けして探しましょ。私は西側を探すから、ラブちゃんは東側を探して」
「せつな、大丈夫かな。あたし、せつなを見つけたらなんて言えばいいんだろう」
ラブは自信なさげな表情でうつむく。
頼りなげに宙を遊ぶラブの掌を、祈里の両手が力強く捕まえていた。
「ブッキー」
「ラブちゃん、しっかりして。とにかく、今はせつなちゃんを見つけることが最優先でしょ。それから先のことは、みんなで一緒に考えればいい」
力強くラブの手を握り締める祈里の両手。ラブは今一番優先すべきことを思い出す。せつなの身体は不安定な状態のまま。そして、そんなせつなの身体を使って、何か大きな企みが動いている。そのせつなを一人にする事はできない。
ラブの瞳に、輝きが戻った。
「わかった。ブッキー、ごめん。そしてありがとう。あたしは東側を探す」
祈里に軽く頭を下げると、クローバータウンストリートの東側へ向かって駆け出すラブ。その背中を見送りながら、祈里は少し呆れ顔で微笑んだ。
「ラブちゃんたら……相変わらず、思い込んだら猪突猛進ね」
祈里はラブの姿が視界から消えた後、ラブと合流した事を、一旦、美希たちに報告する為、リンクルンを取り出す。
メモリーから、美希の番号を呼び出し、通話ボタンを押した。
いつもなら2コールくらいでつながる美希との連絡は、5コールを過ぎてもつながらない。
プルルルル……プルルルル……。
祈里は何か不穏な空気を直感的に感じる。
「もしかして、また何かあったの?」
呼び出し音が7回鳴ったところで、一旦、リンクルンを切り、もと来た道を引き返そうとした祈里の前を、突如として現れた蠢く暗闇が遮った。
緊張に身体をこわばらせる祈里。ぼんやりと街路灯が照らしたものは、闇の中で光る瞳。
感情のこもらない無機的な瞳から一筋の涙が流れている。その容貌に祈里は見覚えがあった。
「ナキサケーベ! どうして?」
その奇怪な怪物に見覚えはあるものの、その姿は祈里の記憶にあるものとは若干違う。ナキサケーベはナケワメーケやソレワターセ同様、相当な大きさだったはずだが、祈里の眼前に立ちはだかるのは精々3メートルあるかないかというところだった。何らかの物質を基盤に変態する他のラビリンスの怪異と違い、身体も煤色の人間型。交易所内で見た蛾型のものとも違う。
しかし、困惑する意識とは裏腹に、祈里は身に染み付いた動作を反芻するように自然とリンクルンを構えていた。
「チェンジ プリキュア! ビートアップ!」
闇を照らす光とともに、プリキュアのエネルギーが祈里の身体を包み込んだ。
せつなは四葉救急病院の門前に建っていた。
既に面会時間は過ぎ、人気のなくなった入場口から、院内スタッフらしき人間がまばらに出入りしていた。
せつなは入場口の前を何度か行き来し、己の中の迷いに翻弄されていた。が、やがて、意を決したかのように、リンクルンを口元に近づける。
「院内1階、待合室の隅」
氷上で横滑りするかのような感覚とともに、再びせつなが現れたのは、一階待合室の隅。
運良く、待合室には誰もおらず、せつなは待合室の椅子に身を隠すように数度辺りを見回し、人の有無を確認する。
院内スタッフが何度か通路を横切ったが、せつなには気づいていないようだった。
せつなは待合室横にかけてある案内板に目を移し、外科病棟の場所を探す。
「第二病棟4階」
確かめるように口に出し、そのまま階段を登る。途中、ナースセンター近くのキャスター上にあった包帯を手早く拝借し、廊下の隅で半透明に透けている自分の額と左腕に巻きつけた。周囲を慎重に見回しながら、人をなるべく避けて進んでいく。何度か通りすがった入院患者に会釈しながら、なるべく自然に振舞うせつな。
やがて、外科病棟のフロアに突き当たると、目を凝らし、入り口の名札を確認していく。
扉を何度か通り過ぎた後、「西隼人」と書かれた名札が見つかった。
