彼こそがテニスの王子様   作:雑食オタク

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お守り

「はぁ…いよいよ今日ね…」

「朋ちゃん、緊張しすぎだよ…」

 女テニランキング戦を控え、朋香はその日の朝からそわそわと落ち着かない様子だった。

「だって今日で決まるのよ!というかなんで桜乃はそんなに落ち着いてるのよ!」

 実際に試合をするのは桜乃の方なのに、自分ばかりが緊張しているのが不思議で朋香は問いただす。

「…緊張してもしなくても一緒だよ…今までの成果を出すだけだもん」

「…そう」

 いつのまにか親友が随分と遠いところまで行ってしまったような気がする。そこまでの覚悟を持って挑んでいるならば自分が狼狽るのは失礼だ。

「わかったわ、私は委員会があるから少し遅れていくけど、絶対に勝ちなさいよね!」

「うん!朋ちゃん、ありがとう!」

 自分にできることは限られている。だからこそ、全力で応援する。そう決意して、朋香は放課後を待った。

 

「…のになんでこうなるのよ!?」

 そして放課後、委員会の仕事が長引いてしまった朋香は予定よりも三十分ほど遅れて女テニのコートへと向かっていた。

「それもこれもあんたのせいだからね!?」

「悪かったって!だからこうやって荷物運んでるんだろうが!」

 それもこれも堀尾が必要な書類に書き込んでいなかったのが原因だ。流石にその点は悪いと思った堀尾は朋香の代わりに鞄を持って女テニのコートへと同行している。

「はぁ…はぁ…やっと…ついた…」

 息も絶え絶えになって、朋香はテニスコートへと辿り着く。

「おいおい、竜崎負けてるじゃねえか」

 試合は0-2で桜乃は一ゲームも取れていない。結局はこんなものかと堀尾は肩を落とす。彼だって、知らない仲ではない桜乃のことを応援してはいるのだ。けれど、自分がそうだったように現実は非情なのか。その思いを隠すことができなかった。

「…おかしい」

「は?」

 堀尾が物思いに耽っている中、朋香は違和感に気付く。

「何か変よ…この試合…」

「いや、お前…悔しいのはわかるけどよぉ…」

「違うわよ!そんなんじゃない!けど…何が…あっ!」

 違和感の正体に気付いた朋香は思わず声をあげる。

「やっぱり!おかしいわよ!」

「だから何が!?」

「私たち、三十分も遅れたのよ!?なのになんで二ゲームしか進んでないの!?」

「あっ…」

 桜乃の試合は第一試合。冷静に考えて一セットマッチならもう終わっていてもおかしくない時間なのだ。

「なんで?どういうこと?」

「そういうテニスを練習してきたからね」

「なっ!?越前!?」

「リョーマ様!」

 アメリカにいると思っていたリョーマの登場に堀尾は面食らう。けれど、それを知っている朋香にとっては言われた言葉の方が気がかりだ。

「そういうテニスってどういうことですか?」

「見てればわかるよ」

 そう言ったきり、視線をコートに戻すリョーマに釣られて、朋香もコートに目を移す。

「見ればわかるって…攻め込まれてるじゃねえか…」

 堀尾の言う通り、素人の朋香から見ても攻められて劣勢なのは桜乃の方だと明らかだった。

「本当にそう思う?」

「そうだろ、これじゃあ決められるのも時間の問題…あれ?」

「これって…」

 決まりそうで決まらない。相手の先輩は何度も何度もスマッシュを打つが、桜乃はそれに食らいつく。攻撃に転じることこそないが、それでも確実に相手のコートに返している。

「これが三十分経っても試合が終わらないカラクリかよ…」

「そ、テニスは落とさなければ負けないからね」

 至極簡単に言っているが、それを実現できれば苦労はしない。けれどそれを実現するのが越前リョーマだ。

「でもこのままじゃどの道ジリ貧だろ?そろそろ攻撃に…」

「それがさ…竜崎って性格的に攻撃に向いてないみたい」

「は?」

 スマッシュも打てる。ドロップショットだって習得している。けれど根本の性格的に桜乃に『人を出し抜く』という力が欠けていた。テニスとは読み合いのスポーツでもある。相手を吹っ飛ばすような河村レベルのパワーでもなければ、バレバレのスマッシュやドロップショットは効果半減と言ったところだろう。

