暗くなりつつある空に、星が見え始めていた。
「待ってくれよー。送ってくからさー」
「別にいらないよ。あんまり大声で呼びかけないでくれる? 人に見られたら誤解されるし」
追いかけてくる航希を見向きもせずに、足早に道を行くのは、許嫁の柳生操であった。
「次の大会が近いからって、ここんとこ遅くなりがちじゃない? 最近は物騒なことも多いしさ」
「ごらんの通り、ボクは竹刀持ち歩いてます! こんなもの持ってる女子をわざわざ襲う?」
「いや、操の腕なら大抵のヤツは撃退できるだろうけどさ。そういえば、何だか新しい師範の人に来てもらってるんだって?」
「……そうだよ。ここから少し離れた所にある、宗岩寺の和尚さん。それが何?」
渋々という感じで、操は後ろを振り返りもせずに返答している。
「練習厳しいの?」
「そうメチャクチャにってこともないけど。なんか変な気の回し方してない?」
「え、いや別に」
「あのね、四十過ぎのおじさんだよ? 趣味もけっこう渋くって、刀の鍔をコレクションしてるんだって」
「あーいるよねそういう人。操も、いつも持ち歩いてるじゃない? それ」
彼女のカバンからぶら下がっている、透明の薄いケースに入った鍔を、横合いに回り込んで見た。
「師範からも、譲ってもらえないかって頼まれたよ。だけどこれは、お爺ちゃんから形見みたいにもらった鍔だしね。残念そうにしてたけど」
「ちょっと変わった鍔だよね。白っぽいし、あちこちちょっと角が出てたりするし」
「生き物の骨を加工して、塗りを入れたんじゃないかって、お爺ちゃんが言ってた。珍しいけども」
操の言葉が終わらないうちに、航希は前方から、鋭い気配を感じた。
「!」
正面から、目にも止まらない速さで飛来した、小さな何か。
その先にあるのは、航希でも操でもなかった。
命中したのは、刀の鍔。それを、航希はかろうして目で捉えていた。
(スタンド!? 豆粒ほどの小型!)
そのスタンドが、飛んできたのと同じコースを、高速で逆に飛び去って行いった。刀の鍔をケースごと、無理やりカバンから引きちぎって。
「あっ!? え!?」
何が起きたのか分からず、固まる操。
航希は豆粒スタンドを追って、瞬時にダッシュした。
「ちょ、ちょっと航希!」
操が航希のブレザーの裾を掴んだ。航希は構わず、振り払うようにして駆けていく。
追いかける足を、操はすぐに止めた。学年でも短距離トップクラスの航希の足に、自分がついていけないのは分かり切っていた。
「もう! ……頼んだよ、航希」
呟く操は、航希が角を曲がっていくのを見送っていた。
航希のブレザーの裾を、切り離された彼女の左の〈手首〉だけがまだ掴んでいた。
角を曲がるや、航希は〈サイレント・ゲイル〉を出した。スケートボードに似たスタンドに飛び乗って追跡を続行する。その速度は、今まで走っていた時の比ではない。
航希は、忍者の嗜みとして持ち歩いている品物の中から、ベルト付きの小型ヘッドライトを取り出して頭に付けた。街灯はあるものの、明かりの死角になると見逃す可能性を恐れてのことだ。その目は、豆粒スタンドを捉えて離さない。
(豆粒が2個に増えてる……! 片方が鍔をぶら下げてる)
目を凝らしている航希は、ブレザーの裾を掴んでいる、操の左手には全く気付いていない。
〈サイレント・ゲイル〉の高速移動をもってしても、豆粒スタンドの飛び去るスピードが速くて、じりじりと距離を詰めるのがやっとだ。
しかし、ついに手を伸ばせば届くところまで距離を縮めた。
「もらいっ!」
右手をさっと伸ばして、鍔を奪い取ろうとする。
が。
それまで少し離れて、それぞれ同じ方向に飛んでいた2個の豆粒スタンドが、航希の手を避けて素早く寄り、互いにぶつかった。そして、弾きあって反対方向に跳ねる。
「何だぁ!?」
航希はさらに奪い取ろうと手を伸ばす。だが、2個は互いに何度もぶつかり合っては離れるのを繰り返す。離れる方向も、長さも毎回バラバラだ。航希の手が、何度も宙を切った。
(この2個、よく見ると、細い糸みたいなのでつながってる! ってことは、2個の真ん中を狙えばイケるかも)
その豆粒2個が、突然角を曲がった。航希の目は、その瞬間を捉えていた。
(角のところに、別の豆粒が空中にいた! 2個ともそいつに弾かれて、角を曲がったんだ。そいつも追いかけるように飛び始めたから、3個になってる!)
