「助けてくれぇぇぇ! 旦那ぁぁぁ!!」
一人の少年がデンジの脚に泣きじゃくりながらしがみついた。着ている衣類も、顔も、体も埃まみれで泥まみれ、見えている素肌はかすり傷だらけの少年であった。そんな少年が、デンジの脚に必死になってしがみつき、デンジの履いている袴が泥と埃に汚れ、皺を作った。
人集りを作っていた群衆は、デンジと少年をみるように、ぽっかりと離れる。
「うわ! 汚ねぇ!」
だが、デンジはそんな些細なことに気にならない。むしろ、しがみついた少年が泣いているため、鼻水と涙がデンジの袴にしみこんでしまい、汚れてしまう。せっかくの慈悟郎から貰った着物が台無しにされ、しかも今も泣き止まずにその面積は拡大を続けていた。デンジは、まるで羽虫を追い払うかのように脚を振るうが、少年は決して離すことはなく、デンジの脚にしがみついたままであった。
「なんで俺に頼るんだよ! 離せ!」
デンジが少年に叫ぶ。少年は、
「若旦那ぁあ! 助けてくれよぉ! 今時紋付き袴着てるってことは金があるってことだよね!? ヤクザが借金の形に俺を連れてこうとしてるんだよ!! いやだぁああ! しにたくなぁぁい!!」
そんな風に泣き叫ぶ。
「し・る・かぁぁ!! 借金はてめぇの問題じゃねぇか! 俺を巻き込むなぁ!」
「そんなこと言わずにさぁ! 後生だからぁぁ!!」
デンジと少年はしばらくそんなことを続けていたが、
「いい加減にしろや!」
そう怒声が鳴り響く。デンジではない。同じく人集りを作っていた先、少年と一緒にいた数人の男たちの一人だった。
男たちは皆、恰幅も良いがどの顔立ちも人がよさそう、とは決して言えず、むしろ真逆の、道を歩いてすれ違えば、視線を合わせないようにする人種――極道の者たちであった。
一人、ただ少年を取り囲んでいたヤクザの中でも、特段恰幅がよく、木箱に腰掛けていた禿頭の中年がデンジたちをにらみつける。
「小僧、お前はバカだな、教えてやるよ。お前が若旦那って呼んだやつが金持ってるわけねぇだろ?」
小馬鹿にした笑みで中年はデンジを見定めるように、不躾な視線を送る。
「見てくれは立派だ、でも付け焼き刃だ。金持ってねぇぜ、そいつ。本当にお前さんは人を見る目がねぇ……そんなだから、別の男と駆け落ちして逃げた女に借金背負わされるんだ。バカだねぇ」
中年は心底、少年を嘲笑するかのように笑い、周りのヤクザたちも笑う。それだけではなく、逃げた女に借金を背負わされた、という少年のその経緯を聞き、周りの群衆もつられて笑った。
少年はそれで黙り、デンジの脚からそっと手を離した。
「まぁ、安心しろや、俺たちもお前さんほどバカじゃねぇし、鬼でもねぇ……お前さんに選ばせてやるよ、男娼か、それとも鉱夫になるか――「いくらだよ?」
中年の言葉が遮られ、中年は眉を顰めた。
中年――この近隣をしまとするヤクザの頭目は、気持ちよく説教をし、その話を遮られるのが大嫌いであった。故に、周りの子分も、それを知っている群衆の何人かも顔を青くする。
頭目の話を遮ったのは、紋付き袴の青年――デンジだった。
デンジは少年が脚を放し、自由になった。故に、歩み、頭目と相対する。
「へぇ……払うってのかい? お前さんに払えるかね? こいつの「いくらかって聞いてんだ。聞かれたことに答えろや、こっぱげ」
こっぱげ――デンジが口にした瞬間、今度こそ、空気が完全に凍り付く。頭目の禿頭のことは、完全に禁句であったのだ。だが、頭目は怒りすら通り越したのか、無表情で黙り、懐から一枚の紙――借用書をみせる。
「お前さん、分かってるんだろうな? ここまで俺に恥を掻かせて払いませんじゃ、すまねぇってことをよ?」
デンジを頭目は睨む。気の弱い人間なら卒倒しそうな眼力だった。
