文明がその朝、道の角を曲がろうとした時、事件が巻き起こった。
「あっ!」
「あれっ? えーと、天宮くん、だよね?」
大きな目を瞬かせる明日見に、文明はドギマギした。
(うー……。やっぱカワイイ……)
「どうかしたの?」
「あ、いや。ちょっと驚いちゃって。もしかして、今日から転校するの?」
「うん、そういうこと。トーストくわえて、ぶつかった方がよかったかな?」
ふふ、と笑う明日見。
「愛理さんが今日から登校再開するみたいだから、日にちを合わせてもらったの。あなたも、もしかして?」
「うん、迎えに行こうかって思って。あんなことも、あったしさ」
「私もそうなんだ。一緒に行こうか?」
文明は、この時ほど愛理に感謝したことはなかった。
内心ウキウキで、文明は明日見と並んで歩く。
「天宮くんも、あれから体は大丈夫だった?」
「いや……実は、二日ほど寝込んでた……。もっと、カッコよく勝てればよかったんだけど」
「えー!? 私、カッコいいと思ったよ? 西部劇のガンマンみたいだった!」
「そ、そうかな?」
真っ赤になる文明。
「だけど、あの多岐川さん、あ、いや! 何でもない」
押し黙る文明を、明日見はじっと見つめる。
「救えなかったって、責任感じてるんでしょう? あれは仕方ないと思う。窓の外に、もう一人いるなんて私も気づかなかった。武原くんも、結局捕まえられなかったんでしょ?」
「うん、近くの道に、車を用意してたらしい。準備万端だったってことだよ」
「本当は、兄さんが年の功でそういうことを考慮すべきなのよ、うん! 困ったもんよね」
この輝くような少女が、あの笠間の妹。そう思うと、酢を飲んだような気分になる文明だった。
「天宮くん」
「え?」
「兄さんについては、今まで迷惑もかけただろうし、怪しむのも無理はないと思う。だけど、愛理さんについては、あの人は命がけで守ろうとしてる。私も彼女を死なせたくない。今まで学校は違ったけど、私は友達のつもりだから」
「そう、なのかぁ……」
「もう彼女が襲撃される心配はなさそうだけど、しばらくは気をつけましょうね。私は彼女と同じ吹奏楽部に入るから、そっちは任せて。天宮くんは、生徒会絡みでよろしくね」
「ああ、分かったよ」
文明が雲を踏むような気分で受け答えをしているうちに、二人は〈間庭〉と表札のかかった家についた。高級住宅地の一角にふさわしい、門付きの上品な一軒家。
インターホンを押すのを文明がためらっているうちに、明日見がさっさと押した。
中からの応答に明日見が返事し、しばらく待っていると。
「おはようございます。明日見さん、お久しぶりですね」
「元気そうね。よかったー!」
「あなたも、今日からうちの学校の生徒なんですね。一緒に通えるなんて、本当にうれしいです」
「そうよね。もう何年前から、そうなればいいねって言い合ってたもんね?」
朗らかに笑い合う二人に、文明は入り込む余地が見いだせない。
「それじゃ行きましょうか。あら、天宮くん? なぜここにいるんですか?」
「いや、あのね! 僕も君を迎えに来たんだけど」
「あら、ごめんなさいね。気が付かなくて」
もういいや、と思いながら、談笑しながら先を歩く二人についていく文明であった。
「そりゃもう、大騒ぎだったよ! 特に男どもがね」
遥音が、苦笑いしながら、その日のクラスの様子を伝えていた。
例によって、〈スィート・ホーム〉にジョーカーズが集結していた。ただし、いつものメンバーに、一人加わっている。
航希が、新聞受けから引っこ抜いた黒猫新聞を眺めている。
「一面にも、デカデカと乗ってるもんね。『敵か味方か、笠間妹が乱入!』だってさ」
「って言うかさー。炭三の判断はもう決まってるンじゃない?」
遥音の示した先では、正座している明日見の膝の上で、炭三が優しく撫でられてうっとりしている。
「ここにも明日見ファンが一匹できてンじゃないのさ。やっぱオスだねぇ」
「どうやら、そのようだな……」
いささか困った顔の神原。彼は、明日見に〈スィート・ホーム〉の秘密を明かすことを最後まで渋っていたが、文明に押し切られて許可していた。
「私、神原先生とは、お話したいと思ってたんです」
明日見が、真面目な表情で言った。
「先生は、兄とはかつて因縁があったことは知ってます。ですが、今の兄は、昔の兄とは区別して考えてほしいんです」
「君は、笠間の代理としてここに来たのかね?」
「いえ。兄には、この〈スィート・ホーム〉のことすら、話す気はありません。先生とお話ししたということも、教えるつもりはないです」
「それは、どういうことかね?」
予想していない言葉に、神原はどう判断していいのか迷った。
「今はまだ、それができる環境にないと思うからです。兄は、まだ敵と完全に切れてはいないと思いますから」
「敵? それは、誰のことかな?」
