生、老、病、死の四つで四苦。そして愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦。この八つをまとめて八苦という。
この八苦こそ――ワルモンダーが生まれる原因だ。
はぴはぴ星のハッピープロデューサーとして生を受けた俺は、様々な世界にわたり現地のワルモンダーを抹消するのが仕事だ。だが抹消すると言っても俺自身が戦うのではない。現地人をハッピープロデュースし、ハッピーアイドルになってもらうのだ。正気とは思えないふざけた話だろう? でもこれ、本当なのよねぇ。
ほとんどの世界でワルモンダーが生まれるのは月に一回から二回くらいで、数日くらい放置しても問題ないため土日に抹消してもらえばオッケーだ。ほとんどの世界では。
だけど俺が赴任したこの世界ってさ……。
「ふええ、グレートワルモンダーがたくさんいるよぅ」
俺の中の幼女が震えて泣いた。こんなのってないよ。
ここに来るまでの苦労と、ずっと温めてきた夢と、そして想定より厳しすぎるこの世界の状況。白目を剥いて倒れたらいけないだろうか……?
この世界で発生した存在は俺に触れることはできても害することはできない。生き物としての概念が違うのだ。俺の体を構成するのはハッピースターシャインという
だからワルモンダーに食われようがこの世界の現地人に殴られようが、俺には傷一つ付かない。ここで気絶して倒れたってなんら問題ないのである。
――しかし。この世界がワルモンダーの強化版・グレートワルモンダーで溢れているということは、人がバンバン死んでいるということに他ならない。俺には気絶している暇などない。
ワルモンダーは弱い順に、ワルモンダー(無印)、ビッグワルモンダー(ビッグモン)、グレートワルモンダー(グレーモン)、エルダーワルモンダー(エルモン)、そして魔王級であるサターンワルモンダー(サタモン)がいる。デジタルなモンスターを思い出す名前だが全く別な存在で、ワルモンダーは見た目も生態も醜悪そのものだ。
でだ。ここらにいるのがちょうど中間の強さのグレーモンだからと安心してはいけない――グレーモンがたくさんいるということは、グレーモンより強いエルモンがこの周辺に存在する可能性が高いということなのだ。ワルモンダーは喰い合って強くなる……だから絶対にエルモンがいるだろうし、もしかするとサタモンもいるかもしれない。怖すぎて震える。
初めての任務地でコレとか俺は運が無さすぎでは? まだ一度もハッピーアイドルをプロデュースしたことがないっていうのに。俺の理想を叶える男をのんびり探し回れる時間がない……とりあえず適当にそこら辺を歩いてる奴を引っ掛けて無理矢理にでもハッピーアイドルにしなければ。
一人や二人では足りないから少なくとも五人、叶うなら十人……いや、二十人は必要だ。激務間違いなしです有り難うございました。
最近のハッピープロデューサーがプロデュースするハッピーアイドルは多くても三人程度で、たいてい女の子。理由はちゃんとある――戦う力をやったことで「俺は選ばれし存在!」とか言い出して暴走したバカ集団がいたからだ。むろんそんなバカは一部なのだが……十年くらい前に男ばかり五人組の戦隊もの系ハッピーアイドルを作った先輩方が物凄く苦労した話は有名なので、最近のハッピープロデューサーはほぼ全員が二人か三人程度の女の子をアイドルに選んでいる。
光から生まれたとは言えハッピープロデューサーは心と肉体を持った生き物だ。無理をすれば精神的にも肉体的にも疲労が溜まる。ワルモンダー対策に疲れて倒れるならまだしも、アイドルの暴走で倒れるなどごめんだ。
だが、俺はあえて男をハッピーアイドルにしたい。男でなければならない。俺の
背後で小石が転がる音がして、振り返った。
「きみは、ニチアサのマスコットキャラ……か?」
こんな運命の出逢いってある? これ以上ない逸材ではないですかお前。
