栄光の影に隠れた涙   作:こーたろ

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第10R 有馬記念決戦

 

 

 有馬記念を明日に控えた決戦前日。

 プレクラスニーはまだ日が出る前の早朝からトレセン学園内のコースへ足を踏み入れていた。

 

 季節は冬真っ盛り。冷たい風が、突き刺すように芝のコースを駆け抜ける。

 

 

 (体調も、気力も、充実してる。今日は早く休まなきゃだから午前中にしっかりトレーニングをしよう)

 

 決戦は明日。

 ここ数日は1秒たりとも無駄にしないという心意気でトレーニングに臨んでいたプレクラスニー。

 その甲斐あってか、自分でもわかるほどに、今の状態は今までで経験したことが無いほど最高に仕上がっていた。

 

 芝のコースに荷物を降ろし、軽く屈伸運動。

 ウマ娘にとって怪我は天敵。今まで何人ものウマ娘たちがオーバーワークやレース中の不幸で怪我を負い、引退を余儀なくされている。

 

 準備運動とトレーニング後やレース後のケアは、おろそかにすることのできない大切な行為なのだ。

 

 腕周りもほぐし終わったところで、軽く2、3回ジャンプして足の状態を確かめる。

 

 

 (うん、足が軽い。今までで一番いい状態だ)

 

 準備運動を終え、軽いジョギングへ。ペースは決して早くないが、徐々に体を慣らしていくことが大切だ。

 

 ジョギングを始めて少し。最初のコーナーを曲がろうとしたところで、視界に1人のウマ娘が入ってくる。

 

 

 「いやー朝早くからトレーニングとは、クラスニーは若いねえ……」

 

 「……そういうネイチャは、こんな朝早くから何しに来たの?」

 

 「あー、それを言われちゃうと返す言葉がありませんで。……ってことで、私も一緒に走っていい?」

 

 ナイスネイチャ。

 クラスニーの親友であり、今度の有馬記念を共に走るライバルだ。

 

 自己評価が低く、自分は主役になれないと常日頃から口走るネイチャだったが、クラスニーはそうは思わない。

 誰よりも努力ができて人を想うことができるウマ娘。それがネイチャだ。その証拠に、今日もこうして朝早くからトレーニングに来ている。

 

 もちろん、と笑顔で答えたクラスニーの隣に、ネイチャが加わる。

 ジョギングをしながら、ネイチャも上半身のストレッチを準備運動代わりとした。

 

 

 「いよいよ、明日だね」

 

 「……そうだね」

 

 「緊張してる?」

 

 「そりゃあしてないって言ったら嘘になるけど」

 

 そう言って、少し視線を下げるクラスニー。

 よく整備されている芝のコースは、蹄鉄をつけていなくても非常に走りやすくなっていた。

 早朝のトレセン学園に、2人の小刻みな息遣いだけが小さく響く。

 

 

 

 思い返すのは、あの悪夢の天皇賞。

 ガラガラのスタンドで、震えた声で歌い続ける自分の姿。

 

 同じような事態になる可能性は低いとわかっていても、あの光景は脳裏に焼き付いて離れない。

 

 それでも。

 

 

 「今回は、ネイチャもいる。……ターボちゃんもいる。皆がいれば、怖くないよ」

 

 「ありゃー……随分と信頼されちゃってるなあ……私そういうの慣れてないんだけどなあ」

 

 「あれだけ私に元気をくれておいて、今更説得力ないよ~?」

 

 「あーやめやめやめ!むず痒いからやめてそういうの!うおおおお~走るぞ~~!!」

 

 羞恥心に勝てなくなったナイスネイチャが、コースを駆け出していく。

 その様子を眺めて、ふふふとクラスニーが笑顔になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の昼。

 午前中の授業を終え、それぞれがトレーニングへと向かっていく。

 

 プレクラスニーも、軽い調整だけ行う予定だったため、チームカノープスの部室からコースへと向かおうとしていた。

 その道中。

 

 「ク~ラちゃん!」

 

 「うわッ?!」

 

 そんなプレクラスニーの両肩を後ろから掴む影。

 驚いて振り向くと、そこには底抜けに明るいウマ娘、ダイタクヘリオスの姿。

 

 

 「びっくりした!ヘリちゃんか~」

 

 「あはは!クラちゃんビビりすぎっしょ!どう~テンション上がってる~?」

 

 ヘリオスにとって、テンションは「調子」と同義だ。

 

 そして今ダイタクヘリオスに調子はどうか、と聞かれて、一つの事実を思い出す。

 

 

 「そっか……ヘリちゃんとも、また勝負なんだね」

 

 「え~?!マジ今更すぎっしょ!?次こそはウチがクラちゃんをブッチ切っちゃうから、ヨロ~?」

 

 彼女の言葉は相変わらず軽めのノリだ。

 しかし、言っている言葉がハッタリなどでは決してないことは、はっきりと分かる。

 

 彼女もトレーニングを積み重ねてきているのだ。油断などできようはずもない。

 

