色々あって人生嫌になった英雄は、世界の果てに辿り着く 〜ほがらかエルフと桃源郷〜   作:クーボー

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果ての湖

『世界の果てには森が広がる。

 あまたの命、溢るる光。

 巨いなる湖、静寂の雨。

 その環境は世界に等しい。

 誰もが夢見て、何処にもない。

 そんな世界が広がっていると、そう伝えられている。』

 

 ——エイン・ジーク・カイト著『世界の果ての桃源郷』より抜粋

 

 

 /

 

 

 大きな蜥蜴は、迷うことなく森の中を進んでいく。

 途中、木漏れ日に目をひそめるのが可愛らしい。

 その行脚に添う道すがら、精霊はこの森のことを説いていた。

 

『この世界は常世に等しい』

 

「太陽があるのに、ですか?」

 

『太陽と時間が同じであるほど、此処は素直な場所ではない』

 

 ぴしゃりとそう告げて、休む間もなく歩き続ける。

 俺とてそれなりの騎士であった身、この程度は造作もなかった。

 

『確かに此処は陽が落ちる。夜が来る。雲が湧く。雨も降る。

 だが時間は流れん。常に変わらぬ。もし今お前が表に戻れば、此処に来た時とまったく同じ時間に出る』

 

「凄まじいことだ」

 

『時間とは本来世界の変化。それが捻れている。

 世界の変化が時間の流れと等しくない。木々は育つが、何も変わらん。表と同じ感覚でいれば、すぐに燃え尽き果てるだろうさ』

 

 曰く、この世界では気持ち長めが肝心要であるという。

 何をするか、何をしないか、今何をするか決めて、それがずれても気にしない。そんな緩やか、言ってしまえばルーズなことが、此処での暮らしを支えるのだと、精霊は言った。

 

『ゆえに、この世界ではお前も停まる。だがいつか死ぬ。お前が飽きたその時に、緩やかに死ぬ。

 そうなりたくないのなら、気持ち長めに燃えていろ。子供の世話でもしていれば、死ぬことはないだろうさ』

 

「……なるほど」

 

『願わねば起こらぬ。この世界に限度はない。曖昧とも言えるがな。

 もしお前の子が成長し、大人になり、独りに慣れれば姿を消す。それは世界の何処かに行っているのだ。だが会えなくなるわけではない。会いたい、そう自然と思うときが来る。そのとき、いつの間にか側にいる。

 時間も、距離も、空間も、この世界では意味を持たぬのだ』

 

 それが世界の果てと呼ばれる所以なのだろう。

 精霊の無感情的な説明を聴いて漠然と思う。今ままでの文献では、一言も書いていなかったことだ。

 偶然迷い込んだ者は、きっと精霊に説明されなかったのだ。

 

 来るのは拒まず、去るのも拒まず。

 まさしく森の在り方だ。——俺もそのようになりたかった。

 

 足元で、枝が折れる音がした。

 

 

 /

 

 

 森を抜けた先には、湖が広がっていた。

 太陽光を反射して、華麗に彩られた湖に、動物たちが集まっている。

 見れば水を飲んでいたり、二匹重なっていたりして、此処が動物たちの憩いの場所なのだと自然と理解できた。

 

「……おぉ」

 

 一拍遅れて、感嘆の息が漏れた。

 湖が澄んでいる。

 反射した光が眩しい。

 穢れを嫌うピニオラ神は、例外的に湖は認めていた。

 遠征先で、鍛錬の後、仲間とともに湖で汗を流すことも多かった。

 

 ——“気付かなかったのかよ”

 

 ……良い思い出だが、連鎖して思い出すものもある。

 陰鬱なため息が漏れて、ぎょろりと精霊に睨まれた。

 

『不満か?』

 

「いいえ、いいえ。苦い思い出が浮かび上がっただけですよ。

 此処は素晴らしい、これでも様々な地を巡りましたがこれほどのものは初めてだ」

 

 ほんとうに、此処に来てから初めてのものばかりである。

 蜥蜴が、蜥蜴の姿のままでため息を吐いた。器用な真似をするものだ。

 

『この湖は清浄だ。森の中に点在するものの起源と言える。ゆえに、あらゆる命が平等に使わねばならない』

 

「当然のこと、承知しています」

 

『ならば良い。であれば、此処でわれの案内は終わりだ』

 

