雨のち陽キャ 作:Shinsemia
「……どうして」
綺麗な金髪に透きとおるような白い肌。ぱっちりとした大きな瞳と、かすかに香る甘い匂い。
玄関のドアの先にいたのは紛れもなく、僕が幼い頃からよく知る幼馴染だった。
胸を貫く鋭い痛み。視界がぐらっと揺れるような幻覚に襲われながらも、僕はなんとか踏みとどまった。
……なんで。
「……えっとね」
僕が呆然としていると、彼女は手にもったビニール袋をぎゅっと握りしめながら、目をあちらこちらへときょろきょろさせた。彼女の身に着けるミニスカートからは、もじもじとすり合わせられる細い脚が見えた。
「ともちゃんから話って、聞いてない……?」
「……智香?」
そこで僕は「あっ」と思い至った。そう言えば、智香は夕飯のときに誰が来るのか知っていたようだった。何故かには教えてくれなかったけれど。
……ということは。
「今日、夕飯に来るのって……」
「……うん。あたしのこと」
しんみりと。そして何よりも、つらそうな顔をしながら彼女は頷いた。外はヒグラシが泣いていて、今日という日の終わりを迎え始めている。昼間の生ぬるい風が、少しだけ冷気を帯びてきた。
「その……迷惑だったかな……?」
長いまつ毛と共に伏せられる瞳。
怯えを伴う不安そうな表情。
迷惑というよりも、戸惑っていると言うのが本音だった。だって僕と彼女は……。
「……」
黙り込んでしまう僕に、彼女はより一層顔を曇らせてしまう。どうして君がそんな顔をするのか僕には分からなかった。
……さっちゃん。
今でも思い出せる。僕の中にこびりついて離れない記憶。
あのとき、さっちゃんはクラスメイトみんなの前で僕のことを友達じゃないと言った。一度だって忘れたことはない。あの日から、さっちゃんは僕を避けるようになった。それがどれほどつらくて、苦しくて、何よりも悲しかったことか。
……それなのに。それなのにどうして、君がそんな顔をしながらここにいるのか。そんなのおかしいじゃないか。
手のひらが、じっとりと汗ばんでくる。嫌な空気だった。夕立でも降ってきそうな雨の匂いと共に、湿気を含んだ鬱陶しい空気が肺を圧迫してくる。
「あ……」
そしてそんな空気など無視するように、後ろから階段を駆け下りる音が聴こえてきた。
振り向いた先には階段を降りてくる智香の姿。そして智香はさっちゃんを見て、ぱっと顔を輝かせると、そのまま僕の横を通り過ぎてさっちゃんに抱き着いた。
「咲ねえ! 久しぶり!」
「わ……」
さっちゃんは驚いたのか、後ずさりながら慌てて智香を抱き止めた。
「んー! 久しぶりに会えて嬉しい!」
頭をぐりぐりしながらさっちゃんの胸元に顔を埋める智香。今思えば、妹は昔からさっちゃんによく懐いていた。家で遊ぶ時も、外で遊ぶ時も、たまに三人で遊んでいたのを覚えてる。
あの頃を思い出したのか、さっちゃんは徐々に目許を緩めながら優しい眼差しで智香に微笑んだ。
「……ありがとう、智ちゃん」
「えへへっ」
さっちゃんと智香。二人が仲良さそうにしていると、少しだけ複雑な気持ちが湧いてくる。智香は、今の僕とさっちゃんの関係を知っているのだろうか。
「さ、早く上がって上がって!」
「あ、ちょ……」
智香はさっちゃんの腕を握ると、まくしたてるようにそのまま中へと連れ込んでいってしまった。リビングへと入っていく二人を呆然とした気持ちで眺めていた僕は、再び足元へと視線を移す。
伸びた影は何も言わずに、僕をただじっと見つめていた。
僕がなんとも言えない気持ちでリビングに戻ると、さっちゃんは、早速エプロンを取り出しながらキッチンに荷物を下ろし始めた。スーパーの袋の中には色とりどりの野菜や肉。何を作るのかは、よくわからなかった。
さっちゃんはテキパキと調理道具を準備して、早速調理に取り掛かっていた。
「……あの、僕は何をすれば」
「んー? お兄ちゃんはゴロゴロしててよ! ね、さっちゃん?」
「う、うん……手は足りてるから」
「……分かった」
ソファに腰掛けてから、そっとキッチンの様子を窺う。智香は身の丈に合わないエプロンを身に着けながら、隣のさっちゃんの包丁さばきを真似るようにして手伝っていた。
智香が料理をしてるところは初めて見る。母さんの料理を軽く手伝うことはあっても、何か一品作ると言うことは今までになかったはずだ。果たして妹は料理ができるのだろうか。
一方で、隣のさっちゃんは……。
「わぁ……! 咲希ねえ、めちゃくちゃ手早い!」
そう。智香の言う通り、さっちゃんは手際よく食材を捌いていた。トントンとまな板を叩く包丁のリズミカルな音は、母さんがご飯の支度を始め出すあの時間を想起させる。
さっちゃんは高く結わえた金髪のポニーテールを揺らしながら、楽しそうに調理していた。
自然な笑み、と言えばいいだろうか。違和感のないありのままの姿のように思えた。
「やっぱり、いつも料理してるの?」
「そうだねー。お弁当はいつも自分で作ってるかな」
智香の質問に、さっちゃんは手元を緩めることもなく答える。お弁当と言うと、学校に持って行くお弁当だろうか。確かにさっちゃんは昼休み、学校の購買に行くことがほとんどないような気がする。昼休みの時間はだいたい、さっちゃんは特定の女の子グループでご飯を食べていることが多い。
……あれ。
智香は今、『やっぱり』って言った……?