だが、デンジは――
「はいよ」
懐から、封筒を取り出し、頭目に渡す。その際、頭目の手から借用書を奪って見せた。
一瞬、頭目は借用書を取り返そうとするが、配下に目配せして、デンジから誰かが目を離さないようにすると、デンジから渡された封筒の中身を確認し、
「……くそっ」
固唾をのんで見守っていた群衆も、座り込んでいた少年も、息をのんだ。
封筒の中身は紙幣――大金であり、借用書の額が入っていた。
頭目は手下たちを連れ、面白くなさそうに鼻を鳴らして立ち上がると、最後にデンジに唾を吐き、去って行った。
群衆も一人、また一人と離れていく。デンジはため息をつきながらうなだれ、とりあえず、奪った借用書で少年がつけた鼻水と涙を拭くが、墨が袴に移ってしまい、余計にうなだれるデンジと、呆然と座り込む少年の二人が残された。
☆
「だーー!! ついてくんじゃねぇ!」
デンジが肩を落として歩いていたが、後ろから恐る恐るといったように、デンジの後ろをついてくる少年に振り向き、怒鳴った。
少年はデンジに怒鳴られて体を震わせるが、
「そ、そんなこと言わないで、俺も連れてってくれよぉ、旦那ぁ!」
手を揉みながら、卑屈な所作でデンジの顔色をうかがいつつ、ご機嫌を取る。
「だからぁ! 俺は旦那じゃねぇよ! たまたま金持ってただけだ! くそったれ!!」
「でも、助けてくれたじゃん! 金払ってくれたじゃん!」
「ヤクザが死ぬほど嫌いなだけだ、ぼけぇ! 本当に! くたばってもな!! そんくらい嫌いなんだ! よ! てめぇのために払ったわけじゃねぇ! どうしてくれんだ! 明日っから爺と俺の飯は桃だけだ! てめぇのせいで!!」
「切なぁぁい!」
デンジは小石を蹴り飛ばす。小石は大きく宙を飛び、側溝のドブに沈んだ。
デンジは余計にむなしさがこみ上げ、座り込んだ。しばらく、少年はデンジをみていたが、デンジの隣にゆっくりと座る。
少年の借金を払ったのは、少年を哀れんだからではない。
デンジは親が借金をして、莫大な額をヤクザの飼い犬――デビルハンターになることで返済していた。デンジを飼っていたヤクザは善良とは言い難く、だから、ヤクザなのだが、デンジはヤクザが嫌いだった。
そんなわけで、世界は違えど、ヤクザに馬鹿にされたデンジには二つの選択肢があった。
このまま、少年を見捨ててヤクザに馬鹿にされたままか、それとも、金を払ってヤクザの面子を潰してやるか、デンジは迷わず後者を選んだのだ。
しかし、その結果として――
「どうすっかなぁ、これじゃ、三食米と桃だけかぁ……」
デンジが取り出したサイフには、数枚の紙幣と小銭が入っていた。
数枚の紙幣は先ほどの借金を払って残った金で、小銭は慈悟郎のおつかいでくすねた全財産だった。つくづく、さきほどの借用書の額と、デンジの持っていた金が少しだけ上回り助かった、とデンジは感じる。
流石にあそこまで大見得を切り、まけてください、では格好がつかなかった。
数枚の、最高額の紙幣はあるが、これで三ヶ月、慈悟郎とデンジの食費を賄うのは不可能だった。否、転移してくる前の、月に千円ほどの生活をしていたデンジにすれば可能だったが、流石に慈悟郎にそんな生活をさせれば、老体である慈悟郎が耐えきれないことぐらい、デンジにもわかった。
「はぁ――……」
デンジはため息をつく。
慈悟郎の住んでいる町まで、三十里(約118キロメートル)離れているが、一日にそれぐらいの距離を走るデンジには、一日もあれば踏破可能であった。
問題は、あと三日、帰宅時間を考慮すれば二日でこの額を、なんとか元の、ある程度減ったとしても、三ヶ月分の生活費にする必要があった。
