フレミングは、いささか皮肉な目付きで京次を見た。
「倒したい相手がどうとか言っていたが、俺を名指しとは驚いたぞ。神原の取り巻き」
「俺は京次だ、覚えとけ! 名前出した後で出てくるな、何だか恥ずかしいだろうが! あと、何でここにいやがるんだ。俺の首でも狙ってんのか!」
「神原ならともかく、貴様の首など。この有村からでも、聞けばいいだろう」
しかし、有村は黙り込んでいる。
「有村。何とか言ったらどうじゃ? お前、このワンちゃんの飼い主か? ちゃんとリードはつけておくべきじゃぞ」
「……先生。どうして、私じゃいけないんですか?」
ボソリと、有村が口にした。
「ん? 何のことじゃ?」
「私は、ずいぶん先生のために骨折ってきたつもりです。だというのに、先生は私ではなく、その武原を選ぶおつもりなんですか!?」
「こいつを選んでくれた方がよかったな。俺の訓練がはかどる」
フレミングが、横から口を出した。
「ふん……読めた、読めたぞ! 有村、貴様は幽波紋の使い手じゃろ?」
蓮斎の指摘に、有村の顔から、ザッと血の気が引いた。
「わしは、幽波紋の使い手とも何度か戦ったことがある。貴様の組手の動きがどうも気になっておったが。多分貴様、『他の武道家の動きをコピーして、自分で再現できる』能力じゃろ。貴様の動き、高名な武道家のマネゴトばかりじゃからな!」
「……!」
「大方、そこのワンちゃんの戦闘訓練の相手役を買って出たんじゃろ。だがしかし、わしの波紋までコピーするのは無理無理無理ィッ! 貴様がコピーできるのは、体の動きだけ。だから再現性が低くて、同じような戦闘力が生み出せんのじゃい! ゲロッパ!!」
「そうなのか? 有村さんよ?」
京次が、鋭い目つきで問いただす。
「……仕方なかったんだ。やらなきゃ、飛輪会の他の人間が狙われる」
「キレイごとを並べ立てるなよ。あんた、格闘家が心血注いで作り上げた技を、フレミングに売り渡したんだぞ!」
「京次。もう口喧嘩はやめい」
蓮斎は、鬱陶しそうに遮った。
「有村を叩きのめしてこい。所詮は、ワンちゃんに逆らう気概も、技術を己で磨く気概もない半端者じゃ! 破門状を、拳で叩きつけてこい。ゲロッパ!」
京次は、じろっとフレミングを睨んだ。
鼻を鳴らすフレミング。
「ふん。達人がこの古寺にいるとかいうのでコッソリ来てみれば、まさか貴様がやってきていたとはな。まあ、せいぜい張り切ることだ。見せてもらうぞ」
「この裏切り野郎ツブしたら、次はてめぇだ……!」
フレミングと蓮斎が座り込んで眺める前で、京次と有村が向かい合った。
「〈ポゼッション・トレーサー〉……!」
有村の背中に、スタンドが出現した。背中から伸びた補助の腕と脚が、有村の腕と足に添え木のように固定され、拳や足などの攻撃に使う部位はカバーがつけられている。頭部も、ヘルメットのようにかぶっていた。
「スタンドありなら、こっちも遠慮はしないぜ!」
京次も〈ブロンズ・マーベリック〉を全身に装着する。
両者が、構えを取って、ズズッと前ににじり寄った。
間合いが徐々に縮まり、互いの制空圏に入り込んだ瞬間。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ッ!!」
京次のラッシュが、有村に襲い掛かった。
が、それを有村は難なくさばいていく。
「ふん。青海流の糸井の動きか」
蓮斎が、頬を掻きながら呟いた。
京次のラッシュが途切れると、今度は有村が反撃に出た。ローキックを繰り出して京次を牽制し、一気に間合いを詰めて拳を数撃連打、京次の反撃を凌いでまた連打を放つ。
(くそ……!うめぇな、ペースをつかませてくれねぇ)
巧みなフットワークと連携に、京次はジリジリ押されていくのを感じていた。
「剛天会の永田の攻め口。切り替えが忙しいもんじゃな」
その蓮斎の台詞は、相手のテクニックに翻弄されている京次の頭に、チカッと感じるものがあった。
(複数の空手家の技を切り替えてやがるのか? 切り替える動作とか、もしかしてあるのか。頭で考えるだけでも、いいのかもしれねぇが。一か八か、やってみるか!)
