笠間は自室で、梱包されてきた荷物をほどいていた。
段ボールの中から出てきたのは、ノートパソコン一台のみ。
「さて、と……」
笠間は、面倒くさそうに、机の上に元から乗っていたキーボードや、食べ終えてそのままにしていたカップ麺の容器や、スナック菓子の袋など諸々を片付けた。
ノートパソコンを開けると、ドライブの中にOSのディスクを放り込み、再インストールを始めた。時折モニターの画面を見つつ、所在なさげにスマホをいじっている。
しばらくしてからそれが完了すると、LANケーブルにつないで、ネット接続のチェックを開始した。
画面下のタスクバーに、接続完了の表示が出た瞬間。
急に画面が切り替わり、真黒な背景の裏に、銀の面で目から上を隠した、女性らしきスタンドのバストショットが現れた。
『見っけ!』
「……チッ! お前か」
忌々しそうに、笠間は舌打ちした。
『お前か、はないでしょ? せっかく、可愛い妹がこうして会いに来たってのに』
「自分で可愛いとか言ってるんじゃない。なるほどな……視聴覚室のパソコンをあえてクラッシュさせたわけだな? 俺が自分の部屋で修復すると思って」
『こっちから押しかけないと、引きこもりの兄さんとは全然会えないからね。仕方ないじゃない?』
そう言った次の瞬間、するり、とモニターからスタンドが飛び出し、笠間の座っている椅子の横に現れた。銀色を基調にした、槍を手にし、羽を背に生やした天使の姿。
それに引きずられるように出現したのは、ショートボブの美少女だった。
にっこりと笑いかける彼女に笠間は、苦々しい顔をした。
「さっさとスタンドをしまえ。それで何の用だ、
「兄さんに、忠告しておくことがあるの。今日、城南学園の理事長選挙があるでしょう?」
「だから何だ? お前には関係のないことだ……って、何で!? どうしてお前が、城南学園の制服着てるんだ!? 理由を言え!」
「それはね、私が城南学園に転校するから。どう? 似合う? 結構可愛い制服だから、気に入ってるんだけど」
その場でターンして見せる明日見。スカートが、ふわりと舞った。
「学校にまで押しかけて来るな!! そんなことより、理事長選挙がどうしたんだ!」
「あーあ、カルシウム足りないんじゃないの? 牛乳飲んだら?」
「質問に答えろよ!」
「兄さん」
急に、真面目な表情に戻ると、明日見はじっと兄を見つめた。
「城之内亜貴恵と、未麗の親子を、甘く見てない? あの二人は、兄さんの思惑通りに動くかどうか、分からないわよ」
「……事態は飲み込めてます、ってな顔だな。未麗とは、もう話はついてるんだ」
「とりあえず、今日のところはそれでいいでしょうね。だけど、亜貴恵が暴走する可能性は、充分にありうると思うけど」
「あの女のやりそうなことは分かってる。何とか凌ぎきるさ」
「そう……」
わずかに、不安そうな表情を見せた明日見。
「兄さんの宿願は、理解してるつもり。私は、8年前の事件の時はまだ幼かったし、関係はしてないけど、兄さんと同じ気持ちだと思ってる」
「……お前に何が分かるっていうんだ? あのな、人の世にはな、軽々しく舌に乗せていいことと、いけないことがあるんだよ。ガキが……!」
「私は、過去のことは言ってない。現在と未来の話をしてるのよ。私と兄さんは、これだけは同じ気持ちだと思う」
厳かに、明日見は述べた。
「間庭愛理さんを、守りたい」
城之内亜貴恵は、学園に向かう車の中で、しきりに隣の未麗に話しかけていた。
「ふふ……やっとこの日が来たわ! どれだけ待ったことか。この私が、城南学園を手にする記念日となるのよ!」
「長きに渡る工作でしたものね。お金も人も、ずいぶん使いました」
「理事長になりさえすれば、そんなものいくらでも回収できるわよ! ああ、未麗。あなたは理事にしてあげるわね。これまで通り、私に仕えてちょうだいね」
「……承知しています」
抑揚のない返事を返すと、未麗は車の行く先をじっと眺めていた。
そして、学園の門に車が滑り込んでいく。意気揚々と車から降りていく亜貴恵、その後を付き従う未麗。
廊下を進んでいき、会議室に入っていく二人。
その中にはすでに、間庭校長が着席していた。
「おはようございます、校長。よいお日柄でございますわね」
「……おはようございます」
