第36話 扉よ開け、1・2・3
ジョーカーズら7人のスタンド使いが、連れ立って校門を出てきた。
学校指定の制服は、文明と愛理だけ。航希はキャップを頭に被り、黒のTシャツに迷彩柄の上下、ウエストポーチ。明日見はショートパンツとタイツで活動しやすいスタイル。遥音は勝負服のパンクなステージ衣装。神原はスーツの上下で身を固め、笠間は地味なジャケットにデニムパンツのラフな格好。
全員が、早朝の通学路を、言葉少なに足を進めていく。
「家を出る時にさ」
小声で、航希が文明に話しかけた。
「オレ、操を探しに出るって言ってきたんだよね。『今日は、操と二人で戻ってくる』って。オレとしちゃ、嘘じゃないしね。そしたらさ」
「うん」
「親父がオレの方じっと見て。『必ず、戻って来いよ』って。……親父も服部の血を引く男だから、見透かしてたのかもしれない」
「そういえば……僕の朝ごはんも、ハムエッグが出てきた。いつもはただの目玉焼きなのに」
その会話を耳にしながら神原は、
(……ご両親のためにも、彼らは何としても、無事に帰してやらねばならない。大人の事情に巻き込んでしまった私の責任は、重大だ)
側を歩く笠間の、ただ前だけを見据えて歩く、迷いを見せない姿をチラリと見て、神原はほんの少し、羨ましく感じた。
神原は、後ろをふと振り返った。笠間のすぐ後ろに、やや青白い顔色だが、表情を出さずにいる愛理。隣の明日見は、不思議と兄である笠間と似通った姿に見えた。
最後尾には、遥音。唇を引き結び、少し赤くなった目をしていた。
(昨夜は眠れなかったか? 気丈な彼女といえども、無理もない)
後に、神原はこの時言葉をかけなかったことを、悔やむこととなる。
「ここだ」
笠間が立ち止まって示したのは、周りの家よりやや大きいくらいの、シックな印象の一軒家だった。表札も何も出ていない。新聞入れには、何も刺さっていない。ただの空き家なのではないか、と思えるほど、何の変哲もない佇まいだった。
簡素な門を潜ると、すぐに玄関の扉があった。取っ手の上に、ナンバーが振られたボタンが並んだパネル。
先頭の笠間はそのパネルをじっと見ていたが、
「……もう開錠されている。勝手に入ってこい、ということだ」
全員が、一瞬呼吸を止めた。自分たちを待ち構えているのは、火を見るより明らかだった。
笠間は確認するように一同を見ると、扉の取っ手に手をかけ、開いた。
中に入ると、そこは普通の玄関のようだった。靴などは一足も出ておらず、汚れ一つないタイルがただ並んでいる。上り口の向こうには、廊下が伸び、扉が両側にいくつか見えていた。
笠間は足を進めると、土足のまま上り口から廊下に入った。目を丸くする文明。
「ちょ……靴……」
「お前らも、靴は脱ぐな。どうせ敵の持ち家だ。足元のガードを捨てることはない」
神原も土足で上がるのを見て、他の面々も、少しためらいながらもそれに従う。
無言で、ゆっくりと廊下を進む笠間、そして神原。恐る恐る進む他の五人。
文明は、廊下の左側にある、ドアノブのある開き戸の扉の前を通り過ぎる時、その真ん中に一枚の札が張られているのを見た。薄い紅色の幾何学模様が描かれているその札には、〈1〉と大きく書かれていた。
次の扉も、笠間はそのまま通り過ぎる。薄い水色の模様に〈2〉とある札。
また次の扉も通り過ぎる。今度は、薄い黄色の模様に〈3〉と書かれていた。
そして、奥の突き当りの扉。そこだけは、横へスライドする開き戸。笠間は、そこで足を止めた。
「この、中か……?」
「どうかな? 開けるぞ。一応心の準備しとけ」
後ろに声をかけてから、笠間は引き戸に手をかけて、大きく開け放った。
中を覗き見て、神原は目を瞬かせた。
そこは、本当に小さな小部屋だった。扉のすぐ脇に洗濯機があり、脱衣カゴが床に置かれている。奥にある簡素な折れ戸が開いており、その向こうには浴室が見えた。
「脱衣所……?」
「今は、そこに通じてるようだな。というか、本来はそういう扉なんだろう」
「本来? というと?」
「今スルーしてきた扉3つ、札が張ってあっただろう? この扉にも、俺が来た時は、必ずあんな札が張られてた。扉自体も、こんなチャチなものじゃなく、未麗の執務室らしいご立派な代物だった」
「ということは……貴様はここにあった立派な扉から、未麗の執務室に入っていたということだな? なぜそれが、こんな扉で、中がただの脱衣所になっている?」
「お前自身は、聞かなくても分かってるだろ? スタンドに決まってる」
