島の中央にある、城之内家の別荘は、レトロな雰囲気の洋館である。玄関の前には、かなり広い庭が広がり、さまざまな草木が植えられていた。
「いいお天気やわ~」
空を見上げながら、修子はそう独り言ちた。四十は過ぎているのだが、髪を後ろでくくったその容貌は、年齢の割には美しい。庭仕事用のエプロンを身に着け、長靴を履き、手にはスコップを握っていた。
「わ~、お花咲いてる。綺麗やわ。後で、一房切って、花瓶に活けとこっと」
微笑みながら、並んだ花を一つ一つ鑑賞していく。
ふと、その花壇の片隅に、彼女は目をやった。
「あらら、あの子粗相してるやん。しゃあないなー」
彼女が近づいて見下ろしたのは、イノシシの子供である、ウリボウの死骸であった。
「アカンやん、ちゃんと残さんと食べな。慎志や沙羅とおんなじ説教せなアカンのかな?」
そう言いながら、彼女は長靴の足で、ウリボウの死骸を踏みつけた。バキバキッ、という嫌な音を立てて、アバラ骨が折れる音がする。それに構わず、彼女は何度も死骸を踏みつけた。
(後で埋めて、肥料にしてまおうっと……)
ひとまず作業を終えた彼女が次に向かったのは、種を植えこんだポットがズラリと並んでいる前。
「うんうん、芽が出てきてる。そやけど、問題は土の中がどうなってるか、やね」
修子は、手近のポットを手に取った。かわいらしい小さな芽が、土から伸びている。
ポットを手で抜き取ると、根を優しくほぐしていく。
その根の中央に、ビー玉くらいの大きさの球体があった。ガッと見開かれた目がついており、修子を見つめている。
「あんぎゃあ~。あんぎゃあ~」
掠れた甲高い声が、か細く聞こえている。
「この子は、成長できてるわ。これから大丈夫やね。あんたは、お庭に植え替えてあげるからね。さてと、他のポットは、と……」
修子は、一つ一つポットを手に取り、確認していく。
全部終わると、ポンポンと手についた土を払った。
「今日は3つ。今一つやわ。まぁ、昨日が出来すぎなんやけど」
そして彼女は、柵に囲まれた大きな庭を、ひとしきり見渡した。
(毎日少しずつでも育てていったら、このお庭も、私の〈イングリッシュ・ガーデン〉で強化された草花で一杯になる。ここを、聖也様をお守りするためのお庭にしていかなあかん……)
その庭のあちこちには、通常あり得ないほどの巨大な草花が生え、異様に蠢いていた。
文明は、木々の間を縫うように設られた山道を歩きながら、神原の背中を見ていた。
『自分で言い出してこうなったんだけど、なんか気まずい……。神原先生も、僕が自分を信用しきっているわけじゃないのを知ってるわけだし』
内心で、そう呟いた時。
「天宮くん」
それまで黙っていた神原が、前を向いたまま呼びかけてきた。心を読まれたのか、と文明がギョッとしたほどのタイミングだった。
「ここまで来れば、私と君は、教師と生徒ではない。対等な人間同士だ。君は、そうは思っていないかもしれんが、私はそう考えている」
「い、いえ……」
その言葉の中に、『自分を人外であると思っているのだろう?』という意味があるのを、文明は分かっていた。
「ここから先、君は自分の行動を、自分で決めていくことだ。言っておくが、突き放しているのではないぞ。君自身が目的を達するため、生き延びるために、君はそうしなければならない」
「……」
「例えば、私がどういう状態になったとしても、君は私を救うことにこだわる必要はない、ということだ。場合によっては、私を討ちたまえ。それが君にとって、正しいことだと信じるならば」
「そ、そんな!」
「私にしても正直、君の安全をどこまで保証できるか分からないのだよ。巻き込んだことは、幾重にも詫びなければならないが」
「……今の状況は、僕が選んだことです。巻き込まれたとか、決して思っていません」
「〈黄金の精神〉か」
その言葉に、文明の口が止まった。
「私は、君の中に、紛れもなくそれを感じているよ。だからこそ、君は生き延びねばならない。それを忘れないでくれ」
「はい……」
他に、文明には返す言葉がなかった。
二人は、さらに道を進んでいく。やがて行く手に、幅3メートルほどの亀裂が、道を横切るように長々と伸びていた。そこには、丸太造りで手すりもない簡素な橋がかけられているのが見える。
その橋を渡る時に、文明は橋の下を見下ろした。思ったより深く、身長2人分を超えるその下には、チョロチョロと小川が石の合間を流れている。
橋を渡って、10歩ほども進んだ所に、一抱えほどの塊が転がっていた。何やら、粘ついたものがまとわりついているように見える。
そこまで足を進めていく二人。そして、間近にそれを見た文明は、思わず怖気が走った。
「……元は、イタチとかであろうな」
神原が、それをじっと見下ろしながらそう言った。
茶色や黒の毛が、わずかに残っているが、ほとんど白骨化している。粘液だらけのその姿は、異様な凄惨さを感じさせた。
「……蛇、とかでしょうか?」
「だとすると、かなりの大きさだな。これを丸飲みしたとすればだが」
「スタンド、っていう可能性もありますか?」
「どうだろうな。酸などで、瞬時に溶かされたという感じではない。それなりの時間をかけて消化した、といったところか」
座り込んで、側にあった小枝で死骸をつつきながら神原は答えた。
「通常の自然な捕食の結果、というには違和感がある。どちらにせよ用心を」
カサカサ……!