「あらあら、元気がございませんのね。お体の具合でも?」
「おかげさまで、風邪一つ引いておりません」
「あらそう。ですけど、少しでもおかしいと感じたら、遠慮なくお医者にかかりあそばせ。私の知り合いの病院を紹介いたしますわよ? 本人も知らないうちに、大きな病にかかっていることもありますから。即入院……などということがないように、祈っておりますわ」
「お気遣い、感謝します」
白髪頭を下げる校長に背を向けた亜貴恵は、小声で未麗に話しかけた。
「ふふ、今日が自分に引導を渡される日だと、すっかり観念してるわね? 半年後には、失業とは気の毒なものね」
「そうですね……気の毒なものですね」
他の理事も、一人、また一人と入ってくる。全員、明らかに緊張している。
そして時間となり、この会議の進行役を務める未麗が立ち上がった。
「皆様方、お揃いになられたようですので、これより理事会議を開催いたします」
一同の間に、張り詰めた空気が広がる。
「……皆様もご承知の通り、城之内茂春理事長は、今期をもってご退任されます。本日も、出席をご本人は希望されておりましたが、主治医よりストップがかかりまして、断念なさいました。本日は、最初の議題としまして、予定通り次期理事長を選出するための、選挙を執り行います。なお、現理事長にはあらかじめ投票用紙を預かっております」
そして、亜貴恵と校長を除く理事9人に、投票用紙が回ってくる。二人の名前がすでに印刷されており、投票する人間に丸をつけるだけとなっている。
それぞれが、手元を隠しながらペンを動かす。亜貴恵はそれを悠然と眺め、数馬は一段と深刻な表情となっている。
やがて、投票用紙が回収され、未麗がその内容を確認していった。
「……それでは、発表いたします。城之内亜貴恵さん」
にんまりとしている亜貴恵。
「ゼロ票」
その瞬間、亜貴恵の表情が凍った。挙動が、完全に停止する。
「間庭数馬さん、9票。従いまして、次期理事長は、間庭数馬さんと決定いたしました」
「そ、そんなバカな!? これはどういうこと!?」
亜貴恵が、血相を変えて立ち上がった。
「未麗!! どういうことか説明しなさいよ! 私は、あんたを信用して」
「副理事長!!」
未麗が、亜貴恵に劣らない大声で叫んだ。一瞬、亜貴恵の口が止まる。
「……残念ながら、あなたの負けです。いさぎよく引き下がってください」
「冗談じゃないわよ! 私が、どれだけ待ったと思ってるの!? 今更引き下がれるものですか! この選挙はおかしい! 異常よ! 不正よ! やり直しを要求するわ!」
喚き散らす亜貴恵をよそに、未麗は会議室の入口に駆け寄って扉を開けた。
「多岐川さん、ちょっと来て! 副理事長が」
「い、今参ります!」
四十過ぎの男が飛び込んでくると、亜貴恵の腕を引っ張った。
「亜貴恵様! 落ち着いてください」
「離しなさいよ、秘書の分際で! 今、それどころじゃないのよ! この馬のクソみたいな会議を……離しなさいって言って……やめなさいよ! 離せぇぇぇぇー!」
他にも二人ほど飛び込んできて、暴れる亜貴恵を抱きかかえるように、会議室から連行していく。
後には、呆気にとられる理事たちと、蹴散らされた机や椅子が残されていた。
未麗は、その場で深々と頭を下げた。
「大変お見苦しい姿を、お見せしました。母に成り代わり、心よりお詫び申し上げます」
「あ、いや……」
「議長の身ではありますが、あえて個人的な見解を申し上げます。私は、間庭数馬さんの理事長就任を、全面的に支持いたします。間庭さんの手腕を、期待いたしております」
その声を、机の足元で聞いている小さな忍者がいることに、誰も気づかなかった。
理事会議が終了し、屋上にて。
「……終わりましたね」
笠間が、手すりにもたれて風に吹かれていた未麗に声をかけた。
「終わったわ。あなたの調査のおかげよ。礼を言うわ」
「副理事長は、どうされました?」
「車に無理やり押し込まれて帰って行ったわよ。ふふっ、あの醜態! ビデオにも撮っておいたから、あなたも見るがいいわ。私、あれ見るだけで、白飯三杯おかわりできるわ! ぷっ、あははははははは!!」
ヒステリックなその笑いは、未麗が憎み切っている母親にそっくりだ。笠間はそう思った。
