雨のち陽キャ   作:Shinsemia

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第四話

 

 

「今日からバスケだな。楽しみだ」

 

 

 隣を歩く成宮くんはぐっと背伸びをして、喜色を滲ませながら言う。高身長の彼が背伸びすると、更に体が大きく見える。

 

 体育館まで続く渡り廊下からは、校内の景色が見渡せる。太陽の光が燦々と照り付ける地面。もうそろそろ午後の授業が始まるからと、昇降口へと戻って行く生徒たち。生ぬるい風がときどき頬を撫でる。僕は目を細めた。

 

 

「……あれ? 天木くん?」

 

 

 横から聞こえてきた声。目を向けるとそこにいたのは、艶のある漆黒の髪をなびかせる女の子。すっと通った鼻梁に長いまつ毛に縁どられた鋭い目許。半袖のワイシャツから覗く腕は、白磁のように美しい。ともすれば、日焼けなど無縁なのではと感じてしまうくらいに。彼女は僕の知り合いのようなものだった。

 

 

「神木さん」

 

 

 彼女は神木(かみき)粧裕(さゆ)。彼女と知り合ったのは、何てことのない偶然だった。一学期の中間試験の結果発表の掲示を見に行ったときに、神木さんに声をかけられたのだ。神木さんとは別のクラスだけど、僕の名前を知っていたみたいで、試験の順位がかなり近いこともあって声をかけられた。

 

 神木さんは花壇に水やりをしていたようで、手にしていたジョウロを傍に置き、僕たちの下にやってきた。

 

 

「髪切ったんだ? 一瞬、誰だか分からなかったよ」

 

 

 神木さんもしげしげと僕の髪を見てくる。整った目鼻立ちが近くにあり、僕はドキッとした。神木さんは下から上までじっくりと僕の様子を観察すると、にっこりと笑って頷いた。

 

 

「うん、良く似合ってると思う」

「……どうも」

 

 

 背中がむず痒くなり、僕は顔を隠すように前髪をいじった。神木さんみたいなはっとする美人に見つめられると、否が応でも意識してしまう。神木さんはそんな僕が面白いのか、からかうようにクスクスと笑う。

 

 

「……そういえば天木くん。生徒会、入ってくれる気にはなった?」

 

 

 思い出したように口にする神木さん。

 

 実は神木さんは生徒会長だ。成績優秀で運動神経も抜群。容姿端麗な彼女はとても人気がある。生徒会の仕事もそつなくこなす彼女は、先生からの信頼も厚い。

 ……と、自分なりに言語化してみるけれど。今思えば、最近の僕の周りは容姿がいい人がたくさん集まってる気がする。女の子然り、男然り。

 

 

「天木くんくらい成績が良い人が入ってくれると、とても助かるのだけれど」

「……僕以外にも、成績が良い人はいるでしょう」

 

 

 神木さんは僕をたびたび生徒会に勧誘してくる。それはもう、ちょっとしつこいかな、と思うくらいに。そのたびに僕は断っているのだけれど、なかなか諦めてくれない。

 

 

「えー。私は天木くんがいいなあ」

「……からかわないでください」

 

 

 そんなあざとい言い回しが、神木さんが僕を勧誘してくるときの常套手段だった。

 

 

「……あ、チャイム鳴っちゃったね」

 

 

 神木さんは残った水やりをさっと済ませると、僕たちの方に振り返りながら、「よかったら生徒会室に遊びにおいでよ。じゃあね」と言って、去っていった。神木さんは不思議な人だ。初めて声をかけられたときからそうだけど。

 

 

「……話は終わったか?」

 

 

 成宮くんは気をつかってか、少し離れた位置で待っててくれたみたいだった。僕がごめんね、と言うと成宮くんは気にしてないと言って苦笑した。

 

 

「それにしても、天木って神木さんと友達だったんだな」

「……友達、ではないと思いますけど」

「……そうなのか? 神木さんって、普段はああいう砕けた感じじゃないって有名だぞ?」

「え……そうなんですか?」

 

 

 話しかけられたときからフレンドリーな感じだったから、成宮くんの言っていることが一瞬理解できなかった。

 

