(……何をやっているのだ。あのイヴィル・モンクは)
苦々しげに、襖の隙間から本堂の乱闘を覗き込んでいたのは、未麗の秘書の平竹だった。
(どうして、神原チルドレンの者と戦っている? そもそも、あのボーイがどうしてこの寺にいる? 私が来ていることを嗅ぎつけた……それはないな。ボーイは私のことなど知らないはず。よく分からんが、どうしたものか。いっそ、モンクをヘルプするべきか? 二人がかりなら、ボーイを倒せるかもしれん)
平竹は、頭部が球形で、頭頂部に平たい円盤が乗っかっている、人間大のスタンドを出した。そのまま、中で戦う航希をじっと見据える。
だが、すぐに首を振ると、スタンドを引っ込めた。
(私の〈エアー・サプライ〉は、視界の中のどこかの空気を、ビーチボール大の範囲だけ変質させる能力。デッド・ポイスンに変えることも、スリープエアーに変えることもできる。だが、一度空気を変える範囲を決めると、そこから動かせない。別の範囲を変質させるには、いったん解除する必要がある。あのボーイは動き回りすぎて、範囲を定められない。私の能力とはノー・マッチだ)
「まあ、ミスター・モンクのお手並み拝見だな……」
「何のお手並み?」
平竹は、不意に背後から囁き声をかけられて、ギョッとして振り向いた。
そこにいたのは、竹刀をぶら下げた操だった。左手は既に元に戻っており、あの鍔が握られていた。
「あの住職さんの知り合い? っていうか仲間?」
「い、いや。私はただのゲスト、訪問客ですよ」
「能力出して訪問する人なんだね。見えてたよ」
「!」
反射的に、平竹は〈エアー・サプライ〉を出した。
が、操のすぐ傍にも、スタンドが現れた。頭部に鉢巻きらしき意匠があり、髷から長い髪が流れている。下半身は、裾が斜めになっている袴で、片足が露になっている。その手には、一振りの刀が握られていた。
刀が、瞬時に横一閃。避ける間もなく、平竹の首が、胡坐をかいた膝元に落ちた。
(斬られた!? こんな所でこの私が死……ん? 痛くも何ともない。首の位置がおかしい気はするが……)
つい瞑っていた目を、平竹はそっと開けた。
最初に目に入ったのは、自分の体。平竹の首は、上を向いていた。胴体の上に当然ついているべき頭部が、忽然と消えている。自分の首が、落とされたままで、膝で抱えている格好になっていることに気づき、さすがの平竹も愕然とした。
「わっ、わ、私の首……」
「心配しなくても、死んだりしないよ。血だって一滴も出てないでしょ? ボクの〈ファントム・ペイン〉の能力なら、いつでも元通りにできるから」
「……」
平竹は、自分の生殺与奪の権を、目の前の少女に握られていることを、自覚せずにはいられなかった。
「しばらく、そのままにしててくれる? 航希が戦ってるのを、あなたに邪魔されたくないから」
操が、襖の向こう側を、耳を澄まして気にしているのを、平竹は見て思った。
(あのボーイの、ガールフレンドといったところか? しかしなぜ加勢にいかない? 私は首を人質にされているも同然。私を監視する必要はないはずだ……)
平竹は、じっと操を観察してみた。明らかに心配を隠し切れない操の様子に、平竹はピンときた。
(そうか! ボーイフレンドにスタンド使いであることを知られたくないのだな? ヤング・ガールには、時にある心理だ。ならば、付け入る隙はある)
「ヘイ・ガール。襖の隙間から中を見るといい。大きなキャンドルがあるだろう」
「え?」
「あれを消してみせよう。私の、〈エアー・サプライ〉の能力で、な」
操が中を覗き込むと、確かに香炉の隣に、蝋燭がある。
その蝋燭が、ふっと消えた。
「見えたか? キャンドルの周りの酸素を消滅させたのだよ。ターゲットを、キャンドルでなくてあのボーイにしたら……どうなるか分かるね?」
「え……あ……」
内心では、平竹はこう考えていた。
