「ジジイ……」
「なんだ、デンジ」
「この服、動きづれぇんだけど」
デンジは着ている服の袖を持ち上げ、億劫だと言わんばかりに腕を上げた。
デンジが纏っているのは紋付き袴であった。ちなみに、家紋は桑島家の物だ。山を下りるなり、呉服屋に駆け込み、特急で間に合わせた一品である。しかし、基本的に紋付き袴というのは、かなり着付けが厳しく、普段、動きやすい胴着になれてしまったデンジからすれば億劫で仕方が無かった。
その抗議に、同じく紋付き袴姿の慈悟郎は片眉をあげ、嘆息をつく。
「我慢しろ」
「そういって、もう一日だぜ? いい加減――」
腕を組んで非難をしていたデンジの喉元に、扇子が突きつけられる。
「デンジ、言葉を変える。黙っていろ。いいな?」
殺気すらも纏っている慈悟郎の気迫に怖じ気づいた、というより、このまま騒動を起こしても余計に面倒で、時間が浪費するだろう予測がついたので、デンジは黙る。
「へぇ」
やる気がなく、そればかりか舌を出して態度でデンジは抗議をする。普段の慈悟郎であれば拳の一つでも飛んでくるが、それきり慈悟郎は黙ってしまった。
ああ、これは本気で駄目だ、とデンジは理解し、窓――板が取り付けられ、外がわからないようになっている――それでも、窓に視線をやった。
デンジと慈悟郎は、小さな馬車に乗っていた。
乗客は二人のみであるが、そもそも、この馬車には操縦者がどんな顔をしているのか、それすらも理解できない。
昨日の朝、この衣装を着せられたデンジと慈悟郎の屋敷に、素顔を隠し、全身黒づくめの人間が現れる。慈悟郎の説明では、この者たちが鬼殺隊の隠蔽工作や隊士をサポートする『隠』と呼ばれる者たちで、これから柱合会議へ連れて行くとのことであった。
デンジは、黒づくめでいかにも怪しい風体の隠たちに、本当にそれで隠蔽工作などができるのか、逆に目立たないか疑問を抱いたが、今まで問題なくおこなってこれたのだろう。それに、慈悟郎も隠に大人しくしたがっていたので、不安はあるが、隠から渡された目隠しをつけ、耳栓も装着し、背負われて屋敷を離れた。
それからは、籠、列車、最初と同じく背負われるなど、何度も手段を変え、遠回りなどをしているのか、それまでと正反対の方向や、来た道を戻ったりを繰り返して、目隠しを外していいと言われた場所に、窓が板で塞がれた馬車があって、それに乗るように指示された。
慈悟郎とは屋敷で離れたが、馬車には慈悟郎が既に乗車していた。隠は、ここで一晩明かしてくれ、と二人分の食事、寝具、簡易トイレが座席の下に置かれていると説明していなくなってしまう。
その対応に何も思わなかったわけではないが、しかし、ここから無理矢理に離れれば、どうなるのか、そもそも、慈悟郎からは柱合会議は、デンジの処遇を決める会議だと教えられたのだ。
デンジは慈悟郎から、鬼殺隊に入隊しなければ殺す、と最初に説明はさせれていたし、理由も明かされ、承知もしていた。
殺されることは断じて認められないが、この世界で鬼という存在がおり、さらに異世界から悪魔という鬼とは別種の異形を宿した男、そんな怪しい存在は懸念しかないことに、納得できる部分もあった。なまじ、デンジの世界は悪魔という異形に人々の安全と命が脅かされ、しかもそれは身近に存在し、実際にデンジは悪魔に命を奪われている。
その脅威と、そして、恐怖を理解できないほど、デンジは馬鹿ではない。
つまり、デンジが暴れたり逃げれば、会議を開くまでもない。
――殺せ、一択だ。
そんな理由で大人しく過ごしている。
だが、一時間が経過してデンジは暇を持て余した。六時間が経過し、昼寝も飽きた。現在は狭い空間に慈悟郎と二人で半日以上過ごしている。睡眠を取り過ぎてもう眠気はない。そればかりか、狭い車内では軽い伸びもできず、桑島門下に入門し、既に一年近く経っており、鍛錬に明け暮れていた日々であるから、身体を動かせないことに苦痛を覚え始めた。
しかも、それを助長させているのが慈悟郎である。
慈悟郎は何も言わずに、ずっと無言を貫いていた。
