ようやく動けるようになった文明は、慌てて後ろに下がりつつ、また布を操に向かわせようとする。
突然、〈スィート・メモリーズ〉が出現し、その手にある羽ペンを、〈ガーブ・オブ・ロード〉の目に突きこもうとしてきた。
「うわッ!?」
「何やってるのよ!? さっきのバカ娘といい、私をナメてるの!?」
何とか羽ペンは弛ませた布でガードしたものの、〈スィート・メモリーズ〉は腕をメチャクチャに振り回して、〈ガーブ・オブ・ロード〉に迫る。
「う!?」
未麗は、腹部に鋭い痛みを覚えた。
出現した〈スィート・アンサンブル〉が、〈スィート・メモリーズ〉の腕をかいくぐって、指揮棒を腹部の振り子の透明なカバーに突き刺していた。
愛理が、叫んた。
「あたしが、戦えないと思っていますか!?」
「非力なんだよッ! 賢しらな小娘が!!」
〈スィート・メモリーズ〉が、〈スィート・アンサンブル〉の腕を掴んで強引に引き寄せると、羽ペンを目に突き立てようとした。
が、たわんだ布が羽ペンから〈スィート・アンサンブル〉を守る。
「僕が相手するッ! 愛理くんは下がって!」
「両手とも動かすのがやっとのくせに、カッコつけるんじゃあないッ!」
未麗の言う通りだった。〈ガーブ・オブ・ロード〉は、京次と航希に布の先端を巻いているため、途中の余ったところしか自由に使えない。繊細で機敏な動きは難しかった。
それでも、〈スィート・メモリーズ〉の腕に何とか巻きつけようとする。〈スィート・メモリーズ〉は、腹立たしそうに〈スィート・アンサンブル〉を突き放した。
「柳生操、何をしてるの! 今のうちに、キャビネットに隠れなさい!」
未麗が呼びかけた時だった。
それまで床に転がっていた航希が、突然跳ね起きた。床を蹴って、一気に操へと間合いを詰める。削られた頭皮から、まだ血が流れていた。
(〈波紋〉を体に流され続けて、ずっとビリビリしてたから、気を失わずにすんだ。今なら、操との間に誰もいない!)
〈ファントム・ペイン〉が、刀を構えた。航希は、トンファーを出してさらに突っ込む。
左からの袈裟斬りが、航希を襲う。トンファーでそれを受け止め、机に手をついた。そこから、机に飛び乗る。
(向こう側に降りれば、操に直接触れ……)
ドスッ!!
航希の体に、横から伸びた爪が二本、突き刺さった。航希の動きが止まる。
「我の存在を、忘れておったな!? 柳生操を失うわけにはいかんとの、聖也様のお言葉だ!」
神原が、目を光らせて勝ち誇っていた。
航希の精力が、急激に吸われていく。
バキンッ!!
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の爪が、二本とも叩き折られた。
「航希を……アンタにやらせるわけにゃいかねぇんだよ!!」
「小僧、しぶといぞ貴様!」
京次は、すでに〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の強烈な打撃を何発も受けていた。ボディブローが腹に打ち込まれ、〈ブロンズ・マーベリック〉で体全体をガードしているはずの京次ですら、身をよじらせて悶絶していた。
航希は、折れた爪が刺さったまま、机の反対側に落ちた。爪がさらに深く突き刺さり、短く呻く。
「くそ……ッ!」
伸ばしたその手がついに、操の足に触れた。
苦戦しつつも、京次が流し続けていた〈波紋〉が、操の体に流し込まれた。その胸元に張り付けられていた〈肉の芽〉は、中身が溶けて崩れ去った。
「やった……!」
航希が、笑みを浮かべたその時だった。
「演ぜよ! 我が〈譜面〉をッ!」
未麗が、声を振り絞って叫んでいた。
またも、全員の動きが止まった。
操が、机と壁の隙間に転がる、航希の体を踏みつけた。そして、机の下を覗き込む。
そこには、〈スィート・ホーム〉のキャビネットがあった。扉を開けると、操はその中に書かれている家紋へと、手を伸ばしていった。
(やめろ操!! 中に聖也がいるんだろ!? また操られちまう!)