後ろの5人は、それぞれが目の前の扉を見やった。
「〈ミッシング・ゲイト〉。未麗の、というか、元来は城之内家の所有する別荘のある小島に」
その時笠間は、後方でドアノブの音を耳にした。
行列の一番後ろで、遥音の手が、〈1〉の扉を開けようとしているのが見えた。
「開けるな!! まだ説明の途中……」
その声が聞こえなかったように、扉が引き開かれ、中へと遥音が入っていく。
「待て!! 止めろ!!」
切羽詰まった声に、側にいた文明が手を伸ばしたが、その先で扉は閉じられてしまった。
ドアノブを掴むと、文明は回そうとするが、力を入れても回る様子すらない。
「ダメだ……。普通ドアノブって、鍵がかかってても、回ることは回るのに」
「ブンちゃん! 札……!」
航希に言われてみると、札の数字が消え失せていた。いや、紅色の地模様も消え失せ、ただの白紙が張られているだけだ。
「やられた……! もうその扉は、おそらく開かないぞ」
「何だって!? すると遥音くんは」
「行ったきりの片道通行ってことだ! 何てこった。回復役のアイツが、いきなり離脱か……!」
その只ならぬ声音に、その場の全員が、背中に冷水を浴びせられたような気分になった。
神原が、静かな口調で話しかけた。
「笠間……。状況がただならないのは確かだが。貴様より経験の浅い彼らの前で、不安を煽るような言動はいかがなものか? 起きてしまったことは仕方がないことだろう」
「呑気なもんだな。俺は、〈現状認識〉と〈警告〉のつもりだぜ? ただ一人しかいない回復役が、今は俺たちの側にはいない。あの遥音がいれば治せる怪我も、治せないんだ。リスクを負った行動を取りにくくなった。コイツが〈現状認識〉だ。それから」
笠間は、他の四人の方を、厳しい目線で見据えた。
「同行するメンバーに一言も告げずに、独断で行動するのが、いかに危険なのか理解しろ。戦闘中など、一刻の猶予もない状況なら、やむを得ないことは確かにある。だが今のは、明らかにそうじゃあなかった。いいか……場合によっては、自分だけじゃあなく、メンバー全員の命に関わりかねないんだからな。コイツが〈警告〉だ」
誰も、言い返す言葉もなかった。笠間に反感を抱いている文明ですら。
「なるほど、貴様の真意は分かった。確かに正論であるし、皆も理解してくれたと思う。次の行動に移らねばならないが、まずは……〈ミッシング・ゲイト〉だったか? そのスタンド能力について、貴様の知っていることを聞きたい。我らがこの先に進むにせよ、須藤くんを救出するにせよ、それを知る必要がある」
神原の問いかけに、笠間は頷いて語りだした。
「これは、藤松という男のスタンドだ。さっきも言いかけたが、城之内家は、瀬戸内海の小島を所有していて、その島のド真ん中に別荘を構えている。その島……〈立向島〉というんだが、定期便の船すら立ち寄らない孤島だ。昔は小さな集落があったらしいが、現在住んでいるのは、小島の管理を任されている一家だけだ。藤松は、その一家の家長だよ」
「スタンド使いの素性は分かった。肝心の能力はどうなのだ?」
「まあそう慌てるな。〈ミッシング・ゲイト〉は、『離れた所にある、扉と扉をつないで一体化し、誰でも扉をくぐるだけで、反対側の扉の先へと移動できる』能力だ。それぞれの扉の片面に、共通の柄の札を張ると扉同士が連結されて、札の張られている面から扉をくぐると、もう片方の扉の、同じ柄の札が張られている外側に出られる。まあ要するに制約の多い、どこ……」
「ならどうして、須藤くんの扉は開かなくなったのだ!?」
「何を焦ってるんだよ、いきなり……? 実を言うと、そこんとこは俺にも分からん。俺も〈ミッシング・ゲイト〉の能力によって、さっきの扉から未麗の執務室に直接入ってた。しかし、扉は何度でも行き来できたし、そもそもあんな数字は、今まで一度も書かれていなかった」
「扉そのものに、危険はないようだが。問題は、扉の反対側がどこに通じているか、だな」
「そいつは、開けてみないと何とも、だ。さあ、どれを開ける?」
問われた神原は少し考えて、
「……そうだな。〈3〉を試そう。順番通りだと〈2〉に行きたくなるものだが、相手の思惑を外すことを狙いたい。この数字が何を表しているのか不明だが」
「それもいいかもな。そもそも開くのかも、やってみないと分からないけどな。まず誰が扉をくぐるか、それを決めないとな。俺が先陣を切ってもいいが」
そこで手をあげたのは、航希だった。
「ハイハイ! オレが先頭行くよ。この中じゃ、多分オレが一番すばしっこい。不意打ちに対処しやすいと思うんだけど」
