同盟上院議事録外伝   作:kuraisu

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「我々もデルメルの愛国者であるが、それは同盟市民たる義務を疎かにすることと同義ではない。我々はルドルフ大帝の子孫の中でも、胡座をかいて玉座に座り帝国を名乗る腐りきった連中に大罪の償いをさせるべきであり、その一助とならんが為に、私を含め、我が党の要職にある者の多くは望んで同盟軍に席を置いていた過去がある。対帝国戦争の終結は帝国自身の自省によってのみ可能なのであり、講和では不可能である。罪を贖う意思を示さない帝国は本質的に信頼に値しない。
帝国の侵略に苦しんだ過去は、帝国の屈服によってのみ晴らされる。デルメルの愛国者であれば当然の認識であろうし、また交戦星域の兄弟たち、アルレスハイム、ティアマト、エル・ファシル、ヴァンフリート、ムサンダム、アスターテ、そして大夏。これらの国々で起きた悲劇と屈辱も講和によってではなく、帝国の屈服と平穏なる休息によってのみ癒されることだろう」
(とあるTV番組に出演した際に協商平和聯合党独立派議員から「デルメルの愛国者であれば同盟の義務とやらで発生する無用な犠牲に怒りを覚えずにはいられない」の発言に対する銀河ローマ同盟党首アエミリウス・ロイヒテンベルク=ホールリンの返答より)

※本話は時系列的には同盟上議事録のヴァンフリート4=2防衛戦(1)と(2)の間


宇宙暦794年〜平和共和国の政権交代〜
人民元帥要請の対処相談、あるいはある老人の去就


「外務局から少々判断に困る面倒な話が出た。これについて皆の意見を聞きたい」

 

 定例の国務委員懇談会が始まった直後に、椅子に深く腰掛けたマルティノス議長がそう切り出したので、出席していた国務委員たちは何かよほど面倒な事が起きたらしいと判断し、内心ため息をつきたい気分になった。

 

 外務局から面倒な案件が飛び込んでくるのは、珍しいことではない。それどころか、むしろ自然であるとさえ言って良いだろう。なにせデルメルは自由惑星同盟の構成邦でありながら、自国の『歪な平和』の為にフェザーン企業を介して帝国軍の中枢と表沙汰に出来ない関係を構築している。少なくとも年に二回は外務局が忙殺されるほど業務過多になる政治的な炎上が起こるのは常態となっていた。

 

 だが常態になってしまっていることもあり、それなりに対処能力があるのも事実で、四半世紀にわたって国務委員会議議長をしている老人がこんな前置きしてくるようなことはない。それにわざわざ懇談会の席で話を切り出すというのだから、どれほどの厄介事なのかと身構えるのも当然であった。

 

 国務委員懇談会は閣議とは異なり、行政府としての決定を行う場ではなく、国務委員同士で自由で忌憚のない意見交換・情報交換を行う場であり、差し迫った案件がないときは雑談に終始することもあるくらいには堅苦しくなく、言いたいことを比較的責任を負わずに発言できる比較的気安い場でもあり――議論内容と結論がなんら表に出ないまま闇に葬られることもよくある場であった。

 

「フォルカー委員、説明を」

 

 議長に促され、外務担当国務委員であるアーノルド・フォルカーが口を開いた。

 

「ヴァンフリートの元首モハメド・カイレの名において、【交戦星域】首脳会議の臨時招集が要請されました。曰く、帝国軍の次期出兵の目標がヴァンフリートであり、ついては各国邦軍の増援をあおぎたいとのこと。そして数日中にパランティアの首都ムンドブルクにて行う方向で調整をしている……と」

 

 国務委員たちの反応は様々だった。どうして帝国軍がヴァンフリートに侵攻をと訝しむ者もいれば、あの人民元帥がよそ者の助けを乞うとは意外だと驚く者もおり、会場がパランティアであることに苦虫を噛み潰したような表情をしている者もいた。

 

 そして全員が得心した。たしかにこれは面倒なことであると。

 

「あー、そもそもの疑問なんだけど、ヴァンフリートの望みが自国防衛の為に交戦星域の国々邦軍を派遣してくれることなのだから……我が国が出席したところで、彼らの期待に応えようがないのでは?」

