変わらない日々を記憶する事は出来るのでしょうか?
出来なかったですね。体験談でございます。
ワタシにとってのクソみたいな日常は、いつから始まったのでしょうか。
気付けばワタシはどこぞの森に捨てられておりました。
焼け爛れたような皮膚に、細枝の様な骨。名前すら与えられずに放り捨てられたワタシは、それでも死ぬことは無かったのです。
餓鬼ちゃんが、ワタシを生かすべく必死に呪いを集めてきてくれたから。
ワタシは何も飲み食いせずとも──呪いさえ食えればそれで生きることが出来ました。
何度も吐き出しそうでした。
何も食ったことのない、無知な舌の上でも解ります。これは食い物じゃない。まともなものじゃない。毒を喰らわば吐き出すのが道理であり、その道理を突きつけてくる味。びしゃびしゃのゲロ雑巾の味がする何某か。それでもこの味がワタシではなく、ワタシの魂を切り分けた餓鬼ちゃん達から伝わっていく。
ワタシはただ蹲って生きてきました。
最初は捨てられた森の中。
そしてニンゲンが多ければ多い程食材が得られるのだと知り、都会へと向かって。
変わらない日々でした。
何も記憶しておりません。
変わらぬ苦痛の日々がそこにありました。
苦痛と引き換えに、ワタシは生を手にしている。
呪いを貪り、孤独に震え、その代わりにワタシは生きることを許されている。
苦痛を対価とした生。
この対価を支払わねば死が襲い掛かる。
──じゃあ、ワタシが生きる意味とは何なのでしょう?
ぶるぶると震える。
今ワタシは。
こんなものの為に、自らの生を放り投げようとしている。
握りしめるは、──両面宿儺の指。
吉野順平の家から──結局持ってきてしまった。
持ってきて、逃げ出して──現在は地下水道の通路を必死に走っている。
「何をやっているんでしょうねぇ」
阿呆です。
阿呆です。
こんな事をする意味は、いったい何なのか。
本当に愚かでございます。
......でも。
意味なんてものは、そもそも、
「──やあ」
そうして。
背後から迫りくる濃厚な呪力に──振り返った。
「やっぱり指を置いていくのは不用心だったかなぁ。困るんだよね。勝手に取っていっちゃ」
ツギハギ面の人型呪霊。
ずっと恐れ、逃げ回っていた化物が──ついぞ眼前に現れた。
「で、君さぁ。──誰? 俺が地下室に来た時に、逃げ出した奴でしょ?」
誰。
誰と来ましたか。
「私に名前はありません」
くそ。
なんで。
なんでワタシは。呪霊よりも遥かに醜い声を上げているのだ。
こんな。こんな生命体もどきの淀んだ存在よりも。私は不出来で醜くて不快な存在なのか。
「へぇ。──不思議な作りをしているね、君。君の身体を構成しているのは呪力なのに。魂だけは人と同じように出来ている。興味深いね」
「──魂が見えるのですか?」
「うん。──俺には知覚できている」
魂の知覚。
「俺の術式は、無為転変。魂に触れて、その形を変える。──こんな風にね」
ツギハギ呪霊は、自らの懐に手を伸ばす。
そこから現れたのは──掌サイズにまで圧縮された、肉の塊のようなもの。
それらを地面に放り投げると同時──肉の塊が肥大化し、人型状態となる。
──ああ。
あの地下の元ニンゲンの何某は、やはりこの呪霊の術式によってああなっていたのですね。
魂。そして魂に接続され、付着する肉体。
魂の形を変化させる事で──付着する肉体そのものの状態も変える。
──術式の開示。
これで理解できた。
この呪霊は。ワタシを逃がすつもりはないのだと。
「しかし──馬鹿だねぇ。なんで君みたいな人間もどきが、人間なんか助けちゃうんだよ」
ね。
ワタシだってそう思います。
「しかも。──ただ無駄足に終わるだけだっていうのに」
※
「最初からこうすればよかったのにね」
