激しく掻き鳴らされるギター。鼓動のようにリズムで体を打つドラム。メロディを下支えするベース。
そして、目の前で飛び跳ね、掲げた手を突きあげる観客たち。
(コレだよ! 最高! やっぱ、アタシはコレがなきゃダメだよね!)
遥音は、高らかに歌いながら心底思った。この時ばかりは、学園でのイザコザも、頭から吹き飛んでいる。
もちろん、〈スターリィ・ヴォイス〉は使っていない。スタンドなしでも、実力で沸かしてみせる。そういう矜持は常に持っている。
曲の途中で、アドリブでキーボードのユリの所に近づく。
マイクを近づけ、顔を並べて同じフレーズを歌う。観客の反応も悪くない。遥音は、いいステージをやれていると実感していた。
しかし、共に歌うユリの目が、笑っていないことまでには気づかなかった。
出番が終わって、控室に戻った遥音。
「お疲れ~! いやー受けたね、いい感じ! やっぱり、遥音に来てもらってよかったよ」
バンド〈イチジク・タルト〉のリーダーでもあるギタリスト、
「こっちこそ。久しぶりのステージなンで、ちょっとだけ緊張しましたけど」
「いやいやいや、堂々たるもんよ! 仲間うちで、遥音にヘルプしてもらうって言ったら、みんな食いついてくるんだこれが」
「そんなこと言っていいンですか? そっちのボーカルさんに張り倒されますよ」
「あぁ……あの、胃痛で大事なライブをパスしたクソ野郎ね。だからあれだけ言ったんだ。道端に生えてる雑草や街路樹をかじるなって。貧乏だからなあいつも……」
「バッタかカミキリムシですか!? 無茶言いますね」
「でもちょっと似てるだろ? 遥音にはぜひウチに来てほしいけど、あのバカとの腐れ縁は切るに切れねえ! すまん遥音!」
「いやアタシ、そンなことひとッことも言ってませンから!」
ドッと笑う、〈イチジク・タルト〉のメンバー。
「それから、そっちのユリちゃんも実によかった! やっぱ、きれいな女の子が入ると華やかさが違うよね」
「あはっ。ありがとうございまーす」
にこっと笑って見せるユリ。
そこに、このライブハウス〈シルバー・チャリオッツ〉の店長が入ってきた。
「やぁやぁやぁ! 今日はよかったよぉみんな~。お客さんたちも盛り上がってたしねぇ」
「あざっす!」
「そんでさぁ。今日は君たちへのサプライズゲスト。ひょっとしたら、君らも会えるの楽しみにしてたかもしれないけどさぁ……ムフフ」
「え……もしかして!? あの、伝説のお方……」
雷吾が、糸のように細いと呼ばれる目を、大きくこじ開けていた。
震える指が、壁に貼られていた古いポスターを指していた。
そして入口から入ってきたのは、サングラス姿の三十過ぎと見える男だった。
「伝説かどうかはさておいて、荒井ユタカ、推参だぜ」
サングラスを外して、男は手を挙げてみせた。その素顔は、やや年を重ねてはいたものの、ポスターのものと同じであった。
「やっぱりぃぃ~!! おっ、お初にお目にかかります。イチジク・タルトの雷吾ですッ!」
「おう。さっきのライブ、聞かせてもらったぜ。お前さん、ギターの腕が滅茶苦茶上がったな? 前に聞いた時には段違いだぜ」
「えっ、お、俺のギター、聞いてくれたことあったんですか!?」
「いや。あまりにも下手すぎて、逆に覚えてたんだけどな。聴くからにブキッチョでなあ」
しおしおと項垂れる雷吾。
「しょげるなって! あの頃と比べると、別人みたいに上手くなってるって言ってるだろ? かなりの特訓をしてきたのは分かる」
打って変わって笑顔満面の雷吾を見ながら、ユリが遥音を肘でつついて囁いた。
(ねえ。あの人は?)
