航希は、地下室へ通じる階段の手前で、印を結んでいた。
すでに、航希だけではなく、京次や笠間らといった、体にダメージを負っている者には治療が施されつつあった。外傷には強化薬草を用いた軟膏、深い傷にはユリの〈エロティクス〉も併用し、遥音が癒しの歌をずっと歌い続けている。体力の消耗が激しい京次は、強化ニンニクも口にしていた。
文明は、今も明かりの灯る地下室をじっと睨んでいる。スタンドは、ずっと出したままの臨戦態勢。〈サイレント・ゲイル〉ミニマムモードによる最終確認が取れるまでは、気を抜くつもりはなかった。
その〈サイレント・ゲイル〉を送り込んでいる航希の横にいるのは、操であった。先ほどまで皆に謝りまくっていたのだが、今は不服そうな目で笠間を睨んでいる。当の笠間は、素知らぬ顔だ。
(やれやれ。あのコも、航希くんと急接近したかと思えば、ベッタベタじゃないの。私が航希くんに〈エロティクス〉使って治してたら、嫌そうな顔してたし。露骨にヤキモチ焼かないでよね~もう!)
ユリは、内心で多少呆れていた。
(ま、笠間さんがハードワーク強いるからってこともあるけれどさ。京次くんが、キッチリしとめたって言ってるんだからイイじゃないのよ。慎重にも程がなくない? 私、もうとっとと帰りたいんですけど~)
一方、文明は笠間の真意に気づいていた。
(京次くんは、上に戻ってくる少し前に、〈波紋〉が途切れた。それは、僕も笠間に伝えている。京次くんが操られていて、地下室ではまだあの〈肉の芽〉の怪物が健在。そういう可能性もあると思ってるんだ。それに、まだ地下にいるはずの未麗がどうなってるのかも気になる)
文明がスタンドを出し続けているのも、そのためだった。
(もし京次くんが操られていて、仲間に攻撃を仕掛けてきたら。彼を、何としても止めなきゃならない。だけど……できるだろうか? 今の京次くんは、以前よりはるかに強い。彼には〈ハースニール〉は絶対に使いたくないし、まともに食らうほど甘くはないだろう。確実に押さえ込める自信はない……)
それでも、文明が頭の中で密かに、京次へどう対処するかを考えあぐねていると。
地下室から、極小の影が、高速で飛び出してきた。
航希が、閉じていた目を開き、印をほどいた。
「確認終了! 聖也も未麗も、完全にノックダウンしてる。勝利確定だッ!!」
その場にいた者たちの間から、歓声が上がった。
ただ、笠間はなおも冷静に尋ねた。
「聖也は、どうなってた?」
「あんまり女の子たちの前で言いたくないんだけどさー。何て言うか、大量のミミズの死体の中に、熟れて潰れたスイカが転がってるって感じ? ピクリとも動かないよ」
「そうか……。未麗はどうなんだ」
「後頭部が、完全に砕けてたよ。触手に振り回されて、頭から壁に思い切り叩きつけられてたから。脳挫傷は間違いないね。脈も全くナシ」
「分かった。疲れてるところ、ご苦労だった」
笠間は、全員を見渡して述べた。
「服部の言うとおり、俺たちの勝利だ! もう敵は誰もいない」
もう一度歓声のあがる中、文明はようやくスタンドを消して、ため息をついた。
「警戒お疲れだな? 俺が操られてる可能性もあったわけだからな」
京次が、ニヤニヤ笑いながらそう言ってきた。
「あ、いや! そういうことじゃ」
「隠すなって。本調子ならおめぇとヤッても良かったんだけどな。だけど、えらく邪魔が入りそうだからなぁ~」
「僕は本ッ当に勘弁してほしい……。勝てると思えないし」
「よく言うぜ。おめぇ、頭ん中で、どうやって俺と戦うか想像してただろ、絶対! っていうか、そこに参戦させろや。ホンマモンの俺をよ~!」
「だからそれはやめてくれって!」
京次と文明がじゃれ合っているところへ、笠間が呼びかけた。
「おい、そこのお前ら。サッサと移動するぞ」
「え? ああ、温室の前?」
「さっきも説明した通り、藤松が家に戻ったら、あそこの扉と自分の家をつながるようにして、連絡くれるはずなんだ。そしたら、扉くぐれば藤松の家。そこから俺たちの町まで直行だ」
「そういえば……神原先生と、明日見くんは?」
妙に人数が少ないので、気になった文明はメンバーを確認していた。
「あの二人は、別荘を一回りしてくると言ってたぞ。気になることがあるらしいな。終わったら、アイツらも温室前に来るようにLINEしておく」
「あ~あ、もうどうでもいいじゃない! 早く帰りたいですぅ~」
ユリがうんざりした表情をしながら、温室へと歩き出した。他の者たちも、ぞろぞろ動き出した。
笠間と並んで歩きながら、愛理が問いかけた。
「肩の具合は、いかかですか? かなりの打撃を受けていたはずですが」
