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「さて、熱血先生タイムはここまでにして現実的な公務員タイムに戻ろうとするかな」
白石は切り替える合図を出すように咳払いをし、ゆっくりと両腕を後ろに伸ばす。
一つのクラスの担任とはいえ40人弱の生徒一人一人に話を聞いている状態だ。三日間半日授業で専用の時間が設けられてはいるが、空いた時間をフルに使って対応する労力は決して小さくはないだろう。学校全体の方針とはいえ、非常に非効率的だとは思うが、それほど進路指導に熱心でありそれに付き合う先生方の人柄も窺える。
外の景色は一日を通して暗い様子だが、時計を見ると短針は既に五時を回っていた。
さすがに疲労の色が見え始めているのか、白石はあくびを噛みしめ若干の涙を浮かべる。
それでも最後まで先生としての仕事を放り出すつもりはないのか、隣の椅子に乗せた薄っぺらい皮でできた片手鞄から資料を取り出そうとしている。
それをみかねた弱音も、最後まで付き合おうと少しばかり背筋を伸ばして姿勢を整える。
小難しい進路指導など面倒ごとでしかないが、彼の仕事に対する気持ちというものは尊重したいと思った。
普通なら非効率だの意味が無いだの文句を言ってしまえば、それで認められてしまうような仕事を何気ない顔をして行うのはなかなかできない。
目の前の担任教師は、たかが生徒一人に対して時間を割くことを当然のことだと感じているのだろう。
だが、それは自らが意識しない限り実際に行うことは難しい。
そういった行動を弱音は拒否することはできない。
「よいしょっと、一応ここら辺の国公立のパンフレットを一式持ってきてみたんだが」
その言葉通り、この担任はこの地域近辺の大学に関する資料を集めて持ってきたらしい。
ビニールに入った新品から角が折れた使い回し品まで。
二つの机を跨いで広げられたのを見て、その量から驚きよりもよくここまで集めたものだという身勝手な感嘆の声が出そうになる。
近くまで流れてきたパンフレット一つを引き寄せるようにつかんで
「よくもまあここまで集めましたね」
「高校教師やってたら嫌でも大学から大学案内やら入学要項やら郵送で送られてくるもんだよ。ある意味一番の資源ゴミではあるんだが、せっかくなら有効活用してからゴミ箱行きにした方がいいだろ?」
「その台詞、進路指導部に聞かれたら評価が下がるのでは?」
「だからここだけの話だって。ぶっちゃけ言って俺もめんどくさい。めんどくさいことは早めに終わらせるに限るだろ?」
話の内容には賛成だ。
ここだけの資料だけで解決するわけがないし、乱雑に散らばった紙切れ数枚で進路先を決めれるのならばわざわざ話し合う必要なんてどこにあるのだろうか。
時間が経つにつれて、窓側から聞こえてくる雨の音が二人の会話に割り込んでくるぐらいの勢いで降り始めていた。
弱音のバックにある折りたたみ傘では対抗できなくなる前に、帰宅したいものだ。
適当に手に取ったパンフレットを開き、軽く目を通してみる。
中央に大きく大学校舎の写真が載せられており、入学志願者や学費など諸々のデータが数字や表、グラフとして空いたスペースを埋めていた。
入学者による大学の魅力や就職率の高さ、近隣の高校や教育機関からの評価などいかにも使い古されたフレーズがカラフルな色に染められては不自然と言っていいほどに強調されていた。
インタビュー写真はそこそこ顔が整った学生を使っているのか、いかにもキャンパスライフを悠々と送っていますと言いそうな方々が、斜めからすまし顔でこの学校に入って良かったところなどと本心ではほとんども持っていないであろう綺麗事が綴られていた。
ありきたりな宣伝文句やありもしなさそうな誇張表現に飽き飽きしながらも、用意された本人を目の前に読まないという行動をするのは気が引けたため、弱音は渋々といった感じで読み続ける。
「大学っていろいろあって面白そうだろ、と言いたいところだがお前の場合だと書いてあること素直に受け取らないよな」