京次は、あえて攻撃をやめてガードに徹した。次々と打ち込まれる拳が、ガードの上からとはいえ、京次の体を痛めつける。
それでもガードを解かない京次に、焦れたらしき有村が、引いている右手を一瞬腰に触れさせたのを、京次は見た。
(ん? もしかして、腰か!? そういえば、スタンドのベルト辺り、細かいパーツに分かれてんな)
京次は試しに、息が少し切れた振りをして、誘ってみた。
すると、有村の右手が腰に触れ、また動きが変化。拳に体重を乗せた、重い攻撃に変わった。
ガードを固めて、猛攻を必死でこらえる京次。
焦れてきた表情を見せた有村が、また腰に手をやろうとしてきた。
それが、京次の狙っていた瞬間だった。
「邪魔アッ!!」
ミドルキックが、右手首の辺りを直撃した。有村が一瞬、明らかに怯んだ。
京次はそれを逃さず、一気に畳みかけた。
「邪魔邪魔邪魔邪魔!!」
ラッシュが、顔面に、ボディに次々と炸裂する。ぐらつく有村に、さらに追い打ちをかける。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔ッ!! 邪魔ァーッ!!」
有村の体が、座っているフレミングの足元まで吹っ飛ばされた。
呻いている有村の体を持ち上げながら立ち上がると、フレミングはまるでボロクズでも投げるように、後ろに放り出した。
「お望み通り、相手になってやる。貴様には、顔を潰されているからな」
「ずっとあのままの方が、よかったんじゃねぇか? せっかく男前にしてやったのによ!」
「減らず口を。少し、稽古とやらをつけてやる。拳だけで相手してやろう」
フレミングが、無造作に京次に迫ってきた。
そして、両者の拳が同時に動いた。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!」
「ノバノバノバノバノバノバノバノバノバ!」
互いに一歩も引かぬラッシュが、明かりの中で交錯する。
しかし決着がつかず、ザッと双方が下がった。
「全ての拳に能力を乗せてきているな。腕を上げたようだな」
「へっ。おかげさまでな!」
京次は一気に勝負を決めるのを断念し、ローキックで足元を切り崩す戦法に切り替えた。だが、これをフレミングは難なくかわし、受けてくる。
続いて、先ほど有村がやった、連打を小刻みに出して隙を伺う戦法に変えた。しかし、これも意外と凌いでくる。
(こいつ、テクニックも身につけてきてやがる! 有村とそれなりに手合わせしてんな?)