 蜥蜴と目が合う。つぶらな瞳に、確かな知性(こころ)を湛えている。

 精霊は、自意識を持った自然だ。

 そして自意識を持てば、遠からず妖精に墜ちる。

 世界は想念(オモイ)に満ちている。自我があればそれに引きずられ、清浄な精霊は悪戯な妖精へと変わってしまう。

 

 だから表の世界では、精霊は基本無垢なのだ。

 知恵なく、知識なく、しかし心ある子供の如く。

 それが、此処までの知性を持つ。

 

 まぎれもない、大精霊の一柱だった。

 

「案内、ありがとうございました。大精霊よ」

 

『この森に穢れはないからな。われ程度の精霊、腐るほどいるわ』

 

 そう言って軽く笑ってから、精霊は何処か遠くを見た。

 

『ピニオラだかなんだかは未開を悪とし汚れとするが、われからすればヒトの支配する世界など地獄に等しい。

 星は無限ではない。欲望のままに貪れば、当然の如く尽きてしまう。古代の民はそれをわかっていたから、自然を未知として敬った。

 だがそれが中世に変わるうち、ヒトは自然にカタチを与えた。神だ。明確な上位として、無限の如くに定義した。そうなれば後はわかるだろう、ヒトは上位に成り変わらずにはいられない生き物だ。神の世界は打倒され、ヒトの偶像へと変わり、自然もまた貶められた』

 

「……耳が痛い」

 

『汝に言っているのではない。汝はピニオラのともがらでありながら、自然を自然として敬った。自然を資源として見るのであれば、森も汝を招きはしない。再三言うが自覚しろ、汝はすでに森のヒト。ピニオラのことは他人事として切っておけ』

 

「……精霊殿が、そう仰られるのであれば」

 

 だが、できるだろうか。俺に。

 罪も思い出もすべてを捨てて、森のヒトとして生きる。素晴らしいことだが、やはり森は残酷だ。

 俺に、できるのだろうか。

 

『ハン、この馬鹿真面目め。物事の寛容さが重要だと言ったろう。だがその真面目さは好まれる。汝ならば良い番が見つかるだろう』

 

「そこで変に動物らしくならないでいただけますかね」

 

『ヒトとて動物、何がおかしい。番も妻も夫も嫁も、すべて同じ意味なのだ』

 

 会話が途切れる。

 これが終わりなのだと悟った。

 

「精霊殿、あなたに感謝を。また、いつの日か」

 

『会いたいと思えば会える。会わなければ会えぬだけ。それだけのことよ……あぁ、そういえばひとつ伝え忘れていた』

 

 精霊は湖に脚を漬ける。こちらを見ず、湖の先にある何かを見ながら付け足した。

 

『ヒトの住処は、“森の何処か”だ。会いたいと思うのならば願え。そうでないならそれで良い。森とともに生きてゆけ。

 これで終わりだが……くく。またいつの日か、な』

 

 精霊は、忙しなく脚を動かし、湖の中に潜る。

 水面に映る黒影が、沈み泳いで消えるまで、俺はそれから目を離すことはなかった。

 

 

 ——精霊が消え、俺は一人になった。

 思えば随分、長い道のりだった。

 仲間に囲まれていたとき、それらを捨てて旅に出たとき。

 話す程度の仲間はできたが、それらを含めても、圧倒的に孤独の時間が多かった。

 

 それだけの時間があっても、俺は孤独に慣れなかった。

 独りは随分寂しかった。それでも俺は旅に出て、ヒトに飢えては孤独を厭った。

 

 それなのに何故今、俺は寂しくないのだろう。

 不思議な充足感だ。満ち足りている。欲することは……少しはあるが、以前に比べてあまりない。

 

 ——“森とともに生きゆけ”

 

「……あぁ、そうか」

 

 唐突に気付く。これは、自然が側にいるからだ。

 側にいてくれるから、寂しくない。当然のことで、俺が今までわからなかったこと。

 この世界は調和を示す。

 

 俺が人で、かつてピニオラ神のともがらだろうと。

 自然は、側にいてくれる。平等に自然は恵みをもたらし、命の流れに組み込んでくれる。

 

 それが、とても嬉しかった。

 もう独りではないのだ。

 もう、孤独ではないのだ! 

 

 俺は空を見上げる。

 竜皮の外套から覗く太陽は、あまねくすべてを照らしていた。

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