東方妖噺録   作:紗耶

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はじめまして、今回が初投稿になりますがよろしくお願いします。
処女作ゆえ至らぬ点もございましょうが、ご満足頂けると幸いです。



マヨヒガと化け猫

 

 これは、とある夏の日に僕が出会った不思議な、幻想的な出来事の記録。

 

 

 無事大学に進学し、ようやっと落ち着けた夏休暇。

 僕は高校の時からの友人に呼ばれて、遥々岩手県に来ていた。

 

「でさぁ、そのサークルの先輩がそこでめっちゃ可愛い子に会ったって自慢して回ってたんよ」

 

「そんなのホラーだろー? 信じるなよ」

 

 それもこれも、その友達……山崎からのメールが発端。

 なんだったっけ? そうそう。

 彼の進学先の大学で入ったサークル、民俗学を研究するという建前のオカルト研究会だったらしいんだけど。

 そのサークルの先輩が、とある有名な心霊スポットで可愛い女の幽霊だかなんだかに出会ったというのだ。

 そこで、どーしてもその可愛いオバケを一目見てみたいと思った彼は件の心霊スポットに行くことにしたらしいのだが、一人で行くのもアレ(一人で行くのが怖いとは絶対に認めなかった)なので態々県外の僕を呼び出した次第。

 

「でもさ、なーんで僕なんだよ? おんなじ学校に進学した知り合いとか、居なかったのか」

 

 実家でゆっくりしようかと考えてた僕にとってはいい迷惑だったりするのだ。

 そりゃお前、と山崎は僕の肩を叩く。

 

「お前が運転免許取って、車持ってるからに決まってんじゃん?」

 

「肩を叩くな、事故ったらどーすんだよ」

 

 只今僕、運転中。

 それもあまり行かない山道での運転だから少し緊張する。

 それにしても……この山にそんな所があるのだろうか?

 天気のいい日ならピクニックにもってこいな感じの場所だ。木々は深緑に色めき、木漏れ日が所々から溢れている。

 

「オバケなんて出なさそうな感じだけど、ホントに心霊スポットなの?」

 

「それがなぁ、心霊スポットというか、古い伝承が結構あるんだわ、ここって」

 

「伝承って?」

 

 山崎はなにやらガサゴソと大荷物を漁り始めると、コンビニに五百円で売ってるようなオカルト本を取り出す。

 

「これこれ、お前知ってるか? 遠野物語」

 

「おーい、視界を塞ぐなおバカ」

 

 ずいずいとあるページを指し示しながら顔に近づけてくる。

 それにしても遠野物語か、名前はなんとなーく聞いたことあるなぁ。

 

「んで、その遠野物語がなんだって?」

 

「これで紹介されてたマヨヒガってのが問題でなーっと、この先に駐車場があるらしいからそこに停めてくれ」

 

「うーぃ」

 

 少し進むと確かにあったはあった、車を停めるスペースが。

 でも決して、そこは駐車場などという大層な場所ではなく。車が一台停められる程度の脇道に出来たスペースだった。

 なんとか停められたけどさ。

 

「んー、疲れた!」

 

 車から降りてぐーっと背伸びをしていると何やら興奮した様子で山崎が駆け寄って来た。

 

「そうそう、ここだここ! 先輩の持ってきた写真に写ってた場所!」

 

「おー、そりゃ良かったよ。それで、どうするんだ?」

 

「どうするって、何が?」

 

「いや、流石にこんな昼間に行ったって何も出てこないだろう」

 

 現在、午後2時。

 太陽はまだまだ落っこちる気配も見せず、辺りも明るい。肝試しにはちょっとばかし早い時間だろう。

 すると、山崎はしたり顔で。

 

「怪異にもなぁ、出る条件っつーのがあんのよ」

 

 いや、お前オカルトに興味持ったの最近じゃん。

 何知ったかぶってんだよコラ。

 でも僕は優しいんだ、口には出さない。

 