航希は、急いでスケートボードを止めると、豆粒の去った方向へと向かっていった。
航希は再度加速し、距離を詰めていく。あと少しで手が届きそうなところまで。
鍔を抱えていない、2個の豆粒スタンドが唐突にぶつかり合った。そのうちの1個が、鋭く航希目掛けて飛来してきた。
「!」
殺気に反応して、航希の肉体が勝手に身をよじらせた。豆粒スタンドが、首筋をわずかに掠めていき、また他の2個の方へ急速に戻っていった。
チクッとした痛みを首筋に感じた航希が、そこを手の甲で拭う。チラッと見ると、手の甲は微かに血で塗られていた。
(まさか銃弾並みの破壊力!? 高速モードじゃ、〈サイレント・ゲイル〉の上にオレが乗って移動してるから、手元に移行させてのガードはできない! かと言って、高速モードを解除したら、このスピードに絶対追いつけない! これって、マズいかも……!)
しかし、追跡をやめる気は航希には毛頭なかった。
そして、小さな交差点を曲がった直後、またも豆粒が航希目掛けて飛んできた。今度は2個。
「よっ!」
一応攻撃を予測していた航希は、身を捻ってどちらもかわした。優れた反射神経を備えた航希だからこそできる回避だ。
(なるほどね。角を曲がるごとに豆粒が増えるから、攻撃できる豆粒も増えていくって寸法か。だけどこれ、どんどん角を曲がられるとヤバいな。いつまで避けきれるか)
角の直前で〈サイレント・ゲイル〉のエッジを進行方向とは垂直に立てて、地面を削るように滑らせ、方向を強引に変えて追跡を続行した。自動車のドリフト走行と同じ方法だが、瞬時に方向転換ができるわけでもなく、制御のための距離も必要で、何よりスピードが一瞬落ちる難点があった。
豆粒は相変わらず飛来し続けるが、一向に攻撃を仕掛けてこない。何度も角を曲がり、豆粒の数はどんどん増えていくにも関わらず。
しかも、数が増えていくたびに、徐々にであるがスピードが落ちていく。直線が続く道では、じりじりと、航希と豆粒の距離が縮まりつつあった。
(次の角を曲がったところが勝負か? もう少し速度が落ちれば、追いつくこともできそうだしな)
またも、豆粒の群れが曲がった。航希は足元のボードを滑らせて、ドリフト走行で方向転換を試みた。
角を曲がった先の道に入ろうとしたその時。
豆粒の群れが、一斉にぶつかりあった。そのうちの半分、とはいえ、十数個はあろうかという豆粒が、散弾銃のように航希に襲い掛かった。身のこなしだけで回避するのは不可能なバラケ方。
「そう来ると思った!!」
航希はほぼ一瞬で、足元のボードを縦に割ると同時に手元に寄せ、トンファーに変形させた。
だが、体は高速走行の勢いのまま、丁字路の壁に叩きつけられようとしている。
それも、航希は対処を考えていた。ボードを消す直前、両足で地面を蹴るようにして、身を宙に踊らせていた。上半身が壁へと流れるが、その勢いを逆に利用して空中で一回転。横向きでしゃがむような形で、両足で壁を蹴りつけて勢いを殺した。そこに飛来する豆粒の群れ。
「臨兵闘者、皆陣列在前っ!」
地面に降り立ちながら、トンファーを目まぐるしく振るった。豆粒が次々と弾かれ、航希の体に命中したものは一つたりともなかった。
「ヘヘッ、伊賀忍びナメんなよ!」
会心の笑みを浮かべる航希。
豆粒は攻撃をやめ、その全てがさらに先へと飛び去って行った。
航希はトンファーをボードに切り替え、さらに追っていく。距離は開いたものの、スピードはさらに落ちている。追いつけると航希は確信していた。
が。
航希は、眼前の状況に気づき、小さく唸った。
曲がり角でもないのに、自分が追っているのと同数と思われる豆粒が、空中で静止しているのが、見えた。明らかに、飛来する豆粒は、静止する豆粒とぶつかり合おうとしている。
(もしあれが全部襲ってきたら、捌ききれる自信ないぞ! 多すぎる)
航希の視界の中で、大量の豆粒がぶつかりあった。全ての豆粒が、脇にあった、古びた門の中へと吸い込まれていった。
ここが豆粒の最終的な行先であることを、航希は理解した。門まで近づくとボードを消し、大きな表札に目をやる。
「……ここって確か、操の言ってた、剣術師範の和尚さんのいる寺。そういうことか」
航希は門を潜ると、境内に足を踏み入れた。割と大きな敷地で、2、3台は入れる露天の駐車場もある。そこには、一台だけ車が止まっていた。
「マセラティのレヴァンテか。おっ金持ちーィ」
小さく口笛を吹いて、航希は飛び石に沿って歩を進めた。渡り廊下まで飛び石は連なっており、ガラス戸の前に石段がある。高級そうな靴が、一組だけ置かれていた。航希はその靴の隣で靴を脱ぐと、ガラス戸を開けて中に入った。
どちらに進もうか、と航希が迷っていると、建物の奥の方から、読経の声らしきものがかすかに聞こえる。そちらに、航希は進んでいった。
