「ふんふふ~ん♪」
複雑な機械が文字通り知恵熱を出す勢いで稼働し、オーバーヒートを防ぐためのファンが風を切る音が溢れる空間にて、一昔前のアニソンが鼻歌で流れる。
音程は外れていないが他人に効かせる気が無い独特の抑揚のせいか、カラオケの採点機にかければリアクションが取りにくい点数を取りそうな歌い方だった。
「うっうう~♪おういぇえ~♪」
この異質な空間に流れる鼻歌の歌い手である美玲は、様々な線形代数曲線や小数点以下が長く続いている数値を吐き出す機械類に囲まれていた。
理解しがたい機械がでてきた時点で察することができると思うが、彼女が今いる場所は、学者として籍を置く私立先新大学。その中の彼女が所属している研究室だ。高校生という身でありながら籍を置いているというのは少々不思議な表現で、実際には先新大学に入学はしていないものの、ほとんどの時間を個々で過ごしているため大学の一員として認知されているという感じであった。
大きなお友達が喜びそうな幼児向けの魔法少女の主題歌を歌いながらも、美玲のパソコンを打つスピードは衰えない。人間の特殊な技能として同時並行処理があるが、彼女もその一員らしく、楽しそうに鼻歌を歌いながらも指は迷うことなくキーボードを叩く姿はその代表例として表現できるのかもしれない。
だが、人間とは中身よりも外見を気にかける生物。人間の善し悪しは外見だけではなく、中身も重要だという意見もご尤もだが、自分の見た物しか信じないという言葉があるように第一印象である外見は決して軽視できるものではないはずだ。その点でいえば、科学者としての身分証明書ともいえる白衣を入室するや否や、グチャグチャに丸めて床に転がしているのはあまり良い例とは言えない。ましてや本来着ていた服は、日本のサブカルチャー文化が生み出したフリフリフリルのゴスロリときたものだ。ここまでこればマナー云々以前にシュールな光景に混乱してしまうだろう。
「愛は~♪女の子の~♪成長成分なのさ~♪」
幸い研究室には美玲以外におらず、中途半端な鼻歌とファンの風切り音、そしてキーボードの打鍵音が木霊する。平日の住宅街をゴスロリ服で平然と歩く美玲のことだ。他の人がいようが平気で歌い続けるのは安易に想像できる。
しかし、研究室というのは教授クラスまで昇進しない限り、個人の研究室を持つことは難しい。正体不明の天才高校生ともてはやされている美玲でも、この研究室は個人のものではなく公用のものだ。そもそも、彼女が研究開発しているETCMは、彼女が所属している研究室全体の研究であって、彼女はその中の一部分を手伝ったに過ぎない。研究とは、大前提複数人で行うものだ。
彼女が勝手に使っているこの研究室も彼女一人のものではなく、ETCM開発研究チームのものだ。彼女が占領しているスペースから目をそらせば、同じチームメンバーの私物であろうノートや資料、徹夜の栄養補給用の即席麺があちこちに見られるはずだ。
故にここの研究室を予定無くふらりと美玲以外の人間が訪れることは珍しいことではない。
本日もその一例であった。
「へぇ、研究室が開いていると聞いてきてみれば貴様か」
ただ、今日はその例が美玲の天敵だった。
「げ、よりにもよって君か・・・」
首を回して出口を確認すると、あからさまに嫌な顔をする美玲。彼女の視線の先には一人の男が立っていた。
古代の彫刻品を思わせる高い鼻に理性的に見えるつり目。顔立ちとしては綺麗な顔をしており、爽やかな印象を醸し出しているが、美玲を見る軽薄とも冷酷とも言える見くびった目は彼の性格を表していた。ゴスロリ服の美玲と違い、変哲も無いジーパンにTシャツ、その上に身分証明書の白衣を羽織っていた。
「げ、とはなんだ。ここを使っているのは貴様だろ?」
「はいはいそーでございましたね、交野私市サマ」
彼、交野私市はうっすらと口角を上げると、ゆっくりと美玲に歩み寄る。
対して美玲はデスクチェアの背もたれに体重を預ける形で、私市に逆さまの顔を見せる。
