もうどれほどの時間がたっただろう。
あの人の亡骸を抱きしめて私は待ち続けた。
健やかなるときも。
病めるときも。
何もかもをなげうって貴方を待った。
喜びも。
悲しみも。
いつか分かち合えると信じて。
富めるときも。
貧しいときも。
貴方を愛し、信じて敬い、貴方の魂を慰め、全ての心をささげた。
不老とは言うけれど、私には「
摩耗していく魂と、もうしわがれてしまった肉体は限界に近い。
せめて私が私でいられるうちにもう一目会いたかった。
いつまで待てばいい、いつになったらあなたは現れる。
先の見えない道を、ずっと歩いてきたけれど、終わりが見えない。
これからも私は貴方を待つだろう。延々と歩き続けるだろう。果てに何も見出せずに私はきっと、知らないうちに止まってしまう。
何よりも怖いのが、貴方を忘れてしまうこと。
摩耗した魂は、同時に私の記憶を奪い去っていく。
既に彼女のことは忘れてしまった。もうあの声も、あの顔も思い出せない。どんな言葉を吐いていたのかも、きっともう一生掴むことは出来ない。
鏡を見ればわかるのに、そうできないのはなぜだろう。
忘れたくないのに、そうなってはいけないのに、私はどうして過去の自分しか見ていない。
―――鐘が鳴る。
何時の鐘だったか、もうそれはどうでもいいことだった。
ただ鳴ったら、出かけるというだけ。
私の時は止まっている。
動き出す日はもうないかもしれない。
それでも行かなくては。
地味でも、あの人が褒めてくれた着物を着て。
あの人への想いを持って、彼を見ていられるのは私だけだから。
彼を生かせるのは私だけだから。
まだ、止まらないで。
変わり映えのしない街に何も声は出ない。
あの人が逝ってから随分変わった。
歩く。
それでも日々の停滞は私に見るものの色を奪っていく。
もう何年、何十年、何百年前から、私はずっと枯れている。
年を数えるのを止め、月を眺めるを止め、日々を観測することを放棄した。
今が何年なのかも、人が誰であったのかも分からない。
それでも、歩く。
家を出れば、歳を取らない化け物と避けられた。
歩くと殺されると石を投げられた。
一人、一人と、人が減っていき、この
時間は私の中。
ずっとあの人だけを探す。
変わらない日々は、退屈だけどとても幸福。
これは私だけの特権。
私が化け物である証明。
きっと人間にはわからないだろう。
彼はだれも救ってない。
私すらも殺そうとした怪物だ。
それでも彼は人だった。
触れは出来なかった、届きはしなかった。
―――それでも
どこにもいなくていい彼は、ここにいる。
ずっと変わらない、止まっていればいい。
私がこうしていればあの人は人であれる。
体は正直だ。
死んではいないのに、心の不調を訴えてくる。
手も、脚も、錆びついたように動かない。
縋るように、最後にしようと、彼を忘れてしまいそうになった。
―――今日も。
どうせ、と音がする。
帰ろうよと、囁く。
もう眠ってしまいなさいと、意味をもたらす。
息苦しいこの世界で、毎日のように歩み続ける。
止まっているのに、止めてしまいたいのに、最後のかけらがそろわない。
矛盾する私の行動。停滞を望み、進化を促す。
彼は来ないと知っていながら、まだ会いたいと。
―――今日も。
もう一回は地獄だ。
あと一度だけと、人間はこの選択をする。
一度してしまえばもう止まれない。
感情は抑えられない。
欲があふれ出す、もう二度と戻れない。
蜘蛛の糸のように絡みつく。
もがけない、抗えない、知らぬ間に侵食される。
だから、こうして毎日、もう一回を繰り返す。
それでも貴方は、
―――今日もやってこなかった
ふぅ、と息をついてあの人が逝ったあの森の奥で空を見上げる。
星なんてない。
希望なんてない。
死んだ人はもうだめだ。
それは絶対の真理であり、いつか死なない私も思考を止めるだろう。
今日はあの日と同じ満月のように感じる。
いや、あの日は満月だったか。
そもそもあの日とは―――
やめよう、無駄な期待は進むだけだ。
そもそも風景は明るい。
あれは月ではなく太陽だ。
まだ影ある、まだ足掻く。
踵を返す。
森をゆっくりと、いつも通りの速度で進む。
動いても、はがれないように慎重に。
また、あした。
怖い、自分がいなくなることが。
彼が化け物になることが。
世界は忘れた。
宇宙なんてもってのほか。
地球はどうだろう。
誰かはまだ私を記録してくれているだろうか。