せつなは扉の前で硬直する。ウェスターへの想いだけでここまで来たが、その本人の状態も、何もわからない。あって何を話せばいいのか、それすらも彼女の脳裏には浮かんでこなかった。
「ウェスター」
せつなは、呟いて胸を押さえる。その右手は扉の前で躊躇い、往復を繰り返す。
不意にその扉が開いた。同部屋の入院患者らしき壮年男性がせつなの姿を見て、一瞬、驚きながらも軽く会釈する。
せつなも慌てて頭を下げる。額と腕に包帯を巻きつけた痛々しい姿のせつなを、外部の人間と微塵も疑う様子はなく、「どうぞ」と一言発して、そのまませつなの横を通り過ぎて通路へと出て行く。
男性が出て行く際に半歩踏みこんで身体をずらしたため、せつなの半身は扉より内側に入ってしまっていた。扉を開け放ったままにもいかず、そのまま部屋に入って後ろ手で扉を閉める。カーテンで仕切られた3人部屋の2つはカーテンが五分ばかり空いており、そこから見えるベッドの上に人影はない。出て行った男性ともう一人も外に出てしまっているようだった。
残る一つのベッドに恐らくウェスターがいるのだと思うと、せつなはひどく落ち着かない自分自身の心中に気づく。
不安と焦りが彼女を包み、途端に足元が震えてくる。自分はこのカーテンの向こう側に入ってもいいのだろうかという疑問がせつなの頭を深くもたげる。眼前にある薄いカーテンがまるで鋼鉄の扉のようにせつなの前を遮っていた。
でも。と、せつなはカーテンの向こう側にいるであろうウェスターを見つめる。
でも、ウェスターは何度も何度も自分を助けに来てくれた。満身創痍の身体を引き摺り、最後の力まで振り絞って。今、ここでウェスターに会わずに逃げ帰る事は、彼のそんな自分への行為に対する最大の侮辱だとせつなは思った。
カーテンに指をかけ、ゆっくりと力を込める。レールが軽い音を鳴らし、薄いカーテンはいとも簡単に全開になる。
そこにウェスターは眠っていた。白い包帯がその全身を包み、多数の裂傷がわずかに露出した顔をケロイド痕も生々しく覆っていた。
その姿を瞳に刻み付けるかのように凝視するせつな。胸中にある感情が全てあふれそうになるのを唇をかみ締めて必死でこらえる。
「イースか」目を瞑ったままのウェスターの唇が小さく開いた。せつながこの病室に来るのをわかっていたような口調だった。
不意の事にせつなは驚き、どう反応すればわからなくなる。わずかな沈黙の後、「しゃべっちゃ駄目よ、ウェスター」せつなは、溢れそうな己の感情を抑え込んでそう返した。
そんなせつなの形相を半開きの瞳で一瞥したウェスターの唇が小さく笑みに歪んだ。
「大丈夫だ…。体調は良い。お前と話すくらいの体力は残っている。俺は「肉体」のラビリンス人なんだぜ…」
ベッドの上で強がっておどけるウェスターにどう応えていいのかわからず、せつなは困惑の表情で沈黙する。胸中に渦巻く感情に身を任せると、自分がどうにかなってしまいそうだった。
そんなせつなに再び笑顔を浮かべるウェスター。
「俺の身体のこと、聞いたのか?」
わずかな沈黙の後、詰まるように、うん。と応えるせつな。
「まぁ、聞いたとおりだろうな。麻酔のせいもあるんだろうが、下半身の感覚がない」
自嘲的に鼻で笑うウェスター。
「ウェスター」泣きそうに歪んだせつなの顔をみて、ウェスターはあえて小ばかにしたように唇をゆがめ、頭を振る。
「なに、そんな顔してるんだよ、イース。今のお前と今の俺は似たようなもんだ。お前もそんな穴ぼこだらけの身体になっちまってる。似たような状態の奴から、哀れみを受ける筋合いはないぜ」
そう言うと短く笑う。せつなの身体を揶揄したかのような言動だったが、そこから何の悪意も感じられず、せつなは、それがウェスターの不器用な優しさである事に気づく。自分の身体の致命的な損傷をわかっていながらも、それを気にさせまいとするウェスターの気持ちが伝わってくる。
