雨のち陽キャ   作:Shinsemia

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第二話

 

 

 ベッドに倒れ込む。風呂上がりの体は夏の気温もあいまってひどく熱い。扇風機のスイッチを押して涼しい風を送れば、よくある夏の風景の出来上がりだった。

 

 コンコン。

 

 

『お兄ちゃん、ちょっといい?』

 

 

 ノックの音の後に呼びかける声。僕はどうぞと一言だけ言った。ガチャっとドアが開くと、そこにはセミロングの艶やかな黒髪をなびかせる妹の姿があった。

 

 僕の妹の智香(ともか)だ。

 

 夏らしく上はキャミソールで、下はホットパンツといった軽やかな服装だった。ところどころで白い肌が露出している。外では決してしない、家ならではの格好だった。

 

 

「お兄ちゃん、ちょっと勉強で分からないとこ……ろ……」

 

 

 教科書とノートを持った妹。妹は中学生だ。それも、受験を控えた中学3年生。だから妹は、たびたび僕の部屋に勉強を教わりにやってくる。ちなみに妹は僕の通う高校を目指しているらしい。

 

 

「……ん? どうしたの、智香?」

 

 

 僕を見るなり、固まったように動かなくなった妹。その視線は僕の頭の方に向けられていて、僕は最初その理由に気づかなかった。けれど、すぐに分かった。

 

 

「お兄ちゃん、髪切ったんだ!」

「うわっ」

 

 

 ノートを教科書をほっぽり出して、妹は僕の髪をさわさわと触り始めた。小さな手が頭を這い回る感覚。妹は「へー、すごいさっぱりしてるー」や「お兄ちゃんって、髪の毛やわらかいよねー」などと言いながら髪を触っている。僕はとりあえず好きにさせようと思い、しばらく妹にされるがままだった。

 

 

「どうして髪切ったの?」

「……別に、なんとなく」

「えー? 嘘だあ。お兄ちゃん、髪はあまり切りたくないって言ってたじゃん」

「……」

 

 

 そう言われれば、そんなことを言った気もする。「あははー」と、妹は未だに僕の髪を触り続ける。別に何も面白くはないと思うのだけれど。

 じゃれつく妹は甘えん坊と言えばいいのか。妹は反抗期らしい反抗期もなく育った。母さんも父さんも、僕と妹は昔から喧嘩はあまりしなかったと話していたし、元来からそういうものなのかもしれない。他の家がどうかは知らないけれど。

 

 ……昔、か。

 

 

 

「……何かあったの?」

「え?」

 

 

 

 途端に。妹の声のトーンが一段下がった。僕の髪を触る手はいつの間にか止まっていて、床に座り込む僕の脚の間に手をついている。僕の目の前に、妹の整った顔があった。

 さっきまでの楽しそうな顔ではなく、こちらを気遣うような目。黒く大きな瞳が、下から覗き込んでいた。

 

 

「……いや、別に悪いことがあったわけじゃないよ」

「……ほんと?」

「うん、本当。ただ……」

 

 

 妹はよくこの部屋に勉強を教わりに来る。でも、それだけが理由じゃないことは、なんとなく察していた。僕がこんな性格になってしまってから、誰よりも僕を心配していたのは妹だ。普段の何気ない会話からでも、それはよく分かっていた。

 

 

「……ただ、切ってもいいかなって思ったから」

「……そうなんだ」

 

 

 妹は納得したのか、訝し気な目許をふっと緩めた。

 

 

「じゃ、早く勉強教えて、お兄ちゃん!」

 

 

 

☆─────☆

 

 

 

 人もまばらな朝の時間。少し早めに家を出てしまったのは何故なのか、自分でもよく分からなかった。何かに対する期待なのか、不安なのか。正も負もない交ぜになった感情の渦は、どこまでも深く沈み込む沼のようで、僕は判別がつかなかった。

 

 

「……」

 

 

 教室のドア前まで来た。廊下には他のクラスへと向かう学生が通り過ぎる。夏の日差しもまだ上がり切っていない朝の廊下は、ちょっとだけ冷たい。

 

 ……ここで立ってても仕方がない。

 

 僕は、教室のドアをゆっくりと開いた。

 

 

「あ……」

 

 

 教室に入った瞬間。僕は、周囲の視線が集まるのが分かった。まだクラスの半分もいない教室。当然、入ってきた人には誰もが注目する。ただ、クラスメイトの顔には驚きの色が含まれていた。