 

「そう考えるとお前、神木さんに気に入られてるのかもな」

「……まさか」

 

 

 気に入られてる、ということはないだろう。ただ、生徒会に何度も誘ってくれるあたり、嫌われてはいないと思うけれど。

 生徒会、か。僕は生徒会をやったことはないから良く分からないけれど、結構大変だと聞く。会議だって週に一回は行われてるし、それに向けて報告書をまとめたり、先生方に相談したりするそうだ。他にも、生徒総会で司会をとることもあり、他の部活をやる余裕はないと言う。

 神木さんはどうだろう。要領よくこなすイメージがあるけれど、意外にも苦戦してるなんてこともあるかもしれない。

 

 ……。

 

 

「天木? そろそろ行かないと間に合わないぞ?」

「あ……うん。今行く」

 

 

 今度時間が空いたら、生徒会室に顔を出すのもいいかな、と思った。

 

 

 

☆─────☆

 

 

 

 体育の時間は割と嫌いじゃない。運動が得意なわけではないけれど、体を動かすのはそんなに嫌いじゃなかった。準備運動をこなしていく内に、体育館の中は暑苦しいくらいの空気に満ちる。窓やドアを開け放っているとはいえ、夏の気温には勝てない。

 

 はぁ、はぁと息を切らす音が周りから聴こえるのを、僕はぼんやりとした頭で感じていた。滴る汗を軽く拭って、朧げな視界でバスケットゴールを確認する。

 今日の授業はバスケだ。しかも相手のチームにはあの成宮くんがいる。ドリブルの速さや度々かけられるフェイント、それに加えて高い跳躍から繰り出されるシュートを止める術はない。

 

 長身の成宮くんが風を切るように走り出す。僕も頑張ってマークしているけれど、成宮くんの体の大きさの前では無力に等しい。

 

 

「っ……」

 

 

 素早い走りからディフェンスの死角を突くように抜けていき、高く跳躍。一瞬、スローモーションのようにゆっくりと動いて見えた。

 そして、見惚れるほど綺麗なフォームでボールを上空に放った。すぽっと、静かにゴールのネットをくぐるボールが、体育館の床に落下する。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 先生がホイッスルを鳴らす。その音を皮切りに、僕はどっと疲れを吐き出すように息を吐いた。額から滝のように汗が滴り落ちる。壁際に寄って、タオルで額の汗をぬぐう。拭っても拭っても、これでもかというくらい汗が出てくる。

 ふらつきそうな頭をなんとか制御し、僕は頭を振った。やっぱり成宮くんは強い。体の大きさもあるから埋もれがちだけど、それよりもテクニックがすごい。力で押し付けられるのではなく、するりと躱されるような優雅さがそこにはあって、いつの間にかゴールにボールを叩き込まれていた。

 

 ホイッスルが鳴った。休憩時間はひどく短く感じられた。僕はふらつく足を動かして、体育館の床を歩く。バスケットボールが床を規則的に叩く音を聴きながら、体操服の胸元をパタパタと扇ぎ、火照った体を冷ます。

 所詮は授業のバスケ。でも、成宮くんは一切手を抜く様子はない。バスケ部のエースとしてふさわしい風格を体現し、この授業でも遺憾なく実力を発揮している。

 

 ピーとホイッスルが鳴る。先生の合図を皮切りに、再びコートに集まる僕らだけど、誰もが息を荒らげている。実際のバスケの試合時間とは比べ物にならないくらい短い時間だけど、それでもこの疲労。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

 視界がぐにゃっと曲がる。つりそうなくらい痛む脚に顔をしかめながら、僕は眼前の成宮くんを睨む。成宮君も相当集中しているらしく、その目つきは鋭い。

 きゅっと体育シューズが床を擦る音を聴きながら、僕は走りまわって成宮くんにマークする。体の大きさで敵うわけはないけど、せめてもの抵抗だ。

 

 張りつめた空気の中、チームメイトがどこにボールを出そうか迷っているのが視界に入る。けれど、それではジリ貧だ。スコアでは負けているし、責めなくちゃ勝てない。ここから速攻で点数を取りにいかないと、時間切れで負けてしまう。どうにかして、この包囲網をかいくぐらないと。

