雨のち陽キャ 作:Shinsemia
遅くなってごめんなさい。
読んでいただけたら嬉しいです。
「今日はありがとね、咲ねえ!」
「ううん。あたしも久しぶりに会えて嬉しかったから」
晩御飯も食べ終わって、食器や調理道具も洗い終えた。あとは特にすることもなかったので、さっちゃんはそのまま帰路に就くことになった。智香は引き止めたがっていたけど、さっちゃんの方が遠慮した。
結局、さっちゃんは本当にただ晩御飯を作りに来ただけだった。別に何か他のことを期待していたわけじゃないけど、少しだけ空虚な気持ちが胸に残った。
「……」
智香の背中越しに、さっちゃんの綺麗な顔が映る。
あの頃よりもぐっと大人っぽくなっているけれど、昔と同じあどけなさもかすかに残っている。
当時からさっちゃんはクラスの人気者だった。
可愛くて優しくて、誰からも好かれるさっちゃん。陰のような僕とは異なる、正反対の位置にいる彼女。
そんな彼女と僕は、きっと間違いなく友達だった。
でも、それも時が経つにつれて……。
「──お兄ちゃん!」
ぼーっとしていると、結構大きな声が耳の奥まで響いた。
「な……なに?」
「もう夜も遅いんだから、ちゃんと送って行かないと!」
「と、ともちゃん。いいから、別に……」
苦笑いを浮かべながら、さっちゃんは困ったような顔で智香をなだめた。
空を見上げれば煌々と輝く星が、夜の海に広大に広がっている。夏とはいえ、流石にこの時間帯になると日もすっかり暮れてしまっていた。気づかないうちに思ったよりも時間が経っていたらしい。
「別にあたし一人でも大丈夫だよ? 家も近いんだし……」
さっちゃんの家はここから徒歩五分くらいの場所にある。この辺りで物騒なことなんて起きたこともないし、さっちゃんの言う通り送らなくても大丈夫だと思う。
「……」
さっちゃんはさっきの言葉とは裏腹に、僕の顔を窺っている。
別に断るのは簡単だ。さっちゃんだって、送らなくてもいいって言ってる。
……だけど。
「……送ってくよ」
「え……?」
ずっと黙っていた僕の言葉に、さっちゃんは小さく驚嘆の声を漏らした。
「……折角ご飯を作りに来てくれたんだから、それくらいはするよ」
指先で前髪を軽くいじりながらそう答えた。
本当のことを言うと、さっちゃんと二人きりになるのは極力避けたかった。今でも足が震えだしそうになるのを必死に我慢してる。あのときのことが頭にこびりついて離れない。
けれど、それとこれとは話が別だ。
「……」
さっちゃんは僕を見ながら、珍しいものを見たようにきょとんした顔をした。
そして、迷う素振りを見せながらも、遠慮がちな様子でこう言った。
「……じゃあ、お願いしてもいい?」
……
……
落ち着いた気温と時折吹く温風。緑の匂いが乗る風が鼻をかすめる感触は中々に気持ちが良かった。隣を歩くさっちゃんとの距離は人ひとり分くらい離れていて、僕たちの合間を縫うように風が流れてくる。
静かな呼吸の音と自然の風の音。ざわついていた胸は少しだけ落ち着きを取り戻したみたいで、僕は自然と言葉を口にすることができた。
「……今日はありがとう。カレー、おいしかった」
隣を歩くさっちゃんは、ピクっと肩を揺らしながら目を丸くした。僕がしゃべり始めたのが意外だったのかもしれない。さっきまでの晩御飯のことを考えれば、当然と言えば当然だった。さっきはほとんど黙りっぱなしだったから。
さっちゃんはちらりと僕を見てから、髪を耳にかけて少しだけはにかんだ。
「ん……それなら良かった」
そしてまた、静かな時間が訪れる。今の僕とさっちゃんは、こうやって途切れ途切れの会話を繰り返してる状態だった。長く話がしたいわけでもないけれど、無言の状態が耐え難くもある。
さっちゃんはどうなのだろう。話しかけられるのを嫌がってはいなさそうだけれど……。
「相原さんって、あんなに料理上手だったんだね」
「……そう、かな?」
「うん……僕はそう思うよ」
ぎこちない会話はさっちゃんが家に来た時から変わらない。今だって、僕の表情はとても自然なものとは言えないだろうし、さっちゃんの方も似たような感じだ。
うわべをなぞる会話だけを、僕たちは交互に繰り返してる。
「……」
……さっちゃんに訊くべきなのだろうか。
あのとき、どうしてあんなことを言ったのか。どうして今更になって関わろうとしてきたのか。
人と人のつながりがあっという間に切れてしまうことを、僕はさっちゃんとの関わりの中で学んだ。真っすぐに続くと思っていた地面が、いつの間にか断崖絶壁となって、僕の足を掬おうとしたのがあの日だった。
さっちゃんを仲良しの幼なじみだと思っていた僕を嘲笑うような視線と空気が、無数の針となって僕をグサグサと刺してきた。
悲しくて、苦しくて、そして泣き出してしまいそうになるくらい心細くなった。今にして思えばそれは大げさだったのかもしれないけれど、小学生の僕にとってはそれくらい大きな出来事だった。
「……ねえ」
「ん……?」
さっちゃんはやにわに振り返ると、手を後ろに組みながら僕に向かい合った。
小さく開けたり閉じたりを繰り返す唇。彼女はそうして口ごもりながら、僕をチラチラと見る。そうしてから、やっと彼女は言葉を口にした。
「……天木くん」
──胸がチクリと痛んだ。
……天木くん、か。
リビングでもそう呼んでいたし、同じように呼ばれるのは当然だった。僕が彼女を名字で呼んだのと同じように、彼女もそうしただけ。でも、心のどこかで期待していたのかもしれない。今更になって、僕は再び思い知らされた。僕はやっぱり今でも、さっちゃんとのことを引きずってる。
「……なに?」
「その……。天木くんのお弁当って、お母さんが作ってるんだよね?」
……何だろう?