雰囲気が重い。普段の慈悟郎も話し好きな方ではないが、寡黙ではない。なのに、ここでは一言も自分から話をしない。
デンジが話しかけても、一言、二言で終わってしまう。わざと、そうした会話にしているようであった。
何か、考えがあるのかとも思ったが、考えがあるならあるでさっさと言って欲しいと苛立ちを覚え始めて、再びデンジは口を開こうとしたとき、その口を慈悟郎の掌が覆い隠した。
いつの間にか、慈悟郎は音もなくデンジに近寄っていた。
無言のまま、慈悟郎は人差し指を口に持っていった。
黙っていろ、との意味に、デンジは頷くと、慈悟郎は手を離した。
そうして、慈悟郎は懐から紙と鉛筆を取り出すと、さらさらと書いていく。
『会話は聞かれている。これに書け』
そういって、デンジにも、もう一組、紙と鉛筆を渡した。一通りの読み書きをデンジは慈悟郎から教わり、出来るようになっているのは前述の通りである。
慈悟郎は続ける。
『そろそろだ。柱合会議は昼間に開かれる。最後に確認する』
デンジは頷いた。
『気をつけることは?』
その問いかけに、デンジは指を四本立て、紙に鉛筆を滑らせた。
『よけいなことは話さない
けいごを使う
めいれいにしたがう
決してこうげきしない』
慈悟郎は満足げに頷く。そうして、一通の封筒を取り出してデンジに渡した。
デンジは首をかしげつつ、開封すると、その中には現金が、市井なら一年は余裕で遊んで暮らせる額の大金が入っていた。思わず声を上げそうになるデンジを、再び口を押さえて慈悟郎は止めさせた。
『デンジ、最後にいっておく
何があっても諦めるな。
もしものときはチェンソーを生やせ。それで、逃げろ。儂は置いていけ。逃げろ。ただ、誰も殺すな』
デンジが読み終わって頷くのを確認し、慈悟郎はデンジの持っていた紙も奪い、自身の紙とデンジに渡した紙を、同じく隠していたライターで焼いてしまう。
ふと、デンジが依然として封筒を持ったままだと気づき、デンジの手から封筒を奪って、デンジの懐に無理矢理ねじ込んだ。
ねじ込むのと、馬車の扉が開かれるのは同時であった。
☆
「これが悪魔の少年か、ただの子供じゃないのか?」
「人間とうり二つな鬼だっていますよ。それに足下を掬われるのが我々です」
「いやいや、この少年は日光を浴びても灰にならない。鬼ではない」
「しかし、もしも鬼であれば鬼舞辻の追い求める太陽を克服した鬼と言うことに……」
立派な屋敷の一角、白州の庭に臨した場所に集まった七人の男女は、デンジを観た途端、口々に感想を述べる。
彼らこそが、鬼殺隊の幹部、鬼を五十体以上の討伐、もしくは、鬼の中でも隔絶した力を持った存在である十二鬼月を討伐した実力の持ち主である『柱』である。
デンジの存在――悪魔が実在する異世界から来訪し、その悪魔の心臓を宿した少年の存在を、彼らが知らされたのはつい先ほどだ。
全員が集合し、最重要で隠匿すべき秘密として、慈悟郎が御館さまに送った手紙を彼らは目にした。
その突拍子もない事実を告げる手紙に、ある者は慈悟郎の正気を疑い、ある者は慈悟郎に哀れみを覚えて、ある者は会議を乱すな、と憤慨した。
現在、柱たちが集まっているのは、半年に一度の柱合会議であるためだ。毎回、柱たちの顔ぶれは変わる――つまり、誰かは引退もしくは殉職している。
本来、半年に一度であるが、前回は柱が一ヶ月で三人も殉職し、その空席を埋めるために奔走し、開催できず、実に十ヶ月ぶりである。
慢性的な人手不足に悩まされる鬼殺隊の柱も、なんとか一定の技量を持った隊員が柱となって、一応の体裁は整った。
しかし、来てみれば、開幕一番に引退した育手からの、異世界からの少年たる報告である。
これで当人がきていなければ、寝言を宣わった育手から資格剥奪し、せめてもの慈悲でその少年共々、病院に送り込んでいただろう。
だが、その育手と少年がしっかりと来ており、しかも正装となれば、無下にも出来ない。
とりあえず、それぞれがデンジに視線を注ぐ。ある者は悪魔と呼ばれる未知の存在への好奇心から、ある者は本当に悪魔と呼ばれる存在などいるのか懐疑的な視線を、また、ある者は鬼であろうと悪魔であろうと、異形であるなら首をはねるだけと殺気をみなぎらせ、鯉口に手を掛けている柱すらもいる。