 

 迷った末に、チームメイトがボールをパスしようと腕を突き出す。その瞬間。

 

 

「──!」

 

 

 成宮くんがボールをスティールしようと動き出す。すると、慌てたチームメイトが別のチームメイトにボールをパスする。受け取った彼は、猛然と迫りくる成宮くんをかわすために、ボールを放り投げる。

 

 その行先は──

 

 

「──あ」

 

 

 気づいたときにはもう遅かった。顔面に強い衝撃。僕はそれに抗えず、たたらを踏んで尻もちをついた。

 

 

「うっ……」

「……おい。天木、大丈夫か」

 

 

 心配して駆け寄ってくれたのか、頭上から成宮くんの声が聴こえる。他のクラスメイトも心配してくれているらしく、少しだけ周囲がざわついた。

 鼻頭がズキズキと痛くて、そろそろと触れる。すると、ポタっと、手のひらに落ちた水滴。嫌な予感を抱きながら確認すると、やっぱり真っ赤な血がついていた。どうやら鼻血が出てしまったようだ。困った。ティッシュもないから塞ぐこともできない。

 

 どうすればいいか迷っていると、すっと横からティッシュが差し出された。そして聞こえてきた女の子の声に、僕は顔を上げた。

 

 

「天木くん、大丈夫? これ、使って?」

「あ……うん、ありがとう」

 

 

 そこにいたのは、体操着に身を包む花見さんだった。

 

 僕は差し出されたティッシュを受け取って、鼻を抑えながら花見さんに礼を言う。どうして花見さんが来たのかと思ったけど、隣のコートでは女子がバレーボールをしている。それですぐに気づいて、駆けつけてくれたらしい。

 

 

「立てる? あたし、保健委員だから保健室まで付き添うよ」

「え……いや、大丈夫だよ」

 

 

 そう言うと、花見さんはちょっとだけムッとした顔をして。

 

 

「だめだよ、ちゃんと見てもらわないと!」

「あ……」

 

 

 ぐいっと。花見さんが僕の腕を握りしめた。不意に触れた女の子の手の感触に、僕はちょっとドギマギとした。そして、そのまま僕は、花見さんに連れられて保健室に向かった。

 

 

 

☆─────☆

 

 

 

「保健の先生。いないみたいだね」

 

 

 花見さんからもらったティッシュで鼻を抑えながら保健室までやってきた。花見さんは困ったなー、と言いながらも用具箱の中をごそごそと漁る。勝手に触ってもいいのだろうか。

 花見さんは近くにあったビニール袋に水を入れ、その中に氷を一個だけ入れた。そして袋から水が漏れないようにぎゅっと縛ると、僕に目と目の間を冷やすように言った。

 

 

「本当はタオルとかの方が良いかもだけど……」

「あ……ありがとう」

 

 

 僕は花見さんから受け取ると、早速鼻の上の部分を冷やす。うだるような気温の中で、ひんやりとした感覚が気持ちいい。

 

 

「ふー。あたしもちょっと涼んでいっちゃおうかな」

 

 

 ぼふん、と。僕の隣に座る花見さん。ベッドは二人分の体重を受けて深く沈み込む。保健室の中はクーラーが効いてて気持ちいい。体育でかいた汗もあいまって、寒いくらいだ。

 花見さんは茶髪のツインテールを揺らしながら、脚をぷらぷらとブランコのように揺らす。首筋にはジトっとした汗が流れていた。

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 数分の間、花見さんがたまに雑談をしてきては、僕がそれにちょっとだけ受け答えするということが数回続いた。無言の時間が続くのも気まずかったので、僕は助かった。そして、鼻血もそろそろ止まりかけてきた頃。

 

 

「……ねぇ。天木くんって、自分の名前は好き?」

「……え?」

 

 

 突然そんなことを訊いてきた花見さんに僕は一瞬、呆気にとられた。そう言えば、この間僕たちがカラオケに行ったとき。花見さんはなんで三上さんに名前で呼ばれないのか訊いたことがあった。

