10月6日。
天気はあいにくの小雨で、曇り空があたりを支配している。
地面の芝が、雨に濡れて水滴を垂らしていた。
(雨……か)
クラスニーは、雨が好きではなかった。
というのも、レースはもちろんだが、勝った際に与えられるライブも、雨の場合客足があまりつかない。
ライブをやることも考えれば、やはりクラスニーは晴れが好きだった。
「クラスニー!!」
赤いジャージ姿に12番のゼッケンをつけたプレクラスニーに、観客席の最前列から声がかけられる。
クラスニーが振り向けば、そこにはカノープスの皆の姿があった。
「皆!」
「いけーー!クラスニー!大逃げだあ!!!」
「大丈夫ですプレクラスニーさん。私の立てたプランで行けば、まず負けることはないでしょう」
「あ、ありがとう。でもターボちゃん、私大逃げはできないかも……」
相も変わらず大逃げを推すツインターボと、眼鏡を片手で押し上げるイクノディクタス。
変わらないカノープスの面々に緊張が少しほぐれていく。
「クラスニー」
「ネイチャ……」
ネイチャが黙って、片手の拳をクラスニーの方へ突き出す。
「あんたなら、勝てるわよ。誰よりも練習したんでしょ」
「……!うん!」
レース場は相変わらず小雨が降り続いているが、カノープスの面々は傘すら差さずに最前列に陣取ってくれている。
カノープスメンバーの優しさが、クラスニーに勇気を与えてくれた。
「クラスニーさん。昨日も一応確認しましたが……レース展開はおそらく、ダイタクヘリオスさんが引っ張っていく展開になると思います。それはこの小雨でも変わりません。クラスニーさんはこのダイタクヘリオスさんについていく形……2番手の位置が一番好ましいですね。最後の直線で、一気に勝負をかけてください」
「うん。ありがとうございます、トレーナーさん」
ダイタクヘリオスは、逃げる戦法を使ってくる。
それは昨日のミーティングの時点でもわかっていたことだった。
昔、クラスニーがヘリオスとレースについて話したことがある。
『ごっちゃで走るのってマジありえなくなーい?だからウチはせんとーで走り切っちゃう方が好きなんだよね~』
『確かに、それができれば強いよね!それこそサイレンススズカさんみたいに!』
『それな!!スズカさん超イケてるよね!ウチもあんな走りしてみたいわ~!』
(ヘリちゃんは、きっと今日も逃げでくる……勝負は、最後の直線かな……)
ゲートまでの道を歩きながら、クラスニーは自分のレース展開をイメージしていた。
今日は負けられない。
今日勝たなければ、天皇賞への切符は掴めないだろう。
「クラスニー」
意識を集中し始めたころ、今度は観客席から、よく聞きなれた声がかけられる。
「……マックイーン!」
メジロマックイーンだった。
制服姿に優雅に傘を差した彼女が、観客席の最前列に立っていたのだ。
「見に来てくれたんだ!」
「当然ですわ。わたくしの……もう一人の
「……!」
ライバル。今マックイーンはそう言ったのだ。自分は到底届かないと思っていた、マックイーンとトウカイテイオーという二大巨頭。
そのマックイーンから間違いなく、「友達」ではなく「ライバル」と、そう言ってもらえた。
そのことが、クラスニーにとってなによりも嬉しかったのだ。
「……見てて。絶対勝つから」
「……楽しみにしていますわ」
マックイーンに背を向けて、クラスニーが歩いていく。
その後ろ姿には、白いオーラが漂っていた。
(クラスニー……勝ってください。そしてわたくしと……天皇賞で……!)
