〈スィート・ドリーム〉から、触手の束を腕に見立てたかのような、大振りの攻撃が斜め右上から、京次に叩き込まれようとした。
京次は左にステップしてこれをかわすが、また別の束がまた右上から来る。
これを京次は後ろに下がって回避したが、相手の攻撃を奇妙に感じていた。
(コイツ、右からばっかり攻撃してくるな? 俺を左に寄せたいらしいな。航希には、左から攻撃してるっぽい。俺と航希を、一か所に集めてからの同時攻撃か?)
分かってはいるのだが、意外と間断ない連続攻撃にさらされていては、簡単には相手の意図とは逆の方向には動けない。かと言って、触手の腕が伸びる元となる球体に近寄ろうとすると、そちらの方向へと、ストレートやジャブのような攻撃が繰り出されて、足を阻まれる。攻撃を受けるにも、こちらの動きが止まりやすくなる上に、〈波紋〉で瞬時に、触手の束を消せるわけでもない。ジリジリと、二人は立ち位置が近づきつつあった。
何度目かの、後ろへの回避をした時。
トン、と京次の背中が壁に触れた。
(言葉通り、後がないってやつだな。いよいよ、〈波紋〉攻撃の連打で無理攻めしかねぇか? だが実のところ、結構息が切れ始めてる。〈波紋〉で一気に仕留められなかったら、手詰まりでアウト……う!?)
激しくなった腕の連打が、一瞬切れたかと思った時。
突然、未麗の体が、触手の密集した所を擦り抜けて、横から飛び出してきた。まるでジャイアントスイングのように、京次の腰の高さで。
未麗の頭部が壁に叩きつけられ、鈍い音を立てるが、それでもお構いなしだ。未麗の体が腰の所で曲がり、壁を擦り付けながら、京次に叩きつけられる。リーチが伸びた上、予想もしない攻撃だったこともあり、京次は意表を突かれた。かろうじて正面から受け止めたものの、未麗の体の重さに押され、部屋の角へとさらに後退させられた。
(野郎のママだかじゃねぇのかよ!? まるでモノ扱いじゃねぇか。航希は……ッ!?)
その航希は、未麗の体による京次への攻撃の直前、触手の束を後退で回避して、部屋の角まで下がっていた。瞬発力を生かして〈スィート・ドリーム〉の背面まで駆け抜けようと考えていたのだ。
(一か八かだ! 触手の攻撃をかわしきって、背後に回り込めば、操がいるはず。一瞬でも触れられれば、操を解放できる!)
そして、ダッシュを敢行しようとした時であった。
一瞬開いたように見えたその行く手に、遮る物が飛び出してきた。
(机!?)
部屋に入った時に、未麗の前に置かれていた机の一つ。それが、天板を航希の側に向けて、滑らせるように一気に押し出されてきた。机と床との接地面に、触手の一部が入り込んでいて、摩擦を軽減していた。
これから突貫しようとしていた方向からの、机の急接近。航希は避けきれず、部屋の角へと机に押し返された。京次が部屋の角に下がらされたのも、ほぼ同時だった。
「ぐッ!?」
「うあッ!」
机は、そのままの勢いで、航希と京次をまとめて、部屋の壁へと押し付けた。航希は、部屋の角に押さえ込まれた。京次は横に逃げようとしていたが、未麗の体が邪魔となり、机に挟まれてしまった。未麗の体は、机が突っ込んできた時に、その角で弾かれて投げ出された。
机の反対側から、強い圧力がかけられ、ギシギシときしむ音がする。京次と航希、二人がかりでも跳ね返しきれないほどの力だ。
(〈波紋〉は!? 机を伝わってねぇのかよ!)
