「〈達人〉に、会ってみないか?」
飛輪会の道場で、唐突に切り出された台詞に、京次はときめいた。
「達人!? 椿さん、どういう人なんですかそれ!」
「がっつくなぁぁ~、案の定!」
ニヤニヤしながら、椿は続けた。
「我が飛輪会の設立当初のメンバーの一人だよ。泉蓮斎、とおっしゃる方だ」
「いずみ……れんさい、ですか。響きは悪くねぇなぁ。だけど、飛輪会の創設の頃の人なら、もうずいぶんオジイチャンなんじゃないですか?」
「ああ、確か去年米寿を迎えたっていうから、89歳だな」
「やっぱりそんくらいなんだ。その歳で、今でも空手の鍛錬やってるんですかね?」
「そうなんだろうな、きっと。館長によるとだな、たまに思い出したように、ウチの若い奴らを、自分が籠ってる修行場に連れてこさせるみたいだぜ。どうだ、来るか?」
「行きます! ウチの親父が聞いたら、行ってボコボコにされてこいって言ってきますよ」
「お前の親父さんもズイブンだからなぁ……。ま、これで頭数は揃ったな」
「え? 頭数?」
「ああいやいや……こっちのことだ」
椿は、曖昧な表情で手を振った。
その修行場は、木々の生い茂った、山道の最果てにあった。
かつては寺であったそうで、茅葺の屋根が面影を残している。
本堂の隣に作りつけられた建物の中に、京次たち一行はいた。
「……京次!」
椿が、真剣な顔で呼びかけてきた。
「ニンジンとサトイモの皮剥けたぞ」
「ああ、すんません。3センチくらいにザク切りしてってください。こっちは鍋用意してますんで」
「おうよ。やっぱり、こういう時はお前がいないとなぁ」
「俺、完全に飛輪会お抱えコックにされちまってますね……」
などと言いつつ、京次は結構楽しそうに準備を続けている。他の面々は、一部は料理を手伝い、またある者は掃除に駆り出されている。
「ってゆーか、もしかして俺たち、雑用係として呼び出されてません? 人数揃えた訳が分かりましたよ。ねぇ椿さん?」
「いやいや! 蓮斎先生はきっと、何か深いお考えがあるに違いない……」
「だったら遠くを見る目しないでくださいよ。大体、椿さんは蓮斎先生とは親しいんですか?」
「いや。今日初めて会う」
ガクッとつんのめる京次。
「いやな。さっき会わせた有村先輩が、先生との連絡係してるんで」
「俺たちが着いた時にも、先生は午前の修行に出てるって言ってましたしね。人を呼びつけといて、修行させる気あんのかよって感じですがね」
京次がそう言った時。
「あるから呼んだんじゃ!! ゲロッパ!!」
突然、背後から大声を叩きつけられて、京次はあやうく包丁で指を切りそうになった。
「な……!」
「近頃のガキンチョは、ナリばっかりでかくなりおって。ゲロッパゲロッパ!」
振り返った京次の背後には、小柄な老人がいた。口元に小汚い無精髭を生やしまくり、白黒まだらな頭髪は、乱雑にカットされている。だが、京次の注意を一番引き付けたのは、カッと見開かれ、異様に力強い目であった。
「ガキンチョ、名を申せ!」
「……武原京次。二段です。押忍」
「段数まで聞いておらんわ! 子供の跳び箱でも、もうちょっと高く積むわい! ゲロッパ!」
何だか、少しカチンとき始める京次。
「京次とやら、聞くぞ! 今日の昼飯は何じゃ! ゲロッパ!」
「芋煮汁です」
「いもにじる、じゃとぉぉぉ!!」
ガッ! と、目をさらにひん剥く蓮斎。何か気に障ったのか、と椿は慄いていた。
「ワシの好物ではないか! 逃げた女房がよく作っておったわ。ずいぶんマズかったがの! 今日作るのは貴様か!?」
「押忍。そうです」
「なるほど! マズいものを出しおったら、どうなるか分かっておるか!?」
「いえ」
「ワシが泣く! 女房を思い出してな! 言うておくが、ワシは泣き出したら面倒くさいから、覚悟しておけ! ゲロッパ!」
「あの、一つ聞いていいですか?」
「ん、何じゃ?」
蓮斎は、質問が来るとは思っていなかったらしく、いささかキョトンとしていた。
「その、ゲロッパって何ですか?」
「うむ、実によい質問じゃ! これはな……特に意味はないッ!!」
「……え?」
つい素に戻って、聞き返す京次。