だが、此処は知らない町であるし、伝手があるはずもない。そもそも、元々異世界出身のデンジの戸籍がないが、慈悟郎が、産屋敷家がデンジが慈悟郎の弟子になった折に誤魔化して作っていたが、今、それを証明する手立てもない。
どうするか、考えていて、ふと、隣の少年に気付く。
「なぁ、お前さぁ、金を貸してくれたってことはどっかで働いてたってことだよな? そこで二日だけでも雇ってくんね?」
借金を背負わされるというのは、言い方を変えれば、借金を少しでも返済する能力、金を稼ぐ力があったということだ。少年の身なりはとても家持ちにも、財産があったようにも思えない。家持ちなら家を取られてはいただろうが、少なくても借金はなくなっただろうし、少しでも財産があれば、もう少しだけでも少年の身なりは良いはずだ。どちらでもないなら、少年は働いていたということになる。一縷の希望で声をかけたが、
「その、女将さんが、おまえなんてどこにでもいっておしまい、って、いって、その……」
少年の語尾はとても小さかったが、デンジは察した。
つまり、この少年も職無しになったのだ。当たり前だ。女にだまされて借金を背負わされた挙げ句、女が別の男と駆け落ちしたなど、商家であればそんな従業員は雇えず、仮に職人業だとしても、そんな傷を持つ者は、恥ずかしくて使えない。追い出されるのは、至極真っ当だった。そして、この時代、職場と従業員の生活場を兼ねていることもあり、つまり、少年が宿無しになったことも意味していた。
デンジは再びため息をつこうとし、ひらめいた。
少年の肩をデンジは叩く。なるべく笑みを心がけたが、少年からすれば不気味な、近寄ってはいけない悪巧みをする悪童の笑みだった。
「なぁ、てめぇの借金を俺が払った、つまり、てめぇを好きにする権利があるってわけだ」
うん、といつでも逃げ出せるように、少年は構えを作ろうとするが、万力のごとき、鍛錬に励み、握力も強くなったデンジの手からは逃げられない。
「てめぇのせいで、あと三日で町に帰らないと俺は殺される、まぁ、それはいいとして、帰っても俺と爺は飯なしだ。だからな、働いて貰うぜ」
デンジの手には、ボロボロになって所々墨が滲んで読めなくなってはいたが、借用書が握られていた。
「は、はたらく?」
「ああ、全額返せとはいわねぇ、けどな、爺と俺が飢えない額を働いてもらうぜ、安心しろ、働き口の伝手はあるし、住処も俺が貸してやる、おめぇの飯代も稼ぎの内だ」
少年はがくがくと震え始める。先ほど、ヤクザがいっていた男娼か鉱夫か選ばせてやる、との言葉を思い出したからだ。
デンジを善良だと思っていたが、ヤクザと変わりが無い、と少年は気付いて震えた。
「ま、お前さんに紹介するのも惜しいが、まぁ、女学校の管理人だ」
デンジと慈悟郎が定期的に剣術の指導をしている女学校では、管理人が不足していた。
デンジは女学校に行くたび、管理人の仕事を手伝い、ちょっとばかりの給金をもらっていたが(慈悟郎が労働の対価として、許容していた)、万年人不足で管理人が欲しい、と学校職員が言っていたのを思い出したのだ。
デンジの紹介であれば、簡単だろう、とデンジは踏んでいたし、住み込みではないが、慈悟郎の屋敷に住まわせればできない話ではなかった。
ただ、この少年が問題を起こさないか、それだけが心配だった。
鬼殺隊に入った後、鬼殺隊を引退後は雇って貰おうと決めていた、とっておきの働き口をここで切ってしまうため、ため息をつき、デンジはそういうと、少年の気配が消えた。
逃げたか、とみれば、少年は膝をつき、両手を地面に揃え、いわゆる土下座をしていた。
「全力で全うさせていただきます!!」
デンジは後年振り返る。あれほど、完璧で綺麗な土下座もなかった、と。
