「待ちな!」
遥音が椅子から立ち上がり、足を進める店長に叫んだ。
「アンタ、今日はなんかおかしいよ!? それ以上近づくンじゃない!」
「聴かせなさい! ケースからギターを出すんだ! 早くしろぉぉぉっ!!」
怒声をあげて、店長が雷吾に襲い掛かってきた。
(仕方ない、やるか!)
遥音の手の中に〈スターリィ・ヴォイス〉が現れた。
雷吾を背中で守るように位置どると、
「〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」
見えざる音撃が、店長を襲った。ビクン! と身を震わせ、床に倒れこむ。
他の者たちは、立ち尽くしていた。〈ブラスト・ヴォイス〉は、扇形に発することも可能であり、ある程度の指向性を持たせられる。
「な……何だよ今の……」
鳴次がようやく口を開いた時。
控室に通じる扉が開くと、店で雇われている二人のバイトが飛び込んできた。
「〈ブラス〉……ッ!」
バイトの一人が、一直線に遥音にタックルしてきた。間に合わず、壁に叩きつけられる遥音。
もう一人が、雷吾に詰め寄っていく。
「聴かせろよギターを! ケースから出せよ。俺が手伝ってやる!」
雷吾から無理やりケースをひったくると、ファスナーを開けてケースを剥がしにかかる。
「俺のレスポールに、触るんじゃねぇーッ!!」
怒号をあげた雷吾が、ケースを奪い取ると、バイトを蹴り飛ばした。
「そんなに聴きたけりゃ、聴かせてやるよッ!」
ギターからケースを完全に剥がすと、雷吾の目が爛々と光りだした。
ステージに駆け上がると、ギターを構える。同時に、ギターからコードが勝手に伸びていき、アンプに接続された。
「邪魔すンな!」
遥音は、〈スターリィ・ヴォイス〉のコードでバイトの腕を捩じ上げると、その腕から抜け出した。
「〈ブラスト・ヴォイス〉ッ!!」
今度は、全方向に向けて音撃を放った。ユリや鳴次も巻き込むが、なりふり構ってはいられなかった。
バイト二人、そして鳴次が卒倒する。鳴次に至っては、倒れこむ時に、机に頭を打ち付けて、派手な音を立てた。
(ちょっと、何やってるのよ! みんな巻き添え!?)
ユリは、遥音の動きで次の行動を悟っていた。しゃがみこみつつ、〈エロティクス〉の無定形で半透明なスタンドを、瞬時に展開して音撃を吸収、ガード。一応、細く伸ばした先を、髪の毛で隠しながら耳栓にしていた。
彼女は、床に倒れる鳴次に抱きつきにいった。鳴次の頭を抱えると、べとり、という湿った感触。
打ち付けたところから、出血していた。明らかに気絶している。
(あのバカは! 仕方ないな、もう)
〈エロティクス〉の一部が広がり、鳴次の傷口に被さった。出血が、ピタリと止まる。
(私の〈エロティクス〉は、怪我の治癒もできる。少し時間があれば、このくらいなら傷跡も残らずに治せる……。脳にまで、ダメージがいってなければいいけど)
「へえ。やってくれるじゃねーか」
間違いなく、雷吾の声。ユリは、驚愕した。
(何で!? 遥音の音撃を、あいつも食らったはず。私みたいに、あらかじめ耳栓してたんならともかく……!)