共通していることは、誰しもが好意的な視線ではなかった。
懐疑的な視線が半分、鬼であれば殺すといった敵意が半分である。
当のデンジは顔を上げず、慈悟郎と同じくずっと伏したままである。
ずっと、無言のまま伏していた。
「まぁ、あれだ。桑島翁、報告書は読んだが、報告書通りならその少年は、えっと……異世界から来たというのかね? 我々とは違って、悪魔、とやらが存在する世界からきた、と、本気で言っているのかね?」
一人の柱が慈悟郎の正気を疑うように、問いかける。
「はい、この者、デンジは悪魔が跋扈する世界から参りました」
慈悟郎は頭を上げず、平伏したまま単調に言い放った。
それで何人かの柱は堪えきれず、吹き出した。そもそも、平服したままでは表情は知れないが、慈悟郎の表情は変わらない。
「冗談はほどほどしてくれ、桑島殿。我々は貴殿の妄言のために貴重な時間を割いているのではないのだ」
神経質そうなその柱は、いかにも馬鹿にしたように慈悟郎に吐き捨てた。
「まぁまぁ、慈悟郎さんがいくら話してくれても、デンジ、くんといったかね? 彼がその悪魔とやらに変身すれば、一瞬でわかる。だから、やってくれないか?」
柔和な笑みを浮かべた別の柱が提案する。その時、はじめて慈悟郎は顔を上げた。
今にも柱たちを射貫かんと、その眼孔は鋭かった。
「それは構いませんが、こちらからもお願いしたいことが。デンジの安全を保証していただきたい。何人かの柱におかれましては、今もデンジに斬りかからんとされているご様子ですが」
その発言に、何人かの柱は動きを止める。しかし、慈悟郎の視線は和らがない。
デンジが悪魔になれと提案し、今も柔和な笑みを浮かべているのに、殺気を隠そうとはせず、そればかりか、片手で鯉口を切っている柱を注視していた。
一触即発の気配が流れている。
「皆、おはよう」
だが、それは突如飛散した。
柱たちはそれまで控えていた場所から、屋敷の縁側に現れた一人の人物を護るように陣形を組んで集まり、顔を上げていた慈悟郎も再び伏した。
十代後半の、まだ若いが、病的に痩せ細った青年――鬼殺隊の総まとめ役にして、要である男――産屋敷家現当主である産屋敷耀哉であった。
耀哉に付き添うように、盲目で涙を流す巨漢――岩柱の悲鳴嶼行冥が控えていた。
現在、八人の柱が集合する。
「久しぶりだね、慈悟郎」
「は! お館様におかれましてもご様子が優れているようで、何よりに存じます」
柱たちが挨拶を述べ、その返事もそこそこに終えた時、耀哉は慈悟郎に声をかけた。
慈悟郎は顔を僅かにあげて、応じる。
「その少年がデンジだね、顔を上げてくれないかな?」
しかし、デンジは動かなかった。慈悟郎が肘でデンジをつつくが、一切の反応がない。慈悟郎は怪訝に思い、柱たちの何人かは、デンジに殺意が向かれて気を失っているのかと思ったが、デンジは、
「グゥー、グゥー……」
寝入っていた。
今置かれた立場と状況を忘れている馬鹿弟子に、慈悟郎の拳がデンジに炸裂する。
「……いてぇ」
目をこすりながら、ついでに後頭部を強打したため、額が白砂にめり込み、砂利を払ってデンジは起き上がる。
あくびをしつつ、伸びをする。やはり、身体が動かせるのは素敵なことだと実感していた。
散々寝ていたが、馬車の中では横になれず、座したまま寝ていた。そのため、正座とはいえ横になれたし、もう初秋であって日差しは前ほど強くはなく、ついつい寝入ってしまったのだ。
そんなデンジの様子に慈悟郎の胃は猛烈に痛み、柱たちは仮に怒りと苛立ちを覚える者が大多数であった。
「こんちには、君がデンジだね?」
「ん? あぁ、そうだけど、アンタ、誰?」
ついでに、デンジは今までのことも忘れていた。具体的には、慈悟郎との約束も寝起きのため抜け落ちていた。
即座に柱や慈悟郎から鉄拳が飛びそうだったが、それより先に耀哉が手で制してデンジの発言を優先する。
「私の名前は産屋敷耀哉。鬼殺隊の当主をさせてもらっている者だ。慈悟郎のような育手の監督もしているね」
