放課後、中庭の一角。
「これが、刀の鍔?」
文明は、航希の隣にいる操が差し出してきた、ケースの中身を眺めた。
「何ていうか……僕も全然詳しくないんだけど、普通に作られた鍔とは違う感じだよね。何かの模様を刻んだって風でもないし」
「生き物の骨を加工して、鍔に仕立てたらしいって、お爺ちゃん言ってた」
「そうなんだ。でも、どうしてこれを僕に? 見せてもらっても、ロクな返答はできそうにないけど」
航希は、操に目配せをすると、口を開いた。
「どうもこれ、スタンドに関わりあるみたいなんだよね」
「え!? この鍔が!? ……って航希! 操くんの前で、その」
アタフタする文明に、操はクスッと笑った。
「ご心配なく。ボクも、スタンド使いだから。こないだまで、スタンドって言葉も知らなかったくらいだけど」
操の傍らに、刀をぶらさげた人間大のスタンドが現れたのを見て、文明は息を飲んだ。
「え……本当に?」
「〈ファントム・ペイン〉。ボクはそう呼んでる。能力は『刀で切り落とした部位は、切り口と離れているように見えても、実はつながっている』。例えば首を落としても、切り口から血も出ないし、痛みも全くなし、もちろん死んだりしない。首と胴がいくら離れてても、実はつながってる状態だから、本人は首の位置がおかしいように感じるだけで、普段と変わらないの。ボクがその気になれば、首と胴をまたくっつけることもできるし」
「相手を斬っても、殺したくはないってこと。操らしいよね」
そう航希が付け加えた。
「そんで、鍔のことだけど……ブンちゃん、話ついてこれる? 情報が多くて申し訳ないけど」
「あ、ああ。ちょっとまだ驚いてるけど」
操が察してスタンドを引っ込め、航希が再び説明を始めた。
「この鍔、霊がついてるみたいなんだよね」
「霊!?」
素っ頓狂な声をあげる文明。
「僕らはスタンド使いであって、霊能力者じゃないよ? そんなこと言われても」
「それがね。その霊、スタンド出してる時にしか出てこないんだよ。オレが試した時にも出てきた」
「え……どんな? あんまり聞きたくない気もするけど」
「一本の角がある鬼……って言ったらいいのかな? 目の前に出てきて『お前は違う』って。オレは言われたし、操もそうだって」
「……なんか仇でも探してるのかな? それで、まさか僕にも試せとか」
「そうなんだよ。気になるから調べたいけど、無闇にスタンド使いに試させるのもマズイ気がするし。ブンちゃんなら信用できるから」
「僕は自分が信用できないよ! 呪われたりしないだろうね……」
渋々とだが、文明は鍔を受け取ると、〈ガーブ・オブ・ロード〉を出した。
すると。
長い角を頭部に生やし、目を瞑っている、筋骨たくましい男の幻影が、文明にも見えた。
(こ……これが、鬼? なんだかイメージが違う)
その幻影は、瞑ったままの目で〈ガーブ・オブ・ロード〉を見つめるようにしていたが、やがて口を開いた。
『……素質がありそうだな』
「え?」
『長きにわたり、数多の力ある者どもを見てきたが。ようやっと、見込みのある者に出会えたか』
「み、見込みって何が? そもそも誰なんだあなたは」
『今しばらく、貴様を見定めるとしよう。ひとまず、常に俺と共にあるがいい』
そして、幻影は消え失せた。
呆然としている文明に、操が声をかけた。
「その様子だと、『違う』って言われたわけじゃないね?」
「あ、うん……その」
「見込みがある、って言われたんじゃないの?」
絶句する文明に、操は合点がいったように頷いた。
「文明くん。その鍔、しばらく貸しとくよ」
「え!? でもあの、お爺さんの形見代わりの大切な品なんだろ?」
「お爺ちゃんが前に言ってた。その鍔には、何かを感じる。自分では明かすことができなかったけど、若いボクに委ねるからって。文明くんが、その手掛かりになるかもしれないから」
「そんなこと言われても……」
「じゃ、ボクは剣道部に行ってくるから。あとよろしくね!」
さっさと駆け足で去っていく操に、文明は鍔を返すに返せず、困っていた。