「よく分かっていますね、概ねその通りです。なんかこういった案内書とかパンフレットだと書いてあることが嘘っぽく感じるんですよ。就職率が90パーセント越えといっても就職希望者の中だけの話であって学校全体で見ればたいしたことなかったり、現役学生のインタビューだって学校の方針に沿った受け答えばかりで言わされている感じが透けて見えるような感覚になっていまいます」
「まあ嘘も方便ていうしな。ぶっちゃけると大学生なんて遊んでナンボみたいなところもあるし、それにちょこっと嘘を交えた理想像の方が人を呼びつけるっていうのもあるからなぁ」
「そこまで思っているなら一生徒に薦めないでくださいよ。もうおわかりだと思いますが、読んでいてあまり魅力を感じません」
「まあ、そういうと思ったよ。大学なんてピンからキリまであるしそれぞれの個性を出そうとするのは難しいんじゃないか?それこそ学生らしく大学内での研究開発も見てみたらどうだ?」
一生徒に対して至極まっとうな意見を述べるあたり、白石は根っからの教師なのか。
大学進学は高校教育の延長線。
自らの知識やそれに見合った専門技術を身につける場。
本来の大学とはこういったものだろう。
ただ弱音の視線には大学の先に続く道は見えていない。
彼が目指しているのは大学入学、そして卒業。その肩書きだけ。
大学に入る意義も理由も彼にとってはどうでもいいことであり、あまつさえ不必要だと切り捨ててしまえるだけの存在なのだ。
自分が欲しいのは彼が生きていける最低限のフィールド。
見ず知らずの相手から、世間という大きな概念から、そして自分自身の予測不可能な醜い感情から干渉を受けない。そして自分の存在定義に対する恐怖から逃れられる環境が欲しいのだけなのだ。
定義を重要視する彼は、この世に生きる人間は自分自身の輪郭がこの現代社会においてぼやけてそのまま消えてしまわないように、そして明確になりすぎて周りの環境から異端児としての攻撃の的にならないようにして生きているように見えてしまう。
いわば世の中の平均線の周りをひたすら漂う亡霊。
常に周りを観察し、人間としての自己という情報体をその場に応じて書き換えていく作業を事務的に繰り返す。
自らの好き嫌いも、本来持つ能力のスペックも、自分が掲げる思想も全て。
周りの温度に合わせて服を脱いだり着たりする感覚で、人に対する好き嫌いを切り替える。
ペダルの踏み具合でスピードを調整する感覚で、自分のスペックに関係なくできるできないのふりをする。
自分の意思も考えも関係ない。持つ意味すらいらない。
ただただ、環境になじむための自己防衛のための作業。
集団になじむ。
良い言葉だが、自分の立ち位置をただ守るためのぼかしだと思ってしまう。
ただ社会全体の平均線のグラフをなぞることでしか生きていけれない生物。
少しでも上へ下へずれてしまえば例外という感じ二文字で切り捨てられて、まるで最初からいなかったかのように振る舞われる。
しかしその例外の中にも例外という存在は確かにいる。
多くの逆光に耐え、ひたすら自分を鍛え己の可能性を信じて磨き続けた人間が。
その姿勢が、情熱が、作り上げた成果が体臭を認めさせていく。
誰もが敬い、尊敬するに値する人間。この姿こそが目指す理想像。
だが、この素晴らしい立ち位置に弱音が立つことは困難だと自覚している。
理想とは、現実とかけ離れているからこそ美しく見える。
彼自身において、彼の能力はそこにたどり着くまでのステータスではないことは自分自身がよく知っている。
可能性を見いだし、ひたすら研磨する。
この行為を彼は怠ったのだ。
だからこそ彼はその舞台に立つ権利も資格もない。
そこを踏み間違えれば、必死に努力してきた輝かしい人達に向けての侮辱になる。
次世代を駆け抜ける彼らのような先駆者にはなれない。
だが、社会の平均しか考えられない人間にはなりたくない。
自分としての感情も思考も持ち合わせるポテンシャルも、状況次第で簡単に見せる姿を変える。
ただちっぽけな自分自身を守るためだけに。
自らの存在を表す言葉を持たない者達。
だんだんと周囲との境目が曖昧となりやがてどうかしていく者達。
彼らが理由もなく、ためらいもなく自分自身という存在を変えてしまうのなら。
自分は理由もなく、ただひたすらに己の枠組みを作り出していくだけだ。