「ここ最近研究室にいないと思ったら突然引きこもってパソコン作業とは。貴様の行動といい、普段の振る舞いといい、理解しがたいよ」
「お褒めにあずかり光栄だよ。天才ってのは、常人には理解できないからこそ見える景色があり、また天才という枠組みがないと目立ってしょうがない存在なのさ」
「貴様は天才ではなく変態だ。いや天災のほうが貴様のユーモラスな思考回路にはぴったりかな?」
「いいねぇ、いつ聞いても君のジョークはおもしろいよ。何のひねりもない平凡なジョークは。まさに日本の総理大臣の言い訳みたいにワンパターンで安心するよ」
「ふん、貴様には常人の言葉など理解できないようだな。流石は自称天才の変態ゴスロリだ」
「私は自他認める天才美少女なのさ。私の目の前にいる性格悪男と違ってね」
出会って早々に言葉による殴り合いが始まる二人。
彼らの言葉がどうあがいても罵り合いにしか捉えられないのは、彼らの間に広がるギスギスした空気感で分かるはずだ。
それを証明するかのようになるべく笑顔を絶やさないようにしている美玲も、今だけは相手を小馬鹿にした態度をとっている。
「いつ見ても貴様は無鉄砲で一貫性がない。もう少しは計画性を持って行動したらどうだ?ほら、僕が使い古してゴミ箱行きの手帳で勉強するか?」
「おや、女心と秋の空というように、女性の思考回路は男性の整合性な思考と違い、一貫性がなく獅子滅裂であるってことを知らないのかな?人の心に関して研究しているのに?そっちこそ私の偉大なる学習ノートを見せてあげようか?」
「生憎、人間の心理には興味が無くてね。興味があるのは、人間の体を駆け巡る電気信号さ。各個人のくだらない感情になんか構っている暇はない」
「それ、言い方変えれば君の体に興味があるよぐへへって言っているようなもんだよ?君、顔だけはいいんだから、早く回れ右して街に繰り出してナンパでもしたらどうだい?」
美玲は再度数字を映し続けるスクリーンに目を向ける。私市に構っている間でも指が止まっていなかった。
「ほんとに何しに来たんだい?君ならいつでも息を吐くように私の悪口をポンポン出せるのに、冗談抜きでからかいに来ただけなのかい?」
「確かに貴様の欠点を挙げることなど動作もないが、それだけのためにここを訪れるほど僕も暇ではない。貴様への疑問を晴らしに来た。ここ最近何をしている?」
「何って、ETCMの改良」
私市は美玲の横に立つと、上半身を乗り出すように美玲の前に広がるスクリーンをのぞき込む。前を塞ぐような形になったため、美玲は彼の頭をどかすよう命令するかのように叩く。
スクリーンから顔を上げた私市は疑問の声を出す。
「これは・・・人間の思考パターンの分類について、か」
「私の専門担当は人間の普遍的な感情の解析についてだって君も知っているだろう?まさにその研究の真っ最中なのさ」
「ふん、人間の感情なんてちょっとした条件次第でコロリと変わってしまう人間の不確定要素だ。そんなもの、いくら集めたって確定なんてできるわけないだろ。研究するのならば質問紙調査法の四択を数値化して整理した方が効率的だろ」
「わかってないなぁ、数値大好き頭でっかち君。アインシュタインの『何かを学ぶためには自分で体験する以上に良い方法はない』という名言を知らないのかい?不確定要素こそ、自らの目で調べるに限るよ」
「わからんな、視覚的情報など表現に困るものは嫌いだ。やはり数値に限るな」
不満げに私市は鼻を鳴らすと、近くにあったパイプ椅子を引き寄せては、素早く組み立て美玲の一定距離離れた場所に座る。
座るなり腕と足を組み、何事も見透かすような鋭い視線が美玲を絡め取る。
異様な彼の様子に、一旦作業を中断した美玲は半ば呆れたような雰囲気で
「ねえ、さっきのは冗談のつもりだったんだけど、ほんとにここに居座るつもりかい?生憎、かまってちゃんに割いている時間はないんだけどな~」
「ETCM使用者に関する異様な空間屈折現象」
ピクリッ、と美玲の表情が固まる。
彼女らしくない動揺を、見過ごせる私市ではなかった。