背後に不穏な気配を感じ、神原は立ち上がってそちらを見た。
「もう遅いわ〜! ドアホどもがぁ〜!」
甲高いその声は、橋の上をこんもりとその棘つきの茎で覆い尽くし、腰までの高さにまでなった固まりの中から聞こえていた。ソフトボール大の実のような姿に、目と口だけがくり抜かれている。
「もう逃がさへんで〜。お前らは既に、俺ら〈イングリッシュ・ガーデン〉に包囲されてんねや!」
「俺ら、だと?」
神原が聞き返した時、周囲のあちこちが動き出した。
木を取り巻いていたツタが、そこから身を剥がして、長々と伸び始める。あちこちの茂みに身を隠したいたらしき、巨大な草花が起き上がっていく。
「〈ノスフェラトゥ〉!」
神原の声と共に傍に現れた、マントを構えた吸血鬼を彷彿とさせるそのスタンドに、文明は自分もスタンドを出しながら、内心慄然とした。
『思えば、神原先生のスタンドと一緒に戦うのは、これが初めてだ……!』
ゆっくり考える暇もなく、視界の左右にいる巨大なカラスノエンドウの、真っ黒い鞘サヤが弾けた。中から、弾丸のような種が扇状に飛び出し、二人を襲う。
〈ノスフェラトゥ〉のマントと、〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が、それらを払い除けて防御した。
その間にも、ツタは伸び続け、二人に迫ってきた。
〈ノスフェラトゥ〉が前に出ると、マントを翻した。その鋭い裾に切り裂かれ、ツタの先端が地面に次々と落ちる。
自分はどうするべきか、迷っていた文明は、足元に違和感を感じた。
背後から、地面を伝って伸びていたイバラが、左足に絡みつこうとしていた。
布で掴んで引き剥がそうとしたが、幾筋も絡み出したイバラは簡単には切れない。
「このッ!」
〈ガーブ・オブ・ロード〉の手首が円盤に変化した。円盤が回転すると、そこから伸びた布が急激に捩れ、イバラを無理矢理に引きちぎる。足首に巻きついた棘が突き刺さり、鋭い痛みに文明は顔をしかめた。
その時、右腕に何か巻き付いたかと思うやいなや。
グン!と、文明の腕が、上へと引っ張られた。
イバラに気を取られている間に、ツタが木の上から伸びて、腕にまとわりついたのだ。ろくに抵抗もできないまま、文明の体が宙に浮き上がった。
ツタの葉の合間から、さっきとは別の〈イングリッシュ・ガーデン〉が、がなりたててきた。
「甘いんじゃボケナスが! 捕まえたらコッチのもんじゃい」
「おう! ツタの兄弟よ。こっちに早よぅよこせや。腹減ってんねん!」
数メートル上から、声がする方向を見下ろした文明は、思わずゾッとした。自分たちを取り巻いている植物の中に、巨大なハエトリソウがいたのだ。貝殻を思わせる捕虫葉が大きく開かれて上空を向き、明らかに自分を飲み込もうと待ち構えていた。その捕虫葉の繋ぎ目のところに、〈イングリッシュ・ガーデン〉がいた。先ほどの声の主に相違なかった。
(さっきのイタチは、こいつの仕業か! 包み込まれて、あんなに棘の飛び出した葉を閉じられたら、僕じゃ抜け出せない! でも、そんなに速くは溶かされないはず……いや、この化け物ハエトリソウ相手じゃ分からない!)