「でもやっぱり研究開発と言ったらここだよなー、最近のテレビじゃこの話で持ちきりだしなー」
彼の信念などいざ知らず、彼の担任は大学のパンフレットを面白げに眺めている。
むしろ彼の方が進路指導を受けているような錯覚さえしまうほどだ。
まるで見たこともない宝物を親にみせびらかすような好奇心旺盛の目で、本来進路指導を受けるべきである彼の生徒である弱音に話を振る。
「ここだよここ!先新大学だよ。ETCMが作られたのってっここだろ?」
「何ですかそれ?新しい条約ですか?」
「ニュースぐらい見なさい醒ヶ井。ETCMは新しく開発された画期的な機械だよ」
担任教師としての教育的に上の立場としての発言ではあったが、語る口調はプラモデルを組み立てることを楽しむロボット大好き少年そのものだった。
「ETCMってのは『頭で想像した物体をそのまま現実世界に作り出せる』夢のような装置のことだ。ええと確か、膨大かつ複雑な情報集合体である脳から対象となる思考型イメージを電子情報として捉え、その中における質量、形、大きさ、強度や質感など多くの人間の感覚によって区切りを形成、分断することで思考型イメージの構成要素を解析。それらを基に様々な生産機関に対応可能な情報として組み立てる、って言ってたっけな?」
「つまりどういうことですか?」
「じゃあお前が目が悪くなって眼鏡が必要になったとしよう。そのときお前は自分に合った眼鏡を想像する。どのくらいの大きさか?フレームの色は何だ?レンズの形は?実際にかけてみたときどのように見える?ETCMはこんな感じに『実際に目の前にあったらという具体的な頭の中の想像だけでそれを作るための設計図が書けるんだ。ETCMさえあればいちいち長さを考えて実際に定規で測ったり、どのくらいの重さなのか計測してせずに面倒で読みにくい数で溢れた製図を書く必要がなくなるんだ。この場合だったら眼鏡を作るための視力検査も必要ないってところか」
先生曰く、想像そのものが設計図となるといった装置ということか。
自分には理解できないほどの数式と専門単語で埋め尽くされていてなんとなくだが凄いものなんだなと弱音は他人事のように思っていた。
そもそもこういった研究が大々的に扱われることがおかしいのだ。
いわゆる需要と供給の世界。
理解困難な言葉と数字の集合体の話題なんて深夜のニュース番組の時間調節のために十分から二十分ちょっとの特集が組まれるだけでその後誰も興味を持たなくなるものだろう。日本を支え発展させる頭の使う電気機器のお話より、くだらない俳優とタレントとの不倫騒動の方が重宝されるのだ。
しかし先生はニュースでよく見かけると言った。ということは特定の地方テレビ局だけではなく、全国区のポピュラーなテレビ局も注目しているということだ。
ここまで騒がれるのには必ず訳がある。
その代表例が希少性だ。
世界的や人類初などといった日常ではあり得ない非日常であり、誰もがその冠に興味を示すようなインパクトがなければここまで脚光を浴びることはないだろう。
今回もその例に漏れず、何か特別な冠がつくはずだ。
「だがな、凄いのはそれだけじゃあないんだよ」
はたして、背間を騒がす大発明とやらは肩書きに何と書いてあるのか。
「これを開発したのは現役女子高生なんだってよ」
そういった類いのものだったか。
確かにの日本のメディアがこぞって取り上げそうな題材だ。
タイトル的にも印象は十分だし、大学側にとってはいい宣伝にもなるのだろう。
テレビで大騒ぎするのがわからなくもない。
「附属高校の生徒が特例として研究に参加させてもらっていたらしく、実際に電子記号を分けるための『区切り』の概念を確立させたらしい。さすがに名前と顔は伏せられているが今頃周りは大変なことになっているんだろうなぁ」
「なんか嘘くさいですね」
「そう言うなよ、実際に参加していたのは事実だし論文にも名前は書かれているからな。そう思うとせっかく実績を出せたのに名前が公表されないってのはいくら混乱を避けるためであってもなんかかわいそうだよなぁ」
自らの実績は賞賛される権利があるとでも言いたいのか。
そこら辺はできるようになったことをしっかりと褒める、模範的な教師としての顔なのか。