「貴様が必死に対応、解決に向けて走り回っているそうだが、こちらにも同類の報告は複数入ってきているぞ。特に大きな事件や事故にはつながってはいないが、そろそろ本格的に対処に当たらないとまずいのではないのではないか?」
「・・・そもそも一般人にETCMを積極的に臨床試験として使用させようとしたのは君だろう?やだな~、責任転嫁も甚だしいよ全く」
「僕が提案したのは、『人間の筋肉や内臓運動時における運動神経を通過する電気信号の観測およびその集計』だ。貴様の研究が少々特殊だからと言って表沙汰になっているだけで、本来の目的はこっちだったはずだ」
「それは君が私とのコンペで負けたからだろう?それを特別措置として所長が君の研究も同時並行で行う用意をしてくれたんだろう?そこを責めちゃあ自分の首を自分で絞めるようなものさ」
ETCMとは、人間の脳を構築する電気信号および電子情報を計測する機械である。美玲のETCMとは、人間の思考を電気信号として定義し、それらを一つの像としてまとめ上げ、既存の機械類の電子パターンに置き換えるといったものだった。しかし、人間の神経系を走る電気信号とは、決して人間の思考情報だけではない。
人間が生きていくための筋肉や内臓運動、それらを各器官へと命令するため脳から発せられるコマンド
動物として、生まれたときから備え付けられている機能。
これは人間だけに当てはまる話ではないが、他の動物と比べ最も複雑であるといえる。
人間の動きは全て脳が制御を行っている。
反射という緊急事態での脊髄による反応は例外として、人間の脳は各器官への司令塔というような働きを担っている。その命令コマンドとは、運動神経を通して各器官へ伝達される電気信号だ。
この概念は、とうの昔に確立されているものだが、その謎は未だ多く残っている。
電気信号の存在の観測自体は成功している例は多くあり、足腰に大きな負荷をかける積み荷を下ろす作業を援助する足腰補助ロボットや、四肢欠損の人々の新たな手足となる自動義手や義足は開発されている。
だが、これはまだ完全な完成とは至っていない。
こういった機械というのは、実際に動かす部分に装着し随時流れる命令コマンドを観測することによって、機械が同等の動きを行うといったものだ。
その為、観測から実行までのタイムラグが発生し、この差が本来の人間の動きの再現を阻害している。
それにより、俊敏な動きや滑らかな動作による作業というものが、自動義手等で達成できていない現状なのだ。
ここでの課題の一つは、命令コマンドの解明。
電気信号である命令コマンドを、ある一定の規則性を見つけ出し、人工的に造り出すことができれば従来の課題を解決することができる。
その為には、多くの人間の命令コマンドを観測し、そこから規則性を見いだしパターン化する必要性がある。
これが交野私市が掲げる研究、『人間の運動における命令コマンドの解明』
その為のETCMなのだ。
彼は、積極的に命令コマンドのパターンを採取するために、一般の人々にETCMを提供することで、命令コマンドの情報を収集していたのだ。
人間の思考パターンの解析を目的とする美玲とはまた違ったアプローチでの、人間の構造を解明しようとしていたのだ。
「確かに、今後の方針を決める大事なコンペで貴様に負けたのは事実だ。だが、僕は君の態度といい、研究に対する態度といい、科学者とはいえないその姿勢が気にくわないのだ」
「ふーん、だから研究室に籠もって数字をひたすら見ていろって?それじゃあつまらないじゃないか。人の感情なんか実際に人と会って話さないと分からないじゃないか。君の主張は、顔が見えないSNS上で、ギャルゲーの選択肢のごとく決まった口説き文句で女の子を口説くようなもんさ。口説くときの無意識に潜むアニマ、アニムスを探り合う駆け引きが楽しいんじゃないか」