「え? ああ。一瞬、すごい衝撃があったんだが。全然今は痛みはないよ。打ち所が良かったのか、遥音の歌を聴いてるうちに治ってったのか知らないがな」
「そう、ですか。それは何よりです」
返事をしながら、愛理はなおも気になっていた。
(見間違いじゃない。〈クリスタル・チャイルド〉の、攻撃を受けた肩口は、完全に砕けていた。何だろう? あの、砕けたところから覗いていた、赤いものは……)
そして、地下室前に誰もいなくなってから。
物陰から、一人の姿が現れた。
それは、狂気に満ちた笑顔を浮かべた、亜貴恵であった。
彼女の腕と足は、拷問で破壊された元のものではなかった。そのいずれも、毛皮をまとった外骨格に包まれた、フレミングのそれと入れ替わっていた。
亜貴恵はゆっくりと、地下室への階段を降りていった。
青空の下、一同は温室の前で待ち続けていた。
「ね~、まだ~?」
ユリが、座り込んで笠間に問いかけていた。
「俺を急かされても困るって。まだ藤松が、家についてないんだろう。奥さんが一緒だし、歩いて戻るって言ってたからな。それに、神原たちもまだ戻ってない」
「……っていうか、出てきたみたいよ。コッチに歩いてきてるじゃん。お~い早く~!」
二人が見えたが、笠間は妙な雰囲気を感じた。
(どちらも、腑に落ちないといった顔だ。しかも、いやに速足でコッチに来る。どういうことだ……?)
ようやく、温室前まで辿り着いた二人に、笠間は声をかけた。
「どうかしたのか?」
「いや……」
神原は、傍らの明日見に目をやった。明日見が、話し始める。
「亜貴恵が、いないのよ」
「亜貴恵だと?」
笠間はその時、ようやく存在を思い出した。
「亜貴恵は、あの別荘の一室で、拷問を受けていたのよ。未麗の仕業なのは間違いないけど……。その部屋は見つかったんだけど、拷問装置は破壊されてて、亜貴恵はいなくなってた。あの手足じゃ、自力で動けるとは思えないし。誰かに解放されたとしか」
「誰か、だと? しかし、未麗の手下が手を貸すわけはないしな。亜貴恵に従うヤツがいたなら、そもそも亜貴恵はそんな目にはあってない」
「それと、だ」
今度は、神原が話し始めた。
「別の部屋で、男が殺されていた。見たところ、首筋から頸動脈を抉られている。刃物ではないな。言ってみれば……猛獣の爪にでも、掻き破られたという様子だった。しかも、頭部を破壊されて、脳が抉られている」
「猛獣!?」
笠間の中で、嫌な予感が頭をもたげ始めていた。
「というと……まさか」
笠間は、玄関の近くに放置されている、フレミングの亡骸の方を見た。
その呼吸が、一瞬止まった。
フレミングの亡骸の側に座り込み、その首根っこを膝に抱いていたのは、亜貴恵であった。
亜貴恵の、猛獣のような鋭い爪が、フレミングの頭部に突き立てられた。
「みんな!! 亜貴恵だ。なんかヤバイ! 戦闘準備しろ!!」
その叫びに、全員が顔色を変えて、笠間の示す方向を見た。
亜貴恵は全く構わず、フレミングの頭部から脳を抉り取ると、大きく口を開けてそれを押し込み、咀嚼し始めた。あまりにもおぞましい光景に、女子はもちろん、全員の顔が強張っていた。
そして、亜貴恵の喉が、ゴクリと口の中身を飲み込んだ時。
亜貴恵の全身が、内側から弾けた。内部から、手足と同様の外骨格が露出し、しかもみるみるうちに巨大となっていく。手足も、長く太く、そして全く違うものに変形していった。
「何ということだ……」
神原は、戦慄していた。
(まるで、亜貴恵の肥大したエゴを、体現したようだ)
胴体が、トカゲのような肉食獣の形となっていった。手足、というより、四つ足も同様で、前足には鋭い爪が剥き出しとなっている。尻尾は長く伸び、強靭なムチを思わせる。そして背中の中央には、棘がズラリと並び、それを挟むように、2列6個の円形の時計が並べられている。
亜貴恵の顔の真下が突き出し、狼のような口が出現した。開かれた口からは、牙が生えそろっている。さらにその真下の首の付け根には、透明なケースに入った柱時計の振り子が見えていた。
亜貴恵の顔は、狼の口の上に、瘤のように突き出た。その瘤の側面には、右に聖也、左に未麗の顔が現れている。後方には、フレミングの眼鼻と、小さな口が突き出てきていた。4つの顔と顔の間には、大きな角が直立し、顔を斜めからガードしているようであった。
神原は、青ざめながら、その異形の姿を見ていた。
(未麗と聖也まで、吸収したのか! すると……もしや地下室で、己の子供たちの脳を……! 『ヘドが出る』という表現を、ここまで実感したことは、ただの一度もなかった!)