隣で彼女を見送っていた航希が、先を促して二人は歩き始めた。
航希が、神妙な顔で語りかけた。
「ブンちゃん、お願いがあるんだけど」
「え……何?改まって」
「鍔の説明のために、操のスタンドを見せたんだけど。操がスタンド使いだってことは、黙っててほしい。特に神原先生には」
「え、どうして?」
「先生が聞いたら、操をジョーカーズに勧誘しようとするだろうから。操は真っすぐな子だから、協力するって言いだす気がするんだ。だけど……勝手な物言いになるけど、オレは操を巻き込みたくないんだ」
「……」
「オレたちも、何度も敵とやりあってきただろ? オレは腹くくってやってるけど、その……操には、危ない目に合わせたくない……」
文明は、隣を歩く航希を見つめていたが、
「京次くんたちにも知らせないのか?」
「みんなには、時期を見てオレから話すよ。特に京ヤンは、今は休学してるし、連絡が取れない状態だしね」
「そう、だよな……。分かった。しばらくは内緒にしておくよ」
「ゴメン……。『操だけ守れればいいのか?』って問い詰められても仕方ない、って思ってた」
「いや……。確かに、巻き込まれて危ない目に合う人は、少ない方がいいのかもしれない」
そう言いつつも、文明は別のことを考えていた。
(確かに、全てを神原先生の耳に入れない方がいいのかもしれない。航希は純粋に、操くんを心配してるだけで、神原先生を信頼してるのは間違いないだろうけど。僕はやっぱり、人外の血を引くあの先生を、心のどこかで信用しきれない……)
文明は、手の中の鍔を見下ろした。
(この鍔も、あの鬼だか分からない霊が取り付いているんだよな。何の因果で、っていうか、もしかして僕は、何かに試されてでもいるんだろうか……?)
二人が連れ立って中庭を歩いていると、明日見が声をかけてきた。
「あれ? 文明くんたちも、これから部室に向かうトコ?」
「うん。吹奏楽部って、今日はオフ日だっけ?」
「そうよ。愛理さんも、珍しく部活も生徒会もない日だから、後からすぐに追いかけてくるって」
文明は鍔をポケットにねじ込むと、二人と並んで再び歩き始めた。
「もう、あれから半月も過ぎたんだよね。京ヤン、頑張ってるかなぁ」
ぽつりと、航希が口にした。
明日見がやや苦笑しながら、
「航希くんって、気が優しいのよね。京次くんなら、殺しても死なないと思うよ。今頃は重いコンダラとか引いてるんじゃない?」
「それ野球部じゃない? ブンちゃんのクラスの河村とかが、時々チョウチンフグみたいな顔して引いてたりするけど」
航希が頬を膨らませて、脇に引き付けた手をパタパタさせて見せると、明日見が吹き出す。
「手のパタパタはしないと思うから! ……だけどあの時、正直、文明くんは反対するんじゃないかって思ってた」
「え?」
「神原先生は渋ってたじゃない? 彼が休学中の戦力ダウンは避けられないからって。私も、一種の賭けになるなって思ってたから」
その時の会話を、ふと文明は思い出していた。
『先生。京次くんを、修行に行かせるべきです。帰ってくるまで、僕たちで京次くんの抜けた穴を埋めます』
『いいの!? ブンちゃん』
『……もし、修行なしでそのフレミングとまた戦って、京次くんが万一敗れたら。僕ら、一生後悔することになると思わないか?』
『!』
『あの時、行かせてあげればよかった。そう後悔するくらいなら、ここで僕たちが腹をくくった方がマシだ。少なくとも、僕はそう思う』
明日見は、青空を見上げて息をついた。
「あの時、こうも言ってたよね。『武原京次の土下座は安くない。彼がそこまでする以上、僕は尊重するべきだと思う』……って」
「甘いって言われるかもしれないけど、ね」
「ううん! 文明くんの覚悟は、私にも伝わったから。私も、できる限り力になるから」
明日見の眩しい笑顔を目にして、ふと文明は、やや罪悪感を覚えた。
(彼女にも、操くんのことは当面秘密か……。約束だから仕方ないけど。こんな時、京次くんならどうするだろうな?)