イースだった頃、散々バカにしたウェスターの鈍くささと不器用さが、今は自分を優しく包んでいる。
ここで自分がすべき事は、普段通りに悪態をつく。それが、ウェスターの優しさに対する精一杯の礼儀だとせつなは思った。
「デリカシーのない人ね。女の子が容姿のことで悩んでいるときに、もっと良い言葉はないの?」
必死で涙をこらえる瞳に映るウェスターの優しげな笑顔はぼやけていくつも像を結び、せつなはその笑顔を自分の心の拠り所にしていた事に改めて気づく。ウェスターとラブ。そして、みんな。お父さんとお母さん。全員笑顔でいて欲しいと心から思っていた。
しばしの沈黙の後、ウェスターの顔からフッと笑顔が抜け、まっすぐな瞳をせつなに向け、あらためるようにせつなに確認する。
「行くんだな、ラビリンスへ?」
せつなは自分の瞳に浮かんだ涙を何事もなかったかのように拭い取り、ウェスターの瞳を見つめ返す。しばしの沈黙の後、胸中にある決意を読み上げるようにせつなは言った。
「ええ。ラビリンスに行くわ。そして、全てを解決してくる。まだ何もわからないけど、全てのこたえはラビリンスにあるはずだから」
「すまんな……今度はついていってやれない。この身体じゃな」自分の身体を一瞥し、あきれた表情のウェスター。
「大丈夫よ。あなたなんかいなくても、何とかするわよ」
「言ってくれるじゃないか。まぁ、頑張って来いよ。俺のありがたさをかみ締めてこい」
本心とは違う、せつなの精一杯の悪態におどけた表情で返すウェスター。
その言葉に反応するかのように、せつなはウェスターのベッドに近づいた。せつなの不意の接近に、吃驚の色を顔に浮べるウェスター。
せつなは、そっとウェスターの身体に覆いかぶさる。
ウェスターの顔に赤みが指し、居心地悪そうにせつなから目をそむけた。
せつなはそんなウェスターの耳元に口を近づける。
「今でも十分噛み締めてる。ううん、今までも噛み締めていた。気づいたのが今なだけ」
黙ったまま硬直するウェスター。ウェスターの身体を確認するかのように、少しだけ体重をあずけ、愛しむかのように腕をまわすせつな。やがて、その状況に耐えられなくなったのか、ウェスターが降伏するかのような声を出した。
「だ、大丈夫だよ。俺がいなくても何とかするんだろう?俺はおまえを、おまえらを……プリキュアを信じているからな。ノーザやクライン、メビウス。悔しい思いも若干あるけど、俺やサウラーもそうだ。そして、イース、おまえ自身。おまえは、その全てに打ち勝ってきた。今度も、おまえは打破していくだろう。俺はそれを確信している」
「ウェスター」
「だから、その力を信じて、行ってこいよ。東せつな。おまえは今度も全て解決して帰ってくるさ。それは、お前が言っていたような慣習から来る俺の思い込みなんかじゃない。お前は俺がイースと呼び続けてもイースに戻らなかった。慣習に従わなかった。それは、不変の普遍的なお前の本質だ。少なくとも俺にとっては、な」
せつなはウェスターから身体を離し、驚いたようにその顔を見つめる。ウェスターはどこか嬉しそうに、そして誇らしげにせつなを見つめていた。
「まったく」ため息を一つつき、せつなが呆れ混じりの笑顔を浮かべた。
「本当に、ムードもへったくれもない人ね」と、肩をすくめた。
「でも、いつもわたしを信じてくれてありがとう。そして、今のわたしを受け入れてくれて、ありがとう」
せつなの瞳には、迷いや悔恨といったものは映らない。むしろ誇らしげで、若干、人を食ったような色が見えたのは、ウェスターがラビリンス時代の彼女を少し思い出した所為か。
照れた笑みを浮かべるウェスターが窓の外をちらと見る。その瞬間、目の色が変わった。
「お、おい」
その声につられてせつなも窓の外を見る。険しい表情を浮かべて窓の外を凝視する二人。
「あれは……なんだ?」
喉を鳴らすウェスターとせつな。