「で? その条件は?」

 

「えーとだな、道に迷うこと」

 

「は?」

 

「だからぁ、道に迷うこと」

 

 いや、それの意味がよく分からないんだけども……

 

「マヨヒガ……あー、迷い家って言う幻の屋敷があるらしいんだよ」

 

「マヨヒガって、ああ、さっきの?」

 

「そう、それ。なんでも、山で迷った旅人の前に現れる屋敷らしくてな? この遠野市に昔から伝わってんだとよ」

 

 その先輩もな、心霊スポット巡りの最中に道に迷って偶然見つけたらしいんだ。と、山崎は続ける。

 

「待て待て、なら迷わないと見つけられないじゃんか」

 

「そうだな」

 

「……まさかその為に態々山奥で遭難しようってのか?」

 

「そうだな」

 

「さってと、帰るか」

 

 車のキーを取り出し運転席のドアを開けると。

 

「待った待った! 冗談だって! ワンチャンス、見つかるかもしれないからちょっと見て回ろうぜって話!」

 

「……はぁ、ならさっさと行こうよ、僕お腹ペコペコなんだって」

 

 暫くぶっ通しで運転の結果、軽い物しかつまめなかった僕のお腹がさっきから激しく自己主張をしている。

 

「おぅ、その前に俺は用を足してくる!」

 

 こいつもそんなにちゃんとご飯は食べてなかった筈なんだけどな、なんでこんな元気なんだ?

 スタコラと何処かへフェードアウトして行った山崎を放っておいて、僕は暫くそこら辺をブラブラすることにした。

 

「道に迷う、ねぇ」

 

 森の小道、木漏れ日の中をほっつき歩きながら思い出してたのは先程の会話。

 迷い人の前に現れる幻の屋敷……だっけ?

 これは人生の道に迷ってる迷い人にも当てはまるのかね。

 

「はぁ、なにバカな事考えてんだろな」

 

 大学にも無事進学した、何も迷う事なんて無いじゃないか。

 さて、気が付けばもう時間が経っている。そろそろ戻りますか。

 元来た道を振り返ると。

 

「……おい、おいおい」

 

 元来た方向に道は無かった。

 代わりに見えるのは、大きな、古めかしい門構えの屋敷。

 訳がわからない。

 

「マヨヒガ? いや、そんなアホな」

 

 迷い人の前に現れる屋敷、マヨヒガ。

 もしかして、これがそうなのだろうか。それが何故僕の前に現れたんだろうか。諸々を頭の中で考えた結果。

 入ってみるしか、ないよな?

 

「おじゃま、しますー」

 

 門をくぐった先にあったのは、門に見合う程大きな屋敷。

 脇には、多分庭へと続く道なのだろうか? 石造りの小道が続いている。

 まさか本当にこんな目に遭うとは……こんなことならあいつにもう少し詳しく聞いておくんだった。

 

「あ、山崎忘れてた」

 

 まぁ、あいつなら大丈夫か。

 お菓子とか飲み物とか持って来てたし、腹が減れば勝手に食べるだろう。

 入り口前で暫くグダグダと考えていると、家の中から足音が聞こえてきた。

 え、ここって人が住んでるの?

 少しすると横開きの玄関が開き、人が出てきた。

 

「あ! ほんとだ! 人が来てる!」

 

 そんな元気な声を響かせながらパタパタと姿を見せたのは。

 

「……ね、猫耳?」

 

 猫耳、それも、ぴょこぴょこ動く本格使用なコスプレをした小学生くらいの娘さんだった。

 

 

 

 

 

「遠慮しないで食べてねっ」

 

 猫耳娘と出会って数分後、僕はマヨヒガ(仮)の屋敷に上がってお茶菓子を頂いていた。

 お腹が空いていたからか、めちゃくちゃ美味しいお茶菓子を頬張りながら何と無く室内を見渡してみる。

 なんだろうか、とても懐かしい雰囲気の部屋だ。田舎の婆ちゃん家のような、そんなあったかくて優しい雰囲気。

 