我が強そうな和風美形、狩衣を着せたら絶対に似合う。髪が長いのは益々よろしい、その長さなら髷を結えるだろう。
「き、きみは……?」
――この出逢いが、俺と彼の運命を変えた――
最近、夏油傑にはいくつかの秘密ができた。
一つ目、異世界からやってきたマスコットキャラを部屋に飼っていること。
二つ目、その異世界からやってきたマスコットがプロデュースするハッピーアイドルなる魔法少女は呪霊を倒せること。
三つ目、夏油傑がそのハッピーアイドルであること。
四つ目――
半月前に任務先の廃墟で出会ったのは、柔らかく光るもふもふの毛玉。毛玉はハッピープロデューサーのハピスと名乗り、彼の言うところによるワルモンダー……呪術師が呪霊と呼ぶ存在を倒す力を持つハッピーアイドルを育てるためこの世界に来たのだと話した。
「きみは別の世界の存在なんだろう? どうしてよその世界に来たんだい」
「別の世界と言ってもね、世界同士は重なってたり繋がってたりするんだ。だから例えばの話、A世界のワルモンダーがA世界で抱えられる許容量を越える数になったら、A世界と縁があるB世界、C世界、D世界、E世界……もしかするともっとたくさんの世界にワルモンダーが溢れ出ちゃうんだ。
ボクの生まれたハピネスワールドは一度、別の世界から来たワルモンダーのせいで更地になったことがあってね……。その時の苦労を二度と繰り返さないよう、ハピネスワールドの指導者レディ・ハピネスがボクたちハッピープロデューサーを作ったんだよ」
はぴはぴ星のみんながハッピーに過ごせるように、ボクたちハッピープロデューサーはいろんな世界で頑張ってるんだ!
この言葉に夏油ははぴはぴ星のやばさを理解した。他の世界から溢れてきた呪霊で母星が悲惨な目に遭わされたから原因を排除しようと考えた、そこまでは分かる。だが、『だから呪霊に殺されない生き物を作って他の世界に派遣する』。これが分からない。誘拐し洗脳した少年兵を最前線で戦わせるのとどこが違うのか。
ハピネスワールドではなくスレイブワールドの間違いではないのか。
むかし妹と一緒に見ていたニチアサ少女向けアニメはもっと平和だったのに。
「実は、私が今日ここに来たのは、ここにいる呪霊……ワルモンダーたちを倒すためなんだ」
「ええっ!? きみはもうワルモンダーを倒す力を持ってるの!? じゃあハッピーアイドルにはなってもらえないんだね……」
しょんぼりと萎びた毛玉を手のひらに乗せる。触り心地はハムスターに似ていたが、ハピスの方がハムスターより大きい。
「いいや。私にはきみの力が必要なんだ。私をプロデュースしてくれないかい?」
ここで別れてしまえば、ハピスとは二度と会えないだろう。なにせ世界中に呪霊がいるのだ――ハピスは海外に行ってしまうかもしれない。再会など期待できないから、チャンスはこの一度きり。
真摯に見つめれば、ハピスは「本当にいいの?」とつぶらな瞳を潤ませる。
「もちろんさ」
はぴはぴ星のやばさを理解できるよう、洗脳を解いてやらねばならない。夏油の胸には正義の心が輝いていた。
もう一つ、ハッピーアイドルがどのようなものなのか知っておきたいという計算もあった。
「じゃあ……このハッピージュエルを上に掲げて、ボクの言う言葉を繰り返してね」
ハピスの体積とほぼ同等の大きさをした、ティアドロップ型の宝石が夏油の手の中に転がる。青色かかった透明な宝石だ――売ればいくらするのだろう。
ハピスがぴょんと地面に下りたので、夏油はハッピージュエルなる宝石を右手で上に掲げる。
「星の力よ、我が胸に灯り輝け」
「……星の力よ、我が胸に灯り輝け」
「変身!」
「変身っ!」
変身の口上が予想よりシンプルでまともだったことに夏油は安堵した。――後でハピスから聞いた話によると変身時の口上はハッピープロデューサーの趣味によるものらしく、中には早口言葉からニチアサアニメを想起させるようなものまで様々あるらしい。まともな感性のハッピープロデューサーに当たって良かった。
