城南学園スタンド部、その名もジョーカーズ!   作:デスフロイ

27 / 63
第3章 少女たちの受難
第22話 ガーブ・オブ・ロード、進化


 理事会の、次の日の放課後。

 生徒会室から出てきた愛理を、呼び止めた男子生徒がいた。

 

「あ、多岐川先輩。どうしました?」

「うん。会議が終わって早々で申し訳ないんだけど、ちょっと音楽室まで付き合ってくれないかな? トランペットのソロパートのチェックをしてほしいんだ。そんなに時間は取らせないから」

「いいですよ。行きます」

「ちょっと待って!」

 

 歩き出そうとした愛理を、文明が止めた。

 

「僕も、一緒に行っていい? トランペット、ちょっと聞いてみたい」

「え? ああ、そういえば天宮君も軽音楽部ですものね。いいですか、先輩?」

「……いいよ。一緒に来てもらおう。折角だから、聞いてもらおうか」

 

 キチンと刈りこんだ頭を擦りながら、多岐川はじろっと文明を見た。

 そして三人は、第三校舎へと向かう。

 

「珍しいですね。天宮くんが歩きスマホするなんて」

「うん。本当はよくないんだけど、ちょっと急ぎの用件があるから。すぐ終わらせる」

 

 そんな二人の会話を背中で聞きながら、多岐川は足を進める。

 そして、彼らは〈音楽室〉と表札が出ている部屋まで着いた。

 多岐川が扉をガラリと開けて入った音楽室。その中は、ほとんど何も置かれていない。折り畳み式の小さいテーブル付きの椅子が、積み重ねられて壁際に集められている。黒板の前には指揮台があり、反対側の壁には棚があって、小さな楽器がいくつか置かれている。

 二人を中に招き入れると、多岐川は扉をキチンと閉め、そして内側から鍵をかけた。

 

「!? 多岐川さんでしたっけ。どうして、鍵をかける必要があるんですか!?」

「……君も、ノコノついてこなければ、死なずにすんだものをな」

 

 冷たい表情で、多岐川が振り返った、その時だった。

 ゴロン、と床に何かが落ちる音がした。

 ハッとして、文明がそちらを見た。

 ソフトボール大の容器が床にゆっくりと転がされてきた。部屋の真ん中で止まり、数秒静止した後、真ん中から二つに割れた。白い煙が、急激に広がり始める。

 

「間庭さん! 煙を吸っちゃダメだ!」

「何だこれは!?」

 

 文明と、多岐川がほぼ同時に叫んだ。

 だが。

 煙が、完全に動きを止めた。広がるどころか、揺らめきすらしない。

 次の瞬間、煙がスッと消滅した。

 

(麻酔薬が消えた!? どういうことだ)

 

 椅子の陰で、ガスマスクをつけて様子を伺っていた笠間は、予想しない事態に驚いた。

 

「部屋の中に、誰かいるな!? 出てこい!」

 

 文明が叫んでいる。

 

(そうだよな。部屋の奥から、今のを投げたのはバレバレだからな。こうなれば、強行策しかない!)

 

 笠間はガスマスクをむしり取ると、〈クリスタル・チャイルド〉を出して、椅子の陰から飛び出した。

 

「笠間! やっぱりお前か」

「え、笠間さん!? どうしてここに」

 

 文明と愛理が、同時に叫んだ。

 委細構わず、〈クリスタル・チャイルド〉の鎌の切っ先を、愛理の傍にいた多岐川に向けた。いきなり、その切っ先が螺旋状に伸び、襲い掛かっていく。

 

「させるか!!」

 

 先端の伸びていく先に、〈ガーブ・オブ・ロード〉が出現した。文明自身も、多岐川を守るべくその前に立ち塞がる。

 スタンドの両腕から布が伸び、切っ先を迎え撃つ。

 切っ先と、布が触れ合った瞬間。

 ガシュッ! という音が発せられたかのように、双方が絡みついた。

 

「何だと!?」

 

 笠間は、仰天した。

 切っ先が、文明のすぐ目の前で布に絡まれ、完全に止められていた。スタンドの両腕から伸びた布が、真横に引き絞られていた。

 文明の両腕から、ポタリ、ポタリ、と、鮮血が袖から流れ出ている。苦痛に歯を軋らせながら、鋭い眼光が笠間を捉えていた。

 

(イカれてるのか、こいつ!? 止め損なったら、確実に死んでたぞ!)