しばらく、一進一退の攻防が続いた。
が、生物兵器のフレミングと、人間の京次では、元の体力が違う。すでに有村と一戦交えている京次が、息切れし始めた。
頃合いを見定めたフレミングが、大振りの一発を左手で放った。京次がギリギリで避ける。
が、左の肩パットが爆ぜるように飛び上がり、京次の顎を捉えた。
「ぐっ!?」
脳を揺さぶられる形となり、京次はふらついて膝を折ってしまった。
「俺が、肩も攻撃に使えるのを忘れたか? 貴様との遊びは終わりだ」
フレミングが、両腕を伸ばしてきた。捕まれば、電撃でやられるのは間違いない。
京次は必死で、地面に転がって避けた。
なおも迫ろうとしかけたフレミングだったが、突如飛び退った。
今までフレミングがいた空間を、蓮斎の蹴りが切り裂いていた。
「チ、気づきおったか。ワンちゃんは勘が鋭いのう」
「……そう焦らずとも、こいつを片付けたら貴様の番だというのに」
「年寄りは気が短いんじゃ! ゲロッパ! ……コォォォォ……」
蓮斎が、独特の呼吸を始めた。
フレミングが、爪を立てて腕を振り上げると、蓮斎の頭部に叩きつけにいった。
が。
蓮斎が貫手の形にした指先が、ピタリとその一撃を食い止めていた。
「お手」
蓮斎が眼前まで手を動かすと、フレミングの手は離れることなく、くっついてくる。その姿勢は、まさに〈お手〉そのものだった。
「ぐ……!」
「お利巧じゃな。次はお座りじゃ!」
ポン、と軽く足払いをかける。フレミングの膝が折れ、地面に付く。そのまま、ついしゃがみこんでしまう。
「うむ。ワンちゃんに躾は大事じゃ。飼い主に教わらなんだか?」
「……亜貴恵様の、悪口は許さん!! それから、俺は狼男だ!」
肩パットが浮き上がり、蓮斎に襲い掛かる。
が、素早い手の動きでこれを捌ききると、蓮斎は構えを取った。
「
「おのれ! ノバノバノバノバノバノバノバノバノバノバ……!?」
フレミングは、ラッシュを打ち返しながら驚愕していた。
一見非力そうな相手の拳がヒットするたび、京次の振動込みの打撃を上回る衝撃と、ビリビリする感触が伝わってくる。
(スピードもすげえ……! あのラッシュに負けてねえ!)
京次も、目を見張っている。
ほんの一瞬の隙を見出した蓮斎が、
「ゲロッパ!!」
ローキックを、相手の足に打ち込んだ。異様な衝撃に、思わずフレミングが退いた時。
腰に巻いていた手拭いを蓮斎が引き抜き、その一端を相手に放った。
フレミングの足に絡むと、長い手拭いがピタリと巻き付いた。
「な!?」
「こいつでどうじゃ!」
蓮斎は手拭いをグイッと引く。フレミングがよろめく。
手拭いのもう一端を、蓮斎は手近の木に巻き付けた。そちらも、ピタリと張り付く。
「狼男だか知らんが、リードでキチンとつなぐ必要がありそうじゃからな。ゲロッパ!」
「ぬ……!」
フレミングが、手拭いを外そうとした時。
蓮斎が、動いた。京次に駆け寄り、腕を掴んで背負う。そして、湖へと跳び、水面を猛スピードで走り始めた。
あまりの俊敏な動きに、一瞬フレミングも虚を突かれたが、両方の掌を蓮斎の逃げる方向に向けた。
「逃がさん!」
両方の掌の穴から、金属の弾丸が無音で放たれた。
が、着弾寸前、蓮斎の体が横に飛んで避ける。そのまま、どんどん遠ざかっていくのを、フレミングは睨みつけるしかなかった。
京次は、蓮斎に背負われたまま、尋ねた。
「決着つけなくって、いいんですか?」
「馬鹿モン! あんな怪物と付き合ってられるか。体力がもたん。吸血鬼ならともかく、狼男相手では、波紋は必殺とはいかん」
「吸血鬼!?」
「ああ、言い忘れておった。元々、波紋は吸血鬼を撃滅するための技。波紋は、吸血鬼の大嫌いな太陽のエネルギーじゃからな。ゲロッパ!」
京次はしばらく黙り込んだが、意を決して尋ねた。
「先生。俺に、波紋を教えてくれませんか? 吸血鬼を倒せる技を」
「何じゃ!? 貴様、吸血鬼の知り合いでもおるのか」
「そうです。今のところ、敵じゃないですけど、イザとなりゃやるつもりなんで」
今度は、蓮斎が黙り込んだ。
「……京次。一か月ほど、学校を休めるか?」
「一か月……」
「荒修行になるがの。波紋の基礎固めくらいなら、何とかなる。実例もあるしの。どうじゃ?」
京次は、一瞬言葉に詰まったが、
「……やります! 教えてください」
その返事を聞きながら、蓮斎はこっそり涙ぐんでいた。
(ジョセフ殿! 波紋法を引き継ぐ若いモンが出てきましたわい。ワシの代で、廃れるもんじゃとばかり思うていましたが……!)
「ゲロッパ!!」
蓮斎の、歓喜の叫びが、辺りにこだました。