「天宮くん!!」
神原が、〈ノスフェラトゥ〉の翼で飛来してきた。
文明を拘束しているツタに接近し、一瞬翼を消して、マントを横に一閃。
ツタが切断され、落下しかける文明。慌てて、手近の二本の木に両手の布をそれぞれ飛ばして、急激な墜落を防いだ。
神原はマントを翼に戻して、高度を上げようとしたが、そうはいかなかった。
その足首に、今切断したツタが絡んでいたのだ。
振り解く間もなく、さらに他のツタが伸びて、体に絡む。
ついに自由を奪われた神原は引きずり落とされ、地面に強く叩きつけられた。
「先生ッ!」
「いかん! 来るなッ!!」
いつになく強い神原の口調に、文明は駆けつけようとする動きを止めた。
「橋向こうに退避するのだ! おそらく、こやつらは橋までしか……うっ!?」
ツタがまるで触手のように蠢き、神原の体を持ち上げては、地面に叩きつけた。一度のみならず、二度、三度。その度に、神原がただならぬ声をあげていた。相当のダメージを受けているのが、側から見ても分かった。
文明は、思わず布を伸ばして助けようとしたが、サヤエンドウの種がそこに撃ち込まれる。布でガードしたものの、ツタも文明に伸びてこようとしていた。
「早く逃げたまえ!! 君も巻き添えになるだけだッ!!」
神原の決死の叫びに、文明はついに布を引っ込め、、橋向こうの木に飛ばして乗り移った。体が橋向こうに出ると、ツタはそれ以上は伸びてこなくなった。
地上に降りて、なおも地面に叩きつけられている神原を見ながら、文明は青ざめていた。
神原の体が、ついに捕虫葉の中に放り込まれた。葉の周囲の棘が、まるで囚人を閉じ込める牢獄のように閉じられていく。
身を震わせる文明に、くぐもった声が、葉の中から聞こえてきた。
「ここからは……進むも退くも、自分で決めるのだ。君の選択を……私は尊重しよう」
「先生ィーーッ!!」
神原を飲み込んだ葉は、森の奥へと引き込まれていく。木々に隠れて、それが見えなくなった後は、残った獲物を待ち構える植物たちが、橋向こうで蠢くのが見えるだけだった。
「ヒーッヒッヒッヒッ! まずは一丁上がりィッ!」
橋の上に、イバラがまだ山となって残っていた。その中に陣取る〈イングリッシュ・ガーデン〉の嘲笑が響く。
「お前は来ぅへんのかぁぁぁ? 来たらええやんけ? さっきのヤツも、きっと寂しがっとるでぇぇぇ?」
地面に跪いて、崩れ落ちている文明に、さらに声が追い討ちをかけた。
「なんやなんや、ビビッとるんやないか。ま、気にすんな。俺らが強すぎるねん! もっとも、お前が弱っちいことには変わりないけどなぁ! ケケケケケ……!」
その言葉を、歯を食いしばりながら、文明は聞いていた。
『先生が、僕を庇って捕まってしまった……! 自分を信用していないと分かっている、僕なんかのために……! このままじゃいけない。先生を助けにいかなきゃ。そもそも、ここで引き返したら、今まで何のために戦ってきたのか分からない……!』
そう思ってはいても、動けない。このまま闇雲に進んでみても、甲斐もなく殺されるのが目に見えていた。
『何をしている』
突然、声が聞こえた。
顔を上げると、剣の鍔に宿った〈鬼〉の姿があった。何故かは分からないが、家を出る時にもこれだけはポケットに入れてきていた。
『あの、面妖な立方体と戦った時のお前はどこへ行った? あの時お前は、命をかなぐり捨てて、仲間に託したではないか。最後まで、己のなし得る事を完遂しようとしていたではないか』
「あ…あの時は…。だけど……今はどうしたらいいのか、分からない……」
ほんの少し黙り込んだ後、声がまた聞こえてきた。
『尋ねよう。まだ、お前の中に戦う心はあるか?』
「え?」
『もし、ここを突破できるだけの力を得たとしたら、この先の戦いに挑む覚悟はあるか? と言っているのだ』
しばし、文明は返事ができなかった。
『率直に言う。お前は、ここを抜けるだけなら、それだけの力は持てる。そのために必要な道のりは、俺が導いても良い。だが……もし力を得たならば、この先にいかなる苦難があろうとも、戦いを放棄することは許されん。それは、戦いに対する重大な侮辱だ』