叫びたくとも、声も出せない航希。
壁に顔を向けている航希は、気づかなかった。
操が、怯えた目をしていることに。伸ばすその手が、震えていることに。
その手が、家紋に触れようとしたその時。
振り子が、6回目の往復を終えた。
「まだッ!!」
文明が叫び、航希を守っている〈ガーブ・オブ・ロード〉の布が撓みながら伸び、操の足に絡もうとした。
が、かろうじて操に布が触れた瞬間、操の体はキャビネットに吸い込まれていった。
「こ……これで、神原がアンタたちを全滅させれば、もう〈波紋〉も使えないのよね!? ザマアみなさいよッ!」
「あなたって人は!!」
文明が叫んだその時。
ドゥッ!
京次が、何発目かの打撃を受けて、投げ出されるように背中から倒れこんだ。そのすぐ間近にいた笠間が、顔をひきつらせている。
(やはり〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は別格だ! コイツを過信しすぎたか?)
「どうした小僧? 我を倒すために、必死で修行したのではなかったのか? それでは、我に〈波紋〉を打ち込むこともままならんぞ」
神原が、冷笑を浮かべていた。
「へ……。まだまだ、これからだぜ」
「フン。いつになったら、『これから』が始まるのかな!?」
ようやく立ち上がった京次に、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が歩み寄る。
それを見た未麗が、歪んだ笑みを浮かべた。
〈スィート・メモリーズ〉が、動いた。
横合いから、京次に襲い掛かる。文明は布を飛ばそうとするが、間に合わない。
スタンドの蹴りをまともに食らい、京次が横壁に叩きつけられた。そこでようやく、布が〈スィート・メモリーズ〉の体を引っかけて後退させる。
「ここまでだな!? 我を相手によく頑張った!」
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の右フックが、京次の頭部目掛けて振り込まれた。
ガツッ!!
砕ける感触が、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の拳に伝わってきた。
苦悶の声が、笠間の口から漏れ出ていた。
「何……!?」
神原は、目を見張った。
〈クリスタル・チャイルド〉が、その肩口で右フックを受け止めていた。
「く……修子さんの特製ニンニク漬け、効いてくれて助かったぜ……。何とか、スタンドを出せた」
笠間は、肩を押さえながら、何とか笑っていた。
最初に〈エナジー・ドレイン〉を受けた後、受け取っていた餞別を、隙を見て口に放り込んでいたのだ。念のため、全員がそれを携帯していた。
「そうか。ニンニクは吸血鬼の弱点だという俗説か? 訪問先で食べるようなものかそれが! 礼節というものを思い知らせてくれる!!」
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の膝蹴りが、〈クリスタル・チャイルド〉に打ち込まれた。笠間の口から、血が吐き出された。
何とか、体勢を立て直した京次に対して、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉は数歩後退した。
「ならば、マントならどうかな!? 首を刎ねてくれる!」
「演ぜよ! 我が〈譜面〉をッ!」
未麗が、4回目の能力を発動させた。
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉のマントも、京次の喉元を斬りつけるべく、翻ったところで止まっている。それを見て、未麗は荒く息をついた。
「笠間……。お前の物体入れ替えは脅威だからね。おとなしくしていれば、死なずにすんだものを。何を自分がするか、もう分かっているでしょう? 面白い趣向だと思わない?」
へたりこんでいた笠間が、まだ萎えている体でゆっくりと立ち上がった。
よろよろと歩きながら、京次の横へと並ぼうとしている。鋭利な切れ味を持つ、マントの裾の軌道上に。
(やめて!!)
動けない愛理が、心の中で叫んだ。
(このままでは笠間さんが、首を落とされてしまう! そんなのは嫌!! こんな残酷な〈譜面〉に、ただ従うしかないの!? あたしたちは……そんな奴隷のような〈演者〉でいたくない!!)