 

 様々な敵と遭遇してきた笠間が、言いようのない怖気を感じていた。

 ガコン……!

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の、布が伸びている手首。そこが、変化した。両手首それぞれを切り落とすように、半円状の板が出現していた。その直径は、顔程度の大きさ。どちらの半円も、その中心からわずかに伸びた細い軸で、手首とつながっていた。。

 

「な……何? どうなってるの?」

 

 青ざめていた愛理が、言葉を漏らした。

 傍にいた多岐川が、横に飛びのいた。

 次の瞬間、音楽室に、ベートーベン〈運命〉の有名なフレーズが、実際の音となって轟いた。

 

「ぐあッ!」

「あうッ!」

 

 動きの止まっていた二人を、突然、全身が激しく揺すぶられるような衝撃が襲った。内臓を、容赦なく痛めつける。

 たまらず、両者ともスタンドが消えてしまい、床に片膝をついた。

 

「揃ってマヌケな姿だよな。そんなんじゃ、俺の〈オーケストラ・ジ・アース〉の餌食になるだけだ」

 

 冷たい視線を、二人に送る多岐川。

 二人がそちらを見ると、多岐川の前に、両腕を真横に広げたくらいの長さの舞台が出現していた。

反射板を背にし、板の間の上に、手のひらサイズのスタンドが多数整列していた。手に手に、金管楽器に木管楽器、打楽器などを持っている。

 そして、そのすぐ前に、倒れ伏している愛理がいた。

 

「間庭さん!?」

「何てことしやがる、このバカ!!」

 

 笠間が、眼前の文明を怒鳴りつけた。

 

「彼女を狙ってるのはアイツだ! 俺は、アイツをやっつけるつもりだったんだ! 割り込んできやがって、この大バカが!!」

「え? ……僕らを毒殺しようとした癖に、何言ってるんだ!」

「あれは、ただの麻酔薬だ! お前、早トチリが多いってよく注意されるだろ絶対! 観察力が足りない証拠だ、この特上バカ!!」

「う、うるさいな! ついでにバカバカ連呼するな!」

 

 愛理は、そんな騒ぎをよそに、無意識にポケットの中の守り袋に指を指しこみ、中身に触れていた。

 文明から渡されたロケット。それを彼女は、不安に感じた時には触る癖がついていた。

 

(一体これはどういうこと……? ひいおじい様、あたしを、守って……)

 

 そう思った時、いつもと違う感触があった。

 

(痛っ……!?)

 

 ロケットが開き、中から出てきたものが、彼女の指を傷つけていた。

 それがまるで合図となったかのように、彼女の意識は途切れた。

 

「バカだからバカっつってるだけだ! このトンチキが」

 

 笠間がまだ文明に怒鳴っている間に、〈クリスタル・チャイルド〉が素早く動いた。床に這わされていた紐が、グッと引っ張られた。文明との怒鳴り合いは、多岐川の気を逸らすためのフェイクだった。

 先ほどまで笠間がいた椅子の陰から、何かが多岐川目掛けて飛んだ。

 

「!」

 

 多岐川の頭上で、それは弾けて広がった。小型の網が、多岐川にふわりと被さる。

 

(愛理を巻き込むから、毒も銃も爆弾も使えねー。本体の動きを一瞬封じる手立てがやっとだ!)

