〈国際空手道協会
京次は、バッグを肩に引っ掛けて、看板のかかった扉を潜った。
中には、空手着を着た者たちが、ストレッチをしたり、型をチェックしたりしている。
「押忍! 失礼します」
バッグをいったん床に置き、京次はキチンと挨拶した。
奥の更衣室で道着に着替えて、道場に戻る。
四十がらみの、坊主頭の精悍な男が、声をかけてきた。
「おう、京次! どうだ調子は?」
「バッチリですよ!
「バカ野郎。高校生に二日酔いの心配なんかされてちゃ、世話ねえよ」
ニコニコ笑いながらストレッチをしている椿の横で、京次も同様にストレッチを始める。
「練習前でアレなんだけどよ。京次、次の土日って空いてるか?」
「ああ、大丈夫ですよ。一体何ですか?」
「うむ……久しぶりに、山に籠って修行しようと思う。お前も来ないか?」
少し真剣な表情の椿。
「またですか? 好きですねホント」
「大自然の中で、本能を呼び覚ますんだよ! 他の奴らも何人か声をかけてある」
「まあいいですよ。俺も嫌いじゃないんで、お付き合いします」
「そうだ、お前のツレで……何て言ったっけ? こういうことに向いてるのがいるって、前に言ってたな? そいつも呼ばないか?」
「航希のことですか? あいつは飛輪会とは関係ないですが、いいんですか?」
「俺たち以外の流派の、技術も学びたい。どうかな?」
「ま、あいつは喜んで来ると思いますけどね……」
航希の強い呼気が、発せられた。
炎を、一層大きく燃え上がらせる。
「スゲー! もう炭にしっかり火が移ったな」
釣り用ベストを着こんだ椿が、石を組み合わせて作ったカマドを覗き込んだ。
そのすぐ側には、大きな湖が広がっており、川の水が流れ込んでいるところが遠目で見える。
「コツがあるんですよ。オレ、こういうの得意なんで」
「このカマドも君のお手製だし、勉強になるなー。やっぱり、航希君に来てもらって正解だったな。なあ京次!」
「そうですね……」
苦笑しつつ、京次は答えた。
その間にも、航希は炭を掻き回して火力を調整している。
「うん、これでよし。それじゃ、最後の仕上げ、と」
全員に背中を向けていた航希が、なぜか逆方向に向き直ると、手まねで「場所を開けろ」とやる。全員、訳が分からないまま、言われるままに航希の前方を避けた。
おもむろに、火のついた木の枝を口元にかざす。
ブオッ!
突然、航希の吐いた息が木の枝にかかり、猛烈に火炎があがる。思わず、近くの面々が飛びのいた。
「へっへー。火吹き芸でございぃ」
「仕上げってそれかよ! 航希、それって火おこしと関係ないだろ」
「よい子のみんなは、絶対マネしないでね! それじゃバトンタッチだよ京ヤン」
「全くおめぇはコレだから。じゃ皆さん、こっからは俺が引き受けますんで」
押忍! と他の面々が発声し、それぞれ運んできたクーラーボックスやリュックから、調理道具や食材を取り出していく。航希は、続いてバーベキューコンロの火おこしに移った。
バッグから大きな鉄塊を取り出す京次に、椿が声をかけた。
「お! 京次、やっぱりそのダッチオーブン持ってきたな。重いのに悪いなぁ」
「こいつがあると、できるメニューが増えますからね。今日は、トマトと豚バラの角煮でいきます」
「いいねえ! これだから山籠もりは、京次がいないと盛り上がらないんだ。高校生でこんだけ料理できるヤツ、なかなかいないぜ?」
「ま、料理は普段からやってますからね」
山籠もりっていうか、バーベキューキャンプでしょ? と、心の中だけで航希は突っ込んだ。
京次は食材を次々と切り、野菜そして肉を軽く焼く。そして、椿から受け取った焼酎と赤唐辛子を加えて蓋をする。湯気を見ながら、自分で炭を動かして火力を調整していく。
「しっかり火が通ったら、トマトと調味料入れます。そしたら、さらに煮込んで味が染みればできあがりです」
「手際いいよなー。俺の嫁に教えてやってくれよ」
「今の台詞も込みで伝えていいんですか?」
「そこんとこは! うまいこと言ってだなー。俺が殺されるから」
「じゃあ、伝説の空手の達人と、奥さんとどっちか戦えって言われたら?」
「達人は、億が一でも勝てるかもだろ!? 嫁相手だとそれも無理!」