「ワシは、ゲロッパと叫びたいから叫んどるだけじゃ!! ワシには女房はもうおらん。子供は元々おらん。身内と呼べる者もおらん。だから、ワシがゲロッパ! と叫んでアレな人に思われても、誰にも迷惑はかからんのだ! すなわち、ワシはパーフェクト・フリーダム、完全なる自由を手に入れておるのだ。ゲロッパ! とは、ワシにとっては自由の象徴なのじゃ。分かるか……分かるのか京次ィィィィッ!!」
「わ、分かりました。少なくとも、説明の内容は」
グイグイと顔面を近づけてくる蓮斎の異様な迫力に、さすがの京次も少しのけぞる。
ブンブンブン、と、蓮斎は頭を縦に振った。
「分かればよいのだ。ゲロッパァァァッ!!」
蓮斎は、踵を返すと、台所から脱兎のごとく走り去っていった。
それを呆然と見送る、京次たち。
「……変人とは聞いていたけどな。大丈夫なのかよあのジイサン。いろいろと」
椿が、団体の大立者をナチュラルにジイサン呼ばわりしているが、京次は他のことを考えていた。
(背後まで近づかれてたのに、全く気付けなかった。普通に歩いてるんなら、スタンド出してなくても俺は割と気付くのによ。何にせよあのジイサン、只者じゃねぇな……)
その後蓮斎は、食事中に泣くこともなく、やたらとお代わりを要求していた。
食事が終わり、京次たちは道場代わりの元・本堂に集合した。ストレッチが終わるまで、その蓮斎は片隅で高イビキで寝入っていた。
それが終わると、世話係の有村が蓮斎を揺り動かした。
「……先生! 起きてください」
「……うぬー。やっとか、待たせおって。大体、武道家が準備運動とか、ワシに言わせりゃ片腹痛いんじゃ。いつ敵が襲ってくるか分からんというのに。近頃の空手は、スポーツになっちまったのう……ふあぁぁ……」
大きく伸びをして、蓮斎は横になったまま、型の稽古を詰まらなさそうに眺めていた。
そして、全員が一対一で組んで、組手に入っていく。
気合の声がこだます中、蓮斎は寝転がったままだが、一組一組眺めていく。
その目が、京次の組で止まった。
「……あのガキンチョか……」
京次の動きを、じっとその目が追っていた。
そして、組手が一通り終わると。
「よし! それでは、一組ずつ、ワシの前でやってもらおうか。まずは、京次とやら! ちとやってみせい。有村、相手してやれ! ゲロッパ!」
「押忍!」
進み出る有村だが、一瞬わずかに眉を寄せたのを京次は見逃さなかった。
(ま、そりゃそうか。最年少の俺と、唐突に組まされるんだからな。普通、リーダー格の椿さんだろ?)
蓮斎が見つめる中、押忍! 両者は声を掛け合い、組手を開始した。
両者が、拳を交ワシ合う。京次はその中で、ふと違和感を感じた。
(どうも妙なんだよな。技は多彩なんだけど、ファイトスタイルが途中で微妙に切り替わるっつーか。何だか、次々と別の相手とやってるみてぇな雰囲気だ)
相手のスタイルを掴めないでいる京次が戸惑っているうちに。
「それまで! 次の組やれ。ゲロッパ!」
あっさり交代させられて、京次は他の面々が横並びに座っている端に、自分も座り込んだ。
そこから先は、蓮斎はただ眺めているだけの様子だった。
そして、数時間後、練習が終わった後。
「先生」
京次は、蓮斎に近づき、声をかけた。
「何じゃ?」
「一度、俺と組手やってもらえないですか? 折角、先生の所に来てるんですし」
結局、練習の間、蓮斎が全く動かないのに京次は物足りなさを感じていた。
「ゲロッパ! ワシがお前と? 百年早いわ!」
「押忍!」
「……と、言いたいところじゃが。ちょいと耳貸せぃ」
ニヤ、と、いささか凄みのある笑みを蓮斎は浮かべると、京次に耳打ちした。
「貴様、猫かぶりおってからに。何か、切り札を隠しとるじゃろ?」
京次が、息を飲んだ。
「ここの近くに、大きな湖があるじゃろ? ワシの修行場が、その畔にある。もし、貴様がそいつを明らかにするんなら、ワシも見せてやる。食事後、ワシについてこい。他の連中には、ワシから用事を頼まれたとか言っておけ。くれぐれも、他の者に気取られるな」
言うだけ言って、さっさと立ち去るその姿を、京次は半ば呆然と見送った。
(猫かぶってんのは、あんたもじゃねぇかよ……。もしかして、あのジイサンもスタンド使いか!?)