 

 間髪入れず、〈クリスタル・チャイルド〉の鎌の螺旋が多岐川を襲った。

 反射板の一部が、次々と分離した。面を斜めにして空中に並ぶ。

 切っ先が、反射板の一枚に当たる。止めきれないが、方向が微妙に横ズレした。何枚も反射板を弾いている間に、切っ先の方向がどんどんズレていく。

 わずかに避けた多岐川のすぐ横を、切っ先が通過して黒板に穴を開けた。冷めた目つきで、多岐川が網から抜け出すと、横合いに放り出した。

 

「甘いな。この〈オーケストラ・ジ・アース〉に、遠距離からの攻撃は効かない」

「なら接近戦だ!」

 

 笠間の姿が掻き消え、その場に倒れたままの愛理が出現した。

 今まで愛理がいた場所に、笠間が現れた。すぐ目の前に、多岐川がいる。

 笠間の傍らにいた〈クリスタル・チャイルド〉の鎌が、多岐川の首を切り裂くべく、横へと引きつけられた。

 が、その動きが止まった。引き付けられたまま、鎌が動かない。

 鎌の切っ先を、何枚も重なった反射板が遮っていた。

 

「ぐ……」

「突くにしろ、斬るにしろ、強烈な攻撃には『引き付ける』動作が必要になる。引き付けきったところで動きを封じれば問題はないってことだ。そして、この反射板は自動防御だ」

 

 冷静に、多岐川が述べた。

 スタンドの楽団が、左右に分かれて舞台を降り、笠間を取り巻くように半円状に散開する。笠間が慌てて飛びのくが、すでに遅かった。

 

「オッフェンバック〈天国と地獄〉」

 

 ぽつりと、多岐川が呟いた。

 演奏が、始まった。速いテンポで、金管楽器が一斉に吹き鳴らされ、打楽器が連打される。

 金管楽器の音色が見えない拳と化し、打楽器の連打は衝撃波と化した。その全てが、笠間一人に襲い掛かる。

 

「かはっ……!」

 

 たまらず、笠間がもんどりうって倒れた。

 

「他愛無いな。次はそこの眼鏡、お前だ」

 

 演奏を中断した多岐川がそう言いかけた時、扉がガタガタと揺さぶられた。

 多岐川が、はっとしてそちらを見る。外から、声もしてきた。

 

「鍵がかかってやがる! ブチ破るぞ」

「私がやるわ!」

 

 ドンッ!

 扉の鍵のところが、外側から破壊された。開いた穴から、槍の穂先が突き出されており、すぐに引っこんだ。

 扉が、勢いよく開かれた。

 飛び込んできたスタンドを見て、笠間が呻いた。

 

「あ、明日見……!?」

「助けに来たわよ! 〈パラディンズ・シャイン〉登場! ってね?」

 

 ニコッ、と笑う、制服姿の明日見。傍らに佇む、槍と翼を持つ天使の姿をとったスタンド。

 それを見た文明の目が、彼女に吸い寄せられた。

 

(かっ……かわいい! こんな時だってのに……どストライク……!)

 

「えーっ!? 何で愛理さんが倒れてんの!? 彼女を守るんじゃなかったの!? ホント、イザって時に頼りにならないんだから!」

「うっせ……これからだよこれから……」

 

 そう言いつつも、笠間は気を失ってしまった。

 

「あーあもう! ここからは私がやるから」

「待てよ。女の子ちゃん」

 

 明日見の後ろから出てきたのは、京次だった。すでに〈ブロンズ・マーベリック〉を身にまとっている。

 

「俺に任せろや。あいつをブッ飛ばせばいいんだろ?」

「あらそう? じゃ、お手並み拝見ね」

 

 あっさりと引き下がる明日見。

 

「舐められたもんだな。それとも、スタンドの数が増えて、窮地に陥ったというべきか?」

「あぁ、俺一人で充分だから心配すんなって。行くぜ!」

「……ドヴォルザーク〈新世界より〉」

 

 バイオリンやチェロの低い旋律が、京次と明日見に向けられた。

 途端に京次の足が止まる。

 

「どうしたの!? 行くんじゃなかったの」

「足が進まねぇんだよ! 見えねぇ糸で遮られてるみてぇだ」

「何よそれ……え!?」

 