「へえ……そんなに好きなんだ!」
「うん……結構ね」
智香が目をきらきらと輝かせながら尊敬のまなざしをさっちゃんに向けると、彼女は苦笑しながら鍋に水を張り始める。
思えば、こうして彼女が近くにいるのは何年ぶりだろう。僕の家に来て、キッチンで料理をしているさっちゃんがいるこの状況。
不思議な感覚だった。ずっと僕を避けてきた彼女が、今こうしてここにいることが。非現実的な空間にでも迷い込んだような気分だ。それくらい僕にとっては不思議な光景だった。
「そうそう、でさ……あ」
ぼんやりとさっちゃんと妹の会話を眺めていると、さっちゃんは僕の視線が自分に向いていることに気づいて言葉を詰まらせた。先ほどまで、久しぶりの割には僕の妹と打ち解け合っていたさっちゃんだったけど、急にぎこちない様子に変わってしまった。
「……」
気まずい雰囲気。今の僕とさっちゃんの間に流れるのはそれだけだった。どんなに仲良しだった過去も、どんなに笑いあった思い出があっても、それは今につながるものではない。
心が落ち着かなかった。いつだってさっちゃんの姿を見るたびに僕の胸は首を絞められるみたいに苦しくなる。
「むぅ……どうしたの、お兄ちゃんもさっちゃんも。さっきから全然話してないじゃん!」
「あ……」
そんな僕とさっちゃんの空気が気になって仕方ないのか、智香は眉をひそめて訝し気に僕とさっちゃんを交互に見た。
智香は僕とさっちゃんの間に何があったのかを知らない。妹の言うことはもっともだ。それに、智香は僕とさっちゃんが仲良しだった頃のことをよく知っている。だから、僕とさっちゃんの間にあるぎこちなさが気になって仕方ないのだろう。
だけど、わざわざ言うようなことでもない。
「……それよりも智香」
「ん……なあに?」
「相原さんを家に呼んだのって母さんなの?」
「……
妹は慣れない呼び名にきょとんとした顔をしてから、すぐにさっちゃんのことだと察して言葉を続けた。
「それもあるけど、さっちゃんが来たいって言ってくれたんだよ」
「……え?」
……さっちゃんが?
その言葉が信じられずさっちゃんの方を見ると、ばつが悪そうに髪を耳にかけた。そして、小さく形の良い唇を開いた。
「……この間、学校の帰りにたまたま天木君のお母さんに会ったの。それで、またいつでも遊びに来なさいって言ってくれて……」
もぞもぞと喋るさっちゃんは、僕の様子を窺うようにチラチラと視線を向けた。
……そんなことがあったのか。僕は何も知らなかった。
「天木くんのお母さん。料理が好きでしょ? あたしも料理が好きだから、それで話が弾んで……」
「そうらしいの! で、さっちゃんが来てくれることになったわけ! ……って、
「う、ううんっ。なんでもないから気にしないで」
「……」
ますます謎は深まるばかりだった。聞いたところによると、さっちゃんは別に無理してきてるってわけでもなさそうだった。だからこそ、僕はどうにも不思議で仕方がなかった。
さっちゃんは僕を嫌っているはずだ。そんな嫌いな人がいる家にわざわざ来るなんて、冷静に考えてあり得ないことだ。
……でも。
「ここはね、こうして切ると見栄えが良くなるんだ」
キッチンの隙間から見えるのは、エプロンに身を包む幼なじみ。妹に丁寧に包丁の使い方を教える彼女は、飾り気のない自然な表情をしているように思えた。
優しく穏やかな表情。あの頃に比べると、快活なところが少しだけ落ち着いている。大人っぽくなった、と言えばいいのか。それはもちろん、小学生のときと比べれば当たり前のことだけれど……。
それでも、智香と話すときにふいに出る自然な笑顔は昔から変わってないように見えた。
……
……
「……どう、かな?」
座り慣れたリビングの椅子。いつもは僕と智香とお母さん、そして時間が合えばお父さんも一緒にご飯を食べる。それが僕の日常だった。
けれど今、僕の目の前に座っているのは昔からの幼なじみだった。さっちゃんは、不安そうに瞳を揺らしながら、もぞもぞと手をテーブルの下に潜めていた。
さっちゃんが作ってくれたのはカレーだった。ほかほかと湯気を立てるカレーはスパイスの香りが訊いていて、空腹を刺激してくる。他にも、彩り豊かなサラダと小さな野菜が煮込まれた野菜スープ。どれもこれも見栄えが良くて、普段からさっちゃんが料理をしているのがよく分かる出来栄えだった。