悪いことに、京次たちに直接触れている天板は、樹脂製だった。樹脂は、人体や金属に比べて、波紋の伝達率が悪い。わずかに伝わった〈波紋〉は、机を押し込んでいる触手を溶かしてはいるのだが、次々に新たな触手が送り込まれているため、わずかに圧力を軽減しているに過ぎなかった。
「くそッ! 離しやがれ!」
京次は、天板を拳で何度も殴った。しかし、縦になった天板の縁を殴る形にならざるを得ない。さすがに、いくら殴っても割れる様子は全くなかった。
『どう? 動きたくても動けないって、なかなか辛いだろ? だけどね、僕はずっとそうだったんだ。太陽の下にも出られないみたいだしね。思うように身動きできないなら、せめて代わりに動ける人間が欲しくなるのは当たり前だろう?』
「だからって、俺たちがおめぇの下僕にされる謂れはねぇぜ!」
『そうかい? なら死ぬんだね。君たちの能力は惜しいけど、仕方ない。君は特に、生かしておけば脅威になるだろうからね』
「ヘッ。分かってるじゃねぇか。寝たきり野郎の割にはよ」
『言い忘れてたけど。僕、天才なんだよね。見聞きするだけで、いろんなことが理解できる。経験なんて泥臭いことは、僕には必要ないのさ!』
触手の束の一つが、スウッと持ち上げられた。その束を構成する触手の先端は、操られていた人間に張り付いていた、蜘蛛のような殻に覆われていた。そこから同じ材質の管が伸びて、途中で〈肉の芽〉の細長い触手に変化していた。
『この先っぽの部分は太陽も平気だから、〈波紋〉も通らないよね、きっと。強度もそれなりにあるし、これを一度に叩き込めば、君たちどうなるのかなぁ?』
京次も航希も、押さえ込まれて動きが取れないながらも、じっと触手を睨んでいる。
『おー怖い怖い。それじゃ行くよー。どちらにしようかなぁ?』
嬲るような声音と共に、触手の先端の向きが、交互に二人を指す。
『僕という王様のー、い、う、と、おりッ!!』
最後の二文字をわざと続け様に言い、触手が少し反り返ると、その先端が散弾のようにバラけて、航希に一斉に襲い掛かった。
大雨が地面で立てるような、激しい連続音が鳴り響いた。
「……何ッ!?」
聖也が、驚いていた。
航希は、上を向いていた引き出しの一つを咄嗟に引っ張り出し、盾として掲げていた。引き出しの表面には、無数の陥没した跡が残されていた。
「引き出し、って知らなかったかな? 見聞きしてるものが、偏ってるんじゃあない?」
『だ、黙れ! もう一度』
「あれれ? 震えてるけど?」
『そんなことはない! 声なんか震えていない! お前みたいな、僕に押さえ込まれて、身動きもできないヤツに!』
「震えてる、ってのは。お前の声のことじゃないんだけど。よっく見なよ。……っていうか、お前って、目で見るのかもよく分からないけど」
航希の言う通り、震えているのは、聖也の声ではなかった。
机の天板が、振動していたのだ。それも、時間が経つほど、激しさを増していく。
「こっちも言い忘れてたけどよ。俺は〈波紋〉の他に〈振動〉を操れんだよ。机を殴ってたのは、壊すためじゃねぇ。〈振動〉を送り込むためだ!」
京次の体を押さえ込んでいた机は、今や工業用のバイブレーター並みの振動を引き起こしていた。触手で押さえ込もうとしても、振動のためにうまくいかなくなっていた。そして京次の体は、机の振動によってズレやすくなっていた。
ズボッ! と、京次の体が、机と壁の間から抜けた。押さえられていた机は、京次が抜けたことによって、そちら側の角が壁に叩きつけられた。机そのものが傾き、航希の側が斜めに少しだけ広くなった。