一同が、大笑いする。
「まだ食事時まで時間あるよな? 俺、食材増やしてくるわ」
ドヤ顔で椿が手にしたのは、釣り竿。
「他にも竿あるから、お前もやるか? 京次」
「煮込みできるまで暇ですから、付き合いますよ。でも、俺の方がたくさん釣れたりして?」
「言ったな? 数で負けた方が、正拳突き100本な! 重り持って」
「じゃ、椿さんに適した重りも探しときますね」
軽口を叩きながら、他のメンツも加えて釣りが始まる。
しばらく、湖からの風に吹かれながら、面々は釣り糸を垂れていた。
「お? 来たか!」
椿が、リールを巻き上げていく。
引き上げられた糸の先には、30センチほどの魚が、ピチピチと跳ねつつ食いついていた。
「うーん、やっぱ一匹目は椿さんか」
「でも、ちょっと小さいかな。もっとデカいヤツいきたいな」
椿は、再び竿を振って、さらに遠くへと仕掛けを飛ばした。
そして、何度かリールを巻いていると。
「おぉっ、もう!? 早っ! ……え? うわっ!」
急激に竿が持っていかれ、つられて椿が水中に落ちていった。
「あらら~、椿さんたら……」
苦笑交じりの他の面々と違い、京次はなぜか胸騒ぎを覚えた。
竿を放り出すと、湖に飛び込んでいった。他の面々が騒ぎ出す声が、着水の直前に聞こえていた。
京次は、水中で〈ブロンズ・マーベリック〉をまとい、顔も覆った。岩などで体を傷めないよう、念のためだった。
水を搔き分けるように、仕掛けが沈んでいたはずの方向に泳いでいく。意外と透明度が高いため、視界はある程度効いた。
やがて、人の姿らしきものが、向かう先に見えた。
(魚に引っ張られただけで、あんな奥まで連れていかれるかよ? ……網!?)
椿らしき人影が、網にスッポリ入ったまま、ゆっくりと奥へと進んでいく。
京次はいったん水面に顔を出し、息継ぎをすると、再び水中に潜った。
ただ泳ぐだけでなく、水中に〈足場〉を作り、それを手掛かり足掛かりにして、一気に突き進む。
追いつくやいなや、京次は手を伸ばし、網を掴んで止めた。
が。
次の瞬間、網が消滅した。
面食らっている京次が次に見たのは、身動きしない椿の周囲に現れた、手のひらサイズの魚十数匹だった。
(これって……ピラニアか!?)
考えている暇もなく、ピラニアの群れは京次に襲い掛かってきた。
京次は、手近の一匹に、貫手を突いた。水中での一撃の割には、手ごたえを感じた。その一匹は水中でもがくが、他のピラニアが京次にまとわりつく。
手足の数か所に、鋭い痛みが走った。
(何だと!? スタンドでガードしてるんだぞ。普通の魚なら、牙が通るわけが)
その時、背中から何かが体当たりしてきた。いや、抱きついたまま京次の体を引きずるように移動させていく。
「大丈夫!? 京ヤン!」
「航希。来てくれたか!」
水中とはいえ、スタンド同士は会話が可能だ。
縦二枚に分割したボードを、流線形に変形させて組み合わせた、〈サイレント・ゲイル〉水中スタイル。ピラニアは、その速いスピードに対応できない。
「あのピラニアって……スタンド!?」
「他に考えようがねぇ。スタンドは、スタンドでしか傷つけられねぇからな! 椿さんを捉えた網も、多分そうだぜ」
「群集型ってやつかな? 神原先生が言ってた。一体一体を叩いても、大したダメージにならないって」
「本体を叩くしかねぇってことか」
後に〈アマゾネス〉と名付けた、そのピラニアの群れを京次はちらりと見た。
「航希。おめぇは息継ぎしたら椿さんを岸に上げろ! 俺はこいつらを牽制する」
「まだ戦うの!?」
航希は内心で、いったん撤退することを考えていた。神原の知恵を借りるなり、文明の〈ガーブ・オブ・ロード〉で探索するなりできると踏んでいたのだ。
「今、ここで叩かねぇとダメだ! この湖は、川とつながってる。そっちに逃げ込まれたら、追跡は無理だと思った方がいいぞ」
「……了解!」
航希は、いったん水面に上がっていく。
ピラニアの群れが、京次に向かってくる。身構える京次。
(水中で、全身を一斉に齧られちまえば、多分命はねぇな。それだけは避けねぇと。……やるだけやるしかねぇ!)