「この前もね、ここに迷い込んで来た人がいたんだよ! こんな短期間で2人も迷い込んで来るなんて珍しいよねー」

 

「は、はぁ……」

 

 もしかしなくとも例の先輩の事だろう。山崎に聞いた時点では一欠片も信じていなかったけど、これはもう信じる他ない。

 あ、お茶も美味しい。

 

「そういえばまだ名前言ってなかったよね? 私は橙だよ。ここ、マヨヒガの管理をしてる猫の妖怪」

 

 橙て珍しい名前だなぁ。

 レイヤーネームとか、そんなのなんだろうか。

 そもそもアレはコスプレ? さっきチラッと見たら尻尾もあったんだけど、動くのが2本も。

 というか、最後に何て言ったのこの娘さん。

 

「ね、猫? 妖怪?」

 

「そう、化け猫。知らない?」

 

 確か猫の妖怪で、尻尾が2つあるんだっけ?

 条件は合ってるけども、見た目完全にコスプレした女の子にしか見えないし。

 でもここまで来ると大抵嘘には思えないんだよなぁ……

 

「妖怪かー、初めて見たよ俺」

 

「うーん、もうそっちの世界にはそんなに居ないんじゃないかなぁ?」

 

「そっち? どういうこと?」

 

「えーとね、えーと……なんだっけ?」

 

 えぇ、引っ張ってそれなんだ。

 まぁ、てへへと笑う橙ちゃんを見てると別にそれでもいっかと思えてくる。

 それにしても何とも現実味がないというか、非日常というか。

 どうしてなのか、そんな状況に心踊っている僕がいた。

 

「んー、それにしても暑いねー」

 

 橙ちゃんが首元を手で扇ぎながら外に目を向ける。

 僕たちが今いるのは恐らく居間のような物で、開けられた襖の先、縁側の向こうにはなんとも雅な庭園が広がっている。

 ジージーと蝉の鳴き声が響く庭園には、種類が数え切れない程の花が色とりどりに咲き誇り、多分散歩するだけで一日過ごせそうだ。

 

「橙ちゃんは、此処で1人で暮らしてるの?」

 

 屋敷の中には人の気配一つしない、この娘が1人で暮らしてるとも考えられないけど……まぁ、妖怪に人間の常識が通用する訳でもないのか。

 

「うん、私1人だよ。時々藍様……えーと、私の保護者? の人が見に来てくれるけど!」

 

 保護者が居たのか。

 藍様と言う人らしいけど、いやぁ、妖怪なんだろうなその人も。

 何と無く見てみたい。

 橙ちゃんはニコッとひまわりのような笑みを浮かべて続ける。

 

「でも寂しくはないかなぁ、あの子達もいるし」

 

 視線の先、庭先に居るのは数匹の猫達。ニャンニャンとくんずほぐれつで遊んでいる光景は見ていてとても和んでしまう。

 

「親をなくしちゃったりね、一匹だけはぐれちゃった子を此処で育ててるんだよ。あ、お兄さんが迷い込んで来たのを教えてくれたのもこの子達」

 

「へぇ、橙ちゃんはしっかりしてるんだ」

 

 小学生のような見た目だけど、猫達を見るその目は母親の様な目だった。妖怪なんだ、多分僕よりは長生きしているんだろうけれど。

 と、暫く和やかな空気の中他愛もない話をしていると。

 

「それでね、藍様が……あぅ」

 

 話を遮る様に部屋に響いたぐぅ〜っという音。

 お腹の虫が抗議の声を上げたらしい。因みに僕のお腹の虫はお茶菓子のお陰で少しだけ機嫌を取り戻してくれている。

 

「うぅ……ごめんね、お昼まだだったから」

 