 

 

 ──ドクン。

 

 

 ……ああ、やっぱり。

 こうなるって、分かってたのに。

 

 それは彼ら彼女からしたら、一クラスメイトが髪を切ってきたことに対する、ちょっとした好奇心のようなものなのだろう。すぐにその興味は薄れるだろうし、そんなことを気にするなんてはっきり言って自意識過剰だ。

 だけど、僕はどうしてもこの数秒間の空白が怖かった。どんな反応をされるか、どんな目を向けられるか。僕はそれだけにずっと怯えながら生きてきたから。

 

 でも。

 

 

「──あれ。天木、髪切ったの? めっちゃ似合うじゃん!」

「あ……」

 

 

 ぽん、と。後ろから肩を叩かれる。

 振り返るとそこには、三上さんがいた。

 

 夏服の彼女は、シャツの胸元を少しだけはだけていて、膝上までのスカートから覗く足は健康的。そしてその顔には、ニコッとした笑みを浮かべていた。

 

 

「……」

 

 

 ほっとした。気味悪がられたらどうしようとか、嫌な顔されたどうしようとか。そんなことを考えていた自分が、バカバカしく思えるくらいに。それはまるで、曇っていた空がいつの間にか晴れていたかのような、清々しい爽快感だった。

 

 

「……って、あれ? また俯いてどしたん?」

「……いえ」

 

 

 僕は顔を伏せて、軽く目許を拭った。周りから見れば、本当にちっぽけでくだらないこと。だけど、どうしても堪えられなかった。昔から妹に泣き虫だって言われがちだったけど、本当にその通りだった。

 僕はゆっくりと顔を上げて、曖昧な笑みを浮かべながら自席に向かう。三上さんは話したりないのか、肩に掛けたカバンをそのままに僕についてくる。「どこで切ったの? 駅前のあそこ?」と、矢継ぎ早に訊いてくる彼女に答える。

 

 すると突然、目の前に人が現れた。僕はぶつかりそうになる前に体を引いた。

 

 

「わ……。ちょっと、いきなりなによー」

 

 

 三上さんが、「危ないじゃない」と口を尖らせながら言う。

 

 そこにいたのはバスケ部の部長でもあり、クラスメイトでもある人。彼はルックスも良く、運動神経も良い。成績の方は知らないけど、そんなに悪くはなさそう。彼も三上さんと同じくらいの人気者だ。

 

 名前は成宮海斗(なるみやかいと)くん。

 彼はその長身から僕を見下ろしながら、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「天木。ちょっといいか?」

「……え?」

 

 

 

☆─────☆

 

 

 

 屋上に照り付ける熱い日差し。むわっとした暑さと緑の匂いを纏う風。僕は何故か、クラスメイトに連れられて屋上まで来ていた。

 

 

「えっと……僕に何か用かな?」

「ああ……ちょっとな」

 

 

 道中、ずっと無言で気まずかった僕は、屋上の開放的な空間に出ると共に、そう問いかけた。

 首に手をかけた彼は、言いにくそうに口ごもる。バスケ部部長の彼は、僕よりも一回り身長が高くて、自然と見上げる形になる。

 

 

「実は、礼を言いたくてな」

 

 

 そう言うや否や、彼はふっと表情を緩めながら「ありがとう」と言った。

 

 ……? 

 

 

「……え、何のこと?」

「……昨日、ナンパされてた女の子を助けただろ? あれ、俺の妹なんだ」

 

 

 ……あ、昨日の。

 そう言われれば、あの子と成宮くんの顔には、どこか似てるような気がした。2人とも容姿がいいし、血筋なのだろう。

 

 

「……あれ、でも。どうして僕だって分かったの?」

「ああ、簡単だ。その『僕』っていう一人称だ。自分のことをそう呼ぶの、クラスにお前くらいだからな。他にも、ここの制服を着てたこととか、背丈はどれくらいとか。ある程度妹から聞いてたから」

 

 

 ……言葉が出なかった。あの子とは会話らしい会話もせずに、僕は走り去ったはずだけれど、そんな些細なことを覚えていたらしい。そして、それと同じくらい驚いたのが……。

 

 

「……ん? どうした?」

 

 

 成宮くんが、僕が自分のことをどう呼ぶかを知っていたことだった。彼とは高2になって初めて同じクラスになった。しかも、会話をしたことは全くない。

 