変身と叫んだ夏油の体を青い光が包む。男の直線が多い四肢は先端から柔らかさを帯びてゆき、学ランは光の粒子になって消える。相小町という漆塗りの下駄には濃紺に白い花が散った柄の鼻緒。くるぶしを覆う真っ白な足袋、巫女装束を元にした、薄い生地を何枚も重ねた華やかなワンピース。怪我防止のためか膝下丈の白いスパッツを穿き、邪魔になるからだろう、着物の長く垂れた袖――振りのパーツはない。
ささやかな胸部はハッピージュエルが嵌まった金属製の胸当てで覆われ、上腕から手の甲までを守る籠手も同じ素材だ。
魔法少女のイメージがプリティーでキュアキュアなアレだった夏油は安堵した。
手に持った薙刀は何故か良く馴染む。
「武器は薙刀なんだね」
夏油の口から出たのは落ち着いた女の声だった。少し違和感があるがそのうち慣れるだろう。
「うん。ハッピーアイドルの身の安全を考えると遠距離から攻撃できる武器の方が良いのかもしれないけど、近寄られたときに不便だから中距離用の武器にしたよ。
薙刀TS魔法少女を育てるんが夢やったんや……」
「なるほどね。……この胸の奥から湧き上がってくるような力は?」
「それはハッピージュエルの力だよ。この世界の人間も似たようなものを使ってるから分かりやすいと思うんだけど、ハッピージュエルは原子力発電の燃料みたいなものだよ」
「は?」
聞き捨てならない単語が聞こえた気がした。
「ハッピージュエルを満たしているのは、ボクの素材であるハッピースターシャインを濃縮して、力の方向性を変えたものなんだ。ボクたちハッピープロデューサーはこの世の何に傷つけられることもないように作られたけど、ハッピージュエルに入ってるハッピースターパワーはワルモンダーと逆方向のベクトルを持つ力。ハッピースターパワーを上手く運用できる子なら誰だってハッピーアイドルになれるし、ワルモンダーを倒すこともできるんだよ
つまり誰を選んでも問題ないってことだ……。趣味に走って良いって最高ね」
夏油の脳内には今、
胸元に輝く青色の宝石が「……テ……コロ……シテ……」「ママァ」「イタイヨ……ココカラダシテ……」と訴えているような気がした。ハッピー、とは。
「……ハッピージュエルが暴発することはあるのかな」
「滅多にないけど、百年に一度はあるかな。ハピネスワールドが更地になったのはわざと地上でハッピージュエルを爆発させてワルモンダーを一網打尽にしたからだし。
自爆テロだから誰もやりたがらないけどね」
夏油の判断は間違っていなかった。もしここでハピスと分かれていたら、原子力の危険性を分かっていない幼い子供が「幸せの魔法だよ★」なんて言いながら核爆弾のボタンを連打する、などという未来があり得たのだ。
「ハピス、早速だけど頼みがあるんだ」
「うん? なんだい、なんでも言ってよ」
愛らしく丸い瞳が夏油を映す。
「ハッピーアイドルは、私だけにしてくれないか」
夏油には、誰にも言えない秘密ができた。
一つ目、異世界からやってきたマスコットキャラを部屋に飼っていること。
二つ目、その異世界からやってきたマスコットがプロデュースするハッピーアイドルなる魔法少女は呪霊を倒せること。
三つ目、夏油傑がそのハッピーアイドルであること。
四つ目、ハッピープロデューサーを野に放つと危険であること。
――そうして地球の安全を守るため太陽系唯一のハッピーアイドルとなった夏油だが、ハッピーアイドルになったことによる利益は大きかった。
夏油の有する術式は呪霊操術と言う。文字通り呪霊を操る術式であるのだが、そのためには支配する対象の呪霊を経口摂取する必要がある。人の悪意から生まれた呪霊が美味しいわけもなく……呪霊は夏場に放置した牛乳と吐瀉物を混ぜたもののような味がする。
取り込む度に口の中がぐちゃぐちゃにされる苦痛。嫌になってもつらくても、そうしなければならないから取り込み続けねばならない。もっと利便性の高い術式なら、呪霊を飲み込まなくても良い術式なら……そう考えたことは一度や二度ではない。