スプーンでカレーをよそって一口食べる。スパイスの香りと、凝縮された甘味さえ感じる野菜と出汁の効いた肉の味。野菜も肉も丁度良い大きさで切られていて、食感を残したままカレーの味が染み込んでいた。
「……おいしい」
一言、思わずそう漏らした。
「ほんと? よかった」
さっちゃんは僕の言葉に一安心したのか、強張っていた肩の力が抜けた気がした。
僕の隣に座る智香もカレーを一口食べると、「んー!」と言いながら手をパタパタさせた。
「すごいおいしい! お母さんのカレーと同じくらいおいしいよ!」
智香は目をきらきらと輝かせながら、元気いっぱいにカレーを頬張っている。智香は普段からよく食べる方だけれど、今日の食べっぷりはいつもよりも凄まじい。でも、その気持ちが僕にも分かる気がした。微妙な味の違いを言葉で表現するのは難しいけれど、一言で表すならほっとする味だった。
さっちゃんの方を見ると、『もう、ともちゃんったら』と言いながら、ティッシュで智香の口許を拭った。苦笑気味のさっちゃんの表情。智香と姉妹のように仲良く遊んだあの頃みたいに、面倒見がいいのは昔から変わってないかもしれない。
「……あ。あたしがよそうからいいよ」
僕がサラダに手を伸ばそうとすると、さっちゃんは自分から小皿を取って、てきぱきとトングでバランスよくサラダをよそった。
「はい」
「……あ、ありがとう」
白く細い腕を共に差し出されるお皿。そして、さっちゃんの真っすぐな眼差し。僕はそれにドキッとしながらも、顔を伏せてお礼を言った。でも、前と違ってそこには、視界を遮るための前髪はない。
……さっちゃんは、いったいどういうつもりなのだろう。
和気あいあいとおしゃべりするさっちゃんと智香を視界に収めながら、ちまちまとサラダを食べる。さっちゃんにはもう、特に変わった雰囲気はない。玄関先で見たときのぎこちなさも、気まずさを孕んだ瞳も。
「……」
これじゃあまるで、僕が場違いみたいじゃないか。
さっちゃんとの間に壁を感じて、ずっと避け続けてきたはずなのに。そしてそれは、さっちゃんだって同じだったはずなのに。
なんで今更なのか。本当にどうして今更……。
やり場のないもやもやが、喉に刺さった小骨みたいに気になって仕方ない。
ずっと苦しんできたのは僕なのに。大切な幼なじみだと思ってたのに。
……僕は今更、どんな顔をすればいいんだよ。
「……あの、もしかして。食欲無い?」
「……ん?」
さっちゃんの声にはっとしてテーブルを見ると、そこにはまだお皿に残ったままのカレーとサラダとスープ。まだ半分も手についてないような状況だった。一方で、智香とさっちゃんのお皿はもう食べ終わりかけている。思考に没入してしまい、手が止まってしまっていた。別にそれ自体は大した問題じゃない。ただ、気になったのが……。
「……もしかして、作りすぎちゃったかな……?」
さっちゃんが、申し訳なさそうに縮こまっていることだった。
カラン、とスプーンを置く音が響いて、静寂がリビングに満ちる。別に食欲がなかったわけじゃない。ただ、とりとめのない考えに囚われて、食べることを忘れていただけだった。
反応に困っていると、トン、と足に小さな衝撃。ちらりと横を見ると、スプーンを咥えたままの智香がジトっとした目で僕を見ていた。
……智香の言いたいことは分かってる。
「いや……そんなことないよ。ただ、ちょっと考え事してただけだから」
言ってから、しまった、と思った。
さっちゃんは僕の言葉に何を考えてるのか察したのか、縮こまった肩を更に潜ませてしまう。僕が考えてることなんて、一つしかない。そしてそれは、さっちゃんにも共通して言えることだ。
……本当になんなのだろう。僕のことを嫌っているはずのさっちゃんが家に来たかと思えば、手料理を振舞うなんてことまでして。ひょっとして、ただ単に智香に会いに来ただけなのだろうか。そう考えるのが自然ではある。
……でも。
「……」
でも、それならどうして……。
さっちゃんは、こんなに寂しそうな顔をしているのだろう……?