こっそり、ユリは机の陰からステージを覗いてみた。
ギターを抱えた雷吾が、ニヤリと笑いながら立っていた。ただし、その目が全く焦点があっていない。
「……アンタ、何に憑りつかれてる? っていうか、そのギターはスタンドだろ!? 雷吾は本体じゃないってことか。何者だお前!」
マイクを握った遥音の誰何が飛んだ。
「俺か? ……俺は〈フィーリング・グルービー〉。お察しの通り、スタンドだ。本体は、ない!」
「本体がない!? どういうことだ!」
「うっせーな。これでもくらいな!」
意識のないはずの雷吾の指が動き、弦を掻き鳴らした。
それに対抗するように、遥音も〈ブラスト・ヴォイス〉を再度放った。
「うぐっ!」
「むっ!」
遥音と雷吾、二人の体が一瞬震える。
「ふん……卒倒しないか。音撃を撃ち返して、軽減したな。俺と同じタイプのスタンドだな」
「やっぱりそうか。自我があるスタンドもいるとか聞いたことがあるよ。何の目的で、こんなことをしてる!」
「いやね。こいつが、自分のフレーズで客を虜にしたいとか言うもんでな。望みを叶えてやろうってわけさ」
「それは物の例えってやつだろ!? ワザと曲解してンじゃねえよ!」
「……飢えてんだよ」
ボソッと、雷吾の口を借りた〈フィーリング・グルービー〉が呟いた。
「自分の音楽で、全ての人間を夢中にさせたいってのは、ミュージシャンの夢だ! 願望だ! いや、そいつが全てだろうがよ! お前もミュージシャンの端くれなら分かるだろ!?」
「……悪いけど、全面的にゃ賛同はできないね」
遥音は、静かにそう述べた。
「何だと!? 嘘ついてんじゃねえよ! それなくして、何のための音楽だ!」
「アンタは、他人に評価されたいだけで音楽やってンのかい!?」
遥音の大音声が、店中に轟いた。
「音楽ってのは、元々はそういうモンじゃないだろっ! アンタのかつての本体がどういうヤツか知らないけど、ソイツは見失っちまってるんだよ! 最初にいた場所を、忘れちまってるンだよ! アンタだってそうだ!」
「利いた風なゴタクを……」
雷吾の口が唸る。
「説教はもうたくさんなんだよ! お前も俺の虜になるがいいさ!」
雷吾の指が動き、弦を掻き鳴らし始めた。
そのサウンドが、フレーズが、遥音の脳を直撃する。
(く……これが、みんなを狂わせた演奏か)
その魔力を有した演奏に、遥音も脳がとろけそうになる。
(これは……抵抗しきれそうに……ないね……。っていうか、抵抗する必要、ないんじゃないかな……)
ふらり、と遥音の体が揺れた。
それを見ていたユリは、遥音が屈したことを確信した。
その時。
遥音の、マイクを持つ手が上がった。
そして、やにわに、演奏に合わせて歌いだしたのだ。
(え!? あのギターに、セッションさせる効果なんかあったわけ!?)
が、すぐに、そうではないことを理解した。
耳栓をしているユリの脳までもが、より強力になった演奏に侵されそうになっていた。
(あのバカ、自分もスタンド使ってる! 何を増幅してるのよ!? ホントいい加減にして!)
もはや耳栓では足りず、頭ごと〈エロティクス〉で覆ってガードしていた。
両者は、次から次へと曲を変え、演奏を続けていった。美しい声が、高らかなギターが、店内に響き渡っていく。
(何だ、こいつ?)
雷吾に自分を弾かせながらも、〈フィーリング・グルービー〉は考えた。
(これは言ってみれば、音楽の戦いだぞ? 何でそんなに楽しそうなんだ?)
生命感に溢れる、決して憑りつかれたものではない遥音の笑顔に、不思議な印象を受けた。
いつしか、演奏が一時間を超えた頃。
ピタリ、と雷吾の指が止まった。
店内に、静寂が蘇る。
息を切らしながら、遥音は言った。
「……どうしたンだい? もう打ち止めか? せっかく乗ってきたトコじゃないか」
「なあ……これってもしかして、お前にとっては、戦いじゃないのか?」
「戦い?」
きょとん、とする遥音。
「ああそうだったね。つい忘れてたよ」
「忘れてた……って」
「あんまり楽しかったもンでね。ここンとこ、スタンド絡みでなかなか音楽に集中できなかったもンだから。アンタもやっぱり、イケてる演奏するしね」
しばらく、雷吾の口は動かなかった。
「……言いたいことは分かったよ。どうやら、俺が飢えてたのは、喝采だけじゃないらしい」
「アンタも、音楽を志すなら分かるだろ? 結局のところ、ウチらは音楽が好きで好きでしょうがないンだよ。だからヤルのさ。そういうこった」