「そこまではまだ。ですが、兄は音楽室の一件があった後でも、神原先生と完全に連携する気はまだないみたいですから。多分、兄は敵と交渉を続けるつもりなんだと思います。愛理さんに身の危険が及ばないように」
「私が不思議に思っているのは、そこなのだよ」
神原は、じっと明日見を見つめた。
「音楽室の一件は聞いた。君たち兄妹が、それぞれ愛理君の命を守ろうとしたことも。それはなぜだ?」
「……兄は、昔の償いをしようとしてるんです」
「償い!?」
神原は驚いた。
「君の前で申し訳ないが、あれは償いなどという言葉とは、おおよそ無縁な男だった」
「昔はそうだったかもしれません。ですが、8年前の事件が、兄にとってターニングポイントになった。私は、そう思います」
「8年前!? 当時なら、私もあの男も〈ダーク・ワールド・オーダー〉に所属していた。……待てよ……そういえば、あれの教団内での態度が、急に消極的になっていった時期があった」
「記録を調べてもらえれば、分かると思います。その頃に、城之内信乃さん夫婦の自動車事故があったことになってます」
「あった、『ことになっている』?」
「事故に見せかけて、殺されたんです」
全員が、息を飲んだ。
「信乃さんというと、確か愛理くんの実の母上だ。すると、愛理くんは実の両親を殺された、と?」
「はい。兄は、その事件に関わっていたんです。それが兄の負い目になっているみたいで。娘の愛理さんだけは救いたいと思っているんです。それが、信乃さんへの恩義に報いることだと」
「恩義、か……。申し訳ないがあの男と、恩義だの償いだのという言葉が、どうも結びつかん」
「それだけ、信乃さんが兄の心に深く食い込んでいたということだと思います。妹の私から見ると……兄の人に対する情は、とても狭いけど、その分深いです」
神原は、じっと黙り込んだ。
「……あるいは、そうなのかもしれんな。それで、君自身はどうなのかね?」
「私ですか?」
少し考えて、明日見は答えた。
「実は最初は、兄がこだわる相手に興味を持って、愛理さんに近づいたんです。ですけど……彼女、真面目で健気な子なんです。彼女の方も、頭が良すぎるのが災いして、友達があまりいなかったみたいで。不徳の兄に加えて、私まで愛理さんを守り切れなかったら……何て言うか、申し訳が立ちません」
「そうか……」
神原は、感じ入るものがあったようだった。
未麗の執務室にて。
「神原と笠間は、早めにデリートするべきです」
平竹が、そう進言していた。
「神原はともかく、笠間を? どうして?」
「あの笠間が信用できますかね? 彼は、未麗様に心から忠誠を誓っているわけではない。私にはアンビリーバブルですが、間庭愛理の命を守るために、あなたに協力したにすぎません」
「そんなことは百も承知よ。だからこそ、利用できるんじゃない。愛理の命さえ保障してやれば、あの男に害はないわ」
「ノンノンノン! その愛理について風向きが変われば、彼は必ずあなたにアタックしてきますよ」
「平竹」
未麗は、皮肉な笑みを浮かべた。
「あなた、要するに笠間が気に入らないだけじゃないの?」
「クッド・ビー(かもしれませんね)。理事長選挙が終わった今、彼の役目はジ・エンドでしょう? 不確定要素は、とっととデリートするべきですよ」
「あなたもしつこいわね。愛理を押さえてさえいれば問題ないのよ。あの男は、また使えるかもしれないし。風向きが変われば、その時に両方始末すればいいのよ」
平竹の眉根が、不快そうに寄った。
「なら、神原はどうします? 彼があなたとトゥゲザーするとは思えませんが」
「ああ……あの男は、しばらく泳がせるわ」
「キャント・シー! 泳がせるメリットが感じられません」
未麗は、一つため息をついた。
「聖也がね。そう言ってるの」
「え?」
「聖也は、神原を殺したり、学校から追い出したりしないでくれって言うのよ。私一人の考えで、神原を消そうとしていたのは間違いだったわ」
平竹も、さすがに絶句した。
(ホワット!? 城之内聖也は、バースデイから全く意識がないというではないか。弟への溺愛が行き過ぎて、頭がおかしくなってきているのか?)
「神原をクビにしようと思えば、今までだってできたのよ? そうしなかったのは、あの男を野に放つのも危険と感じてきたから。だけど、理事長選挙も終わったことだし、神原をそこまで恐れることもなくなった。一介の教師として、学園に留めておいた方が、行動を把握しやすいし」
「ですが、神原チルドレンはどうします?」
「どうせ生徒でしょう? いずれは全員卒業しないわけにいかない。それまで放っておいてもいいのよ」
平竹は反論はしなかったが、それは表向きだけであった。
(神原と笠間には、早めにステージ・アウトしてもらいたい。この学園に、ワイズマンは私だけでいいのだ。そうだな……間庭愛理が死なない程度にいたぶって、挑発してみるか。……そうだ、ジャストフィットの者がいる。笠間! 貴様がスルーしたスタンド使い、私がリユースさせてもらうぞ)