銀髪の二人が火花を散らす。
次会う時は、必ず天皇賞で。
ゲート前。
ついにレースは目前にまで迫っていた。
深呼吸をして、クラスニーが意識を整える。
すると突然、後ろから肩を叩かれた。
このゲート前という場所で、自分に声をかけてくる存在など一人しかいない。
「ク〜ラちゃん!」
「……ヘリちゃん」
ダイタクヘリオスだった。
同じく赤いジャージに13番のゼッケンをつけた彼女は、クラスニーの隣のゲートに入る。
その瞳は、いつもの明るい彼女とは一線を画する、真剣なものだった。
「ウチね、今からクラちゃんと踊るウイニングライブが楽しみでしょうがないんだ~!昨日なんか夢見ちゃったよ!」
「ふふふ……私もだよ」
「んでんで、夢ではね?……センターはウチだったんだ」
ヘリオスの瞳が、クラスニーを捉えている。
考えていることは、想いは、同じ。
「負けないよ、ヘリちゃん」
「マジ勝負だかんね!クラちゃん!」
『さあ!13人のウマ娘が今ゲートに入りました!!毎日王冠、間もなくスタートです!』
『雨でレース場の状態はよくありませんが……会場の熱気は雨を吹き飛ばしてしまいそうなほど盛り上がってますね』
クラスニーが、目を閉じる。
ここを勝てば、マックイーンと同じレース、G1に出れるのだ。
(ネイチャは、勝った。勝ってみせたんだ。私も……負けられないッ!)
ファンファーレが鳴り響く。
さあ、スタートだ。
甲高いピストルの音とほぼ同時、全員のゲートが一斉に開いた。
クラスニーが勢いよく足を踏み込んだその時。
(……ッ?!)
『おおっと!ややばらついたスタートになりました!1番人気のプレクラスニー少し出遅れたか!』
『雨で滑りましたかね……しかしプレクラスニーは後半に強いウマ娘です。まだまだ、わかりませんよ』
雨によって濡れた芝に足をとられ、クラスニーはスタートに少し時間をつかってしまう。
(なんの……これしき……!)
しかしクラスニーは引きずらない。
すぐに調子を取り戻しスピードに乗ると、外側から一気に駆け上がって先頭集団に追い付いてみせた。
才能に恵まれないながらも、必死で鍛えてきた下半身が活きている。
そうして駆けあがった先頭集団の一番先には。
(ヘリちゃん……!)
(クラちゃん出遅れたカンジ?このまま先頭もらっちゃうよ~!)
『先頭はやはりダイタクヘリオス!プレクラスニーに次ぐ二番人気の彼女が12人を引き連れて第2コーナーを曲がります!』
『いいスタートでしたね!プレクラスニーはスタートで少し力を使った分、後半に脚が残っているかが勝負でしょうか』
レースは中盤に差し掛かった。
スタートこそ出遅れたものの、ヘリオスの後ろについたクラスニーが、最後の直線まで力をためる。
実はこの2番手というのが風の抵抗を受けにくく、後半まで余力を残しやすいのだ。
「いけえ~!!プレクラスニー!!!」
「プレクラスニー、って長くない?」
「いつも通り、クラスニーでいいじゃない」
「いえ、ここはプレでどうでしょう」
「いや、短すぎるでしょう……」
「クラは?!」
「それも短すぎ……」
「じゃあプレクラだ!」
「「「それだ!」」」
(いやどうでもいい……)
いつも通りすぎるカノープスのやりとりに、トレーナーも頭を抱える。
しかしその目はしっかりとレース展開を見つめていた。
(クラスニーさん、スタートは少し出遅れたものの、しっかり先頭についていけてますね……あとは最後の直線に力が残っているかどうか……そこが勝負になります)
ヘリオスは逃げる戦法をとれるほどに、スタミナもしっかりとしているウマ娘だ。
だからこそ後半簡単にばててくれるとは考えにくい。
本来ならばこの距離でくっついていれば最後の直線にクラスニーに分があるのだが、スタートで少し脚を使ってしまっただけに、後半に残された脚がどれだけあるかが、このレースの鍵を握る。
(ヘリちゃん……逃がさないよ!)
(クラちゃん真後ろジャン!追い付かせないんだから!)