 

 「……うん!ヘリちゃんと走るの、楽しみにしてるね!」

 

 「モチのロン!そんじゃウチ行くね~!」

 

 くるりとその場で器用にターンしたかと思うと、ヘリオスはコースの方へと駆け出していく。

 彼女が主にとる戦法は「逃げ」。明日も「逃げ」で来るかはわからないが、想定はしておくべきだろう。

 

 

 (マックイーンがいて、ネイチャがいて。ターボちゃんもいるし、ヘリちゃんもいるんだ……)

 

 クラスニーの身体が、小さく震える。

 それを抑えるように、クラスニーが右腕で自身の身体を握りしめた。

 

 

 (楽しみ……!私、今明日を楽しみだって思えてる……!)

 

 

 もう、レースに出たくないとさえ思った。

 

 夢は一度、粉々に砕け散った。

 

 それでも、こうして今、とても前向きにレースに挑むことができている。

 それは間違いなく、支えてきてくれた周りの人達のおかげで。

 

 そしてこの1年間を締めくくる大舞台のレースで、支え続けてくれた人たちと一緒に走れる。

 

 その事実に、クラスニーは興奮を隠しきれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてそんなプレクラスニーの様子を、校舎の一角、生徒会室から眺めるウマ娘が一人。

 その快活なウマ娘はひとしきりクラスニーの様子を眺めた後、後ろの少し豪華な椅子に腰かけるこのトレセン学園の生徒会長へと声をかけた。

 

 

 「かいちょー!プレクラスニー、有馬記念楽しみだね!」

 

 「ああ。そうだな」

 

 トウカイテイオーと、シンボリルドルフ。

 帝王と皇帝。

 

 シンボリルドルフを慕うトウカイテイオーは、こうして生徒会室に顔を見せることが頻繁にあった。

 

 

 「一時はどうなっちゃうかと思ったけど……こうしてまた走ることができて、ほんとーに良かったね!」

 

 「ああ……」

 

 テイオーのその言葉を聞いて、ルドルフは一度資料から目を離し、お気に入りの万年筆を机の上に置いた。

 

 少し間があって、唐突にシンボリルドルフはトウカイテイオーに問う。

 

 

 「……なあテイオー、何故私達は、つまづき、挫けたとしても、もう一度立ち上がれるのだと思う?」

 

 「え?どういうこと?」

 

 「例えば天皇賞秋のサイレンススズカ。テイオーも、あのレースを見ていただろう。……あの怪我は、正直致命的だった。この私でさえ、もう一度スズカが走ることはできないのではないかと思ってしまったほどだ」

 

 「確かにスズカはレース中だったし……めちゃくちゃ嫌な予感したよね~」

 

 「しかし今彼女は、海外でその強さを遺憾なく発揮している。テイオーだってそうだろう。あの怪我から……テイオーはもう一度立ち上がることができた。違うか?」

 

 サイレンススズカは、レース中に走ることができなくなるほどの怪我を負ってしまった。

 当時彼女よりも前に走る者はいないと言われるほど、彼女の走りは圧倒的だった。

 

 しかし、怪我には勝てない。レース中に突如として走るフォームがおかしくなり、彼女の故障は誰の目にも明らかだった。

 

 第4コーナーを曲がることなく、レースを終えたサイレンススズカ。

 ファンからも、トレセン学園の生徒からも、スズカはもう走れない。そう思われていた。

 

 

 「スズカは、スぺちゃんがすぐに迎えに行って、最善を尽くしたのが大きかったって言われてるけど~……」

 

 「そう。そこなんだ」

 

 「え?どういうこと?」

 

 スズカが故障したとき、そのまま倒れそうになったスズカを救ったのは、同じチームメイトであるスペシャルウィークだった。

 

 スペシャルウィークは一番にレース場に飛び出し、あっという間にスズカの元にたどり着くと、最善を尽くして救護班を待った。

 確かにその功績は大きいかもしれないが、テイオーにはいまいちルドルフの言いたいことがつかめない。

 

 

 「テイオー。君はどうしてもう一度立ち上がることができた?」

 

 「え?……うーん、かいちょーみたいになりたいっていうこともあるし、今はマックイーンみたいなライバルがいるから、負けたくないって思うことも大きいかな」

 

 トウカイテイオーの夢、『無敗の三冠ウマ娘』は、怪我によって阻まれた。

 しかし『無敗のウマ娘』でい続けるという夢は、まだ続いている。

 

 それはルドルフの存在や、ライバルであるマックイーンの存在が、テイオーをもう一度夢へと立ち直らせたのだ。

 

 

 「仲間の存在」

 

 「え?」

 

 「私達ウマ娘は、一人じゃない。切磋琢磨し、勇往邁進する仲間がいる。時に励まし合い、時に競い合う。この関係が、私達を更に大きくしている……私は、そう思えてならないんだ」

 

 サイレンススズカの怪我は、一人であったらもう一度立ち上がることができただろうか。

 