「いや、そうとも限るまい」

 

 情報交通担当国務委員アークエットの判断に、防衛担当国務委員リュティが待ったをかけた。

 

「なぜですか。我が国には公式上邦軍が存在しない。オリュンポス・カンパニーの警備兵たちを送り込むわけにもいかないでしょう」

「タケミナカタから兵を借りれば、政治担当として幾人かの防衛局員を将校待遇で随伴させれば、一応の体面は整えることができる」

「それはタケミナカタが自分の邦軍を送るか否かは彼らが判断すべき事柄でしょう。タケミナカタとて、交戦星域会議への参加資格を持つ国。当然、彼らにも臨時会開催の報せが届いて……届いて……あ、なるほど。物理的に届いているわけないわね」

 

 アークエットは肩をすくめた。タケミナカタ星域は大変に不安定な恒星を有しており、更にそれに隣接する名もなき星系群の恒星も同じく不安定で、頻繁に恒星風だのパルス波だのを撒き散らしていることから大変な恒星間航行上の難所として知られている。

 

 が、恒星間航行以上に問題なのが、恒星間通信であった。かくも通信波に悪影響を及ぼす要素が多すぎる為に、あたかも何者かによって常時電波妨害をされているが如き有様となっているのだった。あまりの酷さに数十年前にティアマトとデルメルが奇跡の共闘体制を作り、ほとんど気合いでタケミナカタに通信回線を通して同盟の恒星間ネットワークに接続できるようにはしたものの……大宇宙の神秘の前には一歩及ばず、頻繁に通信回線の調子が悪くなってるのが実情だった。

 

 そのような星域にある国のため、下手をすれば今回の緊急交戦星域首脳会議が行われる情報がタケミナカタ政府の首脳に届く頃には、既に交戦星域首脳会議が終わっているなどということになりかねない。

 

「お気づきになれたようですが、その点、ヴァンフリートの皆様方も御承知であられるのか、今回の会談で最初からタケミナカタには呼びかけていないようですね……」

 

 フォルカーは神妙な調子でそう付け加えたが、その声に苦笑の色が混じっているは隠しようもなかった。

 

「外務担当国務委員。ひょっとしたら勘違いかもしれないから確認するが、それは言い換えれば意識的に俺たちには参加を呼びかけているって考えていいのか。あのヴァンフリートが、俺たちデルメルを」

 

 ニヤニヤとした笑みを浮かべながらそう確認したのは副議長兼財務担当国務委員のアラヴァノスである。半ば冗談じみた口調での確認であったが、フォルカーが重々しく頷くのを確認すると揶揄うような表情がサッと消えた。

 

「……なるほど。たしかに、そいつは一大事だ」

 

 自分に言い聞かせるようなアラヴァノスの言葉であったが、その言葉は全国務委員の胸に深くのしかかった。『歪な平和』が成立して以来、デルメルは同盟の安全保障関連の案件には疎外されてきた。デルメルも属している【交戦星域】という頻繁に帝国軍の脅威に晒される安全保障関連の問題には特に。

 

 それは交戦星域諸国が望まなかったからであり、デルメル政府自身が帝国軍とも繋がりがある自分たちがいては腹の割った国防の話ができないだろうと意識的に避けてきたからでもある。同盟上院の安全保障委員会にも、交戦星域に位置する国家であれば一人は弁務官を所属させるものであるが、デルメルからは一人も所属させていない。

 

 そんな我が国に、国土防衛の直接的支援を求める首脳会議への出席を求める? よりによってあのヴァンフリートが!? その衝撃たるや筆舌に尽くしがたいものがある。【交戦星域】の中にあっても最前線に位置して同盟軍部と深い関係を築き対帝国戦争のために大きな負担をしているヴァンフリートが、同じく【交戦星域】にあって帝国軍とコネを築く邪道を用いて平穏を手に入れ、豊かに発展を遂げたデルメルをどのような目で見ているか、知る者であればこそ。

 