「それじゃあどの道…」

「勝てねえんじゃねえか!」

「そうだね…でもさ…テニスって、何ゲームあるの?」

「え?」

「15-0!」

「ほら、来たよ…竜崎の時間が」

 桜乃が初めてポイントを取った。特別強いスマッシュも、意表をつくショットも打っていないのに。

「なんで…」

「簡単だ…疲れたんだよ…」

 さも当然のように堀尾が朋香の疑問に答える。

「疲れたから追えないんだ。これ以上。こっからは早いぞ…」

 その言葉の通り、桜乃は次々とポイントを取っていく。簡単なコースなのに、予想はつくのに、身体が追いつかない。

「竜崎さん、いつのまにあんなに…」

「でも越前君が教えたんでしょ?」

「それってズルくない?」

 試合を見ていた他の一年生が話をしているのが聞こえる。驚くのも無理はない一週間前まで桜乃は誰にも勝てなかったのだから。

「ズルくなんて…」

「そう思うならさ」

「え?」

 朋香が言い返す前に、リョーマが一年生たちに立ち塞がった。

「やってみたらいいんじゃない?このメニュー」

「こ、これって…」

 持久走五km、ストローク練習一時間、ゲーム形式一時間、リョーマが手渡したメニューには特別な内容など一つも書かれていなかった。必殺技なんて一つも習得できないような内容だ。

「これを練習後にやるだけで、誰だってあれくらいはできるようになるけど?」

「そ、そう…」

 ただでさえキツい部活の後に、これだけの練習ができるものか。けれど実際に桜乃はやり遂げたのだ。

「海堂先輩のメニューより楽だよ?」

「比較対象がおかしいだろ…」

 あのマムシと呼ばれる先輩と桜乃を一緒にしているリョーマに堀尾は呆れる。けれど、それはリョーマが桜乃のことを一人のテニスプレイヤーとして認めている証拠だ。

「でも意外だな。何の技も教えなかったのかよ」

「…一週間で教えられるものでもないし、今の竜崎のテニスには必要ないでしょ?」

 けれどそんな練習はただただ地味で辛いものだったはずだ。技を習得するという目標があれば、それをモチベーションに頑張ることができる。けれど、リョーマがやったのはただただ相手より長く打ち合うことができるだけの体力をつけるだけの練習だ。

「壁打ちができるんならもう打ち方は完璧なんだよ。それならボールにいつも『間に合えさえすれば』絶対に負けないよね?」

 簡単に言うけれど、それが一番難しいということは素人の朋香でもわかった。

「よくやるよな、竜崎も…これが恋の力ってやつか?」

「は?何言ってるのよ、あんた」

 堀尾が口にした言葉のバカバカしさに、朋香は思わず反射で口を開く。

「そんな簡単なもんじゃないわよ。桜乃がただリョーマ様が好きってだけならさっきの子たちだってできるはずだもの」

「じゃあなんで…」

「好きだとか、そんな簡単なことじゃないの…リョーマ様は、桜乃の…世界を変えた人だから」

 それまで内向的だった、朋香がいなければ何もできなかった桜乃が、いきなり苦手なスポーツを始めた。いつも朋香と一緒だった桜乃が一人でも練習するようになった。何年も一緒にいた朋香が変えられなかった桜乃をリョーマは一瞬で変えてしまったのだ。それほどまでに、彼は、彼のテニスは魅力的だったのだ。

「40-15!」

「え?」

「おいおい、反撃されてんぞ?」

 このゲームさえ取れば勝利と言うところで相手が反撃に出た。相手も伊達に一年先輩ではない。最も気が緩むであろうこの瞬間に合わせて体力を回復させていたのだ。

「大丈夫なのかよ!?このままじゃ…」

「あっ、そういえば、一つだけ…」

 リョーマの言葉が終わる前に桜乃がサーブのトスを上げる。

「一つだけ、教えた技がある」

 桜乃の打ったボールは相手の顔目掛けて跳ね上がった。

「こ、これは…」

「ツイストサーブ…?」

「ゲームウォンバイ竜崎!6-2!」

 その場にいた誰もが信じられないというような顔をしていた。

「…やった!やった!勝ったよ!リョーマくん!」

「当然でしょ?」

 そう、越前リョーマ以外は。彼だけは最初から最後まで、桜乃の勝利を信じていた。

「でも、まだまだだね。ツイストサーブだって、たまたまだし」

「うぅ…」

 実際ツイストサーブの成功率は二割程度だ。それほどまでに持久力をつけることに時間を割いた結果でもあるのだが。それでも桜乃にこのサーブを教えたのは、何か奥の手を持っておくことで心に余裕を持たせるためだった。

「でも…良かったんじゃない?」

「…うん!」

 少し、ほんの少しだけリョーマが素直になるのはきっと桜乃の前だけだろう。その事実をまだリョーマも桜乃も知らないけれど。

 

「ちくしょう…悔しいなぁ…」

「あんたも…次はなれるんじゃないの?そうやって悔しく思うってことはさ…」

「小坂田…」

 自分よりも後にテニスを始めた桜乃に負けたような気がして、堀尾は悔しさを口にする。けれど、今の彼なら、真剣に勝負と向き合っている彼なら、朋香は勝てるのではないかと思った。

「堀尾」

「あ?何だよ?」

「先に行ってけど…来るんだよね?」

「…当たり前だろ!」

 相変わらず、不器用で素直ではないけれど、リョーマなりの発破を堀尾にかける。静かに、少しずつ、けれど確実にリョーマの中で何かが変わっていっていたことをこの時はまだ誰も知らない。

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