魂からの、彼女の叫びに応じるように。
〈スィート・アンサンブル〉の指揮棒が、わずかに動いた。
笠間が、まだ足を止め切らないうちに。
振り子が、6回目の往復を終えた。マントの裾が、その喉元を抉ろうとした。
「させるかよッ!!」
京次が、〈ダンス・マカブヘアー〉を繰り出し、笠間の喉元に潜り込ませた。
ガガッ……!!
間一髪、〈ダンス・マカブヘアー〉の先端が、マントの裾を食い止めていた。その衝撃で、笠間は京次を巻き込む形で、後ろに跳ね飛ばされた。〈ダンス・マカブヘアー〉は途中で千切れ、空中で消滅した。
「ど……どういうこと!?」
未麗が、まだ生きている笠間を見て、金切り声を上げる。
身を起こしながら、京次は思った。
(危なかったぜ……。笠間があと一歩、いや半歩でも前に出ていたら、ガードしきれなかった! 歩いてくる動きがゆっくりだったのが、幸いしたぜ)
「どこまでも命冥加な奴らよ! だが、それもここまでよ!」
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の爪が、踏み込んでくる京次に伸びた。
が。
それを京次は読んでいた。身を低くして、それを回避しつつ、さらに間合いを詰める。
京次の両手が、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の腕を捉えた。
「む!?」
「〈虎王〉を! 食らわせてやらぁ!!」
京次は床を蹴り、捉えた腕を支点にして、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の首の後ろに右足を回し、そしてフックした。
左足が跳ね上がり、相手の顎を膝で打ち砕こうとした時。
「我に通用すると思うか! そのようなものッ!」
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の腕が、一気に上へと差し上げられた。京次の体を、軽々と持ち上げる。右足のフックは効かなくなり、左足の膝も目標を失った。京次は、ぶらんと相手の手首にぶら下がっていた。
「な……!」
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の腕は、今度は大きく振り降ろされた。京次の体が、タオルでも振り回したように、激しく床に叩きつけられる。
「頭を打ち砕いてくれる!!」
床に仰向けに転がる京次へと、拳が上から叩き落とされた。
バグッ!!
拳が、絨毯敷きの床をへこませた。真下のコンクリートが砕けたのは、間違いなかった。
京次が、その拳のすぐ脇で、口元だけで笑っていた。わずかに残っていた〈ダンス・マカブヘアー〉の切れ端が、頭部を横にずらしていたのだ。
その拳を、またも京次は両手で掴まえた。
「捉えたぜ……!」
「何を!」
拳が上へと引き戻される動き。それを、京次は半ば本能的に利用していた。身を素早く捻りつつ、拳を捉えたまま立ち上がる。そして、相手の力でもって体勢を崩し、手首を支点として回転させる。
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉の巨躯が、グルン! と大きく回転した。
一か月の修行の中で師匠に引き合わされた、合気の達人との組み手で身に着けた動きだった。
ドゥッ!!
今度は、〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が、激しく床に叩きつけられた。
「!?」
神原は、一瞬混乱した。ダメージこそないが、今まで、一度も経験したことのない、激しい回転の感覚。何より、勝利を確信したところからの、予想もしない反撃。
その隙を、京次は見逃さなかった。
本体である神原へと、一気に距離を詰める。
拳を叩き込むために一歩踏み込んだ時、京次の頭に〈譜面〉が流れ込んできた。
(攻撃中止して下がれってか!? るせーよ! その前に攻撃当ててやらぁ!)