二人の視線の先には、真っ赤に染まった空が広がっていた。
赤く染まった空に異変を感じたラブは、四つ葉町をひた走っていた。
「いったいどういうこと?何が起こってるの?」
せつなの捜索を続けるべきか、いちど家に帰るべきか悩んだ挙句、美希とサウラーのいる家には戻らず、せつなの捜索を再開する選択をとった。
「美希たんとサウラーがいるから大丈夫。ブッキーもきっと戻っているはず」
自分に言い聞かせるように呟くと、せつなの軌跡を探して走るラブ。
異変に気づいた人たちがわらわらと戸外に出ている。パトカーのサイレンが鳴り響き、夜も更けているというのに、町は異様な喧騒に包まれていた。
「せつな。一体どこにいるの?」
途方にくれた後、もしかしてと呟いて、ラブは四葉救急病院の方へと視線をやる。
「ウェスターに会いに行ったのかな」
そう意識した途端、ラブの中にある感覚が戻ってくる。『地球とラビリンスの終末』とシフォンが言ったあの砂の世界で、せつなを強く感じたあの感覚。ラブの中で疑問が確信に変わる。
ラブはあらためて四葉救急病院を見つめる。そこには東せつなの存在があると、ラブの直感が閃く。
「間違いない。せつなはあそこにいる」
その方角へ走り出そうとしたラブの脚が一瞬止まる。
人が最も密集していたその一角、巨大なディスプレイがあるクローバータウンストリートの中央。普段はイベント開催やセールの販促に使われるディスプレイだが、緊急を要したのか、そこにはテレビの臨時ニュースらしき画面が移っていた。
黒いスーツの30代と思しきナレーターが自らの心中にある不安を払拭するかのように、一心に原稿を読み上げている。
「―従って、突如として世界中を襲っているこの怪物の正体は依然不明。死者、行方不明者も不明ですが、現在わかっている情報からは殺戮が目的ではないと思われます」
画面が切り替わり、どこかの町が映し出される。その中央にはラブのよく知っている貌が映し出されていた。
何も映さない無機質な目と涙の模様。先ほどはラブたちを、かつてはせつなを苦しめ、一度は命をも奪った禍の存在。
ナキサケーベ!
思わず声にでそうになった言葉をこらえてラブは画面を見入る。
画面の中に映る町は炎に包まれているように赤い。そして、逃げ惑う人々。だが、人々はやがて生気を失った表情になり、町を跋扈するナキサケーベの後ろに行列を作る。
その異変に気づいた現地のキャスターが叫ぶように異変を口にするも、やがて、そのキャスター自身もやがて口を閉ざした。
そして、画面は砂嵐に閉ざされる。
すぐにスタジオの画面に切り替わる。キャスターは呆然とした表情でモニターの向こうの怪異に思考を奪われている。画面の向こうで小さく聞こえるテレビ局スタッフのざわめき、誰かが誰かを叱咤する声、忙しなく床を蹴る靴の音、画面には見えないが、テレビ局内にも蔓延している恐慌。
そして、それは狭い地域限定の事象ではなく、今現在、世界中で起こっていることであるとの確信をラブに持たせるに十分な説得力を持っていた。
いそがないと。使命感に揺られ、ラブは再び病院の方へ向かって駆け出そうとする。
その脚を一瞬止めたのは、脳裏にいるせつなの姿と被るもう一つの姿。
知念大輔。
ラブは乱れる意思を否定するかのように頭を振る。大輔の事は気になる、ものすごく。昨日の気まずい別れが未消化のままラブの心に引っかかっている。しかし、今最優先事項はせつなの救出。暗示をかけるように腔内で声も出さず何度も呟いて再びせつなの追跡を開始しようとした、そのとき。
ラブの耳を貫く、この世の苦痛を一身に受けたかのような悲痛な叫び声。そして、連なるかのように続く幾人もの悲鳴。
ラブの目の前に映ったのは、先ほど見たばかりの怪物の姿。
「ナキサケーベ!」