 しょんぼり、というか恥ずかしそうに僕を見てくる橙ちゃんはなんとも言えない愛おしさを感じる。

 なるほど、例の先輩があそこまで自慢する訳が少しだけ分かった気がするよ。

 

「あ、いやいや、気にしないでお昼食べていいよ! 僕此処で待ってるからさ!」

 

「でもそれじゃお兄さんに悪いし……あ、ならお兄さんも一緒に食べない?」

 

 なんとも有難い提案だけどいいのだろうか? 勝手にお邪魔してご飯までご馳走になるなんて。

 でもそんな話を聞いた途端僕のお腹の虫がまたも抗議運動を始めたようで、要するにとてもお腹が空いてきたわけで。

 

「な、ならご相伴に預かろうかなー?」

 

「えへへ、なら腕によりをかけて作るから、ちょっと待っててね!」

 

 そう言って立ち去ろうとする橙ちゃん。あ、今から作るんだ?

 

「なら僕も手伝うよ、食べさせてもらうだけじゃアレだしさ。これでもそれなりに料理は出来る方だから」

 

「あ、ならお願いしてもいい? 台所はこっちだから、着いてきて」

 

 大学に入ってからは生活費削減の為になるべくご飯は自分で作るようにしていたので、それなりに料理は出来ると自負している。自負してるだけだけど。

 橙ちゃんの後ろを着いて行くついでに何と無く屋敷内を見回してみる。

 なんともまた、広い家だ。

 部屋の数は沢山、その一つ一つが和室で、丁寧に掃除されている。

 誰か来ていたんだろうか? 何部屋かは少し前に使った様な後がある。

 

「此処が台所だよー、今食材を出して来るね!」

 

 辿り着いたのは屋内より1段下がった土間。なるほど、なんか時代劇なんかで見たことある台所だ。

 橙ちゃんは置いてあった草履を履くと勝手口から外へと出て行ってしまった。

 僕も置いてあった大きめの草履を履いて台所をチョロチョロと眺めて回る。

 

「竈……まぁ、ここに電気やガスが通じてるわけ無いか」

 

 二つ三つ鍋だのなんだのが置いてある大きめの竈。

 木製の大きめの長テーブルは調理に使うんだろうか。

 壁には包丁だのなんだの、調理道具が幾つか掛けられていた。

 少しすると橙ちゃんが大量の食材を抱えて戻ってきた。ご馳走の予感である。

 

「じゃあお米炊いたりは私がやるから、お兄さんは野菜とか切っておいて欲しいな」

 

 流石に、いきなり竈でご飯を炊いてと言われるのは勘弁願いたかったので安心。

 任されましたと、渡された包丁で食材を切っていく僕。

 橙ちゃんは手際良く火を熾すと何だかガチャガチャとやり始める。僕には何をしているのかよく分からないけどアレでお米を炊くんだろうなと予想。

 その後の料理もお互いで分担し合いながら、なんとも楽しいお料理教室の如く終了した。

 

「お兄さん本当に料理出来るんだね、凄い助かっちゃった」

 

「橙ちゃんも手際良くて驚き、いつも自分で作ってるんだね」

 

 支度が終わればさっきの居間にできたて料理を運び、いただきます。

 ほんわか会話を交わしながらご飯を食べる。

 メニューは山菜のおひたしとか、焼き魚とか、お味噌汁とか色々。

 これまた田舎に帰った様な味でとてもとても美味しい。

 因みに、庭先で遊んでた猫達にも、よくほぐして骨を抜いた焼き魚が与えられている。

 

「それにしても、本当にマヨヒガが現れた時は驚いたよ」

 

「外の世界では、幻想は幻想なんだもんね、驚くのは仕方ないよ」

 

 クスクスと笑いながら焼き魚を頬張る橙ちゃん。

 

「幻想?」

 

「うん、幻想。昔は外にもこういう場所や、色んな幻想があったんだよ」

 

「昔は? なら、今は?」

 