彼を失っても私は続く。
どこまでも、果て無く、引き返せない。
それが私の
呼吸が止まる。
漠然とした未来に存在が耐えられない。
殺してほしくてたまらない。
水も持たず歩き続ける砂漠に、声が失う。
変われない。
代われない。
替われない。
価値はない、意味はない。
存在に想いはない、重みもない。
歩き続けた先に、あの日の桜が見えた。
「っっ‼」
教えてください。
名もなき桜。
私はどうなればいい。
どこで止まるべきだった。
何を間違った。
そもそも、意味とは何ですか。
「人とは何ですかッッ!!」
欠ける。崩れる。溢れる。滑る。零れる。
私とは何だ。
ヨシノとは。ヒガンとは。シランとは。
どこまで狂えばいい。どことはどこだ。
お前は誰だ。
夢であったなら、そうだと言ってほしい。
彼と出会わないで済むなら、そういう未来に縋りたい。
生まれなくてよかったならそんな選択をさせてほしかった。
無知で被害者面した私は何をすればよかった。
届かない声なら、声帯なんて要らない。
色がないのなら、目なんて要らない。
聞こえないのなら、鼓膜なんてあるだけ無駄だ。
息をしたくないから、肺は邪魔だ。口も鼻も。
関わりたくないから、触角は消えろ。
生きているのは辛いから
私を苦しめるのなら
ただただ、終わりを告げる、鎌が
この命を刈り取るs―――
「あの、大丈夫ですか?」
何かに抱きとめられる。
ひどく優しい、声色で話しかけられた。
「―――」
何も言えず、呆然とする。
早まっていた思考が情報を探ろうとする。
声からして男性だった。
それも少年。
見えていたから、何も言えなかった。
色はないから、あの日の再現だと思った。
瞬間、世界が色づき始めた。
見ているすべてが美しい。
彼も、桜も、私でさえも、全てが等しく輝いている。
涙が出そうで。
実際に泣いているのかもしれなくて。
そうだったら、きっと目前の彼が拭ってくれるだろう。
まだ何も把握していない彼は慌てている。
不思議な人だった。
顔は違う。
声も違う。
髪も、背丈も。
口調は少し子供っぽかった。
それでも私は分かった。
だから早く思い出して。
じゃないと何も知らないあなたを襲ってしまいそうだから。
何も違っていて、合致しているのはこの雰囲気だけ。
私に
何よりも綺麗な至上のもの。
そっと抱き寄せて匂いを嗅ぐ。
全く違う少年自身のもの。
それでも、彼はそれでも。
「まるで、真っ白な雪みたいだ」
私の顔に触れる。
真っ赤に顔を染めて、その両の眼を私に向ける。
もう壊れそうな肌にその手をのせる。
彼しか知らない言葉がある。
彼しか持たない愛がある。
「触れたら溶けてしまいそう。花のようでもある。例える物はいっぱいでよく言葉にできません」
「それでも、それくらい、あなたは綺麗だ」
きっと何も覚えてはいない。
それでも、こうして出会えた。
記憶もないのにここまでのことが言えるのは、たいしたロマンチストだろう。
この程度で簡単に落城する私も、軽い女だ。
だから告げる。
「やっと償ってくれるんですね」
一瞬、呆然とした彼は何かを悟ったような顔になる。
うん、やっぱりかっこいい。
さすが私の見込んだ男。
真剣に私を見やり、その腕を背中に回し、引き寄せる。
小さな私は、幻のような彼を縋る。
もう消えなくていい。
貴方は人に成れた。
だから今度は私の番だ。
―――動き出す、時間
終わりは見えた。
その先に続く新しい道も。
彼とは少し、歳が離れているけれど、初めも私の方がお姉さんだった。
意味は見つけた。
重さも知った。
あとは語り明かそう。
零れた感情は互いに拭い合おう。
体を離し、顔が近づいていく。
もう離さない、離れない。
上書きする。君を君で固定する。
忘れない、逃がさない、捕まえた。
私の死。
「「愛している」」
終わりなき果てを見たいと言ったらあなたは笑うだろうか。
どうして記憶があるのかとか些細なことは放っておこう。
その方がより、”らしい”。
どこまでも不確かな存在だからこそ私は、あなたと出会えた。
壊れるまで、あなたが私を壊すまで、それまで。
「殺しに来たよ、ヨシノ」
「ええ、待ちくたびれたわ、ヒガン」
そこまで、多少は幸せな物語にしよう。
答えは得た、もう走ることができる。
どこまでもあの彼方まで。
綴っていこう、二人で。
いつまでも。
終わりでです。
長い間見てくださった方はありがとうございました。