色々あって人生嫌になった英雄は、世界の果てに辿り着く 〜ほがらかエルフと桃源郷〜   作:クーボー

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世界の果て

『ルーケリアス・フォーアライリヒ・アンヴァルトの生涯は謎に満ちている。

 ピニオラ教を信仰する開拓村の平民に生まれ、生まれついてフォーアライリヒの洗礼名を与えられた幸せの子であった。

 そして成長するにつれ、彼は類稀な美貌と絶対的な才覚を示した。

 弱冠五歳にして村を襲ったオークを殺し、弓と剣を駆使してゴブリンの群れを殲滅した。

 その様は、村に属する猟師ですら見劣りするほどのものであったという。

 華々しい戦果を挙げ、親の勧めもあって、かねてから打診されていたアンヴァルト士爵家の養子となった。

 そこで騎士見習いとして鍛錬を積み、十の齢を迎える頃には正騎士複数人を真っ向から叩き潰す武力を得た。

 しかし、ルーケリアスの性格は至って温厚で、領民からも慕われる優しい子供であった。

 そんな彼に転機が訪れたのは、齢十五の頃であった。』

 

 ——ベスティン・ロズワール著『かつて英雄であった者たち』より抜粋

 

 

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 今の俺を見れば、おそらくピニオラ神は天罰を下されるだろう。

 ヒトの世界を切り拓く、それを至題とする彼の神から見れば、今の俺はまさしく背信のともがらであるからだ。

 

 行く方法の難解さに比べ、世界の果てに至る瞬間は、ひどくあっさりとしたものだった。

 火に飛び込んで感じたのは、土の香りが鼻を突き抜ける感覚。

 矛盾したそれに反応する間もなく、次いで感じたのはわずかな冷気。

 

 竜皮の外套ですら防げぬ冷気。その存在に驚き、そしてすぐに冷気が引いたのを感じて首を傾げたが、鼻に垂れてきた水滴にまたも驚く羽目になった。

 

 ここがどこか。昔生家から近い場所にあり、よく遊んだのですぐにわかった。

 今はないが先ほど感じた、皮膚の下まで突き刺すような冷気。

 鼻に垂れ、今も外套に落ちる朝露。

 拒みつつも受け入れる、逆説的な大気の匂い。

 まぎれもなく、美しい森だ。

 

「……ここが、桃源郷」

 

 あるいは、世界の果て。

 そう思い、納得する。これほどの森であれば、確かに果てと呼ばれるのも頷ける。

 ピニオラ神は森を嫌う。未開拓の世界を嫌う。だから開拓村の人間は、ピニオラ神を信仰する。

 

 かつてはそのともがらであった俺から見ても、これほどまでに清浄な森は見たことがなかった。

 不必要なヒトの手がない、生命のくに。

 世界の果て——未開拓の極地である。

 

「……ピニオラ神の勲章などは、捨ててきてよかったな」

 

 このような世界では、あれはまさしく夷狄の証だ。

 今の俺に、この森をどうにかするつもりはない。

 

 息を吐く。

 このあまりに美しい森に、己という異物がいることを許してほしい。

 手を合わせ、ピニオラ神に願うものとは違う動作で祈りを捧げる。

 

 そのようにして過ごしていると、背後から呆れたような声が聴こえた。

 

『久々の招き人だと言うから見てみれば、なるほど確かに、これはまさしく阿呆よな』

 

「……この森の民ですか」

 

『民——民というほど、人らしくなった覚えはないがな』

 

 振り向けば、そこには大きな蜥蜴がいた。

 一瞬身構えるが、魔獣特有の気配がないのに気付き、剣に添えた手を離す。

 

『われらは棲まわせてもらっている。ただそれだけの者に過ぎぬよ』

 

「ご冗談を。その清浄、その気配。貴き精霊であると見受けられるが、如何か」

 

『ほう? 見たことがあるのか、精霊を』

 

「これでも、才には恵まれておりましたゆえ。ピニオラ神のともがらであった頃は、公言すれば異端でしたが」

 

 自然の権現、具象化とも呼べる精霊は、開拓の神であるピニオラ神からすれば敵でしかない。

 幼少期、森で迷った時に助けてもらった身からすれば、どうしても敵とは思えなかったが。

 