 

 ……自分の名前が好きかどうか、か。

 

 

「……あたしさ、自分の名前。あんまり好きじゃないんだ」

「……そうなんですか?」

 

 

 ベッドから立ち上がって、窓の近くまで歩き外の景色を眺める花見さん。開け放たれた窓から、青々しい緑の匂いを纏った風が流れてくる。

 

 

「だって、流花って名前さ。もっと背が高くて、落ち着いてる人に似合うイメージがあるから」

「……」

「あたしって身長も低いし、性格もこんな感じだから……」

 

 

 沈んだ声で話す花見さんの横顔には、陰が差し込んでいた。クラスではいつも明るく話す印象のある花見さんなのに、今はその面影がなかった。

 

 

「天木くんって不思議な雰囲気あるよね。本当はこんな話、めったにしないんだけど……」

 

 

 話し始めたのは最近のことなのにね、と。

 花見さんはそう言って、曖昧な笑みを浮かべた。

 

 

 

 ──なんだその女みたいな名前! 

 

 ──だっせー! 

 

 

 

 ……。

 

 僕はそう言われるたびに、つらいのを誤魔化すような笑みしか浮かべられなかった。だってそうしないと、もっといじめられてしまうから。いじめに真っすぐに立ち向かう勇気なんて僕にはなかった。

 

 花見さんは僕とは違って、別にいじめられてるわけじゃない。ただ、自分の名前を好きじゃないだけ。自分の過去と花見さんを重ね合わせるのは、彼女に対して失礼だ。

 

 ……だけど。

 

 

 

「……そんなこと、ないと思いますよ」

「え?」

「流花って名前。花見さんにすごく似合ってると思います。……僕なんかが言っても、説得力ないと思いますけど……」

「……」

 

 

 

 思わず、そんな言葉が口から出てしまう。人の気持ちが分かったような気になった、偽善ともとれる薄っぺらい言葉。ずっと閉じこもってたくせに、何を言ってるんだろう。その場しのぎの慰めの言葉なんて、意味などないというのに。

 

 言ってから、僕は後悔した。根暗な人間が、世界を見ようとしなかった人間が、さも何かを知ったような口を叩く。

 

 ……それはなんて、卑怯な……。

 

 

「……ふーん」

 

 

 花見さんは僕の言葉に呆気に取られていたようだったけど、ふっと表情を崩して、ニヤニヤとし始めた。

 

 

「……なんですか?」

「いや~? 天木くんって、結構キザなこと言うんだなーって」

「う……」

 

 

 指摘されて、顔が熱くなるのを感じた。確かに、慣れないことを言った自覚はある。口を滑らせた、とは違うけれど、それに近い感じだった。

 そんな僕をよそに、花見さんはそのまま、後ろにある用具棚に向かって行った。ガチャガチャと、先ほど使った道具を片付けているようで、僕と花見さんの間には無言の時間が流れる。

 

 そして、さっきと同じように僕の座るベッドに戻ってきて──

 

 

「……え?」

 

 

 ぽすんと。ベッドに腰掛ける僕の背中に、ピタリと触れた何か。

 

 氷袋を抑えながら首だけ回すと、花見さんもこちらに背中を向けて座っていた。さっき触れたのは、花見さんの背中のようだった。

 

 

「……ありがとね。天木くん」

「……え?」

「さっきの。嬉しかったよ」

 

 

 しっとりとした声と、じっと伝わる花見さんの体温。クーラーの効いた涼しい部屋の中で、互いに触れてる部分だけが暑かった。

 

 

「……どういたしまして?」

「あは、なんで疑問形?」

 

 

 おかしそうにカラカラと笑う花見さんには、もう先ほどまでの影はなくなっていた。

 

 

「……よし!」

 

 

 花見さんはベッドから降りると、「あたし、もうそろそろ戻るね」と言ってドアまで駆けて行った。

 

 そして。

 

 

 

「──またあとでね、()()くん!」

「あ……」

 

 

 

 小さく手を振った花見さん。

 

 廊下の窓際から差す光に照らされる彼女は、一枚の絵画のように綺麗だった。

 

 

 

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