「今は、皆幻想を信じようとしないから。お兄さんも最初は信じてなかったでしょ?」

 

 確かに、僕は此処に来るまでマヨヒガの存在なんて全然知らなかったし、知っても信じようとはしなかったな。

 こうして考えると、今まで見てきた世界も少しだけ変わって見える。

 この世には僕たちが知らない……忘れてしまった物が幾つもあるのかもしれない、いや、あるんだろう。

 

「外で忘れ去られた幻想達は、皆とある世界に行っちゃったよ。外にずっといると消えちゃうから」

 

 それが幻想郷と呼ばれる世界なんだと橙ちゃんは言う。

 この日本の、近くもあり遠くもある何処かにあるその隠れ里は、外の世界で御伽噺になった妖怪や、神様、妖精なんかが暮らしているらしい。

  この世の神秘を一つ知った気分だ。いや、その通りなんだけど。

 幻想郷について興味を持った僕は、幾つか話を聞かせてもらう。

 

「一応、人間も少しは住んでいるんだよ」

 

「ちゃんと共存は出来てるんだ」

 

「人里って言ってね、専用の村があるんだけど……そこから出ちゃうと、ちょっと危ないかも」

 

 妖怪と一言にいっても千差万別で、人に有効的な物、危険なもの、そもそも言葉が通じない様な妖怪まで色々らしい。

 そんな妖怪やら何やらを纏めた書物なんかもあるんだとか。

 

「でも、人にも例外がいてね。幻想郷で1番強い奴は人間だよ」

 

「妖怪よりも?」

 

「うん」

 

「妖精よりも?」

 

「うん、もちろん」

 

「神様よりも?」

 

「ボコボコにしてたね」

 

「橙ちゃん、それ人間じゃないと思うよ?」

 

 あはは、と苦笑いな橙ちゃん。

 彼女もその人間(仮)にボコボコにされたことがあるんだとか。

 一体何があったんだろう。

 食後はお皿なんかを分担して片付けると、縁側でお茶を飲みながらのんびりすることになった。

 さて、いつの間にか日も暮れて来ていた様で、カナカナというひぐらしの鳴き声が何処か物悲しく響き渡っている。

 

「それにしても、なんで僕はここに来れたんだろう」

 

 不意に呟いた僕を、橙ちゃんは横目で見るとクスッと笑った。

 

「道に迷ったからだよ」

 

「一本道を歩いてたのに?」

 

「迷う道はそれだけじゃないでしょ?」

 

 お茶を一口、僕の方に体を向けると話を続ける。

 

「これからどこに行くんだろうとか、これからどうなるんだろうとか、そんな迷いを持ってる人でもマヨヒガは見つかるの」

 

「僕が、迷いを?」

 

 橙ちゃんはニコッと笑うだけ。

 ……いや、分かってるさ。

 僕はこれからの将来に不安を持ってる。大学に進学したのも、何と無く就職するのに抵抗があったから。これから何をすればいいのか分からなかったからだ。

 僕は今、人生に迷ってる。

 

「現実、幻想……なんか疲れちゃったな。あはは、もう、ずっとここに暮らすのもいいかも」

 

 なんて、零してしまった。

 最初、ここに来た時に感じた心躍る感じ。アレは、僕が非現実を、現実から離れる機会を感じたからなんだろうと今は思える。

 

「それは、ダメだよ」

 

「そうだよね、なんかゴメンね」

 

 はぁ……今日会ったばかりの、それも女の子にこんなことを零すなんて、僕はなんて奴なんだろう。

 でも、橙ちゃんは慈しむ様な、優しい微笑みを浮かべているだけ。

 

「迷ってもいいと思うよ」

 

「……そうかなぁ」

 

「うん、そう。だって迷うって、自分を見直せるでしょ?」

 

「見直す?」

 

 うん、と橙ちゃんは頷く。

 

「今までどんな道を通って来たのか、自分が今どこに居るのか、これからどこに行くのか。色々考えるよね」

 