「……」
『どうするのだ? 覚悟ができないなら、ここから立ち去るがいい。お前一人なら、命だけは助かるかもしれん』
それでも、文明は黙っていた。〈鬼〉は、辛抱強く待った。
やがて文明は、ふっと笑った。
「戦いに対する侮辱、か。京次くんと、同じようなことを言うんだな」
『何者だ、それは?』
「僕たちの仲間だ。今、波紋法とかを修行に行ってる」
『波紋法、だと!?』
一際大きくなった声に、文明は驚いた。
『そうか……世界というものは、不思議な奇縁があるものだ。お前が、波紋の戦士の仲間であったとはな』
「あの……波紋を知っているのか?」
『かつて俺は、波紋の戦士を宿敵としていた。最後の戦いにおいて、俺は二人の見事な戦士に出会った。俺は敗れたが、素晴らしい戦いができた。悔いはない。つもりだった』
「……というと?」
『何故か俺の骨の一欠片だけが残り、それに俺の魂の一部が宿った。それが何故なのか、俺はずっと考え続けた。そして、ふと思い出されたのは、あの時の波紋の戦士の言葉だ』
「……」
『あの男は言っていた。自分が最期にみせるのは、未来に託す人間の魂だ、と。あの言葉が、俺の心の片隅から離れない。そこで思ったのだ。人間の真似をする訳ではないが、俺も何かを他の者に託してみよう、とな。俺にとって思い入れのある技。それを託したいのだ』
「未来に託す、人間の魂……」
文明は、先ほどの神原の姿を思い出していた。
『俺の技は、ある種の素質が必要だ。しかし、それだけでは託すに値しない。あの男たちのような心を持てる可能性がある、そうした者でなければならない。長きに渡り、力ある者を幾人も見てきたが、ずっと現れることはなかった。そして俺は、お前に辿り着いた』
「僕が……あなたの探していた者だ、と?」
『それは、お前の返答次第だ。命をかけて、戦い抜く覚悟を持てるのかどうか、だ』
文明は、顔を上げた。その眼差しは、意を決していた。
立ち上がり、イバラの塊になっている、目の前の橋を真っ直ぐに見る。
「僕のこれから進む道は、あの橋と同じなんだろうな。イバラの棘だらけだ」
『進むなら、間違いなくそうなるな』
「だけど行くよ。でなきゃ、救われない人が多すぎる。僕自身も含めて」
『その
〈鬼〉が、大きく頷いた。
『ならばまず、俺にお前の力を貸せ』
「えっ?」
『案ずるな。手本を見せるだけだ。ただし、一度だけだ。〈心〉を、俺に委ねろ』
文明は、戸惑いながらも、スタンドを出したままで、〈心〉の力を抜いた。
〈ガーブ・オブ・ロード〉の両腕が、肩幅の合間を開けたまま、真正面に伸ばされた。
両腕とも、手首のところがそれぞれ円盤となった。そこから伸びていた布が螺旋に何重にも複雑に巻かれていく。そして、腕の長さと同じくらいの円筒状となった。その先には、橋の上に蔓延るイバラがある。
『この形だ。技を己の物とできれば、自然とできるが、ひとまず覚えておけ』
「あ、ああ」
『では、参る……!』
円盤が、回り始めた。
円筒状の布にあえて作られた隙間から、空気が流れ込んでいく。その空気が、円筒の螺旋に導かれて、正面に強く噴き出されていった。
風が、イバラを大きく揺らす。〈イングリッシュ・ガーデン〉が何やら叫んでいるが、風に掻き消されて聞こえてこない。
回転が激しくなると共に、風も激しさを増していく。そして、回転は臨界を超えた。
その瞬間。
両腕から発せられる暴風の狭間。そこに、無数の真空刃が発生した。
イバラが、瞬時にズタズタに切り刻まれた。それだけでは足らず、丸太の表面を削り、地面を削る。その奥に蠢いていたツタまでもが、取り巻いていた木の幹を巻き添えにして、バラバラにされた。ツタの〈イングリッシュ・ガーデン〉の断末魔が、風に紛れて微かに聞こえた。
幹をほとんど削られた木が、ゆったりと、ミキミキとヘシ折れる音と共に、倒れていった。
予想を遥かに超える破壊力に、文明は茫然となった。
〈鬼〉は、厳かに言った。
『風の
「これが精一杯、って……。あなたは一体、何者なんだ?」
そう聞かれて、〈鬼〉は答えた。
『ワムウッ! ……それが、俺の名だ』