逃げ惑う人々。ナキサケーベは逃走する人たちを襲わず、そして追わない。ラブは今しがたディスプレイで観た光景を思い出す。生気を抜かれたようにナキサケーベに連なって歩く人たち。
目的は町の破壊じゃないんだ…。ニュースで起こっていた怪異と照らし合わせて、そう確信し、ラブは腰を落として構え、眼前の怪物をにらみつける。
反射的にショートパンツのポケットに手を突っ込む。
その直後、ラブの瞳が驚愕に見開かれた。ない。いつも入れているものがない。
リンクルンがない。プリキュアに変身できない。
ラブは一瞬、思考を失った。いつもあるべきところにあるべきものがないという事象は、ラブの心理を大きく揺るがす。足が動かなくなる。膝が笑う。恐怖がラブを包む。
ただの、16歳の少女がそこにいた。
ナキサケーベはラブのそんな事情などお構いなしとばかりに近づく。
そして、ナキサケーベの中枢、涙流す瞳の瞳孔部分に一つの命令が届いた。無機質で硬質な感触を持って、流れる指示。
[モクヒョウソノイチヲハッケン。タダチニショウキョシロ]
その指示通り、ナキサケーベの右腕が建設機械のような正確さでラブに向かって振り上げられる。
ラブは思わず小さく悲鳴を洩らした。
だが、振り上げられた腕はラブを襲う事わなかった。ラブは瞑っていたまぶたを開放する。白い何かがラブの足元を転がっていた。
見覚えのあるそれは、野球の硬球。
思わずナキサケーベを見上げる。硬直するナキサケーベの瞳に残る何かが直撃したようなくぼみ。
ラブは何が起こったかわからず、周囲を見回す。直後、後ろから誰かに腕を強く引っ張られていた。硬直するナキサケーベから引き摺られるように離されたラブは自分の腕を引っ張る誰かを振り向いて見上げる。
そこに立っている少年。
知念大輔がそこにいた。
「大輔……」
そして、ラブを見つめていた。息を切らして。
「ラブ」
呼吸を整えるかのように、大きく呼吸をし、大輔はそれを解放した。
「このバカ!」
怒声を強く含んだその叱責にラブは思わず身を固くする。
「お前、何やってんだよ! 死にたいのか。何考えてるんだよ」
今にも頬を打たれそうな叱咤に、ラブの怒りが瞬間的に火をつける。
うるさい! と叫びかけたラブの声が、怒りとともに収束する。いつもの戯れのような口論時にはない深刻な空気が、大輔の全身を包んでいたからだ。顔色は悪かった。
「大輔……」
「畜生。よりにもよって、何で俺は」舌打ちの後、何かを一瞬後悔するかのような表情を浮かべる大輔。だが、その表情はすぐに平静に戻り、ラブの片手を掴んだままぐいと引き上げる。その力の強さにラブは一瞬驚く。
大輔って、こんなに力強かったっけ。
ラブの脳裏に浮かんだそんな疑問など意に介さず、大輔はラブを抱き寄せるように自分の背後にまわし、金属バットを眼前で構えた。いまだ硬直したまま動かないナキサケーベから、大輔は数歩後ずさりして安全な距離を稼ごうとする。
「お前、今、プリキュアに変身できないんだろ?」
眼前のナキサケーベを睨みつけたまま背後のラブに聞く。
「うん……」
ラブは大輔の背中を見たまま返事する。瞳に映ったのは、ラブの記憶にある背中よりずいぶん大きく、危なげない背中だった。
「でも、行かなきゃいけないところがあるんだろ? 違うのか」
「そう」
大輔は、わかった。と返事し、次の句を継ぐ。
「ここは食い止めるから、行けよ」
「大輔、何言ってるの? 意味わかんないよ」
目を見開いて、相手の言動を疑うラブ。目の前にいる危機に金属バットと硬球だけで立ち向かおうとする大輔の行動に少し呆れた。それは勇気ではなく、蛮勇だ。
「敵うわけないでしょ!危ないから離れててよ」
大輔の行動理念を全否定しようとするラブに、大輔は「うるせぇ!」と大声を張り上げた。
「たまには俺を立てろ!」
はぁ?ラブは更に呆れた。眼前の少年の言葉に理解が及ばない。大輔はちらとそんなラブを振り返り、その表情を確認した後、ため息をついて、諦めるように呟く。