「確か無意識に潜む、己の性別とは反対の、自らの性別に足りない部分を補うための要素だったか。一目惚れがアニマ、アニムスの投影という説もあるが、所詮人間の好悪の感情など生物的な利害関係をオブラートに包んだだけのまやかしみたいなものだ」
「・・・君、顔はいいけど自分が気に入らなかったら難癖つけて否定する、孤高の女々しい地雷女なのかい?」
言い合いに飽きたのか、私市は組んでいた足を崩し天井に目を向ける。軽くため息をつくと、膝の上に肘を置き、再度視線を美玲に合わせる。
本題に切り込むかのように重々しい口調で美玲に話しかける。
「僕もこの現象の理論については貴様から多少聞いているが、ここで作業している以上何か対策はあるんだろうな?」
「おや、以外と君は魔法や霊力など『法則性のない力』を信じれるクチかい?」
「オカルティックな名称は嫌いだが、貴様がいう力というのは『理論値と実験値の間に存在する徹底理解のできない条件』なのだろう?理論を第一として考える科学者でも、この存在はついて回るものだ。認めたくはないが、確かに在るとういうのは信じるしかないだろう」
心底認めたくないのか、苦虫をかみつぶしたような顔で頷く私市。
それでも美玲を捉える眼光は衰えない。
「貴様がオカルティックな要素を認めることは安易に予想できたが、いくら僕たち科学者にとって身近な物だからこそ、未知な部分が多いはずだ。数値や記号で表せない以上、科学的なアプローチしか行えない僕たちは手出しできないのではないか?」
「おっと、興味が無いと言ってたけど興味津々じゃないか。もっと素直に言えばいいのに」
「僕が心配しているのはETCM本体の心配だ。貴様の研究がどうなろうが関係ない。だが、ETCMが関連している以上、僕に関係ないとは言えないからな」
「ひねくれているのかいないのか、よく分からないね君は・・・」
少し笑みを浮かべる美玲に対して、私市は軽く鼻を鳴らすだけだった。
美玲の手元は相変わらずキーボードを叩き続けており、その様子は変わらない。
だが、スクリーンに映る結果はだんだんと明確な形になっていく。
それに気づいたのか、私市がゆっくりと立ち上がり、美玲の肩越しにスクリーンをのぞき込む。
「人間の思考データの解析が終わりそうだが、これは今まで多くの人間を対象に収集してきた過去の思考データではないか。これが何の対策になる?その使用者とやらのデータを徹底分析した方がいいのではないか?」
「これが私の科学的アプローチってやつさ。さすがにオカルトに関しては専門家と呼ばれるほど博識ではないからね」
「つまり、これが貴様の専門分野での解決策とでもいうのか」
「そゆこと」
満足げに頷くと、キーボードを叩く手を止め、後ろの私市に見えるように体を右へ傾ける。
私市からは見えなかっただろうが、そのときの美玲の顔には勝ち誇った笑みが浮かべてあったに違いない。
インテリ層の特徴として、説明したがりという点が挙げられるが彼女もその例に漏れず、それが例え憎い相手でも変わりはないようだ。
「この前の報告会で言った通り、この異様な空間屈折現象は、ETCMが人間の無意識を誤って読み込んでしまったことによる偶発的な事故みたいなものだと考えられている」
「貴様の言葉を信じるとするならばの話だがな」
研究とは基本的に複数人と集まって行うものである。互いが互いに得意分野を発揮しスムーズに進むことも在れば、計測された結果を通して意見が分かれ対立する場合もある。そのため、実験の結果を通しての欠点や問題点は、速やかに他のメンバーへと伝え、様々な意見をお互いに出し合うことで解決に導いていくのがセオリーである。
そのセオリーに従い、あらかじめある程度の事故の程度や推測される原因を知らされていた私市は、弱音や咲とは違いこの事故に至るまでの経緯を説明しなくてすむのだ。
「だが、、このETCMにおける意識の区切りというのは、僕たちが心理学や生物学などあらゆる観点から研究開発し独自に編みだしたものだ。ただでさえ心理学者の間で、意識と無意識の境目は論争の基になっているぐらいだ。無意識をETCMの射程圏内から完全に排除するのは難しいんじゃないのか?」