「そうか、伊賀忍びの末裔だったなお前。危険だが、任せるぞ。その次は俺だ」
続いて、愛理が進み出た。
「笠間さんが行くなら、あたしはその次に行きます。構いませんか?」
「そうしてくれるとやりやすい。後は……適当でいいか」
方針が決まり、まずは航希が、〈3〉の扉に近寄った。他の者は全て、扉の右側、ドアノブのすぐ側に一列に並んだ。
「開けるよ」
皆に確認すると、航希は深い呼吸をして、扉をスッと引き開けた。
その向こう側の様子が、全員に見えていた。
足元はすぐに、土を踏み固めて作られたらしき道。それが、横に伸びている。そのさらに向こう側は木が何本か立っているが、すぐに崖になっているらしく、陸地が横に切り取られている。その先の崖下は、静かに波打つ大海原が広がっていた。遥か遠くで、青い空と海を水平線が隔てている。
航希は、扉をくぐり、道へと踏み入った。
「これ、さっき言ってた小島……?」
微かに潮の匂いがする風に頬を撫でられながら、航希はそう問うていた。
「多分な。何か、いそうに感じるか?」
「いや全然。何て言うか、雰囲気平和すぎ……」
「気を緩めるなよ。次は俺だ。天宮、そっちで扉を押さえててくれ。間違って扉が閉まると、もう開かないかもしれない」
文明は内心で、笠間に指示されることにやや不快感はあったが、行列から外れると、扉を全開にして、腕で廊下の壁に押さえつけた。
それを確認すると、笠間が扉をくぐった。続いて愛理。
次の明日見が進もうとした時だった。
扉が、ゆっくりと閉まりだした。
「閉めさせるもんか!」
文明は力を入れて押さえ込もうとしたが、全く抗しきれずに、扉は動き続ける。
「明日見くん早く!」
「ダメ、見えない壁がある! 扉の向こう側に進めない!」
神原も駆け寄り、扉の板を横から掴もうとした。が、二層に分かれている扉の、反対側にはやはり見えない障壁があるらしく、指どころか爪先すら入らない。ついに二人とも扉に押し出されるように、廊下へと後退させられてしまった。
「〈パラディンズ・シャイン〉!」
明日見がスタンドを出し、槍を扉と壁の間に差し込んで、閉まるのを防ごうとした。だが、槍も扉の動く範囲の直前で止まり、入っていかない。扉の向こう側でも、事態を知った自分の兄が、扉を必死で押さえて止めようとしているのが見えた。
それら全ての抵抗も空しく、明日見の目の前で、パタン、と扉は閉じた。
「札は!?」
「……たった今、真っ白になった」
文明は、扉に両手をかけて、小さい声で告げた。一縷の望みをかけて、明日見はドアノブを回してみるが、案の定全く動かなかった。
神原は、むしろ冷然とした面持ちで言葉を出した。
「……認めたくはないが、敵の術中に完全にはまったということだ。敵の狙いは、我らを分断して各個撃破することだろう。最初の扉を閉められた時点で、こうならざるを得なかった」
「そんなこと言われても、もう引き返すこともできませんよ! 4人も扉の向こうに行ってしまってるんですから! しかも遥音くんは、行先もよく分からないし」
「分かっているよ、天宮くん。我らに残された方法はただ一つ。残った〈2〉の扉をくぐるだけだ。もしこれも海辺に出るならば、彼女も島のどこかに出た可能性が高い」
それまで黙っていた明日見が、顔を上げた。
「私思ったんですけど。この扉の数字は、〈順番〉じゃあないのでは?」
「……拝聴しよう」
「左から右に〈1〉〈2〉〈3〉と並べられていたから、惑わされていましたが。この数字は……『扉をくぐることができる定員の人数』。ではないかと」
文明は、思わず声を上げた。
「そうか! 〈1〉は遥音くんただ1人。〈3〉は航希と笠間、愛理くんの3人。……待てよ。それじゃ、この〈2〉の扉をくぐれるのは」
「私たち3人のうち、2人だけ。全員くぐることはできない。私の考えが正しければ、ね」
神原も頷いた。
「実は私も、同じことを考えていた。そうすると問題は、誰と誰が行くか、だ」
「明日見くんを残すべきです。僕と神原先生で、〈2〉の扉に進みましょう」
文明が即答した。
「明日見くんには〈パラディンズ・シャイン〉のテレポート能力があります。スマホで通信ができれば、明日見くんの手元にあるスマホから、僕らの持つスマホへと飛んでくれば、扉をくぐらなくても合流できます」
「基本的にはそのアイデアでいいと思うけど、幾つかクリアしたいことがあるの」
明日見は、スマホを手にしてそれを眺めた。
