「え?女テニにもランキング戦があるの?」
「うん、次からは私たち一年生も出られるんだ!」
青春学園のテニス部には校内ランキング戦と呼ばれるリーグ戦がある。各リーグの上位二名がレギュラーとして公式戦に挑めるという点は男女共に変わらない伝統らしい。そんな説明を朋香は終業式の日に桜乃から聞いていた。
「次の大会は春休みの新人戦なの、今までの大会は二、三年生中心だったけど三年生はもう卒業するし…一年生が出るのも珍しい話じゃないらしくて…」
しかし、青春学園のテニス部と言えば男子に劣らず女子も関東大会常連の強豪校である。一年生は全員ランキング戦に出られるというわけではないらしい。実力はもちろん、日頃の練習態度や学校生活の様子も考えて選抜されるのだ。
「ふーん…だからそんなに練習してるってわけね?」
「うん!」
桜乃の両手にできたマメを見逃す朋香ではない。小さい頃から親友だった内気な女の子が、そこまでして情熱を傾けているのだから応援せずにはいられない。
「じゃあ私応援に行くわ!団扇とかタオルも作ってもっていく!」
「え!?そ、そんなのいいよぉ!」
半分冗談で、けれど気持ちは本物だった。優しくて、いつも誰かのために動いてしまうような親友が、自分からテニスをしたいと言った時には驚いたものだ。その親友の晴れの舞台を応援しないわけにはいかないだろう。
「来年は男子に続いて女子も全国制覇ね!桜乃、女テニのスーパールーキーになっちゃいなさい!」
「と、朋ちゃぁん…」
過度な期待をかけられて涙目になっている親友を横目に、朋香は早速応援に使う団扇のデザインを考えていた。
「ちょっと!もう一回言ってみなさいよ!」
「ぐえ!?」
「ちょっ!?」
「小坂田さん!止めて!」
朋香が堀尾の胸ぐらを掴んで怒鳴ったのはそれから三日後のことだった。いつもは朗らかな朋香の表情は怒り狂っていると言っても過言ではないほど鬼気迫っていた。
「うぅ…ほ、本当のこと…言った…だけ…」
「何ですって!?」
「ちょっと!堀尾君も余計なこと言わないで!」
カチローとカツオが必死になって二人を引き離す。そもそも発端は堀尾が漏らした一言なのだ。
「何だよ!『今回は竜崎さん厳しそうだな』って言っただけじゃねえか!」
「それが余計な一言だって言ってんのよ!」
昼休み、朋香が桜乃の応援について話している時に、堀尾が言ったこの一言のせいで教室は殺伐とした雰囲気になってしまった。
「何よ!あんた、桜乃がどれだけ努力してるか知らないくせに!」
「お前こそ普通に考えてテニス始めて一年経ってないやつが、レギュラーになれると思ってんのかよ!?」
「そんなのやってみないとわからないじゃない!」
親友である桜乃を貶されることが朋香はとにかく腹立たしかった。元々の相性の悪さも相まって周りを巻き込む大喧嘩に発展してしまったのだ。
「…なら今日の放課後、女テニ覗いてみろよ」
「あんたに言われなくたってそうするわよ!私は桜乃の応援で忙しいんだから!」
元々今日は弟たちの世話をしなくてもよい日だったので応援に行くと決めていた。ファンを公言しているリョーマと同じくらい桜乃のことを真剣に応援する気だった朋香はそのつもりでスケジュールを組んでいるのだ。
「…え?うそ…」
その日の放課後、朋香が見たのは先輩相手に一ポイントも取ることができずにストレートで敗れる桜乃の姿だった。
「なんで…?どうして…?あんなに練習したのに…ラリーだってできてるのに…」
「練習するのなんて当たり前なんだよ」
誰にも聞かれていないと思っていた独り言に反応され、驚いて振り向くとそこには堀尾の姿があった。
「あんた!また悪口を…」
「悪口なんかじゃねえよ。事実を言ってるだけだ」
「っ…」
おちゃらけたいつもの雰囲気とは違う真剣な声と表情に思わず黙らされる。
「誰だって勝ちたいんだよ。練習する?ラリーが続く?そんなの当たり前だろ。それができてようやくスタートラインなんだよ」
「でも…桜乃は努力して…」
「あぁ、そうだろうな。最初は何もできなかったんだろ?それがラリーができるようになって、サーブやスマッシュもできるようになった。元々運動が苦手そうなのに大したもんだよ」
そこまで言って、堀尾は静かに目を閉じる。まるで朋香だけにではなく、自分にも言い聞かせるように。
「…でも、それだけだ。世の中にはもっと長い時間、もっと凄い練習をしてるやつらがいる。だから勝てない。それだけだ」
「そんな言い方…」
「…二年やっても勝てないんだぜ?」
「!?」
堀尾が言っているのは自分自身のことだった。もちろん、春の新人戦は男子にも存在する。一年生が参加できる条件も同じだ。けれど、大会の時期が女子と比べて少し早いので男子のランキング戦はもう終わっているのだ。
「三年の先輩たちが居なくなった…越前も居ない…そうなったら枠は七つも空いていた。なのに、俺はそのどれにも入れなかった」
「…」
現実の非情さは、誰よりもプレイしている本人たちが一番わかっているのだろう。むしろプレイをしたことのない朋香は自分がわかったふりをしてはいけない領域だと感じた。
「そんなもんなんだよ。越前が異常なんだ。あいつは天才のスーパールーキーだったんだよ」
まあ俺も次は入れるように頑張るさ、と何でもなかったかのように呟いて堀尾は去って行った。
「…桜乃」
無理なのだろうか。あんなに頑張って、寝る間も惜しんで練習をしていたのに。憧れの人に少しでも近づこうと努力しているのに。無理な話だったのだろうか。無茶だったのだろうか。
「何?あんなこと言われたくらいで諦めんの?」
「だって、それはテニスをしてるアイツの方が私より…って…え?」
ふいに声が聞こえた。その声は夏までは幾度となく聞いた声だ。けれど、ここにいるはずのない人の声だった。
「ふーん、アンタが先に諦めるんだ…でも見てよ、竜崎は諦めてないみたいだよ?」
「え?」
そう言われて朋香は初めて桜乃の顔を見た。悔しそうに口を結んでいる。目には涙を浮かべて今にも泣きそうだ。けれど…諦めてはいなかった。
「選手よりも先に諦める応援団長がいるの?」
(ああ、この人は本当に私に勇気をくれる人だ…)
応援をしていたのは自分だけれど、ファンクラブの会長を自称していたのも自分だけれど、だけどその実いつだって勇気をくれていたのは彼なのだ。いつだって、誰よりも小さな体で、自分よりも大きな相手に戦いを挑んでいた彼はどんなピンチだって諦めたりはしなかったはずだ。
「もう少し自分に自信もちなよ、その声、よく響くんだからさ」
「リョーマ様…」
その日、朋香は思い出した。だから自分は彼のファンになったのだと。