色々あって人生嫌になった英雄は、世界の果てに辿り着く 〜ほがらかエルフと桃源郷〜 作:クーボー
『世界の果て。
東方では桃源郷とも呼ばれる、人類の未到達地点である。
東奥よりも遥かに遠く、されど西には行き着かない。
深海よりも遥かに深く、けれど底には行き着かない。
天上よりも遥かに高く、しかし極には行き着かない。
其処は気楽な場所ではない。
いにしえの理想郷のような、非実在の世界ではない。
確認された実在だ。
証明された実在だ。
誰もが仕事を持ち、働かなければ当たり前に飢えていく。
されど其処は平穏だ。
俗世に塗れた世界の中で、とびきり綺麗な平穏だ。
ゆえにこそ、求めるのならば覚悟せよ。
それは、今持つものすべてを捨て去り。
そうしてはじめて、現れるものなのだから。』
——エイン・ジーク・カイト著『世界の果ての桃源郷』より抜粋
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始まりはいつのことだろうか。
友人に裏切られ、徒党を組んで殺されかけたことからだろうか。
上司に疎まれ、身の丈に合わない依頼で抹殺されかけたことだろうか。
——恋人がいたのもいつの話か。
そんなことも忘れている。
眼前で火を焚いている。
ぱちり、ぱちりと鳴っている。
火花が跳ねて、頬をかすった。
神秘の火。
火の民が祀る、御神体なる永遠の炎。
星から漏れる純粋な生命力が燃えることで発生する、決して自然に消えない炎。
それを少し分けてもらった、非常に貴重なものである。
薪を焚べる。
この薪もまた、尋常のものではない。
森人の祀る、天を衝く大樹の枝だ。
厄介ごとの解決の代わりに譲ってもらった。端材だが、宿す神秘は劣らない。
霧雨水を振りかける。
水の人の棲まう、
これもまた、厄介ごとを解決したお礼に汲むことを許された、世界最高の素材なのだ。
それを、無為に炎に振りかける。
永遠火が、大樹を糧に燃え上がり、水を炙って蒸気に還す。
蒸気が焚き火の周りに集い、熱と重なってぼやけて写る。
——今まで、数多の文献を当たった。
どうすれば道を拓けるか。
通常の位相からでの干渉は、ひどく難しいと知った。
そこは明確に実在するが、現実に存在してはいないからだ。
概念的なアプローチが必須だった。その方法を組み立てるのに何年もかかった。
そして、その方法を実証するために必要な素材を集めるのに、また数年もかかった。
長い道のりであったと、以前よりも幾分か老けた顔に触れる。
老けたといっても二十代。十代の頃、世界の果てに行くと決意したその日から、力は増せど衰えはしなかった。
そのことに後悔がないでもない。集める過程で、たくさんの佳い人々と出会った。
今から俺が行うのは、それらすべてを捨てると同義。
築いた縁と紡いだ友情。
一期一会に過ぎるだろうと、思わず苦い笑みが溢れた。
——だが、俺はもう決めたのだ。
人との絆を信じるには、些かすべてが遅かった。
蒸気混じりの陽炎が、わずかに揺らめき輝き始める。
やがて生まれた輝く貌は、俺の姿を認めると、何の感慨も写さぬままに口を開いた。
『汝、何を求める。理想の壊れた桃園に、汝は何を求めている』
決まっている。
決まっていた。
どうしようもなく、終わっていた。
「絶対不変の平穏を」
口が動いて、勝手に言葉を紡いでいた。
それは憎悪の言葉だった。
「終わることなく、潰えることのない、永遠不滅の平穏を」
平穏を願う愛憎が、心の内から盛れ出る。
「——誰も裏切ることのない、優しい世界の面影を」
そんなものがないと、俺は知っているはずなのに。
どうして今、俺はそんなのを願っているのか。
終わってしまった後でさえ、俺は馬鹿なままだった。
『……』
この貌は何を思うのだろう。
何を思えるのだろう。思えてしまうのだろう。
……多分、ヒトの罪というのは、考えることなのだろう。
こんなことを考える時点で、罰当たりというものだ。
『あい、わかった』
『汝に、世界の果てへの移住を許可する』
『恐れるならばそこから去れ。
迷うのならば、今一度深く考えてみることだ。
その上で覚悟を決めたのなら、飛び込むがいい』
恐れる必要。迷う意義。
俺はどちらも持っていない。かつて捨てたものなのだ。
一歩、前に踏み出す。
輝く貌は、嘆息してこちらを見る。
何かおかしかったのだろうか——そうは思っても、すでに止められるものでもなかった。
「……ッ」
一瞬、この世界で過ごした日々が思い出される。
良いことは少なく、悪いことだけが非常に多い。
ゆえに少しの良いことが、綺羅星のように俺の脳裏を照らすのだ。
それでも。
躊躇う枷にはならなくて。
俺は、炎に飛び込んだ。