「ですが、これからどうするおつもりです? 間庭校長が理事長になるのは、狙い通りだとしても」
「私は、あの虚栄心剥き出しの、愚劣なクソ女とは違う。理事長の椅子なんかには興味ないわ。要は、学校の実権を握れればそれでいいのよ」
その目に、野心がちらついている。
どこまで母親似なんだ、と、笠間は半ば呆れていた。
「この前、聞きそびれたのはそこですよ。間庭校長は真面目なお方だ。スキャンダルらしきものは全くない。弱みを握るといっても」
「とぼけてるわね? 本当は分かっているんでしょ? 間庭校長のアキレス腱を」
「……間庭愛理、ですか?」
「そういうこと。校長は、養女の愛理を溺愛してる。あの男には、実子がいないしね。まあ、そこのところは、あなたも同様でしょう?」
「……申し上げておきます。私が、あなたと組んだのは」
「分かってるわ。校長や、彼女自身が私の言う通りにするならば、彼女の身の安全は保証します。
それより、あのクソ女の最期ッ屁には気を付けた方がいいわ。あの女は、間庭愛理にも一人、張り付けている」
笠間は、表情には出さなかった。一応、想定内の事態ではあった。
「理事長になれないとあっては、あの女は必ずヤケになる。間庭愛理を守るのが、あなたの目的でしょう? ここでヘマをすれば、苦労が水の泡よ」
お見通し、と言わんばかりに、未麗は笠間を睥睨した。
航希がミニマムモードで見聞きした会議の様子を、〈スィート・ホーム〉の中にいるジョーカーズの面々は、神妙な顔で聞き入っていた。
「……ひとまず、最悪の事態は脱したようだな」
そう言う神原だが、安堵した表情ではない。
「よかったじゃない、センセ。これでクビにならずに済んだんじゃない?」
「だが、このままで済むとは思えん」
「どういうことさ?」
「間庭校長や、娘である愛理くんが命を狙われることが考えられる」
「えっ!? ……そこまでする!?」
遥音が、唖然としていた。
「忘れてはいけない。相手は、スタンド使いを何人も抱えているのだよ。今までにしても、お世辞にも自制した活動をしていたとは言えん」
全員、黙り込んだ。〈スィート・メモリーズ〉を手にしたスタンド使いたちが、無軌道な行動をとる様を、誰もが目の当たりにしている。それを助長しているのが、〈スィート・メモリーズ〉を渡してきたスタンド使いであることは明白だった。
「副理事長にしてみれば、非常手段に訴えなければ終わりだからな。間違いなく、来期から城之内亜貴恵は理事ではなくなり、二度と学園に関わることはできんだろう」
「ですが! どうして愛理くんまで?」
「間庭校長が理事長になれば、将来その跡を継ぐのは愛理くんだからだ。彼女は模試で全国1位を取ったこともある、非常に優れた知能の持ち主だしな」
「そういえば、将来はお父さんみたいに教育者になるつもりだって言ってました。彼女なら、いい先生になりそうだって思ってましたが」
文明は、以前に彼女とした話を思い出していた。
「つまりよぉ」と京次。「副理事長としちゃ、校長親子をブチ殺せば、理事長になれるって思ってるわけだな?」
「巧みに事を運べば、可能性はないでもない。だが、私の知っているクイン・ビーの性質からすると、このまま間庭校長に理事長の座を持っていかれるのは、どうにも我慢ならんというのが本音だろう。自分のものにならないのなら、いっそ全て破壊してやる。そういう人間だ」
「自暴自棄ってヤツかよ。さすがに付き合ってられねぇな」
「もちろん、そんな暴挙を見過ごすわけにはいかない。君たちも、同感だろう?」
全員が、一斉に頷いた。
「思い立ったら、即刻行動せずにはいられないのが、あの女だ。時間をおかずに実行に移すと思われる。ここ数日が勝負だ。さすがに今日はショックでそれどころではないだろうが、明日にも刺客を差し向けてくるかもしれん」
「もちろん、迎え撃つんだよな?」
神原が、大きく頷いた。
「二手に分かれて、護衛につこう。私は、校長を守る。須藤くんと服部くんも加わってくれ。愛理くんの護衛は、武原くんと天宮くんだ。特に天宮くん」
「は、はい!」
「君は、彼女のクラスメートで生徒会も一緒だ。一番、彼女の動向が分かる立場だ。彼女の命運は、君の肩にかかっている。頼んだぞ」
「分かってます。絶対に、彼女には手出しさせません」
文明は、真剣な面持ちで大きく頷いた。