感心しながらも残念そうな顔を白石は浮かべる。
だが弱音にはあまり興味がない話だった。
どれだけ優秀な発明であっても、報道機関によって持ち上げられる事によって意図しない方向に話が進んでしまう時がある。
人のためと思って作り出した成果が、第三者によって利益の醜い争いに巻き込まれて無残な姿に成り果てる例なんていくらでもある。
このETCMもその一つだとしか思えない。
そう感じてしまうとやるせない気持ちになってしまい、もとから小さい好奇心もさらに消え失せてしまう。
発明としてではなく、それに付属する肩書きの価値。
富や名声にターゲットを絞ったための行動。
開発者の信念ではなく、いかに収益として金に結びつけるしか考えない第三者の介入。
当事者本人ではなく、それを取り巻く環境に対し嫌悪感を抱いてしまう。
機械そのものよりも、それの発明に対する世の中の反応ばかりに目が行ってしまうのだ。
予想通りの結果に半ば呆れながらも、ざっと目を通してみる。
気づけば手に取り中を開いていた。
他の学校と同様に、嘘と真実の境目を狙ったような発言や信頼性を強調するだけの数字が残る空白を埋め尽くそうとしている。
他校と違うところと言えば、そのETCMとやらがいかに素晴らしいかの専門用語の羅列があるところか。
文章量からして読もうという気持ちは一切湧いてこない。
はっきり言って興味が無いのだ。
彼、弱音が欲しいのは『大学入学、そして卒業』という肩書きだ。
己を表す具体例の獲得を目指す彼にとってはこれしか考えていない。
彼は大学生になることも、入学後の生活に興味は無い。
彼にとって大学は肩書きを得るための作業でしかない。
そこに楽しみも、関心も、好奇心も最初から求めていない。
このETCMに関しても同じだ。
どれだけ高性能だろうと、どれだけ社会貢献の手助けになろうものだろうと彼の視界には映らない。
彼が見ているのは、あらゆる物事についてくる付加情報。
多くの人間が認識でき、なおかつ判断材料として重要なファクターとなり得るもの。
それしか、今の彼の瞳には映らない。
「まあ、醒ヶ井は興味ないか」
弱音を見かねた白石が落胆の色をにじませながらつぶやく。
「ちょっと難しいよな。特に好きな分野でもなければただの苦痛だよな」
「そうですね、おっしゃるとおりです」
「はっきり言うなよ・・・。とりあえず今日はここまでにしよう。もうすぐ最終下校時間だ。パンフレットは持ち帰っていいから家でまた読み返せばいいだろ」
ふと時計を見れば、弱音達がしゃべり始めて短針が目盛り一つ分進もうとしていた。
本日の最終相談者ではあったが少々話しすぎたようだ。
学校直属の警備員が一つ一つ教室をのぞき込んでくる時間帯となってしまっていた。
彼の解散宣言で黙々と帰り支度を始める弱音。
家へ持ち帰ってもゴミ箱一直線であろうパンフレットも、渋々持って帰るため学校指定のバックに乱雑に詰め込む。荷物を整え立ち上がった弱音を見て、白石も職員室へ帰るべく廊下に出る。
年期を感じさせるスライド式のドアを閉め、しっかりと施錠する。
それを確認した弱音も回れ右をして昇降口を目指す。
梅雨の本降りの威力を味わいたくない一心でいそいそと廊下を歩き始めた。
「なあ醒ヶ井」
早く帰りたい気持ちが行動に表れている弱音の背中に担任の声がかかる。
どうせパンフレットを捨てずにしっかりと読みなさいという感じのお小言だろう。
いくら生徒指導とはいえもう時間外だ。付き合っていられない。
聞こえない程度に歩くスピードを速めようとした。
「あんまり悲観的になるなよ、醒ヶ井。お前は妙に冷めている部分があるからなにもかも良くない方法に考えがちだと思う。悪くはないことだがそれじゃあ自分の首を絞めているようなもんだぞ?ちょっとクサい台詞だが、お前はまだまだ子供だし将来への可能性なんていくらでもあるんだからもうちょっと気抜いて考えろよ」
予想通りの教員特有の自称アドバイス。
聞いたところで心に響くことも無く、人生を変えるなんて滅多にない。
結局のところ一度も振り返ることはなく、歩くペースは変わらずだった。
外は見なくても分かるぐらいの本降りだった。