 トウカイテイオーは、一人であったらもう一度夢へと歩き出せただろうか。

 

 プレクラスニーは、一人であったらもう一度レースの舞台へと戻ってくることができただろうか。

 

 そんな「もしも」は、存在しない。けれど、シンボリルドルフは考えずにはいられなかった。

 

 

 「私達は『ウマ娘』だ。意志を持ち、お互いに高めあうことができる……運命、なんて言葉はあまり好きではないが、もし運命があるのだとしても。私達『ウマ娘』は、それさえも捻じ曲げてしまうのかもしれないな」

 

 

 「何言ってるの~?かいちょー意味わかんないよ?」

 

 「ははは、そうだな。戯れ言だ。聞き流してもらって構わない」

 

 そう言うと、ルドルフはもう一度万年筆を手に取り、資料へと目を落とす。

 

 

 (有馬記念……今年を締めくくる良いレースになりそうだ)

 

 

 決戦の日は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『晴天に恵まれました中山競バ場!今日という日を今か今かと待った人も多いでしょう!一年を締めくくる最大のG1レース、有馬記念がやってきました!』

 

 『ついにきましたね!私もとても楽しみにしていましたよ!』

 

 

 12月22日。

 1年を通して最後に行われるG1レース、有馬記念がやってきた。

 

 晴天の中山競バ場には、多くのファンが詰めかけている。

 誰が勝つのか。人々は口々に自分の意見と世間の評価を交えて見解を交換していた。

 

 

 「今日は絶対マックイーンだろ!マックイーン以外ありえねえ!」

 

 「いやいや、ナイスネイチャはここの所ずっと調子が良い。マックイーンを差し切ることができるのはナイスネイチャだよ」

 

 「俺はツインターボの一発に賭けるね!」

 

 様々な論が飛び交う中でも、やはり1番人気は圧倒的。

 

 メジロマックイーン。

 圧倒的な強さで長距離の王者と呼ばれる彼女。その絶大な信頼は、ファンを惹きつけて離さない。

 

 

 

 

 そんな観客達の熱気のせいで、レースが始まる前だと言うのに、大歓声が会場を包み込んでいる。

 

 歓声によって起こる音の振動を感じながら、一人のウマ娘が、控室の椅子で目を閉じて精神を集中させていた。

 

 流れる銀髪に、白を基調として緑が鮮やかに写るドレスタイプの勝負服。

 

 プレクラスニーだ。

 

 その控室の扉が、ガチャリと開く。

 

 

 「クラスニー」

 

 トレセン学園に入ってからの生活で、何度も聞いた声が背中からかけられる。

 クラスニーが、ゆっくりと振り向けば、緑と赤のストライプが特徴的な勝負服が目に映った。

 

 リボンには、『N・N』の刺繍があしらってある。

 

 

 「……ネイチャ」

 

 ナイスネイチャはクラスニーの横の椅子に腰かけると、大きく伸びをした。

 あくまでいつも通りの姿勢を崩さないネイチャにクラスニーが笑いかける。

 

 

 「試合前は話さない、っていってなかった?」

 

 「そーでしたっけ?……ま、いちおー敵同士だけどさ……なんかクラスニーとは敵同士って感じしないんだよね~なんでだろ」

 

 「確かにね~……ほんと、たくさん一緒にやってきたもんね」

 

 並んだ2人の尻尾が、ゆっくりと揺れる。

 

 この1年間、本当にたくさんのことがあった。

 お互いが、道半ばにして夢を奪われ、一度はくじけそうになった。

 

 しかし今2人は、この大舞台に共に立っている。

 

 

 「最高の、レースにしようね」

 

 「あ~またほらそういう恥ずかしいこと言う~……ま、でもクラスニー、そうじゃないでしょ?」

 

 「え?」

 

 困惑するクラスニーの横で、ネイチャが人の悪い笑みを浮かべた。

 

 最高のレースをする。それは確かにそうだ。

 

 しかし、プレクラスニーというウマ娘を誰よりも知るナイスネイチャは、今この場でもっと適した言葉を知っている。

 

 

 

 

 

 

 「最高の、『ライブ』にしようね?クラスニー」

 

 

 

 

 

 瞬間、クラスニーは今まで願ってきた数々の夢を想起した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『お母さん!私、この舞台でセンターに立ちたい!』

 

 

 『私の夢は、一つです。この学園で、私は必ず、G1ウマ娘になる。G1レースのウイニングライブで、センターで輝くんです』

 

 

 『私はネイチャと同じチームが良い!2人で、トゥインクルシリーズのG1に出ようよ!それで一緒に、ウイニングライブに出るんだ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうだ。

 

 私の夢は、最高の『ライブ』をすること。

 

 

 ネイチャと、共に煌びやかなライブの舞台に立つこと。

 

 

 

 

 

 「……!……ふふ、そうだね!」

 

 

 

 

 

 

 

 もう、緊張はない。

 

 

 準備は整った。

 

 

 最高の舞台のために。さあ、走ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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