息継ぎをした航希が、高速で椿に接近していくのが見えた。
すると。
ピラニアが一斉に方向を変え、航希を追いかけ始めたのだ。
(……!? こいつら、自動的に行動してるわけじゃねぇ。このスタンド使い、状況を見て判断してやがる。しかし、この判断は……なぜ、ほとんど動かない俺じゃなく、動きの速い航希を追う? 先に攻撃するなら、俺だろうに)
京次は、自分も息継ぎをするべく、水面に上がって顔を出した。
少し離れた岸辺では、一緒に来ていた空手仲間がキョロキョロしていたが、京次の顔を見つけて叫んできた。
「大丈夫か、京次ー!」
「問題ないです! 今、椿さん見つけて、岸に引っ張ってます」
それだけ言うと、京次は再び水中に潜る。
椿を引きずるように進む航希の後を、ピラニアが追っかけている。
だが。
突然、ピラニアが追跡をやめた。再び方向を変えて、京次に向かいだした。
(スタンドの効果範囲から外れたか!? ってことは、スタンド使いは湖の中か。……これは、ひょっとしたら。いや、ありうるぞ。それなら、あの行動も説明がつく)
京次は、思いついてピラニアから離れる方向に泳ぎだした。
ピラニアの方が泳ぐスピードは速い。どんどん距離が詰まってくる。
しかし、ある程度離れたところで京次が、泳ぐのをやめて後方を見ると。
ピラニアは、追跡を止めていた。京次より少し離れたところで、ゆらゆらと漂っている。
(間違いねぇ! やっぱり効果範囲から外れたんだ。となると、射程距離はせいぜい10メートル。読めてきたぜ)
急に、ピラニアが動き出した。来た方向を逆戻りするように。行く先に小さく見えたのは、戻ってきたらしき航希の姿。
だが航希は、ピラニアを大きな動きで翻弄し、回避して京次の元に来た。
やはりピラニアは、京次たちの眼前で止まってしまう。
「椿さんは?」
「他の人たちに任せてきたよ! ところでさ、こいつらの射程距離って」
「おめぇも気づいたか。本体は、こっから10メートル強。間違いなく水中だ」
「魚か何か。人間じゃないよね? 先生も、人間以外のスタンド使いが存在するって言ってたし」
「ああ。さっきから見てたが、こいつらは、スタンド使いの縄張りを守るために動いてやがるんだぜ、きっと」
「効果範囲の中央、だね」
二人は、再度水面に出て息継ぎ。
「大体の位置が分かれば、後は攻めるだけだね。オレが先行して、奴らを牽制するよ」
「頼むぜ。俺は一気に接近して、ヤツを引きずり出す」
「OK!」
二人とも水中に潜る。
まず、航希が〈サイレント・ゲイル〉で、ピラニアを避けるように回り込み、進んでいく。その後ろを追っていくピラニアの群れ。
航希は途中で、水中に沈んでいる、一抱えほどもある大きな岩を指さして、そのまま進む。
(だろうな。俺もそいつに、目を付けていた。多分、その下に潜り込んでる)
反対側に航希がピラニアを引き付けていくのを確認して、京次も動きだした。
〈足場〉を次々と作り変えて、それを利用して一気に岩まで突き進む。
京次の動きに、ピラニアも反応した。方向を急に変えると、岩を守るように京次の前に回り込んでくる。
「だったらオレだ!」
航希も岩に接近した。すぐ傍で〈サイレント・ゲイル〉を水中スタイルからトンファースタイルに変換。腕に取り付けたトンファーの先端を、岩の下にある隙間に突き立てた。
だが、その攻撃は隙間にほとんど入ることなく、ガツッ! と止まってしまった。
(岩に邪魔されてる! 奥まで入らない!)