 

「いや……意外だなって思って」

「意外?」

「成宮くんが、僕の一人称を覚えてること」

「そうか? クラスの自己紹介のときに言ってたから、割と印象的だったんだが」

 

 

 僕は素直にすごいな、と思った。鋭い考察力と、記憶力。それにルックスも良いしバスケ部のエースだ。非の打ちどころのない彼は、まさしくクラスの人気者にふさわしいだろう。

 

 

「……あと、覚えてたのにはもう一つ理由があるんだ」

「……?」

「天木が、昔の俺と似てる気がしたんだ」

 

 

 ……僕と? 

 

 

「俺さ、昔は結構いじめられっ子だったんだ。運動もできないし勉強もできない。おまけに人と話すのも苦手でさ。でも、いつか見返してやるぞ! って必死になって努力したんだ」

「……そう……なんですか?」

「ああ」

 

 

 他の奴には内緒だぜ、と成宮くんは白い歯を輝かせながら話す。

 

 

「……っと、こんな言い方しちゃあ、天木に失礼か」

「あ……いえ」

 

 

 実際、僕は彼の言う通りだ。

 

 

「だけど、なんか雰囲気変わったか? 髪を切ったからってのもあるだろうけど」

「……変わり、ましたか?」

「ああ。……ってか、なんで敬語になったり溜め口になったりするんだ?」

「癖みたいなものなので……」

「……そっか」

 

 

 さっぱりとした簡潔な言葉。ともすればそっけなくも思える口調が、僕にはありがたかった。

 

 

「そういや最近、三上とよく一緒にいるよな。仲いいのか?」

「……あれは、仲がいいと言うのでしょうか?」

「ん? 言うんじゃねえの? 誰だって、好きでもないやつに話しかけることなんかしねえだろ」

「……確かに、それもそうですね」

 

 

 僕は三上さんの態度に半信半疑だった。何か良からぬことを考えて僕に話しかけてるんじゃないかと、心の底では疑っていた。でもそれは、三上さんに対してあまりにも失礼だ。

 

 

「……ん?」

「……?」

 

 

 ガタっと。屋上のドアがふいに音を立てた。ここにいるのは僕と成宮くんだけのはずなのに。成宮くんはドアの方に目を向けると、深くため息をついた。そして、呆れた声を隠そうともせず言い放った。

 

 

「隠れてないで出てこい、三上」

「……あ、あはは~……」

 

 

 ひょこっと。ドアの陰から、三上さんが姿を現した。もしかして、さっきの会話を全部聞かれていたのだろうか? 

 

 

「盗み聞きとは感心しないぞ」

「だ、だってさー。ユッキーと何話してるか気になるんだもん」

 

 

 ちょんちょんと、指先同士を突き合わせる三上さん。

 

 

「ユッキーって……それ、天木のことか」

「うん、そうだよー」

 

 

 こちらに歩いてくる三上さんは「うわ、あっついねー」とぼやきながら手で陰をつくった。いつの間にかあだ名がつけられていることにどうすればいいのか迷ったけど、返す言葉も思いつかない。

 

 

「っと、もうこんな時間か。俺は先に戻るわ。お前らも朝のホームルームに遅れないようにな」

 

 

 ひらひらと手を振って、成宮くんは教室へと戻って行った。立ち振る舞いは惚れ惚れするほど爽やかで格好が良かった。

 

 

「いかにも成宮って感じだったなあ」

「……成宮くんって、本当すごいですよね。かっこよくて、性格も良いし」

「んー……。ま、そだね。でも、中学校のときは全然違ってたけどね」

「……同じ中学だったんですか?」

「うん。まあ、()()()()ってやつ。家が近いから」

「……」

 

 

 ……幼なじみ。

 

 

 

 ──さっちゃん! 

 

 

 

「……ユッキー? 教室、戻らないの?」

「あ……いえ、戻ります」

 

 

 歩き出した三上さんが一向に動かない僕の方に振り向く。明るい茶髪を耳にかける所作は、いかにも女の子らしくて。その姿に僕は、あの子の姿を重ねた。

 ロングヘアの金髪のあの子。同じクラスで毎日顔を合わせているのに、今では話すことが全くなくなってしまった彼女。

 

 僕は、ざわつきだした胸を抑えつけるように笑った。

 

 

 

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