読経は、渡り廊下を進んでいった途中にある、襖の向こう側から聞こえていた。
航希は、躊躇せずに襖を開けた。
そこは、寺の本堂らしかった。二十畳ほどの畳敷きの上に、大きな桃色の敷物が広げられている。右側の壁は奥行きがあり、仏像を安置している内陣となっており、さほど大きくはないが釈迦如来の像が鎮座している。
濃い茶色の袈裟を着ている、がっしりした中年の僧侶が、読経の主だった。航希に横顔を向けたまま、読経は止まない。
「お邪魔します。お釈迦様」
航希が声をかけると、僧侶は読経を中断し、片膝立ちになって振り返った。
「拙僧に対して、挨拶はなしということか? これでも一応、この寺の住職なんだがな」
「盗人が巣くうような寺の住職が、大きな顔するんだね。お釈迦様もきっとお怒りだよ」
住職の顔に、凶悪なものが走った。
航希は構わず、言葉を続ける。
「操から持ち逃げした、剣の鍔を返してくれないかな? あれは、操がお爺ちゃんから形見代わりにもらった品なんだよ。お金でどうこうできる問題じゃあないんだ」
「……」
「返してくれれば、オレも操も、それで納得するよ。警察沙汰にもしないし、誰にも喋らない」
住職はしばらく黙っていたが、懐から数珠袋を取り出すと、中からケースに入ったままの鍔を取り出して見せた。
「やむを得んな。受け取るがいい」
差し出された鍔に、航希は進み出て、手を差し伸べる。
その指が、鍔に触れるかどうかの瞬間。
住職の、後ろ手にしていた右手が動いた。手首に巻かれていた数珠の紐が伸び、玉が連なって、航希の顔面目掛けて鋭く飛んだ。
が、航希は攻撃を読んでいた。足元に〈サイレント・ゲイル〉を出現させ、瞬時に斜め後方に滑って逃げる。玉は虚空を貫いただけだった。
「……ちー。指先掠めたんだけどなァ。取った上で逃げられるかな? って思ったんだけど」
「取るまで逃げなければ、目玉を抉れていたものを。我がスタンド〈マイ・プレイヤー〉はそこまで甘くはない」
住職は、手早く数珠袋に鍔を戻すと、懐にねじ込んだ。見えない剣を中段に構えるような姿で、航希に対峙する。本来は鍔元を握る右手の手首に〈マイ・プレイヤー〉が巻かれていた。
それに相対する航希も、トンファーを出現させて、構えを取った。
両者、小刻みなフットワークで、間合いを測りつつ相手の出方を見ていた。
住職が、裂帛と共に、見えない刀を振るった。刀身の代わりに、紐付きの玉が連なって、航希に斬りつける。航希は、受けることなくこれを避けた。受けたところで、紐が曲がって玉が打撃を与えてくるのは分かり切っていた。
二撃、三撃と斬撃が来る。素早い身のこなしでかわして、航希は隙を狙って踏み込んだ。
だが、紐がそれを見越したように弧を描き、横合いから襲う。深追いせずに、航希は下がって間合いを取り直した。
「やっぱ穏便に事を収めるってわけにはいかない?」
「生憎、他に類を見ない品物だからな。そうそう渡せんよ。あの操にしても、柳生の出自と言っても、所詮は今時の娘だ。物の価値を知らん小娘には、もったいない代物よ」
嘲りつつも、懐の中の数珠袋を手で押さえた。
「……ッざけんなよ、お前?」
鋭い殺意が、航希の瞳に宿った。
「操は、お前みたいに道具に執着してる破戒坊主とは違うんだよ。刀は所詮、自分の腕の延長。こだわりすぎるのは見当違い。あの子の爺ちゃんも、常々そう言ってる」
「だったら、鍔一つなどこだわることもあるまい? どの道、これは俺の物にさせてもらうぞ。コレクションに加えねばな」
住職がそう言った時。
数珠袋の中の鍔が、ブルッと震えた。それを感じて、住職も思わず身を震わせた。
(……違う……貴様は違う)
「な!? 何が違うと言うんだ」
「え?」
「そうか小僧、小細工しおって! この鬼の姿は幻覚というわけか。スタンドそのものではないらしいな?」
「鬼? 何を言って」
航希には分からなかったが、住職の眼前には、一本の長い角を頭部に持ち、隆々たる筋骨を持つ上半身がぼんやりと見えていた。
二人とも、そのやり取りの最中で気づいていないことがあった。
航希のブレザーの裾をずっと握っていた〈手首〉が、いつの間にか離れていた。宙を浮き、物陰に隠れるようにして、住職の真横に回り込んでいたのだ。
「問答無用!」
住職がまたも踏み込んで仕掛けた。上段からの面打ち、続いて逆袈裟からの斬り上げ。いずれも航希は辛くも避けた。
見えない剣が斜めに振り切られたその時、隠れていた〈手首〉が飛んだ。住職の懐に飛び込み、数珠袋を一気に引き抜いた。
「な!?」
住職が数珠袋を慌てて捕まえようとしたが、〈手首〉はそれを躱して、内陣に並ぶ仏具の隙間に潜り込んでいった。それを追おうとした住職だが、
「甘い!」
航希が隙を狙って、トンファーで連撃を繰り出す。住職は下がると、舌打ちをして構え直した。