「ああ。──いい。本当にいい。肉付きと言い、骨の形状といい。男のそれよりもサイズ的には物足りないが、その分関節部位が非常に柔らかい。これは小ぶりだがいいハンガーラックになりそうだ」
「ねぇねぇ。この女の人の手、超綺麗じゃない? 俺の剣もう一本作ってよ。この人の手を柄にしてさぁ」
「いいや駄目だ。この女の尺骨から手根骨にかけてのラインがかなり整っている。これは手首部位で切断するわけにはいかない。下腕全体を使えば、これまた非常に有用な材料となるだろう」
「ええー」
「まあまあそう残念がるな。──ハンガーラックが出来たなら一番に見せてやる」
夜の住宅街。男二人がにこやかに歩く。
大きめのズタ袋をそれぞれ背中に担いで。
「しかし.....しょうがないとはいえ。あまりにも勿体ない」
はぁ、と。
一つ男が溜息を吐く。
「一部とはいえ──身体を残していかねばならないとはな」
吉野順平宅、リビング。
そこには──吉野凪の遺体がある。
血だまりに浮かぶ、削ぎ落された頭皮と毛髪。
そして──斬り落とされた左足のみを残して。
※
「君が宿儺の指を回収しようがさぁ。人一人殺す手段なんて幾らでもあるんだよ」
眼前の呪いはとかく楽し気だ。
──心の底から楽しそうだ。
楽しいのだろうなぁ。
ワタシがやったことは、この呪いにとっては全くと言っていい程無駄な事だったのだから。
ワタシの感情を源泉として衝動的にやった行動。結局それは──ただ無駄足に終わり、その結果ワタシもまた窮地に追い込まれている。
楽しくて仕方がないのだろう。
この男からしてみれば。
自らの恐怖から目を逸らし取った行動が全て無意味になり下がる瞬間。
「君はさぁ。どうしてあんなことしたんだい? 見て見ぬふりをして逃げればよかったじゃん。前みたいにさ」
「....何故なんでしょうねぇ」
それでも。
眼前の呪いがワタシを愚かだという光景を前に。
ワタシは──救いにも似た心境の中にいました。
「でも──ワタシは別段の後悔はしておりません」
よかった、と思った。
本当に。
だって──今ワタシは、
「ワタシは──ワタシがニンゲンである事を確信できました」
ワタシをニンゲンであると理解できたのですから。
「──人間? 君が? 肉体全部が呪いでできている君がか?」
「魂は、常に肉体の先にある。そうワタシは確信している」
その台詞を吐いた瞬間。
へぇ、と真人は言った。
「よく解っているじゃないか」
「ワタシは分裂した幾つもの魂を切り分け、術式としています。己の魂を観測できるんですよ」
「....」
よし。
この呪いの興味を引き出せる話題を提示できた。
これで──この会話の中で、自らの術式の開示が行える。
「摂食機能の停止。並びに肉体の変貌を生まれる前から呪縛として付与された私は。その代わりに呪力で肉体を構成する能力と術式の大幅な強化が施されております。ワタシの術式は餓鬼法術。自らの魂を切り分けた餓鬼を通して、呪いを食らう。喰らった呪いはワタシの魂を通して、ワタシの肉体へと流れ込みその血肉となる」
術式の開示おーわり。
ならば──精々自分語りでもさせていただきますか。
「ワタシは。お前等呪いが唾棄し侮蔑する感情というものに、理性というものに、誇りを持っている。たとえそれが魂の代謝であったとしても。それでも──本能に従うしかない呪い共と異なる生命体だと。そう確信できたことに、身が震えるほどの感動を覚えている」
この感情は。
この理性は。
あの時──葛藤しながらも指を持ち帰った、ワタシは。
紛れもなく。人間としての魂が生み出した存在であったはずだ。
「ワタシが行った事が無駄に終わる結果だったとしても。それでもワタシはこの手段を選んだ。この選択こそが、ワタシがワタシを人間であると信じる為に必要な事だった」