航希は、部屋の角との間にわずかに生じた隙間に、手にした引き出しを無理やり突っ込んだ。それがつっかえ棒代わりとなり、机ではそれ以上押さえ込むことができなくなった。
ピタリ、と振動が止まった。京次が停止させたのだ。
航希は、振動がなくなって安定した、机の縁に足をかけた。もう一方の足も、抜き出そうとしている。
『出させると思うな!』
再び、触手の束の先端が、まだ足を抜ききっていない航希に向けられた。
「邪魔ァッ!!」
机の前に回り込んだ京次が、手刀で触手の束を斬った。太い束が一撃で切断され、床に落ちて朽ちていく。
だが聖也は、さらに別の触手の束を繰り出した。今度は京次を大きく迂回するように、1組は頭上、もう1組は左から横殴りに。
「甘ぇんだよ!」
京次の足が、不可視の踏み台を次々と蹴り上げた。体が空中を真っすぐ駆けあがると、頭上の触手をまたも手刀で切断した。
「もう一つ言い忘れてたがな。俺は空中に〈足場〉を作れる。高さは俺にゃ、アドバンテージにはならねぇぜ!」
『あ、後出しジャンケンにも程があるだろ!? だけどまだ!』
横殴りの触手がすでに、航希に襲い掛かっていった。
ガコッ!! と音を立てて、部屋の角の壁を、触手の束が打ち込まれた。
「はい外れ~。残念!」
聖也がハッと気づいた時、湾曲して伸ばされた触手の、ちょうど曲がり際のところの上に、航希は身軽に飛び乗っていた。〈サイレント・ゲイル〉のスケートボードを装着した姿で。
航希は、ボードで滑走し始めた。触手の束の上を。
触手の束は、さらに多くの触手が寄り集まった、肉球から伸ばされていた。その真上から2本の触手が伸び、それぞれ眼球がくっついているのが見えた。それが、聖也本人のものであることを、航希は直感していた。
肉球の向こう側に、スタンドを出したままの操が立っていた。
航希は、スケートボードを瞬時にトンファーに切り替え、操のいる側に着地した。操は予期していなかったらしく、慌てたように航希から遠ざかろうとする。
「操!!」
航希が、彼女に一歩足を踏み出した。その前に、触手が伸びて行く手を遮る。
トンファーが、触手を瞬時に打ち据え、切り飛ばした。
操はさらに後ろに下がる。航希が、歩を進めようとした。
『させるか!』
横合いから、航希の前に机が突き出された。先ほどの机の隣に置かれていた、もう一つの机だった。
航希は、机に飛び乗った。そこから天板を蹴りつけ、前へと飛び込み、身を投げ出していった。
思い切り伸ばした航希の指先が、下がろうとしていた操の頬を撫でた。
〈波紋〉が、操の身体に流れ込んだ。張り付いていた〈肉の芽〉が、剥がれて落ちる。
「航希!!」
正気に戻った操が、手を差し出して駆け寄ろうとした。床に倒れ伏した航希も、起き上がって手を伸ばそうとする。
が、二人の手が、あと少しというところで届かない。触手が彼女の身体を押しとどめ、後ろに下がらせていく。
操の泣きそうな顔と、伸ばされた腕だけが、触手の間にできた穴から見えていた。
またも、別の〈肉の芽〉が操に張り付き、操ろうとしていた。
(ダメなのか!? 最後のチャンスだったかもしれないのに……!)
京次の〈波紋〉も、疲弊してきているのを、航希は感じていた。京次が力尽きれば、もはや操を取り戻すことは不可能だった。
それでも、諦めきれずに、航希は床を蹴り、触手に囲まれようとしていた操に手を思い切り伸ばした。
フッ……と、航希の眼前に〈ファントム・ペイン〉が現れた。
(操に斬られるなら、それでもいい!)