だが京次も、自分に注意を向けている者が他にいることにまで、気が付かなかった。
すっかり辺りが暗くなった後。
京次は、ライト片手に山道を歩いていく蓮斎に付き従っていた。
「先生。さっきから、結構歩いてますけど、まだ先ですか?」
「もうすぐじゃ。若いモンは、せっかちでいかんな。ゲロッパ!」
そして、森から二人が出てくると。
湖が、すぐ眼前に大きく広がっていた。ぽっかりとちょっとした広場があり、木も石も取り除かれて、組手くらいなら、やるのに充分な広さとなっている。
蓮斎は、明かりで傍らの木を照らし、何やらいじくった。すると、木の上に吊るされている大型ライトが幾つか灯り、広場を明々と照らしだした。
「……さてと。それじゃ、早速やってみせい」
「押忍。何すりゃいいんですか?」
「貴様の得意なことをやればいいんじゃ。相手が必要なら、ワシがやるぞ。ただし、何やるか事前に言うといてもらいたいがな」
「いや。そこの岩でいいです」
京次は、一抱えもある岩に近づくと、スタンドをその身に『着こんだ』。
しかし、蓮斎の表情は変わらない。
「どうした? やれい」
「……押忍!」
京次は、一つ気合を入れると、その岩に〈能力〉込みで拳を叩きこんだ。
「何じゃ、割れんでは……!?」
蓮斎の言葉が終わらないうちに、鈍い音がして、岩が大きな破片となって、砕け散った。
「……なるほどな。ただ殴っただけではなさそうじゃな。手品のタネは何じゃ?」
「実は俺、ちっと特別な能力がありましてね。振動を操れるんですよ」
「ほほう……。貴様、〈幽波紋〉の使い手か?」
京次は、半ば予想した言葉に、さほど驚かなかった。
「先生も、もしかしてスタンド使いなんですか?」
「いや! ワシは幽波紋はよう使わん。あれは、持って生まれた才能が全てのようじゃからな。その代わり、ワシは修行の結果、別の力を手に入れた」
そう言うと、蓮斎は大きく呼吸を始めた。
京次が見つめる中、蓮斎は足を進め、湖へと飛んだ。
その足が、水面に突っ込む。
が。
足は、水に沈まなかった。ガニ股で爪先立った足先から、波紋が大きく広がっていく。
「……!? これ、スタンドじゃないんですか」
「違う! これは〈波紋法〉という。ゲロッパ!」
「〈波紋法〉……」
京次が、聞いたこともない言葉だった。
「京次よ。我が流派の名ともなっている〈飛輪〉の意味を承知しておるか!?」
「〈太陽〉……って意味ですよね?」
「その通り! 〈太陽〉もしくは〈日輪〉である。〈波紋法〉は、呼吸法により〈日輪〉の力を我がものとする技ッ! 〈飛輪会〉は元来、波紋の力を用いた武術である。設立当時の者どもは、チベットで修行を修めた、波紋の使い手を中核としておった。ゲロッパ!」
蓮斎は、水面から飛んだ。まるでカエルのような大きな跳躍は、蓮斎自身の身長をはるかに超えていた。京次は、驚愕した。
陸に着地した蓮斎は、スタスタと京次に近づいた。
「人体に使うと、こんな感じじゃ」
ポン、と京次の引き締まった胸板を平手で叩く。
その途端。ビリッ! と痺れる感触が、胸に伝わり、思わず京次は後ずさった。
「どうじゃ? かなり加減して使ったから、大した痛みはないじゃろ? 波紋は、液体に大きく作用する。人間の体は、血液とか液体で維持されとるからな」
「……本気で使ったら、どうなるんです?」
「ま、ワシなら一撃で昏倒させられる。相手の体質にも左右されるがな」
京次は、胸が大きく鼓動を打つのを、止められなかった。
「お……俺にも、できますか!?」
「その前に聞こう! 貴様、何のために戦うのじゃ!? ゲロッパ!」
蓮斎の眼力が、強さを増した。
「波紋法は、特殊な呼吸を要する。それを維持するには、それなりの才能と、何より強い意志が必要じゃ。そして意志は、戦う動機が強力であることで裏打ちされる! 単に『強くなりたいから』というだけでは、中途半端なデキにしかならぬわ! どうなのじゃ、京次ッ!」
そう言われて、京次は少し考えて、口を開いた。
「……単純に、強くなりたい、だけじゃダメですか」
「強くなってなんとする!? 弱いものイジメでもしたいのか」
「違う!!」
「何が違う!?」
「武の高みを目指して、何が悪いんだ!」
「高みに立って、何がしたいのかと問うておるんじゃ! 誰を倒したいと思うておるのか、正直に言え、貴様の腹の中にいる奴をッ!」
「狼野郎のフレミング。そいつの裏にいる、俺の学校を腐らせようとしてやがる連中だッ!!」
蓮斎は、京次の気迫を前に、黙り込んだ。
しばらく考えていたが、やがて、大きく頷いた。
「それでいいんじゃ! だがな京次」
蓮斎の視線が、暗がりの一方向を見つめた。
「いささか無粋な気配がするの?」
「実は、俺も感じました。出てこいよコラ!」
わずかな合間の後、草むらを掻き分けて出てきたのは、有村だった。
その隣にいる姿に、京次は声を上げた。
「フレミング!?」