「無理~!」 「無理い~!」
一人、二人と先頭集団から離れていく。
第三コーナーを曲がって第四コーナーに差し掛かる頃には、もう先頭集団はヘリオスとクラスニーしか残っていなかった。
『強い!ダイタクヘリオス先頭!ダイタクヘリオスが先頭で第四コーナーを曲がって直線に入ります!!』
『二番手のプレクラスニーは、ここからが勝負ですね』
『もう先頭争いは2人に絞られたといっても過言ではないでしょう!ダイタク逃げるか!クラスニー差し切るのか!!!』
「「「クラスニー!!!いっけえええええええ!!!!」」」
「あれ……先ほどの呼び名はどこへ……」
カノープスの3人が叫ぶ。
もうレースは最終の直線だ。200mを切ったところで、差はちょうど1バ身といったところ。
差し切れるかどうか、ギリギリのラインだ。
飛ぶような景色の中で、クラスニーは横を残り200mの標識が通過したことを確認する。
ラストスパートだ。
(もう限界……!けど……限界は超えるもの……!ネイチャが、マックイーンが、私に教えてくれた!!ここで……ここで勝つんだああああああ!!!!!)
「あああああああああああああ!!!!!」
一気にクラスニーが加速する。
しかしそれでもヘリオスは最後までトップを譲る気はない。
(クラちゃんマジ走りジャン!でもでも……ウチも、負けられないんだよねえ……!!)
「ああああああああああああああ!!!!」
クラスニーが追い付き、二人は横並びになる。
残り100m。レースはぎりぎりまでわからない!
『ダイタク逃げる!!ダイタク逃げる!!プレクラスニーがおってくる!!!二人によるデットヒートだああああ!!!!!』
『これはもうあとは根気の勝負ですよ!どちらが勝っても、おかしくありません!!』
『残りは100mを切った!!どっちだ!!どっちが行くんだああああ!!!!!』
「「あああああああああああああああああああ!!!!!」」
『さあ、お待たせしました!今日のレースを勝ったウマ娘による夢の舞台!ウイニングライブです!!』
あたりも暗くなり始めたころ。
降っていたはずの小雨はまさにライブのために止んだかのように止み、レース場には多くの観客がライブを待ちわびていた。
ウイニングライブ。
レースに勝った者のみに与えられる夢の舞台。
G1レースほどではないが、大きなステージの真ん中に、3人のウマ娘が立っていた。
そしてその真ん中に立っているのは……。
「みなさん!今日は応援ありがとうございました!プレクラスニー、歌います!会場のいっちばん後ろの人も、見えてるからね~!!!」
プレクラスニーだった。
煌びやかなステージを、プレクラスニーとダイタクヘリオスが一緒に踊っている。
歌とダンスが大好きな2人がいることもあり、会場は大盛り上がりだった。
「みーんなあーーーーー!テンションアゲアゲでイケてる?!こっからもっともーーーっと盛り上げていくかんねー!!ウチ達から、目を離したらダメだかんね~~~!!!」
「最後まで、最後まで楽しんでいってくださいね~~!!!」
大歓声があたりを包む。
プレクラスニーとダイタクヘリオスの二人は、間違いなく輝いていた。
「クラスニー輝いてんじゃん!!いいないいなあ!ターボもあそこで踊りたいーーー!!!」
「流石ですクラスニーさん。ファンサービスに余念がありませんね」
カノープスの面々も、笑顔でペンライトを握っている。
クラスニーは最後の最後でヘリオスを差し切ったのだ。
差は2分の1バ身。まさにぎりぎりの勝負だった。
「おめでとう、クラスニー……私も、頑張らなきゃね!」
笑顔で歌って踊るクラスニーを見て、ネイチャは目に溜まっていた涙を拭いた。
これでネイチャとクラスニーは、お互いG1への挑戦権を得たことになる。
トウカイテイオーとメジロマックイーン。
今最も注目を浴びているウマ娘に、それぞれが挑むのだ。
コールが止まない。
G1のライブでもこんなに盛り上がるだろうかというほどに盛り上がっているライブを見届けて、会場を後にするウマ娘が一人。
「流石ですわ、クラスニー。では……天皇賞で、会いましょう」
銀髪をなびかせる少女……長距離の覇者は、その場を後にする。
3週間後。
メジロマックイーンとプレクラスニーは戦うことになったのだ。