まだ、間合いは遠い。
しかし構わず、京次は拳を、神原に対して真っすぐ打ち込んでいった。神原は、左腕を眼前に
差し上げてガードしようとする。
「ズームパンチ!!」
腕の関節が外れ、リーチが伸びる。関節の痛みは〈波紋〉で和らげる。
が、京次の拳は、伸びきるかどうか、というところでピタリと止まった。
「演ぜよ、我が〈譜面〉を!」
未麗の声が、京次の耳に聞こえてきた。
従順に、神原から後ろ歩きで離れていく京次を見て、未麗は内心で安堵した。
(今のはヤバかったわ。当たっていれば、神原といえども一気に〈波紋〉の攻撃を受けて、オシマイになっていた。本当にギリギリだけど、当たる前に止められた)
未麗は、ボールペンを胸元から取り出した。カチッ、と音がして、芯が飛び出る。
(さてと、目でも抉らせてもらおうかしらね。それでも〈波紋〉を使うだけの集中力があるのか、試してあげる。まあどちらにせよ、神原さえいれば、全員物の数ではないけれどね)
そして未麗は、やや身を屈めた京次の前に回り込むと、左手でしっかりと握ったボールペンの芯の先を、目の前に突き付けた。そして右の掌を、ボールペンの尻に当てた。手の甲に、自分の胴を直に当てて固定する。
(振り子は、今5往復目。1秒あれば、コイツの目を潰すのには充分。あのバカ娘にも、〈譜面〉は送り込めたから、今度こそ動けない。邪魔者は、もう誰もいない!)
そして未麗は、自分の体重をかけて、京次の目にボールペンを突きこんでいった。
が。
どうしようもない違和感が、未麗を襲った。
(……え? どうして、こんなにゆっくりとしか動けない!? まるで、見えない壁を押しているような……!)
振り子が、6往復目を終えた。
ボールペンの芯は、やっと京次の目に触れるかどうか、といったところであった。
ガシッ!
〈ノスフェラトゥ・メティシエ〉が、未麗の手首を掴んで、止めていた。
京次は、素早く後ずさっていた。目には、ボールペンは届いていなかった。
「ど……どういうこと!?」
「愚か者め。忌々しい〈肉の芽〉は、先ほど送り込まれた〈波紋〉で霧散した。我の左腕も、無事ではすまなかったがな」
神原の、ぶらんと下げている左腕は、服の下で半分溶けていた。
「さて……言い残すことはあるか? 一応聞いてやろう」
「どうして……!? 何でこのガキの拳は間に合って、私の方は間に合わないのよーッ!!」
「何だと?」
もはや錯乱している未麗は、大声で怒鳴っていた。
「こんな理不尽な話ってある!? そもそも、どうして誰も死なないのよ! 運命を決めるのは、この私! 私が死ねって決めたら、アンタたちは死ぬべきなのよ! アンタたちが死なないのは間違っているッ!!」
白けた眼で、京次が思わず一言口にした。
「何言ってんだ、おめぇ? 思い通りにいかねぇのが闘いだろ」
吠え狂っていた未麗が、次の言葉を失い、口を開いたまま固まった。
誰もが一瞬静まり返った、その時。
「未麗さん。間違っているのはあなたです」
進み出た愛理が、静かに言った。
「あなたには、運命を決める力などないでしょう? あなたの能力はあくまで、『任意の一人の行動を指定できる』だけ。違いますか?」
「だ……だから何よ!? 事実、みんな私の〈譜面〉通りに」
「〈譜面〉だけで曲が完成するなら、数多の演奏家が存在する必要などありません。彼らはみんな、〈譜面〉を超えて、自分の音楽を表現するのです。そこに、音楽の素晴らしさはあるのです」
「な、何を……」
「あたしは、あなたの〈譜面〉を演じる人たちの、テンポを変えました。そうしてタイミングを選べば、曲は全く違うものとなるのです」
「変えたですって!? ア、アンタにそんなことが! 私の能力に介入できるわけが」
「できたんです。なぜなら、あたしは『〈譜面〉を超える』意志を持てたからです」
未麗は、次の言葉を失った。
「あたしは、あなたという〈譜面〉を超えます。そして〈人生〉という曲をより素晴らしく演じてみせます。ここにいる人たちのように。それが、人間の素晴らしさだと思います」
「ぐ……」
心底悔しそうに、未麗は歯を軋らせた。
その時。
突然、オフィス机が、大きな音を立てて横倒しになった。
驚いてそちらを見た全員が目の当たりにしたのは、机を下から跳ね上げたと思われる、その物体だった。
それは、肉色の細長い触手が寄り集まった、巨大な球形の物体だった。その周りには、元はキャビネットだったと思われる木片が飛び散っていた。
異様な蠢きを見せる物体のすぐ横にいたのは、スタンドを傍にした、無表情な操であった。