「無論、定期的に開催されている交戦星域首脳会議という枠組を利用しただけという可能性もあります。しかし、公式にタケミナカタへの呼びかけをしていない一方で我々には声をかけるというのは、なんからの意図あってのこと、と、考えるのが妥当でありましょう」

 

 フォルカーの見解に、多くの国務委員は考え込み、時間にすれば数分だが、永遠にも思える沈黙が流れた……。

 

「それで……外務担当国務委員としては、どうしたいと考えておられるのですか」

 

 沈黙を破ったのは防衛局の長であるリュティだった。

 

「私としては、首脳会議には参加すべきと考えている」

「タケミナカタから兵を借りれば、ヴァンフリートへデルメルとして援軍を出す、というのも不可能ではないでしょう。幸いと言っていいか、タケミナカタのホンマ棟梁は多くの諸邦とのコネを築くことに腐心されているお方ですゆえ、少々非礼な形になろうと交戦星域諸国に恩を売れるとなれば乗ってくるでしょう。精鋭のモレヤを気前よく貸してくれるかもしれません」

「……それ、二年前にアルレスハイムでやらかした連中じゃないか。たしかに強いといえば、強いのかもしれんが、あんな方向での面倒、私はもう二度と御免だ。彼らを送り込むくらいなら、銀河ローマ同盟のアエミリウス氏に頭を下げて退役軍人からなる義勇軍でも送りつけたほうがまだマシです」

「しかしそれではとても他の構成邦軍に質でも数でも大幅に劣ることになりましょうし、下手をすれば足手まといになりかねません」

「防衛担当国務委員、言葉が悪かったようだ。私は首脳会議には参加すべきとは言ったが、ヴァンフリートに兵を出すべきとは思っていない」

「は? それはどういう……?」

 

 訝しげな表情を作ったのはリュティだけではなく、他の国務委員もだった。フォルカーは噛み砕いて説明を始めた。

 

「我々が兵を出しても、それを信頼にたる戦力だとは絶対に思わないだろう。なにせ、我が国の立場が立場だ。どれほど立派な戦力であっても、たとえ間に同盟軍の仲介が入ろうとも同じこと。ではなぜ、そんなことがわかりきっているのに、ヴァンフリートの最高指導者は我らに首脳会議への出席を求めたのか」

 

 フォルカーは周囲を見渡し、自分の言っていることが伝わっているかを考えた。

 

「もう五年近く前になるが、本土を帝国軍に占領されたエル・ファシルに対し、我らは可能な限りの経済的支援をし、本土奪還後はその復興に惜しみない支援を行った。もちろん、他の同盟諸邦からの支援もあってのことではありますが、エル・ファシルは急速に立ち直りつつあります。その辺りを考慮し、我らに参加を呼びかけたのではないか、と」

「つまりヴァンフリートが私たちに求めるのは軍事支援ではなく、戦後のヴァンフリートの復興支援であるとあなたは見ているわけね」

「その通りです。また、現状我らが示せる同盟諸邦の連帯としてはその辺りが最も現実的であるとも思えます。残念ながら、一朝一夕でヴァンフリートが長年デルメルに募らせてきた猜疑心と嫌悪をどうにかできるわけでもない以上は」

「そこまで読んでのことと? 少し向こうが私たちを理解していることを期待しすぎではなくて?」

 

 アークエットは顎に手をあてて、懸念を述べた。あまりにもデルメルにとって都合よく考えすぎではないかと思えたのである。アラヴァノスもその意見に深く頷く。

 

「それに外務担当国務委員の見解が正しかったとしても、だ。アルレスハイムの時を思い出せ。あの時、我々はタケミナカタの邦軍がアルレスハイムに入る仲介役を担っただけなのに、帝国軍からあれこれと言われて『歪な平和』が揺らぎかけた。貴族私兵の私掠対策ならともかく帝国軍出兵対策にデルメルが参画するとなると、面倒な事態を招く恐れがあるぞ」

「ええ、それもありますから、私は直接的な軍事支援することには、はっきりと反対を表明します」

「同じことだ。今回の交戦星域首脳会議は、名目からしてヴァンフリートへの帝国軍侵攻への対策というものだろう。結果として、なんら具体的支援をしなかったとしても、そんな会議に参加したというだけで、今度のオリュンポス・カンパニー株主総会が荒れることになるのは必至だぞ」