「ふーん、じゃあ、アンタが、あー……その、一番偉い人か……鬼殺隊にいれてくれるのを決めるんで?」
途中から敬語になったのは、隣に座る慈悟郎の殺気が時間の経過と共に増大しているためだった。敬語で話せと言われたことを思い出した。正座でも片膝でもなく、あぐらをかいていたデンジであったが。
「そういうことになるね、最終選抜を受けてもらうけど」
耀哉の言葉に、少しでも心証を良くするため、もう手遅れであるけれど、失礼のないようにしないと、慈悟郎に習って正座になおる。
「なら、オレもその最終選別ってのに、参加させてもらえねぇですか?」
デンジは慈悟郎がなかなか最終選別にいかせてくれないため、もう直接、トップに直談判すると決めていた。
慈悟郎は顔を青くする。
しかし、耀哉は、
「勿論。けれど、それは君の育手である慈悟郎の許しがあった時だ。その時を楽しみにしているよ」
その言葉に、ダメ元であったため、デンジは肩を落としながら引き下がった。
「さて、デンジ、君に頼みがある。君は異世界から、悪魔のいる世界からきたそうだね、そして、悪魔――ぽちたの心臓を君は宿している。その証拠をみせてくれないかな?」
「証拠?」
「つまり、君に、いまここで悪魔の姿になって欲しい」
「あー、それなんですけど……」
デンジはためっていた。何人かの柱は、やはり嘘かとあざ笑う。
「どうしたのかな? デンジ。大丈夫、慈悟郎の懸念、君の安全は私が保証しよう」
「あの、服、脱いでいいっすか? 変身すると血が飛びちるし、破けちまう……」
今更服の心配か、と思われるかもしれないが、デンジからすれば、この服は慈悟郎がデンジのために用意してくれた服である。しかも、デンジも値段を作って貰ったあとに知ったが、かなり高価なものであった。慈悟郎はデンジが生き延びられたら、その後も使えるように、とかなり良い呉服店を選んだのだ。
そんな服を着ていてもデンジがチェンソーを生やせるが、刃が皮膚を食いちぎって鮮血が飛び散り、なによりもチェンソーが服を切り裂いてもう二度と着用はできないだろう。
それをデンジは心配していた。
「もちろん、構わないよ」
慈悟郎は顔を覆いたくなり、柱たちのデンジの評価は地に落ちていた。
しかし、耀哉は鷹揚に応じた。
☆
「じゃ、いきまーす……」
服を脱ぎ、ふんどし一丁のデンジ(慈悟郎からもらった封筒はこっそりとふんどしの中に隠した)は、胸のスターターロープを引く。
胸の中央から紐が伸びているのに、柱たちは驚いたが、それはこれから行われることに比べれば些細なことであった。
『――ヴヴン……』
デンジからすれば聞き慣れた音、エンジンの駆動音が――この世界では未知の音が鳴り響く。
鮮血が飛び散った。デンジの両肘から先、額から回転する刃――チェンソーが突き出されたためだ。
デンジの頭部をチェンソーのカバーが覆い、一瞬でデンジは異形の存在――『悪魔』となった。
この姿を視界に収めた柱たちは二通りに分かれた。
一つは耀哉を護ろうと、日輪刀を抜いて、そばに駆け寄る者。
もう一派は、同じく抜刀するが、デンジの首を刎ねんと飛びかかり、デンジの前に歩み出て、日輪刀を慈悟郎に防がれる二名の柱であった。
「やっぱり鬼じゃねぇか! どこが悪魔だ!?」
「お館様、危険です! 避難を!」
「じじい!!」
「来るなッ!! デンジ!」
デンジ、慈悟郎、そして、柱たちの怒号が行き交う。しかし、それに動じず、耀哉は庭に歩み出た。
「二人とも、慈悟郎から刀を離してくれ」
「しかし!!」
「安全は私が保証するといったんだ。それに、彼は何もしていない」
柱たちがデンジをみる。そのとき、デンジの様子に気付いた。
デンジは手を伸ばしていた。攻撃を防いでくれた慈悟郎の下に駆けつけようと。
しかし、慈悟郎を護れば、否応無しに戦闘となる。
そのため、歯がゆい思いをしながら、押さえつけていた。
その様子を察した二名の柱は、耀哉の命令もあって、しぶしぶ刀を納める。
大正チェンソーこそこそ話
今回登場する柱は二名以外はオリジナルです。
他の方々は今はまだ、一般隊員です。