「ごもっともだね。意識と無意識については長年、心理学者の間でも散々議題に上がっているぐらいだし、そもそもこの概念すら怪しいと言ってる学者もいるしね。だからETCMが無意識を読み取らなくするように『区切り』を調節するというアプローチは考えていないさ」
「ならどういうアプローチを考えているのだ?」
「切り取るんじゃなくて、打ち消すのさ」
そう言うと、美玲はカーソルを動かし、スクリーンの右上にあるファイルをダブルクリックして開く。
ここにも先ほどと同様、多くの数字達が並んでいた。
しかし、先ほどとは違い、題目がついた表にまとめられている。
「ETCMが作り出す設計図というのは、簡単に言ってみればただの電子の集まりだ。このパソコンに入っているギャルゲーのソフトと存在自体は変わらない」
「研究用のパソコンに男性向け恋愛シュミレーションゲームが入っていることは今回は触れないでおくが、それはそうだろう。貴様の研究は、人間の思考を既存のパソコンやそれに準ずるものに理解できるような形にすることだからな」
「そう、他に例を挙げるのならばインターネットを駆け巡る情報そのものさ。だからETCMが作り出す設計図は目に見えないだけのインターネット上にある情報体そのものということさ」
「それについての捉え方は大方理解はできている。この部分がどう解決策に結びつくのだ?」
「今回の現象の原因である設計図がインターネットのような情報体ならば、外部からの変更が可能ということさ」
ETCMの作り出す設計図は、インターネット上にある情報体と同じ構造をしている。
国家の正式なホームページでも、各個人の日常を綴ったブログでも、インターネットという大きな電子の海に浮かぶ電子情報という面については同じだ。
パソコン、もしくはスマートフォンなどのインターネットに接続する電子機器を通して、インターネット上に情報を書き加えていく。
キーボードを叩いて文を書き、写真を撮ってアップロードする。
インターネットが普及し、身近に寄り添うようになった現代において、ほぼ日常のルーティーンになったこれらの他人との情報共有するための動作。
特別な知識も道具もいらない。
これも電子機器の性能の発達の結果とでもいうべきか。
ただ、これらの情報共有するための行動は、ネットワーク上の情報に変更を加えるとも言い換えられる。
無地のホームページに、中身の無い文章が書き込まれるように。
その反応が、同じ下地に書き込まれるように。
情報がどんどん加えられ、全体の姿が変わっていく。
いわば、ネットワークの情報を組み替え、自分の思った通りの形を生み出していくというこただ。
そして、ETCMも独自のネットワークを形成している。
人間の思考や生体電気によって作り出されたネットワークは、一種の記録だ。
この結果に従って、あの異様な空間屈折現象が起こるのだ。
だから、その結果を書き換えるのだ。
このネットワークに存在する有害な情報を特定し、その情報を無かったことにするために除去すればいいのだ。
「つまり、最初から無意識を読み込ませないのではなく、無意識を読み込んだ上でその中から空間屈折現象を引き起こすデータを消去していくということか。膨大な電子情報を含むETCMは一種のネットワーク。そこから探し出すのは不可能なのではないのか?」
「オイオイ、このETCMそのものが膨大な思考データから特定の思考データを読み取る装置だろう?ETCMがデータを仕分けした概念を使うに決まっているだろう?」
美玲は、後ろの私市に分かるように開いているファイルを拡大する。
「ふむ、これがその鍵となるデータか。しかし、見る限り被験者同士の関連はほとんど無いように感じるが?年齢、性別、身長や体重、家族構成やその他の条件。特に共通する部分は見られないし、そもそもあのような現象を起こした人間だけではなく、問題の無い被験者も含まれているようだが?」