「同意します。ですが、そのリスクを甘受してでも、今後のデルメルの同盟での立場を考えると会議には参加すべきです。これは外務局をまとめる者としての意見です」

 

 フォルカーは挑むようにアラヴァノスを見た。彼は数年前まで同盟弁務官として働いていたこともあり、同盟という【国家】におけるデルメルという【地方自治体】の立場の危うさというものを理解しており、それが故に同盟諸邦の連帯というものを絵として示せる機会は逃すべきではないと考えていた。

 

「数年前ならば、それもいいかもしれんが……」

 

 少し後ろめたそうにアラヴァノスはそう前置きし、述べた。

 

「今は時期が悪い。帝国でカストロプ閥を排された後であろうとも、帝国軍との秘密取引を、ひいては『歪な平和』を継続させる約定を帝国軍中枢との間でえられそうなところまできているんだ。もしこの会議に出席したことで、先方にヘソを曲げられたら、とても厄介なことになりかねん。カストロプ閥の凋落は日に日に勢いを増していることはお前とて知っているだろう。あと何年帝国中枢のプレイヤーとしての立場を保っていられるかわかったものではない。下手を打てば、この国がまた戦場になりかねないんだぞ」

「……なるほど。ですが、ここで首脳会議に参加しないという選択をした時、交戦星域諸邦からの我々への心象というものは、どうなるのです? ムサンダムは大丈夫でしょうが、大夏やエル・ファシルとの友好関係も失われる可能性がある」

 

 フォルカーの声には怒気が滲んでおり、アラヴァノスとの間で言い争いの様相を呈し始めた。他の国務委員たちも両者の主張には相応に重みがあるだけに、どちらの側に立っても角が立ちそうと思い、様子を見ながら深く思考を回転させていた。

 

 二人の言い争いがひと段落したところで、嗄れた咳払いが響いた。沈黙しながら議論を見守っていたマルティノス議長のものであった。

 

「議論が白熱しているところ悪いが、一言言わせてもらおうか。おぬしら、私は今年で八三歳ということを忘れておらぬか。今少しこの老骨の健康を案じて欲しい」

 

 すっとぼけたマルティノスの発言に、賢明なる国務委員たちは脱力した。

 

「さて、私の意見を言わせてもらうが、交戦星域首脳会議の臨時招集についてだが、ひとまずは参加前提で調整して良いのではないか」

「議長、しかしそれでは……」

 

 アラヴァノスがなにか言いかけたのをマルティノスは手をあげて制した。

 

「さて、話は変わるが、ここのところ連日の激務で疲れがたまっておる。諸君、このままでは明日か明後日には体調を崩してしまいそうだ」

「あ、あー……なるほど、療養期間はどの程度でしょうか」

「まあ、一週間程度では少々不安であるから……二週間から三週間ほどあれば十分ではなかろうかな」

「了解しました。人的資源担当国務委員、()()()()()()()の手配を頼めるかしら。政府としてどのように発表するか事前に打ち合わせしておきたいの」

 

 マルティノスの意を察したアークエットは良い笑みを浮かべながらその意に沿うために思考を走らせた。この国においては『歪な平和』に配慮した形での報道をしなくてはならず、事実を多少歪曲糊塗した政府見解を作成する準備は彼女の得意であった。

 

 もっとも報道管制をしているわけでもないため、同盟の国営メディアや他国から入ってきた情報でその矛盾をすっぱ抜かれることもままあるのだが……それでもレッテルとか穿った見方とか主張すれば、ある程度のデルメル市民からは信じられるくらい、彼女の真実と嘘の使い分けや事実の管理が巧みなところがあった。

 

「外務局としては、議長の唐突の体調不良により会議への参加が急遽取りやめになってしまうわけですから、侘びのために相応の格のある人材に謝意の手紙を持たせて派遣しなくてはなりません。私が行ければ良いのですが、それでは何のためにマルティノス議長に体調不良になってもらうのかわからなくなりますし……私としては、パランティアの駐在大使館に書記官として務めていた経験があり、現在は外務局交戦星域部次長の地位にある者あたりが妥当と考えますが」