文明は、内心でため息をついた。
(こうなると、京次くんがいないのが、やっぱり重荷になる。だけど、彼が戻るまでは、僕らがここを守らないと。おそらく彼は、イザという時、神原先生の抑え役に回るつもりなんだ。あの時の決断が間違っていなかったことを、証明してみせないと、だ……)
三人の先頭にいた航希が、部室の扉を開けた。
「え!?」
航希も、後から入った文明と明日見も、顔色を変えた。
部室の床に、ユリが倒れ伏していた。その側に、遥音と愛理がしゃがみこんでいた。
「どうしたの!?」
「アタシが来た時には、もう倒れてたンだよ」
さすがの遥音も、顔色は青ざめている。
「今、愛理に見てもらってたンだけど」
「脈拍も呼吸も、異常はないようです。ですが、揺すったりしても全然反応がありません。単に眠ってるわけではないように思います。これから、救急車を呼ぶつもりでした」
「分かった! 今から呼ぶね」
明日見が室内に入り、スマホを取り出した。その後から、文明もついて入った時。
ガラッ! 音を立てて、扉が勝手に閉まった。
「!」
文明が慌てて振り返った時。
視界が急に、真っ白になった。何も見えない。
それも一瞬。
視界がすぐに戻った時、文明はすぐに、自分がいるのが軽音楽部の部室ではないことを理解した。
一辺3メートルほどの立方体の部屋。正面と右の壁、それと床は黒く塗られており、その真ん中に1メートル四方の引き戸がある。そのすぐ脇には、上下左右に動かせるらしきレバーがある。
他の壁や天井は赤・青・白にそれぞれ塗りつぶされているが、引き戸も何もない。
「……何だ、この部屋? もしかして、スタンド攻撃なのか?」
「そうだと思うけど……。閉じ込められたみたいね。スマホも、圏外になったし」
明日見が、緊迫した顔でスマホから顔を上げた。
「ん? 愛理くん、背中に何かあるけど」
「触らないでください! それに!」
手を伸ばしてきた文明に、愛理がハッとして叫んだが、遅かった。
「ブンちゃん! 背中……箱みたいなのが、くっついてる。っていうか、今現れた……」
「え!?」
文明が背後に手をやると、確かに、背中の中央部にそれらしきものが触れた。
「もう触らないでください。触れば、触った人の背中に移ります」
「わ、分かったよ」
航希が、箱に顔を近づける。
その箱には、横長のデジタルの表示板らしきものがあった。その表示を、航希は読んだ。
「残量100%……あ、今99%に下がった」
「アタシがユリの背中にソイツを見つけた時には、0%になってたよ」
「!」
三人が、息を飲んだ。
「アタシがソイツに触れちまって。愛理が取ろうとしてソイツに触れたら、愛理の背中に移った……」
「さっき、遥音さんの背中にあった時に確認しましたが、10秒ごとに1%減少していました。つまり、100%から0%になるまで、16分40秒です」
文明も、事態が予想以上に切迫していることを理解した。
「ヤバいなこれ……スタンドには違いないよな? この部屋もそうみたいだけど」
「もしかしたら、二人のスタンド使いが操る、別々のスタンドなのかも」
明日見が平静を装うが、顔色は隠せない。
「引き剥がせないのかな? 〈ガーブ・オブ・ロード〉!」
スタンドが出現し、布が背中の箱に伸びていった。箱に巻き付き、グイグイと引っ張る。
「く、取れない……」
「ブンちゃんっ!! スタンド引っこめて! 数字の減り方が速すぎる!」
「え!?」
慌てて、文明がスタンドを消した。箱は、そのまま背中にある。