だが、ハッピーアイドルになれば。
ハッピーアイドルが奮う力は呪力ではない。夏油は自分の肉体を守るためだけに呪力を使える。
ハッピーアイドルの技やスキルは夏油の術式と関係ない。呪霊を操らなくても、飲み込まなくても良い。
ハッピーアイドルは「夏油傑」ではない。ハッピーアイドルはハッピーアイドルだ。ハッピーアイドルになっている間、夏油は性別も容姿も異なる自分以外の
呪霊を飲み込まなくて良い。自分ばかりが損をしているのにと、苦労をしているのにと悟達を恨まなくて良い。
夏油傑は一般人になって、ハッピーアイドルが呪術師になれば良いのではないか? 一度そんなことを考え出したら止まらない。夏油傑は呪術界から引退してしまえ。ハッピーアイドルの力で呪霊を倒せば良いじゃないか。
そんなことを考える度にいいやと頭を横に振る。ハッピージュエルに込められた力はハピスの兄弟だ。他人の魂を消費して奮う力と、呪霊を飲み込む際の苦痛を我慢すれば良いだけの呪霊操術と、どちらがより
夏油の心は千々に乱れていた。
ハピスが気にしていないのだから良いじゃないか。どうせ人間は数多くの命を犠牲にして生きているのだから良いじゃないか。多少の犠牲など已む無しだろう? それで大多数が救われるなら、生まれられなかった命に価値が、存在意義が生まれるじゃないか。
自分に都合の良い言い訳ばかりが頭の中をぐるぐる回る。
もはや夏油の悩みは以前のそれとは中身を変えていた。正義のために力を奮わねばならないこと、しかしそのためには呪霊を飲み込まなければならないこと。自分の努力や苦労を理解しない屑どもが外野でアレコレと騒ぐこと。以前、彼は呪術師と非術師間のギャップに悩んでいた。
いま彼が悩んでいるのは、他人を踏み台にして楽な道を走るか、自分で苦労して大変な道を走るか? 彼の悩みは内向的なものになり、矮小化した。
「ハピス。きみは悲しくないのかい?……私が奮っているのは、きみの素になった力だよ」
ふわふわの毛玉を両手に乗せ、ずっと悩み続けていたことを質問する。
「あのね、ゲドーくん」
「ゲトウね。私は未確認少年ではないから」
「また間違えちゃった、ごめんねコトーくん。あのね、水35リットル、炭素20kg、アンモニア4リットル、石灰1.5kg、リン800g、塩分250g、硝石100g、硫黄80g、フッ素7.5g、鉄5g、ケイ素3g、その他少量の15の元素等々……これがなにか分かる?」
「孤島で唯一の診療所を開いたりもしていないよ。ふむ……どこかで聞いた覚えがあるような気もするけれど、分からないな。それは何なんだい」
「人体を構成する物質だよ、ガトーくん」
夏油は動きを止めた。呼吸すら止めていたかもしれない。
「ボクを思ってくれるのは嬉しいけどね、ボクを作った素材にまで愛着を持つのは違うよ。ボクにとってのハッピースターパワーは、きみにとっての水や炭素みたいなものなんだ」
小さい生き物がふわふわと跳ねながら話す内容に、夏油は衝撃を受け――納得した。夏油の認識が間違っていたのだ。
「とりあえず、私はナルトの悪役でもソロモンの悪夢でもなくて夏油だよ。……そっか、なるほど。確かにそうだ。体の七割近くを占めているからと言って、水はその人そのものではないし、愛着が生まれるわけでもない」
夏油は解き放たれたような心地で、ゆっくりと目を瞑り深呼吸した。
この日、特級呪術師夏油傑は姿を消した。そして夏油の出奔とほぼ同時期に呪術界へ彗星のごとく現れたのは、薙刀を奮う不思議な魔法少女――ハッピーアイドルすーちゃん。
親友・夏油の呪力をまとう彼女を以後十年以上に渡り追い続けることになるなど、その時の五条悟は知るよしもない。
便利な道具があったらそっちを使うよね。
追記
ハッピージュエルが濃縮ウランならハピスはウランだとか気付いてはいけない。