「ふむ……そんなところであろう。謝意の手紙についてはすべての首脳に宛てて認めるつもりだが()()()()()を含んでおくべきは、エル・ファシルのペルリン首相、そして今回の会議を要請したヴァンフリートのカイレ元首でよいかな?」

「いえ、大夏のフー総統とムサンダムのタギーザーデ大統領にも()()()()()を含んだ手紙を送るべきです。両国は我が国の立場をよく理解してくれる友好国です。特にムサンダムは『歪な平和』成立直後に交戦星域で孤立を極めた我が国と一定以上の関係を保ってくれた得難い国。蚊帳の外にしてはマズイと考えます。謝意の手紙の詳細につきましては、議長が体調を崩される時までにいくつかのパターンを用意しておきます」

「あいわかった。その方向で任す」

 

 マルティノスは豊かな白髭を摩りながらそう言った。大まかな方針が決まった後は、雑談混じりの情報交換を少々した後、懇談会は終了となった。国務委員たちはそれぞれ次のスケジュールのために移動したが、アラヴァノスがまだマルティノス一緒に同じ部屋に残っていた。

 

 彼らに今後のスケジュールがないわけではなかったが、マルティノスがアラヴァノスを呼び止めたのである。建前とはいえ、体調不良になる身であるから、その間の政権運営を副議長である自分が代行することになるかもしれないのだから、その点についてなにか言っておくべきことがあるのだろうかとアラヴァノスは予想していた。

 

「……弁務官をしていた頃から顕著だったが、やはりフォルカーは危ういな。我が通商派の有力者で、実力もあるとはいえ、少々理想主義的で、同盟寄りに過ぎる」

「はあ」

 

 どうしていきなりそんなことを言うのかが理解できず、アラヴァノスは気のない同意をした。

 

「前々から考えていたことであるが、良い機会だから決心がついた。私はそろそろ議長と党主席を辞任しようと思う」

「え?!」

「何も驚くほどのことでもあるまい? さっきも言ったが、儂ももう八三歳だぞ。これ以上、デルメルの舵取りをし続けるのも難しいと思うようになってきた」

 

 マルティノスはハァとため息をついた。心なしかその姿が、いつになく老いているように感じられたが、アラヴァノスはそんな感情を振り切って言った。

 

「し、しかし議長はカストロプ閥が滅んだ後も『歪な平和』を維持できるようになるまでは引退する気は無いと党中央委員会で言っておりませなんだか?!」

「たしかに言ったが、一応のめどはついておろう?」

「ですが、議長ほど鮮やかに協商平和聯合党をまとめ、国民議会をまとめ、株主総会で帝国軍やヘルメス一族ともがっしりと組みあえる指導者など他におりますまい。どうか、カストロプ関連の問題にカタがつくまで、あともう数年だけ、党と国家のために老骨に鞭打ってはいただけませぬか」

「あともう数年か……」

 

 どこか遠い場所を見るようにマルティノスは視線を宙に向けた。遠い遠い過去に想いを馳せているようであった。そして唇の端を歪めた。

 

「議長になって五、六年くらいの頃はいつもそう思っておったな。ここまで長期間議長をしていた者などデルメルの歴史をひっくり返してもなかなかおらぬから次に任せることを考えてはどうか、などとよく言われたからな。だが、おぬしの言う通り、儂には調整屋として類稀な才能があったようで、自分がやった方が良い。後進に任せるにしても、もう数年は自分がデルメルの舵取りをしなくてはといつも思っていた。だがな、デルメル史上最長の国務委員会議議長となり、在任一〇年を過ぎたあたりの頃からもう数年などと思うことがなくなった。同世代の者達が引退するなりしていく中で、あることに気づき、若い世代に不信を抱くようになったからだ」

「不信、でありますか」

「そうだ。儂は『かつてのデルメル』を覚えている、最後の世代なのだとな」

 

 かつてのデルメル。それが何を意味するのか、アラヴァノスには瞬時に理解できた。過去の経緯はともかくとして、この国がまだ普通の同盟構成邦であった頃。この星に眠っていた豊富な地下資源の存在に知らず、帝国軍の毒牙に蹂躙されすらしてない頃、農業惑星だった頃のデルメル。

