「だーッ!クソッ、終わらん!」
頭を掻きむしりながら無駄にフカフカな椅子の背もたれに身を預ける。
完全に煮詰まっていた。見事なまでに頭が回らない。
「こりゃ駄目だ、一服しよう……」
机の引き出しからくしゃりとよれた粗悪な煙草の箱とライター。それにアルミ製の簡素な灰皿を取り出す。
窓を開いて灰皿を縁に置いた。外はすっかり夜の景色だ。
くしゃくしゃな箱から、これまた草臥れてしまった煙草が数本。そのうち一本を咥え、いつものように火をつけて煙を吸い込む。
「ふぅー…ッ」
窓の外に吐き出された紫煙をぼんやりと眺めつつ、束の間の安らぎを味わっていたが……
「あら、指揮官。書類は終わったの?せっかく来てあげたのに……」
扉を開く音とともに顔を覗かせたのは今日の副官を頼んでいたUMP45だった。
「残念、絶賛処理中だよ。つっても、今は小休憩中だがな」
「そうやって後回しにしていると、いつまでたっても終わらないよ?」
あきれたような顔をしながらも手には俺が愛用しているマグカップ。湯気が立っているあたり、どうやら飲み物の差し入れらしい。
「あ、また煙草吸ってる……身体に悪いよ」
呆れたように眉を下げて文句を言いつつも、マグカップを差し出してきた。中はコーヒーモドキだ。
「知ってて吸ってるの。んで、何でお前が?明日は出撃だから今日はもう休むように言ったはずなんだが」
窓の外に紫煙を吐きつつ、疑問をぶつけてみた。
そう、明日彼女の部隊は出撃の筈だ。いくら人形だからと言って、十分な休眠がなければコンディションは落ちてしまう。
「ふふ、私が居なくて本当にお仕事回るのかなーって、心配になっちゃった。そしたら案の定そんなものに頼ってる。どうして、煙草なんて吸うの?」
「どうして、か。深く考えたことはなかったな。こういう仕事を始めて、自然と吸うようになってた。きっかけは前線で一兵士やってた頃だったな。今吸ってるのと同じ銘柄の奴を戦友に貰ったんだ」
「そういえば、指揮官の昔の話ってあんまり聞いたこと無かった」
「そりゃ、聞かれなかったからな」
「なにそれ……。それで、ずっと同じようなの吸ってるの?」
むすっとした顔で睨みながら首を傾げている。かわいらしいサイドテールが揺れてるぞお嬢さん。
「……コレをずーっと吸ってるのは、吸いなれた味だからだよ」
「それだけ?」
鋭い視線。やっぱりこいつに隠し事は通用しない。
「……いや、まだあったよ」
俺は彼女から背を向けて、咥えた煙草を大きく吸い込む。
喉が焼けるような感覚と肺に煙が満たされてゆく感覚に浸り。
そして、ため息と共に煙を吐いた。
「こうやって、煙を吹かしてると、死んでいった仲間の事を忘れずに済む」
「指揮官……」
「ただ、空に霧散してく煙を見てるとな、いつか俺が死んだら俺の事なんてこの煙みたいにすぅーっと誰の記憶からも消えてゆくんだろうなって……柄にもなくアンニュイになるのさ。寿命を縮めながら死んだ後のことについて考えるなんてとんだお笑い種だが」
45は何も言ってこない。案外お前の指揮官ってのは大した人間じゃないんだぜ。
死について諦観しきれず、死んでいった仲間たちの事を引きずりながらお前たちに偉そうなもの言いをしてるんだ。
45から返事がない。ふと振り向くと、彼女は顔を伏せていた。そして———
「——おわッ!?」
俺が咥えていた煙草を掠め取って行きやがった。
「ねぇ、指揮官。何で私を頼ってくれないの……?私を頼るより、こんなのに頼りながら体を酷使する方が気が楽な訳……?」
そのまま、火の付いたままの煙草を握り潰した。
ジュゥ、と彼女の人工筋肉が焼ける音が静かな部屋に響き、握った手から紫煙は立ち上らなくなった。
「45、お前……火の付いた煙草握り潰すなんて何考えてんだ……⁉」
「指揮官、私は戦術人形よ。だからこのくらいの火傷なんてことはないの。でもね、貴方は人間なのよ?寿命を縮めて、身体を酷使して痛めつけて……それに、そんなに思い詰めて。なんでそんなに死に急ぐようなことをするのよ……」
泣きそうな顔になりながら、彼女は痛すぎるくらいに俺を抱きしめた。顔を胸に埋めたまま動こうとしない。
参ったな。こんな感情的になった45は初めて見た。
「あー……45?あの、苦しいから放してくれると助かるんだが……」
「……いや」
嫌ですか、そうですか。
緩めるどころかさらに締め付けてきやがった。い、息が……。
「それに……私は忘れない。絶対に忘れてやらないんだから。もし指揮官がよぼよぼのおじいちゃんになって私たちの事を忘れても、私は絶対に忘れない。もし指揮官が死んじゃって、他の誰もが指揮官の事を忘れても私は絶対に指揮官を忘れない。絶対、絶対に……」
絶対に忘れない。
戦術人形である彼女は記憶を……ログをバックアップできる。確かにそれなら忘れないが。
多分今、彼女が言ってるのはそういう事じゃないんだろう。
流石にどういう意味か聞き返す事はできない。そこまで気が利かない無粋な男ではないと自負しているさ。
彼女の宣誓を聞きながら、そっと窓を閉じて身体を抱き返してやった。
そこまで言われちゃ、ウジウジ悩んでいるわけにもいかない。亡き戦友へ今一度心の中で別れを告げながら俺はまた一段と強く、彼女と抱き合うのだった。
当然書類は終わらなかったし、ヘリアン女史にはしこたま怒られた。
「あら、指揮官さま。今日はお煙草は買われないのですか?珍しい……」
朝、ショップで朝食を買っているとカリーナに声をかけられた。
「ああ、煙草はもうやめた」
「うそ……毎日買っていらしたのに?」
「そうさ。俺も懐が厳しくてね。それに——」
「それに?」
「——健康に悪いからな」