「い……幾つになってる? 航希」
「78%……。スタンド出した時、1秒に1%くらいのスピードで減ってたよ」
「10倍のスピードか……今の感じだと、0%まで粘っても取れる気がしないよ」
航希は少し考えると、〈サイレント・ゲイル〉をトンファー形態で両腕に出した。
「ブンちゃん。衝撃が来るかもだけど、ちょっと堪えてね」
「え? ひょっとして」
航希が、トンファーの先端で、まずは軽く、箱を横殴りにした。
「ぐあッ! こ、航希。ダメだ、背骨を殴られてるのと変わらない!」
「ありゃ、やっぱり無理なのか。だけど、今のでブンちゃんから俺にオニが移ったから。大丈夫だよ! あはは」
さっさとスタンドを引っこめて笑う航希に、文明は返す言葉がなかった。
「この箱みたいなの、要するにバッテリーのスタンドなんでしょうね。スマホは何もしなくてもバッテリーを消費するけど、アプリを使用すると消費が速くなる。アプリに相当するのが、この場合はスタンドってことなのよ。きっと」
明日見が、じっと箱を眺めながら言った。
「これはパワーでくっついてるわけじゃないと思う。能力でくっついてるとしたら、力づくで取り除くのは不可能よ」
「じゃ、どうすれば……」
文明が困り顔で問うた。
「どこかにいるスタンド使い。本体を倒すしかないでしょうね」
「本体たって。どこにいるのか……」
「スタンドには、射程距離があるじゃない? 部屋のスタンドと、バッテリーのスタンドが別々だとすると、少なくとも部屋のスタンドは、この大がかりさ加減からして、絶対に近距離。バッテリーのスタンドも、城田さんに仕掛けたことから考えると、それほど遠距離じゃないような気がする」
「え? どういうこと?」
「近場で様子を伺ってて、たまたま城田さんが最初にここに来たから、彼女に仕掛けた、ってことだと思うの。遠距離でいけるなら、直接私たちを狙えばいいはずだもの」
「スタンド使いでなくても、16分ちょいで0%になるだろうしね。この様子だと」
明日見と文明が、顔を見合わせていると。
「このまま、お喋りしてたって仕方ないよ! ここから出て、さっさとソイツを探しに行くよ!」
遥音が、手近の引き戸を開こうとした。
が、力を込めても開く様子がない。
「チ、このレバーかな?」
遥音が、レバーを上に動かすと。
引き戸が、スッと開いた。
遥音と、他の面々がその奥を覗き込むと、引き戸の向こう側は別の部屋になっていた。ただし、床が真ん中で膨らんだアーチ状になっている。引き戸は正面だけ。左壁と天井が、それぞれオレンジと緑になっている。右壁は、床と同様に黒く塗られていた。
「変テコ部屋だねぇ。何なんだこりゃ?」
遥音が最初に引き戸を潜り、他の者がそれに続く。次の部屋の引き戸の脇には、ボタンがあるだけ。
「押すよ?」
「ちょっと待って。オレがやるよ。扉が開いたら、敵が襲ってくるかもしれないし」
航希が〈サイレント・ゲイル〉を腕に装着すると、トンファーの先端でボタンを押した。
扉が開き、奥に部屋があるのが見えるが、何も襲ってこない。
航希が、その部屋に入っていった。他の面々も続く。
その部屋は、扉は床と右壁、それと今入ってきたものの三つ。他の三つの壁は、赤・緑・黄にそれぞれ塗られていた。
「カラフルすぎて、目がチカチカしそうだよ。何のつもりだろうね、ここって? 敵も何もいる気配がないし」
「……どこかで見た配色なんだけど。思い出せないなあ……」
明日見が、眉を寄せている。
「とにかく、行けるところは見ていこうよ。この壁の扉開けるか。えーと、またレバーがあるな」