 

「老人の思い出話になるが、少し聞け。儂は一〇代になるまではそれなりに平穏に幸福に暮らしておった。そしてある日、帝国軍の畜生どもがこの星の地下資源を求めてやってきた。この国は戦場となり、儂らは生きるために国中を逃げ惑った。兵士として戦える年頃になると兵士として志願し、生命をかけて帝国の略奪者ども相手に戦った。ジャピエン政権が打ち出した『歪な平和』の方針に烈しく憤ったものだ。なんであんな連中と手をとりあわねばらん、とな。そして私は創立期の協商平和聯合党に入党した。こんなふざけた平和などぶっ壊してやる、などと思いながらな」

 

 そこでもう一度マルティノスは深いため息をつき、ぐるりと首を動かしてアラヴァノスに視線をぶつけた。マルティノスの瞳にはなんらの感情を有さない、冷たいものが宿っているように思われた。

 

「なあ、わかるというのか。幼き日の原風景が全て焼き尽くされる無力感と悲哀が。友や家族が理不尽に殺された悲憤と憎悪が。『歪な平和』のおかげで幼き子らが元気に遊んでいる光景を見て感じる喜びと辛さが。帝国と仲良く握手しているような体制を変えてやると政治の世界に飛び込んだくせに、それそのものに成り下がっている自分という存在に対する……喩えようもない惨めさと虚しさが。わかるというのか。おぬしら若い世代に」

 

 アラヴァノスは圧倒されていた。偉大な議長の政治的手腕のほどに圧倒されたことは数え切れないほどあったが、こうしたマルティノスの人間的感情の発露から何もいえなくなるほどの圧倒されたことは初めての経験であった。

 

 何度か深く深呼吸をしてアラヴァノスはようやく口を開くことができた。

 

「わかりません。強いていえば、幸せな国民を見て、この国の抱える歪みを思い、複雑な感情を覚えることはありますが……議長のそれほどとは、とても」

「当然だ。だが、その認識があるならば良い。儂は辞任後、次期党主席としておぬしを推薦するつもりだ。本当なら同じ通商派の幹部のだれかにすべきなのかもしれんが……だれもいさかか不安要素があるでな」

 

 特にフォルカーは力量そのものはありそうだが、若い頃の自分を思い起こさせることもあって非常に不安だ、とはマルティノスは口には出さなかった。

 

「その点、おぬしは内政派ではあるが、通商派とも顔が効く。それに党内の独立派が妙に規模を拡大させている今、これまで以上に内政派と通商派は歩調を合わせるべきと考えると、やはりおぬしが一番妥当であろう」

「本当に辞任なされるので……?」

「ああ、党内を始め、色々と根回しや引継をせねばならんだろうから、すぐにというわけではないが、今年の暮れか来年の初頭くらいには辞任するつもりだ。その際、今回の体調不良を引きずっていることを理由とする」

 

 マルティノスはすくりと椅子から腰をあげて立ち上がった。そしてスタスタと歩き、そのまま外に出て行く扉を開けた瞬間、くるりと首だけアラヴァノスのほうへと振り返り、モノクルを煌めかせながら言った。

 

「政権運営をどのようにすべきかについて儂はとやかくは言わん。だが、『歪な平和』は絶対に維持せよ。同盟軍がイゼルローン要塞を陥落させぬ限りにおいては、な。任せるぞ、アラヴァノス新国務委員会議議長殿?」

「……はっ!!」

 

 この瞬間、実質的にガフパリア・アラヴァノス政権が誕生することが確定した。よほど想定外の事態が発生しない限り、マルティノスはその手腕で持って協商平和聯合党内をまとめ、アラヴァノスを党の主席に選出させることだろうし、巨大与党として常に七割近い議席を確保し続けていることから国民議会での首班指名も間違いなくなされることだろう。

 

 もっとも、アラヴァノス政権が安定して政権運営できるかどうかは、アラヴァノスの国家指導者としての器量と運にかかっているのであろうが。

 

 自分に背負わされることになる責任の巨大さに、アラヴァノスは震えていた。

 


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