最寄り駅からバスに揺られること5分。
バスは料金が発生するがせいぜい100円。半年周期の定期券を購入する側にとってはお得なお値段である。
片道100円の山道を上ったところに国立先新大学は建てられている。
そこそこ急な山道なため、生徒の治安維持の関係で車やバイクでの通学禁止が広まっている中でも自家用車等の通学が許されている学校である。
無論、自家用車を持っていない者はいるが、彼らは普段バスを使う。決して自転車登校が禁止されているわけではないが、授業前に太股を自ら腫らそうという猛者はいないようだ。
成り行きで呼ばれた弱音も、自らの体を積極的に鍛えようとは一ミリも思わない消極的男子なため、財布の中の100円と引き換えに労力を温存することにした。
「しかし、まさか大学まで呼びにくるとは思わなかったな」
「そうですよね・・・」
窓一面緑しか映さない風景に頬杖を突きながら弱音はぼやく。
申し訳なさそうに一つ席を飛ばして座る咲も、賛同の声を上げる。
そう、すでおわかりだと思うが彼ら二人は巷で噂の国立先新大学に向かっていた。
だが、高校生向けの進学先を決めるための見学会に行くわけでもない。
成り行きで知り合った、いや知り合いたくなかったというべき人物に呼び出されたのだ。
あのTPOガン無視女に。
「あの、やっぱり大学へ呼び出したってことは何か解決策があったのでしょうか」
「そう考えるしかないだろ。ここまで来て何もありませんでしたって事はさすがにないだろ」
「そう、願うしかないですよね・・・」
乗客として、弱音と咲しかいないこの状況で互いに言葉を交わす二人。
どんな言葉で飾っても、お互いの事はほぼ知らない。
だからこそ、彼らの間には気まずい雰囲気が漂っていた。
他人を使う弱音だからかもしれないが、咲は咲でどうすればいいのかチラチラと弱音の顔を伺う始末であった。
どうにかしないといけない、これが今の彼らの心境であった。
ふと
そこで、あるものが弱音の目に留まる。
「なあ、それは何だ?」
「え、これですか?」
弱音が指差した先、咲の手提げから飛び出していた、茶色い表紙の本であった。
大分年季が入っているのか、角はすり減っており、見えている表紙も至る所に手垢らしき汚れが目立つ。辞書までとはいかないが、週刊漫画雑誌ほどの厚さがあり持ち運びにも一苦労な一品であった。
「図書館で借りてきた図鑑です。何かの役に立つかも知れないと思って借りてきたんです」
「図鑑?何の?」
あまりにもミスマッチな単語にあからさまな疑問を投げかける。
怪訝な顔の弱音に、クスリと笑いながら
「図鑑と言っても小話を集めた大きな絵本みたいなものですけどね。確か美玲さんは今回の現象は人間が描き出してきた神話が大きく関わっているとおっしゃっていたので、少しでも勉強しておこうかなと思いまして」
「ああ、そういうことか。勤勉だな」
ガタゴトと揺れる車内で、窓際に肘をつきながら感心したようにつぶやく。
正直神話とやらに興味はないが、ただ単純に咲の姿勢には感心するほかなかった。
「でも、神話っていろいろ種類があって難しいかなと思ったんですけど、読んでみると意外と面白いですよ」
「俺はあんまり本を読まないからよく分からないけど、やっぱり神話となると活字が多くて読むのが大変なんじゃないのか?それに世界背景とか理解しないといけない気もするし」
「文字が多いことに関しては否定できないと思いますが、各神話系統の知識が無くても、おとぎ話や童話といった感覚で読めますよ。それにファンタジー世界の基になっただけあっていろんな世界が見れて面白いですよ」
似たようなことを言っていたような、と弱音はぼんやりと昨日のことを思い出す。
美玲のETCM講座。
その中で根幹となる『心理世界における神話』の説明で同じ事を言っていた。
古今東西あらゆる神話は、この世にある全ての創作物語の基になった、いわば人間の空想の出発点。
故に、小さい頃から聞かされた絵本や紙芝居にも、共通点は存在する。
そういった意味で、神話は小さい頃読み聞かせしてもらっていた物語と言えるのかも知れない。
誰もがワクワクする、子供向けファンタジーとでも思えば、分厚いものだったとしても手を伸ばせる気がしてきた。
「小説単体として見ても、面白いと思いますよ。町から女子供を食らう竜を倒すために、選ばれし勇者がわざと竜に飲み込まれて中から食い破る勇者や、琴引の少年が美しい音色で神様を魅了して亡くなった恋人を連れ戻すといった感動話とかいろいろあるんですよ?ドラゴンとか神様とか、ゲームの世界に入り込んだみたいで不思議な感じがすると思いますよ」
「へぇ、面白そうだな。俺も読んでみるかな」
意外な一面を垣間見た気分であった。
初めて会ったときは、状況が状況だったため比較的暗い子かと思っていたが、好きなことに関しては良く喋るといった明るい一面もあるようであった。
「俺も小さい頃は母親にそういう話を読み聞かせしてもらっていたような気がする。もう大分昔の話だけどな」
「私もそうでしたよ。私の方はお母さんが読書家だったので多くのおとぎ話や童謡とか教えてもらってました。世界に伝わる妖精の話とか、幻の動物とか」
「それこそ面白そうだな。お母さん物知りなんだな」
「教育熱心というか、なんというか。私にいろんな事をさせてあげたかったんだと思います」
それでも私は嬉しかったんですけどね、と咲は苦笑しながら相づちを打ち返す。
どうやら、今の彼女がいるのは母親の存在が大きいらしい。
我が子を思って力を注ぐ母親に、期待に応えようと頑張る娘。
そんな黄金比のような関係で育ったのだろう。
そう感じたとき、弱音は少しだけ咲が羨ましいと思ってしまった。
誰かの為に一生懸命になる。
他人を喜ばせるために自らの力を割く行為が出来ることは、簡単にできることではない。
自尊心やプライドが、他人との壁を簡単に作り上げてしまう。
自分自身を第三者目線で眺める弱音には理解でき、その分だけ咲に羨ましく思ってしまう。
「醒ヶ井さん?」
彼の様子を不審に思ったのか、咲が声をかけてくる。
なんでもない、と返す弱音だったが、羨望の感情を隠しきれていたかどうか不安であった。
彼の気持ちなど無視するかのように、バスはガタゴトと目的地へと向かっていく。
やがて、バスの揺れが小さくなっていく。