「いったい何なんだ?」
知らない森、知らない場所、知らない音、知らない空気感、知らない匂い。全てが恐怖を煽り、この状況の異常性を訴えている。だが千賀はこの状況を知っている。そんなことがあるはずがないと分かっていても、普段ではあり得ない恐怖を強く感じた壊れかけの思考はそんな馬鹿げた答えを出してしまう。漫画や小説の中でしかない筈のあの超常の力、俄には信じ難いが明らかにこれは……。
「転移なのか?」
千賀はこの状況をそう結論づけた上でなお、考えがまとまっていないようだった。必死に化学的な答えを出そうと脂汗をかきながら考える。だが結局、この状況を理解するのには非科学的なものに頼らざるを得ない。その事実に半ば放心しつつ、それでも生きなければならないと体が動く。
「まぁ……いずれにしろ夢じゃないなら、やる事はひとつだ」
こんな異常事態に置かれながらも千賀の思考は極めて冷静に自分の命を繋ぐ方法を取ろうと動き出していた。
「まずは食料を探す、なければ寝床と周辺環境の把握、時間があれば人だ」
まずは衣食住それと状況把握である。この際篝が生きていてもいなくても、食料と寝床が確保しなければならない、この二つが揃ってなければ再開したとしても共倒れしてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。本来であれば他人の捜索など遭難中に考えるなどは愚策でしかない、自分が生き残ることだけ考えるべきなのだから。しかしそれでも千賀は篝を探すことを切り捨てる事はできなかった。
「合理主義が聞いて呆れるな」
そんな現代人としては当たり前な思考を自虐するくらいには千賀はこの状況に焦っていた。不幸中の幸いと言うべきかこの場所は森林地帯、探せば食料はいくらでも見つかることだろう。
「問題は毒かそうで無いかを見分ける術を俺が持って無いことだよなぁ、食ったら即死とか普通にありそうだし」
そう千賀には野草の可食不食の知識はこれといってない、よくて木苺や野生のワイルドベリーが分かる程度である。幸い食べ物が無くても今すぐ死ぬ事はないが水はそうは行かない。だからこそ飲める水源を探すことが何よりも優先される。
「最近は本の虫として家に引きこもってたから、体力に関してはゴミとは行かずも腐り掛けだからな」
そうぼやきながら森を歩き回っていると、千賀は軽度の違和感を覚える。辺は比較的静かである。森として不自然なほどに、鳥の囀りの一つすら聞こえない。ただただ、風によって木の枝が擦れ合う音で満ちている。その上、この場所の暖かい気候だ、まるで春先のような暖かさ、冬に差し掛かろうとしていた日本とは少なからず緯度が違うらしい。浴衣でちょうど良いと感じるほどにこの厳しい環境で気候だけは千賀の味方をしている。
そんな中、水と食料を求めて探索していると、辺りには赤、青、黄と色取り取りの草花、見ていて飽きない景色の変わり様である。ふと何かの音を聞いたのか千賀が立ち止まって耳を澄ませると、ゴォーと大量の水が落ちる音が微かに聞こえた。
「滝でもあんのか?」
早くも第一目標を達成した千賀は、少しの安堵と命が繋いだ事による緊張からの解放でドサっと地べたに尻餅をつく。千賀は自分が思っていたより疲れていたようで座り込むとすぐに頭を項垂れて全身の力を抜き呼吸を荒くする。まるで体全体が今やっと状況を飲み込んだかのように。
しばらくの間、体と心を落ち着ける為に木にもたれかかって目を閉じ休んでいると、サーッと心地の良い風が頬を撫でるように吹く。つい寝てしまいそうになった千賀は慌てて目を開けて頭を振る。
「ここで寝たら何があるかわかんねぇ、せめて身を隠せる場所を見つけてからじゃないと」
まだ周りの生態系すらまともに理解していない状態で睡眠をとるのは非常に危険である。何故ならば熊や狼、狐などの肉食獣に寝ている間に出くわしたらほぼ確実に死ぬからだ。それが分かっている千賀はなるべく早く寝床を確保して、出来るだけ長く睡眠をとる事を二番目の目標に据えている。この気候のせいか、そもそも場所や状況のお陰か千賀には分からないが、少しの休憩でも体力が大幅に回復した。また水源を目指して歩き出す。
「ツツジやスイセン、百合なんてのもありやがるってのに、食べ物がまるでない、多分そのせいだろうが、熊どころか猪、鹿まで居やしねぇ」
そこまで喋って、千賀は立ち止まる。そしてクルッと回れ右をしてもう一度自分が見た光景を再認識する。
「ツツジ、スイセン、百合、、、」
千賀が再度見たとてそれは変わらず咲いている。けれどそんな筈はないと何度も瞬きをする。
「全部、咲く時期の違う花じゃねぇか」
何度も不可思議な出来事に出会すと人間は慣れてしまうもので、千賀はハァとため息を付きいてからまた歩き出す。この男は諦めがいいのである。自分がどんなに不幸になろうとも災厄に見舞われようともある程度割り切って考えられるくらいには感性が穏やかなのだ。それを持って気にしないことにした千賀も少し歩くとその甘い考えを捨てざるを得なかった。
「ここまで来ると圧巻と言うか何と言うか……」
呆れ混じりに冷笑を浮かべた千賀の目の前には一面の黄金の向日葵畑であった。それはまさに太陽の光の如く燦々と咲き誇っている。
「季節感ってのはどこ行ったんだ?」
手前にある小川と合わさって絵になると言う表現を使わざるを得ない。そのあまりの美しさに目を奪われその畑の中へ足を踏み入ようとした時、千賀は気づいた……。
ひとりの女性が日傘を差して向日葵の中にひっそりと佇んでいた。
向日葵に映る死の影
ふわりと回る日傘には
凍る笑顔が咲き乱れてる