何度か、隙間を狙って突き立てるが、やはり入らない。
(水中じゃ、浮力のせいで踏ん張りも効かない! 腕の力だけじゃ、反動で跳ね返されるだけだ)
焦る航希に、ピラニアが目標を変えて迫る。
「航希、引け! ここは俺に任せな」
「ゴメン!」
航希は〈サイレント・ゲイル〉を再び水中スタイルに変更すると、ピラニアを振り切って逃げた。
その間に、京次は岩に接近。その真上に到達した。
ピラニアも、京次に近づく。京次を取り囲むような円を描くように、大きく広がった。
十数匹いるピラニアの背びれの付け根から、糸のようなものが幾つも伸びた。それぞれが結合し、あっという間に大きな網が完成する。
(こいつが、椿さんを捉えた網か! 包み込んで、ピラニアで齧り倒すって戦法か。だけど、もう遅いぜ)
下からすくい上げるように、網が自分の足にかぶさるのを、京次はニヤリと笑って見た。
「邪魔ァッ!!」
京次の右足の蹴りが、岩に叩きこまれた。ゴン! という音が、やけに大きく響く。
網が右足に押されて、ピラニアが引き戻されてもがく。
蹴りの反動でも、京次の体はほとんど動かない。両手と左足を〈足場〉で固定している。
〈ブロンズ・マーベリック〉をまとった京次の遠慮のない蹴りが、なおも叩きつけられた。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔、邪魔ァーッ!!」
ゴンゴンゴンゴン!! と、岩を蹴りつけるたびに、音が鳴り響く。
(くそ! 頑丈な岩だな。割れろよ砕けろよ!)
「京ヤン! ストップ! もういいと思うよ……スタンドが、消えた」
言われてみると、さっきまで足にまとわりついていた網も、ピラニアも全て消滅している。
航希は、スタンドも消して、かがみこむようにして岩の下に手を突っ込んだ。
やはり隙間が狭いようで、しばらくゴソゴソ探っていたが、
「……よっしゃ! やっぱり気絶してる」
航希は、引き出してきた腕の先へと、さらにもう片手も突っ込んだ。
そして、エラを掴んで引きずり出されてきたのは、全長50センチもあろうかという大ナマズ。
「ガッチン漁法ってやつだね。漁としてやるのは違法だけど、こっちも命がけだしね」
「ま……まあ、な」
つい目を逸らす京次。
「そんで……これ、どうする?」
やがて、食事時。
コンロの上で、大きな切り身が油を吹きつつ焦げている。
「うん、うまい!」
すっかり息を吹き返した椿が、焼けた白身を頬張っていた。
「だけどなー。京次、航希君」
傍にいた、中年の空手仲間が言った。
「椿さんを助けてくれたのは、よく頑張ったけどな。水遊びは、せめて椿さんの無事を確認してからにするべきだったんじゃないか? 人命がかかってることだし」
「あ、はい……すいませんでした」
俺たちも、犠牲者増やさないためにスタンド使いを倒しに行ったんです、とは、さすがに京次も言えない。
「もういいじゃねーか。こうしてみんな無事に、キャンプの続きができるんだし。オマケに、こいつがホントにバカウマ! おい、遠慮しないで二人とも食え」
「は、はい。いただきます……」
世界広しと言えども、スタンド使いを食べちゃうスタンド使いって、オレたちくらいなもんだよなー。
そう思いつつ、白身にかぶりつく航希であった。