「全く。無鉄砲だわ、無神経だわ、俺より強いわ、人の言う事きかねぇわ、容赦なく噛み付いてくるわ、プリキュアだわ……」
怨嗟のたっぷりこもった女々しいともとれる大輔の雑言にラブの小さな怒りの炎が最燃焼するが、諦めるように次の句を継いだ大輔の言葉に、その炎が鎮火した。
「なんで、こんな面倒な奴のことがこんなに好きなんだろ、俺」
ラブは喉元まで出かかった抗議の思わず言葉を呑む。ラブの心情変化をわからずかわかってか、大輔の口から言葉はこぼれ続ける。
「本人の前で言うのもなんだけどさ……たまには、好きな娘の前でカッコいいとこ見せる機会くらいくれよ。おまえがそんなんじゃ、俺、おまえにどうやって接したらいいのかわからないんだよ」
大輔の名を呼びかけて、ラブは突然大輔に突き飛ばされた。その直後、ナキサケーベの振り下ろす左手が、ラブのいたアスファルトを叩きつける。
破片がラブと大輔の顔を叩いた。が、大輔はそれを気にするそぶりもなく、振りかぶったバットをナキサケーベの脛部に打ち付ける。
そのバットは硬いゴムの塊を打ったように弾き返された。反動でバットごと弾き飛ばされた大輔は舌打ちし、ポケットの中から、白い硬球を取り出す。
「やっぱ、弱点狙うしかねぇか」
言うが早いか、振りかぶった状態から、大きく身体をしならせ全力で硬球を投げる。狙うは先ほどと同様ナキサケーベ頭部の瞳部分。
その刹那、ナキサケーベの瞳部分の色が黒から赤に変わった。表面を金属質の何かで覆ったような光沢が走る。そこに直撃した130キロのストレートは大きな音を立てて弾き返され、店舗の方へと吹き飛んでいった。
「畜生、同じ手は通用しないってか」
バットを構えたまま後ずさりし、ナキサケーベとの距離を稼ぐ大輔。そして、ラブの方を振り返りもせず叫んだ。
「早く行けよ、バカ野郎! ここでこんな事やってる俺がバカみたいだろうが」
「無理だよ……行けるはずないよ!」
懇願するかのような声のラブ。
ゆっくりと距離をつめてくるナキサケーベ。ラブは尻込みしたまま動けない。大輔はしきりにバットを振ってナキサケーベの意識を逸らそうとするが、それを意に介さないかのようにまっすぐラブとの距離を詰めてくる。
やがて、業を煮やした大輔が、バットを構えたままナキサケーベに向かって突進する。
「大輔!」
その時、車のタイヤが滑る派手なスキール音が聞こえた。
大輔の眼前で、真横を向いたパステルグリーンの車がナキサケーベに体当たりする。その衝撃でナキサケーベは10メートルほど飛ばされ、電柱に激突する。
何が起こった理解できない表情の大輔とラブの視界に、見慣れた顔がサイドウィンドウから覗いた。
「カオルちゃん!」
「材料の買出し帰りに、ブラッと夜景見に行ってたらさ、空の色変だし。慌てて戻ってきたらさ、何か変な事になってるじゃない? 一体何なの?」
飄々とした声で疑問を口にするカオルちゃんに、一瞬緊張を解かれるラブ。頬が少し緩んだ。
大輔は、一瞬気を抜いた表情を浮かべるも、すぐに全身を鬼気でみなぎらせて、バットを構えたまま、カオルちゃんの顔を見る。
「カオルちゃん! 俺が時間を稼ぎますからラブを連れて行ってやってください。説明している時間はないんです」
カオルちゃん――橘薫は、大輔の必死の形相に吊られるように、ナキサケーベ、大輔、ラブを順番に一瞥し、状況を把握したように頷くと、ナキサケーベとの衝突でへこんだ助手席側のドアを内側から蹴り開ける。
「乗りなよ、お譲ちゃん」
「無理だよ……大輔も乗ってよ!」
ラブの叫びに大輔は背を向けたまま無言で返す。次いで何かを言いかけたラブに「お譲ちゃん」の一言で制す薫。
「男の子がさ、好きな娘の前で必死でカッコつけようとしてるんだから、それを邪魔するのは無粋ってもんだとおじさん思うけどね」
薫のその一言に、大輔の口の端が軽く吊りあがった。