だから。
「後悔はしていない」
ふぅん、と。
呪霊は──すでに興味を失ったのか。実に冷めた目線をワタシに浴びせます。
「つまんない。──人間である事に拘るなんて」
「よくいいますよ。人間の負の感情なんて言う廃棄物から生まれた存在のくせに」
笑みが零れる。
ここでワタシは死ぬのかもしれない。
でも、それでもかまわない。
ワタシが一番欲しかった確信。
それをこの時。この瞬間に──手に入れることが出来た。
ワタシよりも遥かにニンゲンらしさを持っている眼前の人型呪霊。
しかし──こいつが持っていない。いや、持っていたとしても塵屑だと打ち捨てるであろう価値が、ワタシの中にある事を知って。
ワタシは。今日初めて──ニンゲンである事を理解できたのです。
「それに──ここでワタシが死ぬかどうかも、まだ解らないですよ」
どうせこのままであるならば死ぬ。
ならばワタシは博打をする。
ワタシは餓鬼を一匹呼び出し、その襟首をつかむと。
口を開けさせ──そこに。
「さあ。──戦いましょうか」
宿儺の指を、飲ませた。
※
特級呪物、宿儺の指。
かつて存在した呪いの王、両面宿儺。四つの腕と二つの貌を持つ男が、自らの指を二十に切り分けた指。
特大の呪いの塊であり。人間が飲めばたちまちそれは毒となり死へと至らせる代物。
しかし──呪いに宿せば、巨大な呪力によりその呪いを一気に特級にまで跳ね上がらせる可能性まで持つ。まさに劇薬。
劇薬にあたって死ぬか。
更なる力となるのか。
その博打を──いまここで、打つ。
「──マジか」
眼前の呪霊は、そう言って地下の天井を見上げていた。
ワタシも見上げます。
そこには、巨大な腕と化した餓鬼ちゃんがそこにいました。
地面から生え出たその腕は、肉も骨もまろび出た実に醜いものでした。腕は灼熱を纏い、そのおかげか皮膚は焼け爛れている。指同士も皮膚が焼け爛れ、カエルのそれのようにぶよぶよとした形をしている。腕のあちこちから蒸気が発していて、活火山のマグマの様でした。
「流石は宿儺の指。ここまでになるとは」
ワタシは餓鬼ちゃんに命じます。
あの──薄汚いツギハギ面をぶっ潰せ、と。
腕がしなりを上げ、眼前の男へと襲い掛かる。
「でも無駄だよ」
腕が振り落とされ、呪霊に叩き落される。
呪霊はそれに──己が掌で受け止める。
「切り分けた魂がそこにあるんだろ。──だったらそいつを壊してしまえば、こっちの勝ちだ」
叩き落された腕を呪霊は支えきれず、ひざを折り、最終的には地面に倒れ込むことになる。腕からは灼熱が吹き荒れ、呪霊の表皮を焦がしていく。
それでも──呪霊は両腕を左右に挟み込む。
「無為──」
その先の言葉が放たれる前に。
その腕は──しゅるしゅると肉が消えていく。
「あ?」
消え去った肉は形を、元の餓鬼に変わり。
肉は──ワタシに還元される。
「隙だらけですねぇ。このツギハギ面め」
ワタシの左腕が、呪力と肥大化した肉が付着する。
ワタシに似つかわしくない程の巨大な腕が、──先程の一撃で地面に膝を折った呪霊の顔面に叩き込む。
「無駄だって。こんなもの──」
「いいえ。無駄ではない」
人の話はよく聞かないといけないんですよ。せっかく開示してやったんだから。
言ったでしょう。
ワタシは──魂を観測していると。
「あ.....?」
魂を切り分けた餓鬼。
要は──ワタシもまた、魂の存在を。自己の魂を認識し知覚している。
魂を操り肉体に変化をもたらすこの呪霊は、己が肉体を自在に変形させダメージを防ぐ術を持っているのでしょう。
しかし。
ごぼ、と。
呪霊の口元から血が噴き出る。
「魂を知覚できる存在は、お前だけではないのです」
この呪霊の魂。
その位置。存在。輪郭。
それを見据えながら――こぶしを握り込んだ。