(実のところ、空気の変質には5秒かかる。だから動きの激しいボーイには仕掛けられなかったのだがな。今のも、喋って時間稼ぎをしたから、ノータイムで消えたように見せられたが)
だが、操は知る由もない。目が泳いでいる彼女に、平竹は畳みかけた。
「リッスン・トゥ・ミー。私にとって、あのモンクは取引相手でしかない。私の持ち込んだアンティーク・グッズを買い取らせているだけの関係だ。今日も、売りつける商品を運び込みに来ていただけでね。あれが負けても、別の取引先に変えればすむこと。私を元に戻して、帰らせてもらえるなら、あのモンクとは手を切ってもいい。もちろんボーイの勝負の邪魔はしない」
全て事実であるため、平竹はスラスラと口にした。
少し操は考えていたが、
「……分かった。ただし、ここでは元には戻さないよ。外に出てくれる?」
「いいだろう。渡り廊下に私の靴が置いてある。庭のパーキングに止めてあるのは、私のマセラティだ」
「骨董屋さんって儲かるんだね。ならそっと静かに出ようか。首は手で抱えていけば、歩くのに問題ないでしょ?」
そう言われて、平竹が手を動かすと、いつもと変わらず自分の意志で動かせる。首を抱える時に、切り口に手を触れてみたが、ツルツルで真っ平だった。
頭部を胸元に抱えて、平竹は立ち上がる。おかしな情景に戸惑いながらも、平竹は操と連れ立って、渡り廊下を歩み去っていった。
住職は、持ち逃げされた鍔の探索をいったん断念し、航希への攻撃に専念した。次々と繰り出す斬撃を、航希は紙一重で避け続ける。
互いに息が切れて、両者は構えを解かずに睨みあった。
「フン……! ネズミが、チョロチョロ逃げるのが精一杯か。段持ちの俺の剣を掻い潜って、反撃する余裕はなさそうだな。それとも、俺が先にへたばるのを待っているのか? 生憎だが、スタミナには自信がある」
「オッサンの割には元気だね。でもオレ、鍔さえ取り戻せれば、オッサンを倒す必要はないんだけど? もう鍔は手元にないみたいだし、何ならここから逃げ出してやろうかな?」
「そうさせるつもりはない。通報されて家宅捜査でもされると、面倒なことになる」
「ありゃりゃ。その口ぶりじゃ、鍔だけじゃないんだね?」
「どの道、死地に立った者には関係ないこと。内陣を背にする位置取りができた今、高価な仏具を破壊することもなく、技が使える!」
〈マイ・プレイヤー〉を引っかけた右腕を胸元に引き付けると、住職は大きく前に振り出した。
数珠の弾丸が、散弾となって航希に一斉に襲い掛かった。身をかわすくらいで避けられる密度ではない。
「畳返し、応用の型!」
航希は、その攻撃を読んでいた。住職が、部屋や仏具を傷めたくないために斬撃ばかりで仕掛けていたこと。そして、航希の背後に仏具がない場所を選んで、散弾攻撃を仕掛けてくるだろうこと。
航希も、対策は思いついていた。かがみこむと、足元の敷物の縁をつかんで大きく持ち上げた。
丈夫な敷物が、斜めに掲げられていた。その上を、散弾は弾かれて、斜め上に逸らされた。どの散弾も、敷物を貫通できない。
敷物から手を離すと、〈サイレント・ゲイル〉をスケートボード形態にして、住職へと超短距離ダッシュ。体当たりを、住職は辛くも避けた。
「ハッ!」
航希は逆立ちするように床に両手を突き、体をひねって、住職にボードの背面をブチ当てるように蹴りを入れた。住職は、右腕で受けるのがやっと。ダメージは入ったようで、呻き声をあげた。
さらに航希は足を着地させると、ボードを消して、鞭のような回し蹴りを放った。見事に横っ面に入り、たまらず住職は吹き飛び、襖をなぎ倒して廊下に転び出た。
少しふらつきながら住職が見たのは、廊下を歩いてきた操だった。彼女は、平竹を車で去らせた後で、様子が気になって戻ってきていたのだ。
目を丸くして足を止めた操に、住職はチャンスを見た。