「そうだな……付き合ってくれて、ありがとよ。もう、スタンドパワーで観客を操るのはやめだ。雷吾の体も、勝手に使ったりしねえよ」
「なら、おとなしくケースに入ってくれるかい? みんなを介抱しないといけないしね」
「了解だ。雷吾も目覚めだした。この体は解放するよ」
が、雷吾の体が動かない。
「どうしたンだい? 分かってくれたンじゃないのかい」
「い……嫌だ! このレスポールは渡さない……!」
雷吾の目の焦点が合った。その腕がギターをギュッと抱きかかえる。
「アンタ……雷吾なんだね!? 何も、取り上げるとは言ってないだろ」
「俺には、まだこのレスポールが必要なんだよ!!」
必死の表情だった。
「このレスポールさえあれば……客が沸くんだ。荒井さんだって認めてくれる。プロのミュージシャンに、俺の夢に手が届くんだ!」
「このギターの力に頼り切るって言ってるのかい? アンタのミュージシャンとしての誇りは、それでいいのかい?」
「お前みたいなっ!! 才能のカタマリみたいなヤツには、分からねえんだよっ!!」
腹の底からの怒号。遥音が、わずかに気圧された。
「荒井さんの言う通りさ。俺は……ブキッチョで、なかな上手くならない。世の中にはさ、音楽の神様に愛されてるヤツが、確かにいるんだよ。遥音、お前に出会って、それを痛感したよ」
「……」
「俺は、聞いてたよ。お前とこいつの話をさ。お前の言うことは、正しいよ。だけど、正しいだけじゃ俺の夢は叶わない。こいつを失ったら、俺はおしまいだ。だから……くっ、うぅっ……」
雷吾が、しゃくりあげて泣き出した。
遥音は、次に何を言ったらいいのか、浮かばなかった。
『雷吾。お前、誤解してるぞ』
急に、〈フィールング・グルービー』が喋ったのを、遥音も雷吾も確かに聞いた。
『お前、自分には才能ないとか思ってるだろ? 俺はそうは思ってない』
「え……? だって……」
『お前の才能は本物だ。お前が自信がないのは、指使いのテクニックの部分だろ? お前は、体で覚えるタイプのくせに、自力でコツを掴むのに時間がかかっちゃうんだよ。だから、自分はブキッチョだって思ってる』
「それが……ブキッチョだってことじゃ……」
『違う。元になる指使いさえ覚えれば、そこから先の伸びしろはスゴいんだよお前は。そして、俺がやらせた演奏を、お前の指は間違いなく記憶している』
「え……」
『俺の演奏を、お前自身のものにできるだけの力が、本来あるんだよ。お前は!』
「俺、自身の……ものに?」
『俺が、お前に教えてやる。ただし、一言だけ言っておくぞ』
一呼吸置かれて、言葉が続いた。
『俺のかつての本体は、やっぱりミュージシャンだった。だけど、テクニックを磨くことだけ考えて、腕はあるのにちっとも売れなかったよ。いつも不平ばかり心に浮かべて演奏してた。なんでこれだけできるのに、世間は自分を認めないのか、ってな』
「……」
『今思うと、演奏のどこかに出ちまってたんだろうな、そういう負の部分が。客は、結構敏感に察するんだよ。俺も影響を受けちまってたから、分かってたのに、さっきまで忘れてた。遥音のおかげで、思い出したよ。お前は、俺の元の本体みたいになるなよ』
「……分かった。分かったよ……」
『じゃ、俺はいったん休むよ。がんばれよ』
スタンドの声が、終わった。
「……雷吾」
「分かってる。ちっとこいつを、休ませてやらないとな」
雷吾は、床に放り出されたケースを拾い上げると、レスポールをうやうやしく、丁寧にしまいこんだ。
「……ん? 何だか、ドンドン扉叩いてるけど」
「え、まだ外の連中、演奏の影響受けてンの!?」
「それはないだろ。大体、外から聞こえてくるの、女の声だぞ」
雷吾が、内鍵を開けた。
扉を開けると、外から若い女が飛び込んできた。
「鳴次!? 大丈夫!?」
女は、介抱していたユリを押しのけるように、まだ横になっていた鳴次に抱きついた。
「あぁ……まだ頭がボーッとしてるけどな」
「怪我はないの!? 〈シルバー・チャリオッツ〉で喧嘩だか暴動だかが起きてるって聞いて来たの!」
「うん……別に何ともないよ。心配してくれたんだ。ありがとう」
「鳴次……!」
しっかりと抱き合う二人。関係は、説明されなくともユリにも理解できた。
(ちょっと、傷治したの私だよ!? 遥音の方も勝手に解決しちゃうし、私ってただ騒動に巻き込まれただけじゃない! 何でこうなるのよ! だから、遥音と一緒するのは嫌なのよー!!)
パタリと倒れ伏すユリであった。