いつしか、亜貴恵であったその怪物は、全長10メートルにも届こうという姿となっていた。
肉体の変貌が終わると、亜貴恵は辺り一面に響こうという大声で、哄笑しだした。
「アァハハハハハ……!! 最高よぅ、この姿! どう? これが、たった今発現した、あたしのスタンド! 〈スィート・バイキング〉さ!!」
「ちょ、ちょっと、外……!」
ユリが指さした、柵の外では、ジェットコースターが高速で動いていた。どうやら、別荘の周りを完全に囲むように走っているらしかった。
「逃がさないってことさ! 親を裏切っておいて、ロクに演奏もさせられない、うちのヘボ娘がずいぶん世話になったみたいだからねぇ!」
「何ですってぇ!? 猛毒親の分際で、どの口が言ってるのよ!」
「黙りなよヘボ作曲家、あたしが喋ってるんだ! もう、アンタの能力は、あたしのものになってるんだ。そこの、日当たりの悪いところでしか生育できないヒョロヒョロ小僧のもね!」
「口を慎めよクソババア! 世界の王に対する言葉遣いを知らないのかい!?」
「お前も黙れモヤシが! とにかく、そこの奴ら全員食って、あたしの能力に変えてやるんだよ。おいコラ、そこの貴様ら覚悟しな!!」
一部始終を聞いていた明日見は、一言言った。
「世界で一番醜い親子喧嘩だわ……いろんな意味で」
「全員散れ! 一か所に集まってるのはマズイ!」
笠間の叫びに、ハッと我に返った全員が、柵に沿って右と左の、二手に割れて駆け出した。
それを〈スィート・バイキング〉は、上に長く首を伸ばしながら眺めている。
「さてと、まずは……。お前だ、間庭愛理! だんだん、あの女に似てきてるねぇ。気に入らないんだよ!!」
〈スィート・バイキング〉が、地を駆け始めた。巨体に似つかわしくない、異様なダッシュ力だ。
その悪夢のような情景に、愛理は思わず、恐怖のあまり足が止まってしまった。左右どちらに逃げればいいのか、分からなくなってしまったのだ。
「愛理!!」
笠間が、叫んだ。
怪物が、愛理に肉薄すると、大きな牙で愛理の頭上から食らいついていった。
「笠間さん!?」
愛理は、怪物から離れたところにいる自分に気づき、愕然とした。
笠間の体が、〈スィート・バイキング〉の牙にかかり、高々と持ち上げられていた。一瞬前に、〈クリスタル・チャイルド〉で愛理と自分を入れ替えていたのだ。
無情にも、顎が閉じた。
笠間の体は、牙に両断された。鮮血を迸らせながら、下半身と首だけが地面に落ちた。
もはや何も映っていないのが明らかな瞳が、愛理の方に向けられていた。
「いやぁぁぁぁぁーーッッ!!」
愛理が、悲痛な叫びをあげた。
亜貴恵は、咀嚼音を立てる牙の真上で、満足そうに愛理の叫び声を聞いていた。
「ンッン~。い~い声立てるじゃないのさ? だが安心おし。次はお前だからさ!」
ベッ! と、笠間の体の残骸が、牙の並んだ口から吐き出された。すでに動かない下半身の周りに、肉塊がブチ撒けられる。
「今度は僕がやるよ!」
「好きにしな」
素っ気ない亜貴恵に代わり、聖也が爛々と目を光らせた。
〈スィート・バイキング〉の背中の棘が、一斉に飛び出した。棘にはワイヤーがつながっており、背中に続いている。ワイヤーをくねらせながら、棘は愛理へと向かっていった。
「〈ハースニール〉!!」
文明が、スタンドの両腕を前に突き出し、空中を飛来する棘へと突風を放った。二筋の突風の間に真空刃が発現し、ワイヤーを切断していく。
が、一本だけ切れなかった。それにつながる棘が、さらに愛理に迫る。
「やらせない!」
明日見が、愛理へと駆け寄っていた。〈パラディンズ・シャイン〉の槍が、七節に分離して目一杯伸びて、愛理の目前で棘を弾いた。
「今度は私がご挨拶してあげるわ!」
怪物の背中の時計が、1個浮き上がった。30センチほどの薄い円盤が側面を向けて、明日見に飛来する。
伸びきった槍は、引き付けきれなかった。スマホでのテレポートも、間に合わない。
時計が明日見の首を、撥ね飛ばした。首が地面に落ち、夥しい血を噴き出させながら、体が倒れこんでいった。
「きっ……貴様ぁぁーーッ!!」
文明の憤怒の声が、庭に響き渡った。