「〈マイ・プレイヤー〉!」
住職は、右手を操に向けて振った。数珠の紐が伸び、操の首に巻き付いた。そのまま引きずり倒し、背後に回ると、グイッと引き起こした。小さく呻く操。
「なっ……」
「動くな小僧! 娘が絞め殺されてもいいのか!?」
「貴様ッ、それでも……!」
航希が言いかけた時。
「それでも剣士の端くれですか、師範?」
操が、平静な口調で被せてきた。蔑む目をしながら。
「あなた、航希に負けたんですよね? 最後くらい、潔くしたらどうなんですか? 仏様もきっと愛想を尽かしてますよ?」
「黙れ小娘が! 柳生の血統がそんなに自慢か? 偉そうに説教するな!」
「ご先祖まで持ち出してくるんですか。生憎ですけどボクは、あなたの人質にされるのも、航希の足を引っ張るのも真っ平です! そのくらいなら……」
操は、〈ファントム・ペイン〉を真横に出現させた。航希と住職が、共に目を大きく見開く。
スタンドの刀が、操の首を刎ねた。真正面に転げ落ちようとする頭部を見て、航希の血の気が青くなるのを通り越して、真っ白になった。
が、頭部は操の両手で受け止められた。〈ファントム・ペイン〉の片手が、まだ操の首筋に巻き付いている紐をあっさりと外す。
拘束がなくなった操は立ち上がると、頭部を首の切れ目に元通りにくっつけた。
「さて、と」
振り向いた操に、完全に固まる住職。
〈ファントム・ペイン〉の刀が、住職の首を刎ねた。頭部が床に鈍い音を立てて落ち、その痛みで住職が短く叫んだ。
「み、操……」
「死んだりはしないよ。首と胴が、離れてるように見えてるだけ」
ようやく言葉を絞り出す航希に、操は背を向けたまま。
(航希に能力のこと知られた……。普通の女の子じゃないってバレちゃった。もうダメだぁ……)
涙ぐんでいる操の背中に、航希は話しかけた。
「だけどさ。操がスタンド使いだったなんてさ。オレ、正直ホッとしたっていうか、嬉しいよ」
「え!?」
思わず振り返る操。
「オレさ、いつ、どうやって操にスタンドのこと打ち明けようかって、ずっと迷ってたんだ。いつまでも隠し通せるとも思えないし」
「……」
「スタンドはスタンド使いにしか見えない。見えない操に伝えたところで、気味悪がられるだけで終わるだろうしなって。だけど、どっちもスタンド使いだったんだ。オレたちは仲間だよ!」
屈託のない航希の笑顔に、操の目から涙が零れ落ちた。
「え? おい、泣くなって。これ、ハンカチ使って!」
航希はハンカチを差し出しつつ、視界の片隅に転がっている住職の生首を、軽く蹴って廊下の奥に転がした。
結構先の方まで転がされた、頭部だけの住職は、情けない気分で一杯だった。
(何だこれは……。小僧に負けて、娘のスタンドに翻弄された上に、青臭いノロケまで聞かされるのか……。俺はこの歳で独身だっていうのに……)
言いようのない完敗気分を味わわされる住職。
それを余所に、航希はさらに、まだ泣いている操に語りかけた。
「えーと、いつからなの? スタンド使いになったのって」
「……〈スタンド〉って、この能力のことだよね? あの……大会前にボク、熱出したことがあったよね。あれは……どこからか矢が飛んできて、ボクに突き刺さって……」
「え!?」
「それから熱が出て……治った時には矢傷も矢もなくなってて……能力が使えるようになった……」
敵スタンドの攻撃のためだと思い込んでいた航希は、仰天した。
実のところ、〈サタデーナイト・フィーバー〉のスタンド使いは、操への攻撃指示は受けていたが、仕掛けるより前に操が高熱を出して倒れたため、自分がやったことにして笠間から礼金だけせしめていた。しかし、航希たちがそのことを知る由もない。
「じゃ、操も矢で射抜かれたクチだったのか……」
「え?」
操が、涙をぬぐって航希を見つめた。
「操『も』? もしかして、他にも、こんなことになった人がいるの?」