「そうだけど……」
「……そっか、そうだよね。……うん」
さっちゃんは小さく頷きながら、どこか真剣な面持ちで手をぎゅっと握り込んだ。
……いきなりどうしたのだろう。話の意図が全く見えない。
さっちゃんは一度深呼吸して、口を開いた。
「あのね、よかったらなんだけど……あたしがお弁当、作ってきてもいいかな……?」
「……え?」
──向かい風が頬を撫でた。
さっちゃんの綺麗な金髪が揺れて、女の子特有の甘い匂いが鼻をかすめた。その香りと、揺れる髪を手で抑えるさっちゃんの姿に、僕は懐かしさを覚えた。
……いや、というか。
「……どうしていきなり?」
「あ……えっとね、実は──」
話を聞くと、僕のお母さんと会ったときに、お弁当の話題が出たらしい。そう言えば、そもそもここに来ることになったきっかけは、お母さんと料理の話をしていたことが発端だと言っていた。
「それでお弁当作る練習するなら、天木くんがおすすめだよって言ってくれたから……」
「……おすすめ?」
「うん。ちゃんと正直に料理を評価してくれるからって」
……母さんはそんなことを言ったのか。
確かに僕も妹も、美味しいものは美味しいと言うし、まずいものはまずいとはっきり言う方だ。
今思えば、母さんの料理に対してもいつもそんな感じだった。人が作ってくれたものに対してまずいと言うのは、はっきり言って失礼なことだとは思う。けれど、母さんはむしろはっきり言ってくれた方が嬉しいのだと言っていた。
「それで……どうかな?」
さっちゃんの白い頬が、少しだけ赤らんで見える。
……母さんは、ひょっとしたら僕とさっちゃんのことを気にかけてくれているのだろうか。僕がさっちゃんと全く遊ばなくなった時期と、こういう性格になった時期は同じ。だから、母さんなりに色々考えていたのかもしれない。
そのこと自体は嬉しい。それは間違いないのだけど。
「……」
さっちゃんが何を考えているのか分からない。
あれだけずっとお互いに関わらずにいたのに。確かにきっかけは母さんと話をしたことかもしれない。けれど、そういったことは社交辞令的なもので、本当に遊びに来るなんてことはないと思っていた。
でも、実際にさっちゃんは来た。それだけは、現実に起こっていることだ。彼女が何を考えているのかは分からないけれど。
ずっと考えていた。ずっと気にし続けていた。
どれだけ考えないように頭の隅に追いやっても残り続けるわだかまりは、胸の中に追いやられてしこりとなって残っていた。
僕はもう二度とあんな思いはしたくない。だから僕は周りと関わらないようにしてきた。それだけが、僕の心を守る夢の壁だった。
……だけど、僕はその壁を……。
「……それなら」
僕はやっぱり、少しずつでもいいから。
「お願いしてもいいかな?」
「……!」
少しだけ目をそらしながら答えると、さっちゃんはぱぁっと顔を輝かせた。
「うん……! よろしくね!」
さっちゃんは何がそんなに嬉しいのか、久しく見ていなかった笑顔で答えた。
彼女にとっては負担ではないのだろうか。料理の練習とはいえ。わざわざ人の分を作るなんて。
「……それでなんだけど。一つ訊いてもいい?」
「ん……なに?」
「その……いつも、三上さんとお昼一緒に食べてるでしょ? どういう関係なのかなって……」
指先をすり合わせながらそわそわと。さっちゃんは小さな声で言った。
……僕と三上さんの関係。それを表す言葉はいくらでもある。
クラスメイト。知り合い。お昼ご飯を一緒に食べる人。そう、表す言葉はいくらでもある。
三上さんと出会ってからの日々は、毎日が目まぐるしかった。
ただ席に座ってもくもくと下を向いて勉強するだけだった日々が、いつの間にか顔を上げて人と話す日々に変わっていた。
窓から覗ける空は青くて、雲は白くて。
席から見渡せる教室は思ったよりも広くて、明るい話し声で満ちていて。
自分が思っている以上に世界は広いって知ることができた。他の誰でもない彼女のおかげで。
だからこそ、僕は。
「友達だよ」
もっとシンプルに。本当は、僕がずっと望んでいたものを。
震えそうになった唇をぐっと噛みしめて、僕ははっきりと言葉にした。
さっちゃんは僕の答えを聞くと、ほっとしたような、寂しそうな、でも嬉しそうに微笑んだ。
「……そっか、そうなんだ」
……そう。僕とさっちゃんも本当は、お互いに大切な友達だった。
だけど、それまで積み上げてきた積み木のような僕とさっちゃんの関係は、ただのガラクタのように無造作に散らばってしまった。
あの頃のことをなかったことになんかできない。きっとこれから先も、忘れられない傷になって残ると思う。
今でも胸を打ち続ける嫌な鼓動は止まらないし、目眩しそうなくらい頭が痛くなる。
……でも、それでも。
もし、昔みたいに戻れるきっかけになるのなら。
もし、また笑い合えるようになるのなら。
僕はもう一度、さっちゃんのことを知りたい。
「……あの、それとね」
さっちゃんは少しだけ引き締まった表情で、ポツリと言葉を零した。
「それと、もう一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
「……お願い?」
今日はさっちゃんとよく話す日だ。それも、数年ぶりの。
さっちゃんにどんな心境の変化があったのかは分からないけれど、それは今は置いておこう。
「うん、お昼ご飯なんだけど──」