(プロギタリストの荒井ユタカさん。昔はこの店で活動してて、今じゃ音楽プロデューサーさ。この店に来てる奴らにゃ、憧れの人ってわけ)
「それに、そのギター。相当張り込んだだろう?」
「ああ、これですね!」
子供が親に、上手に描けた絵を見せるように、雷吾はギターを見せつけた。
「こないだ渋谷の楽器店で見つけたんです。セコハンですけど、俺でもギリギリ手が届く値段で出てて」
「この型のレスポールとなると、格安でもアマチュアにはしんどい価格だろ?」
「そうなんです! でも、これ逃したらもう絶対手に入らないと思って……」
「勇気出した甲斐があったってもんだ。今のお前さんの腕なら、レスポールも喜ぶさ。お前さん……プロになる気はあるのか?」
「え」
動きがピタリと止まり、微かに震えだす雷吾。
「今のお前さんなら、俺が力になる。考えてみてくれないか?」
「は、はい……」
雷吾は、そう答えるのが精一杯。
「それと、もう一人」
荒井が向き直ったのは、遥音であった。
「前から、店長に聞かされてた。スペシャルな女子高生シンガーがいるってな」
「えぇ? 店長。何吹き込んでるンですか、もう」
「いやいや。ここの店長は、いい加減なことは言わんよ。この人は、俺がまだアマチュアの頃から世話になっててね。売れない頃は、そこに描いてある、銀の騎士の絵を眺めて、頑張らなきゃって思いこんだもんだった」
ポスターの上に貼られているその絵は、店長がエジプト旅行に行った時に、一目惚れして買ったもので、店名にまで使ったという曰くつきのものだった。
「店長があんまり褒めちぎるもんでね。本当にスゴイのかスゴクないのか、俺の耳で確かめてやろう。実のところ、そんなつもりで今日は来た」
少しだけカチンとして、遥音が目を細める。
「つぐづく思ったよ。とんでもないモンスターが、昔なじみの店に来襲してる……ってな」
「アタシは怪獣ですか?」
「当たらずとも遠からじ、だ。遥音くん、だったな? 君なら、明日にでもメジャーデビューできる。君が世に出る手助けをさせてくれないか? この通りだ」
深々と、荒井が頭を下げた。
「ちょっと、やめてくださいよ! 荒井さんみたいな立場の人が、アタシみたいなガキに」
「俺は君個人に頭を下げてるんじゃない。君の持つ才能に、音楽で生きる人間として、敬意を示してるだけだ。どうだろうか? 君がプロにならないのは、業界の損失だ」
ほんの少し、遥音は考えた。
「……いいお話だと思います。荒井さんのご活躍は知ってますし、チャンスなのは充分分かります」
「すると!」
「ですけど……もう少し、プロとかは先にしたいと思います」
「……」
「アタシには、まだやることがあるンです。今、プロのミュージシャンになっちゃったら、もうそれは不可能なンです」
「……聞いてもいいだろうか? 何を、やりたいということなのかな?」
「それは事情があって言えません。ただ、今のアタシは、音楽だけをやればいいというわけにはいかないンです」
しばらく、荒井は黙っていたが、
「……人には、いろいろ事情がある。俺が無理強いするわけにはいかない、ということか」
「今はゴメンナサイ、です。その件のカタがついたら……アタシから、お願いすると思います。身勝手な物言いですけど、ダメですか?」
「分かった! 待つよ」
吹っ切ったように、荒井は笑顔を見せた。
「ロックはやらされるものじゃない。君が本気になれなきゃ、俺も何もできない。ただ、俺は惚れ込んだらしつこいよ? 今日は、連絡先だけ交換しとくか。雷吾、お前さんともだ」
「は、はい!」
荒井から渡された名刺を受け取る遥音を、ユリはじっと見ていた。
(結局、遥音なのかよ! 私は、声すらかけてもらえなかった……。やっぱり馴れ合いは適当にしとくから。一度、ホントにキャン言わせてやる! 笠間さん、こいつをハメる計略ならウェルカムだよ)
「それじゃ、俺はこれで。みんな頑張ってな!」
荒井が部屋を出ていくところを、雷吾は呆然と見送っていた。
「それじゃ、アタシらも帰ろうか」
「あれっ、もう? ステージが全部終わったら、俺らここで一杯やるんだけど」
「アタシらは高校生ですよ!? そういうわけにはいきません。ねえ、ユリ」