 自分が行こうとした明日見も、一、二歩進んだところで止まってしまう。

 旋律に金管楽器が加わり、京次も明日見も、両腕ごと胴を縛られる感覚に襲われた。続いて、全ての楽器による重低音。ドンッ! と全身に叩きつけられる圧力に、二人は床に倒れこんだ。

 

「女の子ちゃん! 槍使え! 俺は身動きできなきゃどうしようもねぇ!」

「……〈パラディンズ・シャイン〉!」

 

 明日見の傍にいた天使姿のスタンドの槍が、グンと伸びた。槍の柄が途中で何か所も分裂し、その間を銀色の鎖がつないでいる。

 が、その穂先も、反射板が何枚も行く手を遮り、跳ね返されてしまう。

 微かに、多岐川が口元に笑みを浮かべた。

 その笑顔が、凍り付いた。

 腕に、布が伸びて巻き付いていた。宙に浮く反射板の間を、布がすり抜けている。

 

「隙あり!」

 

 文明が、ぐんっと腕を振った。

 引っ張られた多岐川の体が、前方に引き倒されて、床に叩きつけられた。演奏が中断される。

 

「僕のことを忘れてるんじゃないか!? まだ、僕は負けたわけじゃない!」

 

 少しよろけながら、文明が立ち上がる。

 京次は、ニヤリと笑った。

 

「へっ、やる気満々じゃねぇか。任せたぜ。俺は、楽団の効果がまだ続いてるらしくて、動けねぇんだ」

「まともに動けるのは僕だけか……。間庭さんを死なせないためには、ここで僕が勝つしかないってことか」

 

 多岐川が、片腕を布に掴まれたまま立ち上がってきた。

 

「負けられん……! 俺は、間庭愛理をしとめないといけないんだ……!」

「どうして!? あなたの部活の後輩だろう!?」

「……俺の親父は、副理事長の秘書なんだ」

 

 多岐川が、絞り出すようにそう口にした。

 

「親父は、お袋と離婚してから、男手一つで俺を育ててくれた。失業してた親父を拾ってくれて、秘書にしてくれたのは副理事長だ。今、親父とお袋の復縁話が決まりかけてる。家族一緒に、もう一度暮らすんだ……!」

「そのために、間庭さんは死んでもいいっていうのか? スタンドで人殺しして、家族が幸せになれるっていうのか? 僕には認められない!」

「お前らに何が分かる!! 俺にとっては、家族が全てだ!!」

 

 ギッと、多岐川は文明を睨みつけた。

 

「そんなこと、もういいじゃねぇか」

 

 鬱陶しそうに、京次が遮った。

 

「俺のお袋はもう亡くなってるけどよ。そんなことを、戦いの理由にゃしねぇ。もっとよぉ、純粋に戦いを楽しめや。勝った方が、ワガママを通す。それでいいんだよ!」

「どうも共感できない部分があるけど……君らしいな」

 

 文明は、多岐川の腕から布を外した。

 そして、両者が、正面切って対峙する。楽団が、多岐川の眼前の舞台に集合した。

 

「……どの曲で殺されたい? なるべく、リクエストに答えるが」

「さっきの〈運命〉でいいよ。僕はクラシックに疎いし、僕にあなたの攻撃が効くのは分かってるだろう?」

「俺の反射板も、お前には通用しない、か。お互い、攻撃はガードできない。公平と言えば公平だな」

 

 二人が、じっと睨み合う。

 一瞬で、勝負が決まる。二人の間に高まる緊迫感に、全員が呼吸すら遠慮していた。

 

「ベートーベン〈運命〉ッ!!」

「〈ガーブ・オブ・ロード〉ッ!!」

 

 両手首からの布が、多岐川に伸びる。

 衝撃波が、文明に飛んだ。

 バッ! と、二本の布の先端が衝撃波で弾かれて左右に分かれる。

 そして、衝撃波が〈ガーブ・オブ・ロード〉に叩きつけられた。

 