「実はさっきから、遥音さんにLINE送ってるけど、未読のままなの。電話も試したけど、電源が入っていないか、電波が届かないかでつながらない。兄さんの方も……。同じ状態ね。孤島だっていうから、電波がつながらない可能性は充分にあるわ」
神原は内心、スマホが破壊されている可能性も考えていた。だがその場合、持ち主の方も無事であるはずがない。不安がらせるだけだと、口にするのは避けた。
「それともう一つ。私の持ってるスマホは、テレポートに使いたくないの。前にも言ったけど、私はbluetoothの電子機器を持ち歩いて、能力を使いやすくしてる。だけどそれらは、私のスマホとペアリングさせてあるから、このスマホが手元にないとどれも使えなくなる。テレポート元のスマホは、ここに置き去りにしないといけないから」
「それなら、僕のスマホを君に預けるよ。テレポートはこれだと使えないかな?」
「使えるわ。だけどいいの?」
「どうせ、向こうにいる間に、僕はスマホを使うこともあんまりないよ。どうしても必要なら、神原先生のスマホで頼めばいいしね」
「……ありがとう。それじゃ預かるね」
「よろしく。パスコードは……」
「あ、教わらなくっても大丈夫。私の能力なら、誰のスマホでもパスコードをスルーできるから」
「ああ、そうなのか……」
彼女と結婚したら、スマホを使った浮気は絶対に不可能だな。ついそう思ってしまう文明であった。もちろん、自分の性格で浮気など実行できそうにないのは、百も承知である。
「それでは、我らは行くとしよう。そうだ明日見くん。残るなら、武原くんの動向も確認しておいてくれたまえ。こちらにすぐに駆けつけることは叶わないだろうが、状況の説明だけはしておいてもらいたい」
「分かりました。先生、お気をつけて。……文明くん」
明日見の声音が、少しだけ変わったのに気づいて、文明は振り返った。
「休みの日がお互い空いたら、二人で会って遊びに行こうって、約束したよね?」
「あ、うん」
「私も、落ち着いたらゆっくり文明くんとお話したいから。……昨日、言ってたよね?私のことは好きだけど、それとこれとは話が別だ、って」
「あ、あの」
「兄さんのことを簡単に受け入れてくれないのも、私が口添えしてもダメだっていうのも、正直ちょっとヘコんだ。だけど、一本筋の通ったところが、文明くんのいい所。逆に、私が少し何か言えば、そっちにアッサリ靡くような腰の軽い人なら、付き合ってく気が失せてたと思う」
「……頭が固いってのは、僕の欠点だってのは、さすがに分かってる。申し訳ない」
頭を下げる文明を前に、明日見は、ふっと笑みを浮かべた。
「文明くんは、自分のいい点を捨て去らなくてもいいと思う。だけど、人でも物事でも、いろんな面があって、様々な見方ができる。今までと違うものが見えたなら、それを頭から否定しないでね。それができるなら、あなたはもっと素晴らしい人間になれる……」
そこまで言って、明日見はハッと気づいたように、
「あ、ゴメンね、何を偉そうに言ってるんだろ私! 時間だってないっていうのに」
「いや。何ていうか、良いことを言ってもらえた気がするよ。それじゃ先生、お待たせしました」
じっと二人の会話を聞いていた神原は、優しく頷いた。
神原が、〈2〉の扉のドアノブに手をかけ、引いた。扉が開き、神原、続いて文明が、扉の向こうに進んで行った。その向こうに、海と空が広がっているのを、明日見は確かに見た。
扉が、閉じられた。札の数字も、地模様も消え失せ、白紙と化していった。
明日見はドアノブを回してみたが、もはやそれが回ることはなかった。
手の内にある、文明のスマホを眺めてみた。飾り気のない、黒いケースが取り付けられている。
(彼らしいな)
そう思いながら、そのスマホのロックを解除し、神原にLINEを送ってみた。少し待ったが、既読が付く様子はない。
(……とうとう私だけ、独りぼっちかぁ。下手すると、生き残るのは私だけ。何だかなぁ……。それで、悲しい思いをするくらいなら、私も行きたかった)
ふと、思い出したことがあった。
(そうだ、京次くんに連絡するんだった。彼が間に合っていれば。あ、でもこの扉のせいで結局は、ここに残る人数が増えるだけなのよね……)
今度は、自分のスマホでLINEメッセージを送ってみた。不必要に文明のスマホを使うのは、何となく後ろめたかった。
メッセージを送って、やることもなくなり、所在なく明日見は床に座り込んだ。
その時。
LINEの着信音が、彼女のスマホから鳴り響いた。