「……あたし、そのレバーが気になるんです。まず、上に動かしてください」
「え? うん」
航希が、レバーを上に動かすと。
扉が開き、白の天井と緑の左壁が見えた。床はアーチ状。正面には、ボタンが脇にある扉。
「閉められますか、その扉?」
「え? えーと……」
航希がレバーを中央に戻すと、扉が閉まった。
「今度は右に動かしてください」
「あ、うん」
言われるまま、航希がレバーを動かすと。
扉が開き、その奥が見えた瞬間、ほぼ全員が声を上げた。
「色が、変わってる……」
航希が、呟いた。
黄色の天井と、赤の壁となっていた。他は先ほどと同じ。
「また閉めてください。下と左も試したいです」
「分かった……!」
航希が、まず下へレバーを入れた。
開いた先は、先ほどと同じ、黄色の天井と、赤の壁。
レバーを戻し、今度は左に入れた。
「また色が変わった!?」
航希が見たのは、黄色の天井と、白の壁であった。
「どうなってるんだろコレ? レバーの左右だけ色が変わるとか……」
「これと同じ構造の玩具があるでしょう? これはサイズが巨大ですし、その玩具の中に入ったことはないと思いますが」
「……当ててみましょうか?」
明日見が、愛理を見つめて言った。
「ルービックキューブ。レバーで回す方向が決まる仕組みって言いたいのね?」
愛理が、頷いた。
奇妙な部屋があった。
中心から、前後・左右・上下にパイプが伸びている。そのパイプの先には、パイプを軸に回転するジョイントがあり、上に伸びたパイプの先が、今まさに回転しつつある。
パイプに腰掛けている、三十絡みの二人の男女がいた。
「もう気づいたみたいだなァ〜、早いな。間庭愛理が俺の〈キュービック・マンション〉の構造に気付いたぞ」
「お勉強ができるだけじゃないってことねー。圭介さん、ポテチ食べる?」
「ああ、お前のお気に入りのやつか。それじゃあいただくぜ」
その女、佑夏から袋を受け取った圭介は、中から菓子を取り出して食べ始めた。
「そしたら、あの子たち六面全ての色を揃えにかかるよねー? あんたの能力って、色を揃えられたら、スタンドが解除されて全員解放されるんじゃなかったー?」
「ま、そうなんだがよ。五人がイチイチ部屋を移動しながらキューブを回してたら、膨大な時間がかかるだろ? しかも、普通のキューブと違って、外側から全体を見られないからなァ〜」
「その間に、わたいの〈モバイル・バッテリー〉で最低一人は意識不明にできるしねー。できれば、ターゲットをそれで仕留めたいトコだけどー」
佑夏が、手渡された菓子の袋を受け取ると、自分も中身を口に運んだ。
「……ん?」
「どうしたのー? あんた」
じっと集中する圭介の顔を、佑夏が覗き込んだ。
「あいつらが移動し始めたぞ。二人だけだなァ〜。残りの三人はじっとしてる。まぁ、全員で動くよりは効率はいいのは確かだ。一人でも、別の部屋へ移動すればキューブは動くからなァ〜」
しばらく、集中を続ける圭介。
「一応、全部の部屋を回ったようだなぁ〜。さて、どれだけの時間でクリアできるだろうかなァ? ……ん? ……何!?」
「どうしたのー?」
真剣な表情になった圭介に、佑夏が尋ねた。
「速い! こいつら……最速の手順で合わせにかかってやがる!」
「え!? キューブ全体を見れるわけじゃないんでしょー?」
「だが、これは分かってるとしか思えねえ! ……予定を変更するか……」
「次、天井の扉、レバー左です」
「了解!」