「え~? 私、実は飲める人なんですけどー」
「ダメだって! お店に迷惑かけちゃうだろ? ほら行くよ!」
遥音がユリを引きずるように出ていくと、男たちはがっくりと肩を落とした。
「あーあ、ユリちゃんには残ってほしかったのになー」
「遥音はステージだけでいいってか? あいつもルックスは悪くないだろ」
「そりゃそうだけど。やっぱりさ、あの高校生離れした、そのー、おバスト?」
「どこ見てんだよ、このスケベ野郎がよ~!」
ぎゃはは、と笑うメンバーと裏腹に、雷吾は愛おし気にレスポールを撫でていた。
「俺も運が回ってきたかぁ……こいつのおかげだな。もっともっと、俺のフレーズで客を虜にしてやるぜ」
部屋の明かりを受けたのか、レスポールの表面が、ギラリと光った。
その翌日。
遥音は、ユリを伴って再び〈シルバー・チャリオッツ〉を訪れた。
「今日も、昨日と同じ感じのステージなわけ?」
「ああ。雷吾さんとは、今日明日の二日間って約束だからね」
二人が、半開きの店の扉を開くと。
「よう。君らが、ヘルプで来てくれたってJKか。そっちの遥音とは、お久しぶりだな」
銀髪の、ワイルドな感じのイケメンが、テーブルの一つから手を挙げてきた。
「ご無沙汰です! もうお腹の方はいいんですか?」
「まだ本調子じゃないけど、どうも気になってね。君がヘルプだって聞いて、ボーカルをクビになりやしないかって心配でね」
「まっさか! 雷吾さんが、そんなことしませんよ」
「分かんないよ? どうせあいつのことだから、俺が拾い食いしたとか吹いてただろ?」
「あ、そこンとこは大当たりです。ユリ、こちら〈イチジク・タルト〉の本当のボーカルの
「……わっ! 私、城田ユリです。よろしくお願いします!」
満面の笑みのユリに、遥音はやれやれと内心思った。
(相変わらず、イケメンに弱いねえ。ま、このコも以前のジョーカーズのメンバーとはとっとと手切れしたみたいだし、アタシはどうでもいいけどね)
「こちらこそよろしく。まあ立ち話もなんだし、二人とも座りなよ」
「あ、はい」
「君はキーボードだよね? ウチはキーボードがいないからね。サウンドに広がりが出るね」
「いえ、私なんてまだヘタクソで。よかったら、後で聞いてもらえます? アドバイス欲しいです」
「いいとも。俺も一時はピアノやってたりしたから」
悪くないムードだね、と遥音がニヤニヤしていると。
バーン!
誰かが店内に飛び込んできて、扉を勢いよく閉めた。その上、内鍵までかけている。
入ってきたのは、雷吾だった。大汗を流しながら息を切らし、その手には新たな愛器のレスポールが抱かれている。
不審そうに、鳴次が尋ねた。
「どうしたんだよ? 血相変えて」
「はぁっ、はぁっ……お、追われてるんだ」
「誰に? 借金取りか? 俺は金はないと何度言ったら」
「違う! き、昨日の飲み会に出た奴らが……」
「飲み代を踏み倒されて怒ってる、と。体で払ってやりな」
「だから違うって!!」
ドンドンドンドン!!
異様に激しいノックが、扉から聞こえてきた。
「開けろー! 逃げてんじゃねー!」
「ここにいるのは分かってるんだ! 聴かせろよコラ! 勿体ぶってんじゃねー!」
怒号が、扉越しに聞こえてくる。
「あれ、ウチのメンバーじゃねーの? 聴かせろとか言ってるけど、何の話?」
「私から、説明しましょう」
奥にいた店長が、歩み寄ってきた。
「夕べ、ステージが終わった後、ここで飲み会があったのですよ。〈イチジク・タルト〉以外のバンドのメンバーも加わりましてね。それはもう、盛り上がりました……」
「店長、何か今日は元気なくない?」
鳴次が口を挟むが、店長は反応しない。
「雷吾が特に上機嫌でね。そのレスポールでフレーズを引きまくりましてね。いやいや、実に名器というべき逸品だ。そのフレーズの数々。みんな、耳にこびりついて離れないのですよ。あのサウンドが聴きたい。酔いしれたい……」
店長の目が座ってきているのを、もはやその場の全員が気づいていた。雷吾に至っては、すでに顔面蒼白になっている。
「聴かせてあげればいいじゃないですか。みんな、あなたのサウンドに夢中だ……」