「ぐうッ!」

 

 しかし、文明は耐える。崩れそうになる足を、必死で踏みとどまる。

 〈ガーブ・オブ・ロード〉の両腕は、伸ばされたまま。

 その腕の、両手首のところにまたも半円状の板が現れた。いや、両腕が正面に伸ばされたことにより、両方の半円は結合され、円盤と化した。円盤は、やはり融合した一本の軸で、密着した両手首とつながれていた。

 

「う、あぁぁぁぁーっ!!」

 

 中央の軸が回りだし、円盤が急激に回転を始めた。

 円盤から伸びた、二本の布が渦を巻く。衝撃波を回避するように、回り込みながら螺旋を描き、多岐川に迫る。先ほど笠間が使った、鎌の螺旋の攻撃が、文明にヒントを与えていた。

 布が、片方は右腕に、片方は左足に絡んだ。と見えた瞬間、多岐川の体は、風に煽られた凧のように急回転した。

 激しい音を立てて、多岐川は肩口から床に叩きつけられた。楽団も、舞台も、全てが消滅した。

 文明は荒い息をしながら、まっすぐ立って、肩を押さえて呻く多岐川をじっと見下ろした。

 

「……僕の勝ちだ。降参してもらいます」

「ああ……分かった。無念だが、な」

 

 多岐川は、よろよろと身を起こすと、あぐらをかいて座った。肩が砕けたらしく、残った手で押さえている。

 

「あなたに聞きます。間庭さんと、校長を狙っているのは、あと何人いるんですか?」

「……俺と、親父だけだ。俺は娘、親父は校長。そういう手はずだった」

「え!? じゃ、校長先生は」

「今、親父が襲ってるはずだ。親父もスタンド使いだからな。だから、副理事長の秘書になれたんだ」

「ん? それ、おかしいぜ」

 

 ようやく動けるようになった京次が、スマホから目を離した。

 

「今、神原先生と連絡してたとこだ。あっちは、何も異常なしだそうだぜ」

「そ、そんなバカな!」

 

 多岐川が血相を変えた。

 

「……重ねて聞きます。本当に、あなた方親子だけなんですか? そちらには、たくさんスタンド使いがいるわけでしょう? 今までだって、ずいぶん大勢差し向けてきたんだし」

「は? 何のことだ」

 

 多岐川が、目を瞬かせる。

 

「副理事長が抱えるスタンド使いは、俺たち親子だけだ。他のヤツがいたとは思えない。……待てよ。もしかしたら」

 

 急に、多岐川の言葉が止まった。

 その目が、ガッと開かれ、口が開閉する。

 そして。

 

「ガハッ……!!」

 

 夥しい量の吐血が、口から吐き出された。その血の海の中に、体が力なく倒れこむ。跳ねた血が、文明の足元まで飛んだ。

 

「多岐川さんッ!!」

 

 文明が、叫んだその時。

 何度か体験してきた感覚が、体を襲った。

 

「これは! 〈消滅する時間〉」

「窓の外だ! 逃げていきやがる」

 

 京次が指さす方向に、駆け足で遠ざかっていく男の後姿が見えた。

 

「待ちやがれ! この」

 

 窓を開けると、京次が飛び降りてそれを追いかけ始める。それに文明もついていこうとした。

 

「ちょっと待って! あなたまで行かないで」

 

 明日見の声に、文明の動きが止まる。

 

「私たちも、ここから移動しないといけない。ここにいたら、私たちがその人を殺した疑いをかけられる」

「で、でも!」

「お願いだから聞いて! 私一人で、二人も人間を運べないのよ。愛理さん、すごい熱……!」

「何だって!?」

 

 文明が近寄って、額に手をやると、明日見の言葉が嘘でないことがハッキリ分かった。

 

「兄さんは私が連れていくけど、愛理さんは保健室に寝かせましょう。付き添ってあげて」

「な、なんでいきなり熱が? 今の攻撃で?」

「そうじゃないと思うけど……。放っておいていい状態じゃないわ。お願い」

「分かった。……一つだけ教えてくれ。君の名は?」

 