「でも…」言いかけたラブに軽く頭を振る薫。
「お譲ちゃんが彼と一緒にいても足手まといだし、3人とも乗っけたら彼のメンツは立たないし、おじさんがここに残ったら車の運転も出来ないし、そうなったらあの変なのに追いつかれるかもしれないし、総合的にみると彼の判断を優先させるべきだとおじさん思うけどね」
「でも、無理だよ」空いた助手席の前で渋るラブを横から大輔が突き飛ばした。ひっくり返るような格好で助手席シートに腰を打つラブ。
「今だ!行ってください!」
大輔のその言葉を合図に、滑らかにシフトを一速に入れて、1966年式のカスタムカブリオレを発進させる薫。
踏み込んだアクセルに呼応するかのようにタイヤは空転し、路面に黒いマークを残す。ミッドシップの水冷エンジンに換装されたフレームは正体不明だが、明らかにノーマルの66年式とはボディ以外ほぼ別物。
そんなマニア垂涎の宝物のような車の開いた助手席ドアを電柱に軽く当てるように乱暴にハンドルを切り、そのまま商店街から脇の路地に入っていく。
「ちょっと、大輔! カオルちゃん止めて!」
背後で走り去るフォルクスワーゲンカブリオレを排気音で確認すると、大輔の瞳から少し安心したかのように険が消えた。勿論、ラブはその様子には気づかなかったが。
脇の路地をサイドミラーもすれすれに走り去るカスタムカブリオレの助手席から身を乗り出して、リアガラスに張り付くラブ。バットを持った少年の姿はもう視界には入らなかった。
「お譲ちゃん…」
薫の声に、ラブは項垂れてリアガラスに張り付いたまま無言で応対する。
それを気にするそぶりもなく、相変わらず飄々とした声で薫は続けた。
「…男の子ってのはさ、女の娘が止めたくなるような状況でも、止めちゃいけない時ってのがあるんだよね。それが矜持ってんだけどさ、それを潰されると男の子からすれば精神的にすごいショックなんだよね。お譲ちゃんが、デートで精一杯おしゃれしてるのに、相手の男の子が何のそぶりも見せず普段どおりに接してきたら、残念な気分になるじゃない? それと同じ。彼は、今そういう状況なんだからさ、それは、尊重してやってほしいなとおじさんは個人的に思ったんだよね。例えば、自信満々で考えた新作のドーナツを店舗に並べてるのに、誰も注文してくれないとさ、おじさんもすごくショック受けるんだよね。それと同じ。グハッ」
おどける薫を見ることもなく、ラブは助手席のシートに座りなおす。その顔は暗い。薫は黙りこくるラブを一瞥すると、いつもの軽い口調で言った。
「それに、お譲ちゃんには絶対やる事があるんじゃない? 彼はそれを知っていたんだよね。ついでに付け加えるなら、彼なら大丈夫だよ。頃合見て逃げ出すだろうし。日本の高校野球児はあんな鈍足の怪物につかまるほどノロマじゃないっておじさん知ってるから安心していいって」
カオルちゃんに何がわかるの。言いかけてラブは黙った。運転席でスムーズに車を運転する男が、かつて諜報員のようなことをしていた事を、世界をまたに駆けて活動していた事を思い出す。闇夜にサングラスをかけたまま車を運転するどこかズレたドーナツ屋店主がそうだとは、実情を知っているラブにも信じがたかったが。
やがて、細い裏路地を抜け、国道に出る。一気に視界が開けたが、至るところでナキサケーベの姿が見える。一体二体ではない。すでに十体近くのナキサケーベの姿を確認した。
「ちょいとマズいな。飛ばすか」言ったものの、アクセルを踏む足が一旦躊躇する。
「そういや、どこに向かったら良いんだっけ?」
ラブはしばしの沈黙の後、その飄々とした聞き方に苦笑した。
「四葉救急病院」
「わかった。じゃ、シートベルト締めといて。おじさん、横に人乗せるの久しぶりだから、危ないからね」
薫は更にアクセルを踏み込む。甲高い音と共に、カスタムカブリオレは赤い空の下を駆け抜けていった。