「うん……そうだね」

 

「そうやって迷って迷って色々考えてもね、いつか辿り着くから」

 

「そんなものかなぁ」

 

「そんなものだよ。たまには立ち止まったっていいし、引き返したっていいの」

 

「それでも、いつか辿り着ける?」

 

「きっとね」

 

 夕日に照らされた橙ちゃんの横顔はとても綺麗だった。

 少しだけ僕は赤くなったけど、夕焼けはそれを誤魔化してくれる。

 

「このマヨヒガはね、迷って迷って、疲れちゃった人の休息所なの」

 

 立ち上がり、夕日に向かって歩み始めた橙ちゃんは、数歩進むとこちらを振り返った。

 

「お兄さんは、もうゆっくりしたでしょ?」

 

「そうだね……とても、ゆっくり出来た」

 

 この数時間の間、僕は本当に楽しかった。現実を忘れて、この娘に色々話を聞いてもらって、話を聞かせてもらって。

 夢のような、まさに幻想的な時間だった。

 

「なら、帰らないと」

 

「うん」

 

「また、疲れちゃったらおいでよ」

 

「いいの?」

 

「マヨヒガはいつでも歓迎するよ」

 

「……ありがとう。それまでは、僕、頑張るから」

 

「ん、じゃあ、そろそろ時間だから……」

 

 燃える様に赤かった夕焼けも、今まさに沈みかけている。

 黄昏時、逢魔が時。そろそろ夜が訪れる。

 

「本当にありがとう橙ちゃん。この幻想を、僕は忘れない」

 

 橙ちゃんは少しだけ目を見開くと、ありがとうと、薄く笑った。

 そして、日が完全に暮れる寸前。

 世界が刹那の輝きに包まれた。

 

「ん……帰ってきたのかな」

 

 気が付けば、僕は朝ブラついていた小道に突っ立っていた。

 辺りを見渡しても、屋敷どころか猫の一匹見当たらない。

 というより、まだ昼間だ。辺りが明るい。

 

「夢、白昼夢だったのかな」

 

 でも先程起こった事を僕は覚えている。

 あの屋敷のこと、彼女と過ごした数時間を。

 ふと、右手に何かが握られていることに気付いた。

 

「あれ? これ、僕がさっき使わせてもらった箸だ」

 

 よく分からないけど、彼女からの贈り物なんだろう。

 僕がその箸を眺めながらボーッと立っていると。

 遠くから僕を呼ぶ声が聞こえてきた。山崎だ。

 

「さて、じゃあ帰ろうか。僕の日常に」

 

 なんとも爽快な、それでいて少し寂しい気持ちを感じながら歩き始める僕の背中を押す様に、不意に風が吹いた。

 これもあの娘のお陰かな?

 きっと気のせいだ、この風も、一瞬聞こえた猫の鳴き声も。

 何処行ってたんだよと、割と本気で心配して来る山崎を手刀で黙らせながら、僕は少し考えてたことを話す。

 

「僕さ、民俗学を勉強しようと思うんだ」

 

「いてて、なんだよ突然?」

 

「この世界には、僕達が忘れちゃった大切な事が色々ある気がしたからさ」

 

「……お前、なんか悪い物でも食ったか?」

 

 なんて失礼な奴なんだろうか。

 まぁ、それでもいいさ。

 何と無く、やりたいことが見えて来たんだ。頑張ってみよう。

 迷って迷って、それでもいつか辿り着けるであろう未来に向けて。

 

 

 これは、とある夏の日に僕が出会った不思議な、幻想的な出来事の記録。

 

 




いかがでしたでしょうか?
一時でも、現実を忘れ幻想の世界を感じて頂けたのなら私としましてもうれしい限りです。
この作品については、非現実への心のどこかでの渇望を意識しました。
ご意見ご感想等あれば是非。
では、またお会いできる日をお待ちしています。
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