『くく。表の世界で精霊を見るか。それほどまでに、お主はヒトと違うのだな』

 

「さすがは……精霊殿。一目で看破なされるか」

 

『ヒトに産まれながら、随分と星に近く見える。

 くく。よい、無理に畏る必要はない。竜皮をかぶる者よ、すでに冷気は感じておらぬのだろう? それは汝が、森に認められたあかしよ。すなわち、われらは同胞だ。へりくだる差は、もうないのだ』

 

 その言葉に、涙が溢れる。

 あの神の騎士として自然を壊し、ヒトの世界にしてきた俺を、森は許すと仰られたのか。

 嗚呼。ああ、なんて佳い世界なのだろう。

 

 精霊は、そんな俺が泣き止むまで、静かに見ていてくれた。

 ……精霊が言うのだから、俺が認められたというのは、間違いではないのだろう。

 であれば俺は、敬意を持ちつつ対等に接するほかない。

 

「……失礼。森よ、その慈悲に感謝を。そして精霊殿、ありがとうございます」

 

『佳い。森は喜んでいる。汝という新たな命を祝福しているのだ。われらもまた同じである。

 たとえ汝が、今までどれほどの自然を壊そうとも、汝もまたこの星の命であるのに変わりはない。ゆめ、忘れるな』

 

「はい。改めて森に、星に感謝を。……つきましては精霊殿」

 

 腰に携えた剣と、背に構えた弓を指の腹で叩く。

 特に剣は、念入りに叩いた。

 

「この剣は、星の息吹の永遠火を、森の木々で焚き付け、鉱土族の大鉱石を鍛えて造られたものです。

 この弓は、森人(もりびと)より賜った、かれらの祀る大樹の枝で造られたものです。どちらもわが宝にございます」

 

『ほう。確かにこれは至宝よな。われから見ても、凄まじい力が宿っておるのを感じるの。

 して、汝はこれをどうしたい?』

 

「森に、捧げたいと思います。木々を切り、住まう場所を造る対価として……何か、笑うことでもありましたか?」

 

 急に精霊が笑い出す。おかしなことを言ったつもりはないので、内心首を傾げていると、精霊は荒れた息のままこう言った。

 

『はは! 宝だと前置きして、それを手放すか! お主、阿呆というより天然(ばか)じゃな?』

 

「馬鹿ではありません。これでも頭は良い方であると自負しております」

 

『そういう話では、ハハ、ないのだ! 森はそこまで狭量ではない! 好きに切れ、好きに造れ! 限度はあるが理解もある、それほどの宝を捧げるほどのことではない!』

 

「そう、なのですか?」

 

 自らの不理解を恥じる。

 俺は不勉強により、森を侮り貶めた。精霊殿は笑っているが、自分でそれを許してしまえば、きっと堕落の一歩だろう。

 こうして笑われて済まされるうちに、森のことを学ばなければ。

 

 そう新たに決意すると同時、精霊も落ち着き、蜥蜴の目がこちらを向く。

 

『その至宝、大事にせよ。汝に捧げられた感謝が、目一杯に詰まっておる。汝が持っていた方が、力を発揮できるだろうよ。あるいは、そうさな……家宝にしてやれ。汝に子ができたとき、感謝と共に授けてやるのだ』

 

「は……いや、待ってください」

 

 今精霊はなんと言った? 

 子ができたとき? 命が続く、ヒトの命が続くのか? 

 それはまるで、まるで——

 

「いるのですか、森に。この森に、ヒトがいるのですか!?」

 

『大声を出すな。うむ、いるとも。数は少ないが、此処にもいるのだ。

 とは言っても、ヒトではあるが人ではない。人である汝からしてみれば、些か異形に映るやもしれん。

 築いたものも違うだろう。世界が異なるのだから、それは仕方のないことよ。

 だが拒絶はするな、森は拒絶を許さない』

 

「そう、ですか。そうですね。……確かにそうです。すみません、取り乱しました」

 

 人ではなくともヒトはいる。

 それは俺にとって、吉兆にも凶兆にも見える事実である。

 

 俺が、此処に逃げてきたのは。

 ——まさしく、ヒトの手から逃れるためであるのだから。

 

 

 ——木漏れ日が揺れる。

 朝露が落ちて、苔の生えた石の上でぴちゃんと跳ねた。

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