「ええ!! じょ、女学校!! 女学校ってあの!? 女の子のぱらだいすじゃん!! 最高じゃん!! えええええぇ!! しかもお金をもらえるの!!? 行こう! 今すぐ行こう!! 旦那!! 連れてってくれぇエエ!!」
少年は起き上がると鼻息が荒く、興奮し、血走った目でそう話した。
「まぁ、いくか。ただ、旦那はやめろや。爺に聞かれるとなにか言われる」
その言葉を聞き、少年はしばらく考えていたが、
「じゃあ、兄貴、で、どう?」
「兄貴、ねぇ……まぁ、いいか。そういや、お前の名前、聞いてなかったな」
「あ、そうだね。善逸だよ」
「じゃあ、いくか、善逸」
そうして、デンジと少年――善逸は歩き始める。
☆
「たくっ、おめぇよぉ、何が行こう、だ。善逸、お前ひ弱すぎんぞ」
「兄貴が強すぎるんだよぉ、なんだよ、三十里も離れてるじゃん、死んじゃうよ。でも、それはそうと、ごめんなさい、兄貴……」
善逸を背負いながら線路沿いを駆けていたデンジはそう悪態をつく。
既に日は暮れ、夜のとばりが落ちていた。
デンジから目的地を聞いた善逸は他県であったから、てっきり汽車でいくのかと思っていた。そして、デンジは駅について、
「ん、歩くか」
線路沿いに歩き始めたデンジと、その言葉に善逸は驚愕した。
さっき、金あるじゃん、とデンジに詰め寄ると、
「あれはいざって時の金、歩きゃタダだ。タダ」
善逸はデンジが冗談を言っているのか、と疑ったが、デンジは本気だった。
これから、三十里の道のりを踏破するのだ、と善逸は倒れそうになり、実際、5里ほど歩いて善逸は倒れた。
鬼滅本編を読んだ方には違和感があるかもしれないが、本作の善逸はまだ修行もしていないため、過酷過ぎたのだ。
よって、デンジは善逸を背負って走っていた。
しかし、
「善逸、お前重ぇぞ」
「ご、ごめん――」
善逸はちょっと肥満体型(高カロリーな物が好き)で、デンジはずっと背負っていると腕が痺れる。時々休憩を挟む必要があった。それだけでなく、
「おい、飯を調達したぞ」
「わーい! ご飯だーって! 兄貴、これ残飯!」
「あん? 食えんだろ? こんくらい」
時々、立ち寄った町でデンジが調達してきた飯という名の残飯をデンジはかぶりつき、善逸は恐る恐る食して、善逸は腹を下した。
そんな訳で、善逸が回復したり、デンジが途中川で体を洗ったりして警察を呼ばれたりしたため、時間がかかってしまった。今日は二日目の夜、明日までにたどり着かないと慈悟郎から何をされるのかわからず、夜間でもデンジは進んでいた。
街道沿いにいけばいいのだが、旅をしたことがない善逸もデンジも、どうやって行ったらいいか分からなかった。
よって、線路沿いを歩いていたが、
「――兄貴、これ、同じ所歩いてない?」
「ちげぇよ、あれだ、月は同じ所にないから大丈夫だ」
「そりゃ、月は動くよ、同じ所にないよ」
とっぷりと日の暮れた山中、途中、線路がトンネルに入ってしまい、一度トンネル内で汽車がやってきて死にかけた二人はトンネルに入らず、山肌を、こっちだろうと、歩んでいたが、同じ場所を歩いていた。つまり――
「迷った……」
「やっぱりじゃん!! 迷子じゃん!! こんな人がいない場所で二人っきりじゃん!! どうすんのさ! 兄貴!!?」
デンジは空を見上げて、善逸はデンジの背で喚く。
「ぎゃあぎゃあ喚くなや! お前もなにかを考えろ、善逸」
「考えても思い浮かばないから、喚いてるんだよ! 兄貴」
二人が途方に暮れ、どうするか騒いでいた時だった。
「――あの、大丈夫、ですか?」
山中、声がかけられる。
二人がそちらをみれば、髪の長い、善逸よりも幼い子供がいた。
大正チェンソーこそころ話
善逸は装飾品店に勤めていたオリジナル設定です。
そこで客の女の子にデレデレして怒られることもしばしあったとか。