航希は、半ば覚悟を決めた。
〈ファントム・ペイン〉の剣が、閃いた。
切り離されたのは、航希へと伸ばされた、操の手。
「!」
操の手は、真っすぐに航希の前へと飛んだ。
それを、航希はしっかりと握りしめた。
手から、内部的につながっている操の身体に、〈波紋〉が流された。張り付こうとしていた〈肉の芽〉は剥がれ落ち、彼女を取り巻いていた触手も、触ることもできなくなった。
「〈ファントム・ペイン〉、元通りにして! 手の方に! 航希のところに!!」
ズボッ! と、操の身体が、触手の穴を突き破るように飛び出した。瞬間的に、操の身体は手と結合し、航希の腕の中に飛び込んでいった。
『か、返せ! それは僕の大事な』
「黙れ!!」
聖也が、航希の気迫に押されて、口を噤んだ。
「操は、もう渡さないッ!!」
航希は、しっかりと操を抱きしめて、腹の底から叫んだ。
操は、じっと航希の目を見つめると、航希の首に手を回して引き寄せた。
彼女の唇が、航希のそれと重ね合わされた。
『な……!』
聖也は、二人の行為が何を意味しているのか、実のところ分からなかった。ただ、言いようのない敗北の悔しさに襲われていた。
「あ……」
航希は、操の唇が離れると、照れくささを掻き消すように呼びかけた。
「京ヤン! 操を確保した!」
「よしッ! 上に先に行け。俺は、コイツを片づけていくぜ」
〈スィート・ドリーム〉の向こう側から返事が聞こえた時、航希は思い出した。
「コイツ、肉球の中に、多分頭部があるよ! 目玉が中から出てきて、こっちを見てた。目玉があるなら、頭部もあるはずだ!」
「そりゃ朗報だ! 考えてみりゃ、スタンドで〈肉の芽〉操るんなら、脳は必要だろうからな!」
聖也は、この会話を聞いて、頭の血の気が引く思いだった。身体の他の部分は全て〈肉の芽〉で置き換えたのだが、脳とそれを守る頭部だけは、ほとんど人間のままで残していたのだ。
航希と操は、必要以上にベッタリ張り付いたまま、階段に向かった。〈波紋〉が流れて続けている二人に、もはや〈スィート・ドリーム〉は何もできなかった。
「操。ビリビリするだろ? きつくない?」
「大丈夫。航希と、一緒だから……」
二人の後ろ姿をチラリと見た京次は、思い当たることがあって、ニヤリと笑った。
「さて。始めっかぁ! 万が一にも、操を巻き込まねぇように手加減してたが、こっからは思い切りいかせてもらうぜ!」
肉球へと歩み寄る京次に、触手が前を塞ごうとする。
「無駄な抵抗してんじゃねぇ! 邪魔だ! 〈
拳の連打が、触手の束を次々と打ち据えた。みるみるうちに触手が千切れ、枯れていく。肉球に至ってもなお、連打がそれを削っていく。
そして、ついに聖也の顔が露出した。神経質そうな、細面の青白い顔だった。
「邪魔ァッ!!」
最後の一撃を、聖也は残された触手で、必死でガードした。
が。
拳の命中した触手が、変化しない。色も変わらず、千切れもしない。
京次は、荒い息の中で、呟いた。
「くそ……。〈波紋〉が。切れやがった……」
『あ……はははははッ!』
聖也は、触手越しでも充分痛んだ顔を引きつらせて、甲高い声で笑った。
『残念だったねえ!! もう少しで、僕を完全に倒せたのに。それじゃ、お前を支配させてもらおうか。お前のおかげで、操も神原も失ったんだからな!』
「へ……そうかよ」
京次は、なおも笑っていた。
「なら、もう一勝負と行くか……。おめぇに、〈波紋〉なしで拳を叩き込む。それでおめぇの頭ブチ砕ければ、俺の勝ち。その前に……おめぇが俺を操れれば、俺の負けだ」
『む、無駄なことはやめろ! おとなしく僕に仕えればいいものを!』
「生憎だがな……。俺は、こういう勝負、嫌いじゃねぇんだよ。それじゃ、行くぜ!」
京次が、構えた。
聖也は、恐怖に怯えながらも、〈肉の芽〉を京次に張り付けた。触手で、顔面を必死で覆う。
「邪魔ッ!!」
鋭く重い右フックが、聖也の側頭部に食い込んだ。
聖也が白目になり、〈肉の芽〉が、京次の身体から剥がれた。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」
次々と食い込む拳に、聖也の顔面が、頭部が破壊されていく。
「邪魔ァーッッ!!」
最後の一撃が、聖也の頭蓋骨を打ち砕いた。
肉球を構成する触手が、みるみる黒ずんでいった。勝手にボロボロに千切れ、肉球が崩れていく。
そして触手が全て、完全に動かなくなった。
大きく息をつきながら、京次は言った。
「やっぱり、おめぇは弱ぇなあ……。強い弱いは、顔面ブン殴ってみりゃ、分かんだよ。どんなスゲェ体してようが、デカい口叩こうが……。弱いヤツは、それだけでもうダメになりやがる」
背を伸ばして、京次は付け加えた。
「俺の仲間にゃ、そんなヘタレは、一人だっていやしねぇぜ」