航希が、トンファーでレバーをつついて操作した。
扉が開くと、航希がジャンプして扉の淵に手をかけ、スルリ、と上の部屋に登る。その敏捷で滑らかな動きに、航希が忍者の末裔であることを、愛理は得心していた。
航希が天井の扉から顔を覗かせると、トンファーの先端を差し出してくる。
それを愛理は掴みながら、〈スィート・アンサンブル〉の力も借りて、上の部屋に登ってきた。
(愛理ちゃんとのコンビ、うまく機能してるな)
内心、ニンマリする航希。
(全部の部屋を見れば、部屋の配列が愛理ちゃんの頭に完璧に入る。頭の中でルービックキューブを完成させるくらい、この子は朝飯前だもんな)
「これで、二段目は完成です。効率がよくなるので、いったん下の部屋に戻ります。レバーは押し込んでください」
「了解!」
航希は、レバーを上下左右に動かさずに、まっすぐ押し込んだ。これでキューブは全く動かずに、扉だけ動かせるのは検証済みだった。
扉が開き、航希がまず飛び降りた。その真下にまっすぐ立ち、肩を踏み台にさせて愛理を降りさせた。なお、スカートの中を見ないように、〈スィート・アンサンブル〉が目隠しをしている。
床に二人が降り立ち、扉が閉まった瞬間だった。
二人の視界が急に、真っ白になった。
それも一瞬。
二人は、自分たちが軽音楽部室に戻っていることに気が付いた。
「え、出られた……?」
「そのようですね……。ですけど、他のみんながいません」
航希が周囲を慌てて見回すが、いるのは自分と愛理だけ。倒れていたはずのユリすらいない。
「もしかして……まだあのキューブの中!?」
「分かりません。連絡はしてみますが」
愛理がスマホを取り出して、LINEを呼び出し始めた。
「まずは、一丁上がりだなぁ〜。俺の〈キュービック・マンション〉は、一面揃ったら、その面にいる人間を解放するかどうか、俺が自分で決められるからよォ〜」
「これで間庭愛理は排除できたわけよねー? どうせターゲットじゃないしー、彼女がいなきゃ、もうクリアは無理ゲーでしょー」
佑夏の言葉に、圭介は頷いた。
「愛理には、いかなる形のダメージも与えるなって言われてるしなァ〜。ちょうど良かったぜ」
「わたいらのターゲットは、あくまで笠間明日見。でしょー?」
「平竹からは、そう指示されてる。何で笠間の妹を狙うか分かるかァ〜? 佑夏」
「そりゃー……。その子って、笠間と神原のパイプ役でしょー? それを潰したいんじゃないのー?」
「いや。できれば人質に取りたいんだよ、平竹は。そしたら、笠間と神原が動きにくくなるだろうからなァ〜」
うふ、と笑う佑夏。
「〈モバイル・バッテリー〉の残量が0%になったら、能力を解除するだけでは目覚めないよー。わたいが充電して再起動させなきゃ、二度と目覚めないもんねー。人質にはもってこいでしょー」
「だけど、さすがに笠間明日見はもう〈モバイル・バッテリー〉に触ってくれないだろォ〜」
「だったらー、憑りついてる相手から離れて、その娘に直接攻撃するだけだよー。一瞬触れればいいだけだしー、隙を見て仕掛ければ何とかなるんじゃなーい?」
「そうだなァ〜」
圭介は、ペットボトルの紅茶を一口飲んだ。
「ねえ。これが成功したら、ヨーロッパ行かないー? わたい、イタリアがいいなー。食べ物おいしそうだし、コロッセオとか見たいしー」
「そうだなァ〜。お前には、新婚旅行も連れて行ってなかったしよォ〜。……ん? 残った連中が、扉を開けたぜェ〜。痺れ切らして、自分らで行く気だぞ」
余裕の表情で、圭介が笑っていた。