「はーい、原点に戻りましょうね交野クン。そもそもあの空間屈折現象が起こったのは、ETCMが人間の無意識、正確にはアーキタイプを読み込み、その設計図を基に『信仰の概念』が働いて起きた現象だ。言ってみれば、あの現象の正体は人間のアーキタイプそのもの。これでもう分かったかな?」
「ああ、そういうことか・・・」
自慢げに見返してくる美玲の顔を見て、私市は漠然とした結論を導き出すことができた。
「ETCMが収集したデータ、不特定多数を被験者としたデータをそれぞれ比較し、そこから共通項の多いデータを見つけることで、それが無意識を読み取ったものであることがわかるっていうことか」
「そゆこと。無意識、特にアーキタイプは人種や性別にかかわらず誰もが心に持っている感情。ETCMが今回の事故に限らず、他の被験者でもアーキタイプを読み込んでいたのならば、同じ数値や波形を記録するはずだろ?だって、全人類に共通していることなのだから」
「だが、それではアーキタイプの種類まで特定できないんではないか?アーキタイプには様々な種類があるはずだが・・・。ああ、なるほど・・・」
自らの仮説の不足点を述べようとした私市が、途中で納得したかのような声を出す。
「アーキタイプの種類の特定などここでは無意味か。アーキタイプの深層心理における階層さえ特定できれば、その階層全てのデータを消去すればいいということか」
「はい正解。君にしては少し戸惑ったね。もう少し勉強してくること」
おちょくるような口調で後ろを振り向く美玲。
彼女の目に映るのは、舌打ちしながら背を向けて出口に向かう私市の姿。
「おや、もういいのかい?もっと私の素晴らしいETCMの研究結果を見ていけばいいのに。あ、ごめん。見ていると君と私の差が明確になって君を苦しめるだけか」
「心配するな。自分の研究に関してはそこそこの自信は持ち合わせている。わざわざ貴様のものと比較する必要がないくらいにな。それに今日は、貴様がどのくらい問題解決に向けて動いているかを調べるために様子を見に来ただけだ。それが確認できたらもう貴様に用はない」
「つれないなぁ。まあ、私も君とはあまり関わりたいとは思わないけどね。こればっかりはしかたいなさ、人はそれぞれ好みを持っているからね。私のような美少女に嫌われたかって気に病むことはないさ」
「女はすぐ異性との感情を恋愛感情に持っていく傾向があると聞いたな。お前も研究者とはいえその例には漏れずというところか、色ボケ」
呆れたように私市は軽く鼻を鳴らすと、ドアノブに手をかける。
それを確認した美玲は、ようやく邪魔者が出て行くことがうれしいのか、中断していた鼻歌をまた歌い始める。表情といい、行動といい、気持ちが前面に出てくる性格なのかもしれない。
「ああ、それと」
ドアを半分開けたところで、私市が問いかける。
「なんだい?忘れ物かい?私はこの通り忙しいから自分で取りにきてね」
「明日、大型実験場を予約しているだろう。その解決策を実行するとは思うが、それに同行することだけ伝えておく」
「ふぇ!?」
美玲にとっては寝耳に水のことであった。実際に寝耳に水が入ったように驚くあまり、大御所芸人顔負けの椅子から転げ落ちる芸を披露するところだった。
「ええ!!初耳なんだけど!しっかりと許可は取ったよ?」
「大型実験場を使用するには許可と一緒に付添人が必要だと書かれていただろう?その日は他のメンバーが不在の為、僕がやることになっただけだ」
「うーわ!うーわ!!嫌だあぁ頑固拒否するぞ!何かと実験にケチつけて絶対めんどくさいじゃん君!」
「ETCMの問題点を解決するところは見ておかないといけないと思ってな。まあ、貴様の無様な姿を見に行くのが主な目的だがな」
「もう帰れ!帰って風邪でも引いて寝込んでろ!」
思わず何のひねりもないストレートな罵倒を繰り出す美玲。
それに対し、私市は意地悪い笑みで答え部屋を出ていった。
「あああああ!面倒なことになったなぁああああ!」
巷で噂の大学の実験室にて、ゴスロリ女の叫びが木霊した。