 そう聞かれて、彼女はかろうじて口元だけわずかに微笑んだ。

 

「私は、笠間明日見。そこの、笠間光博の妹よ。兄さんと違って、それほど悪人じゃないつもり。今度、この学校に転校するつもりだからよろしくね?」

「あ……そうなんだ……」

 

 その場には血の匂いが立ち込め、すぐ側には多岐川の死体がある。

 こんなシチュエーションで出会いたくなかったな、と、文明は思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 執務室の扉がノックされると、未麗は書類から顔を上げた。いつものように、部屋にはバイオリンの音色が流れている。

 入るように声をかけると、扉が開き、茶髪にサングラスの若い男が現れた。

 

「平竹。どう? 首尾は」

「オールオーケーですよ。多岐川シニアは、襲撃前にデリートしました。多岐川ジュニアは、神原チルドレンが倒したには倒したんですがね。とどめを刺さずに、我々の情報を聞き出そうとしてたんで、デリートしておきました」

 

 いつもながら、帰国子女であることが自慢のつもりか、無駄に横文字の多い会話をする男だ。未麗はそう思って、うんざりしながら応答した。

 

「そう。愛理のところには、笠間もいたんじゃないの?」

「ふん。未麗さんはずいぶん彼を買いかぶっておられるが、ブランクのせいでヤキが回ったんじゃないですか? あんな雑魚にハード・ワークしてたようですから」

 

 どうせ、妨害でもしたのだろうと未麗は思ったが、口にはしなかった。

 

「メインディッシュは、用意してきたのでしょうね?」

「それがナッシングでは、満足なさらないでしょ? ちゃんとテイクアウトしてますよ」

 

 平竹が部屋に入ると、その後ろからついてきたのは、二人の男だった。意識のない女性一人の、上半身と下半身をそれぞれ担いでいる。

 

「ご苦労様。そこに置いといて」

 

 無造作に、床に女性を放り出すと、男たち二人は一礼して去っていった。

 未麗はゆっくりと立ち上がると、その女性の側まで足を進める。

 そして、女性の腹を思い切り蹴りつけた。

 

「うっ!? ……何!? 未麗!?」

「目が覚めた? お・か・あ・さ・ま?」

 

 侮蔑的な笑みを浮かべて、未麗は倒れている亜貴恵を見下ろした。

 亜貴恵はようやく、自分の両腕と両足が縛られていることに気づいたらしく、必死で身動きする。

 

「どういうつもりなの、これは!?」

「ちょっとしたニュースを教えてあげる。多岐川親子、どっちも死んだわよ。これでアンタの手駒は、完全になくなった」

「な……!」

 

 絶句する亜貴恵。

 

「今までの苦心が、完全に水の泡よね。頑張ってきたのにねえ。私と聖也を自分で育てることもせずに、くだらない金儲けのために散々利用してきたってのに……!」

「な、何よ! いつまで聖也のことなんか言ってるのよ。あんな出来損ないが、うぐッ!!」

 

 鬼の形相になった未麗が、全力で亜貴恵の顔面を蹴りつけた。その口から、歯が何本か飛び出す。

 

「あ……が……」

「ウジ虫が這いまわってるゴミ溜めみたいな口で、私の聖也を(そし)るな!! いいこと? 聖也は、私の子。かわいい私の息子。あんたは、腹を貸しただけ!」

「ア……アンタ、何、言って……あがっ!」

 

 亜貴恵の頭を、未麗はヒールで踏みつけた。

 

「安心なさい。あんたは殺さない。そう簡単に殺すもんか。今まで、あんたは私たちを道具扱いしてきたんだから、これからは私と聖也の役に立ってもらう。ああ、それから、城南学園は私たちが頂いてあげる。感謝しなさいね」

 

 未麗の哄笑が、執務室に響き渡り、なかなか止まることはなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。